「インタビューはお好きですか」と聞かれたら……。
インタビューは、マスメディア関係者が、
取材の一手段として対象者から話を引き出す
コミュニケーションスキルであるが、
今日では、インタビューは、
かならずしもプロのスキルではなくなり、
メディア関係者のスキルともいえなくなっている。
結婚披露宴などで、司会者が新郎新婦や、
参列者からおもしろい話を聞き出そうとする場面があるが、
あれもインタビューといっているし、
「おれおれ詐欺」らしき電話がかかってきたとき、
「うちのワンちゃんの名は、なんだった?」と
怪しい相手に尋ねるのも、
イベントへの来場者にアンケートをお願いするのも
インタビュー(筆記式インタビュー)である。
もちろん、食事相談や健康相談には
インタビュー技術は欠かせない。
栄養士にインタビュー力が求められるようになったことは、
時代が「栄養指導」の時代から「食事相談」時代へと
推移し、その技術が進化していることの証左である。
指導しか知らない栄養士にとって、
インタビュースキルなど、どこの世界の話?
ということになるのだろう。
栄養士にとってのインタビューは、
医師の問診以上の意味を持つが、
そもそも近年の医師は、
問診にあまりウエートを置かなくなった。
医療機器の発達で、四の五のいっているよりも、
血液検査や電子機器による検査のほうが
正確だし、流れ作業によってスピードアップを図れる。
だが、検査数値は、体内環境の現状を示してはいても、
そうなった原因を探り当てるものではない。
生活習慣病に限っていえば、結果がわかっても、
その原因を突き止めなければ、真の対策は生まれない。
そこを埋める有力なセクションが栄養士による食事相談である。
が、いまもなお、「栄養指導」しか知らない栄養士が
なんと多いことか。
そういう現状も頭に置いて、
ロッコム文章・編集塾では、
11月は、インタビューのスキルアップを図る授業を
行なっている。
インタビュー力は、日常会話に活用場面が多く、
少し大上段に構えれば、生涯のコミュニケーション環境を
豊かにすることを伝えたいと思う。
ところで、過日、民主党政権が総辞職したが、
これにちなんで、テレビ番組では、
「街の声」を取材して放送していた。
「次の政権に何を期待するか」というインタビューに対して、
「街の声」はこんな具合である。
「どの政権になっても変わらないと思う」
「子育てを支援する政治をやってほしい」
「将来、私たちの年金が心配。そこのところをちゃんとやってほしい」
「私たちはもう歳だからいいけれど、
若い人たちが幸せに暮らせる社会にしてほしい」
これらの〝一声〟に共通しているのは、
政治に対してシラケていたり、
ないものねだりしていたりする点。
政治に対する知識や意見が幼く、リアリティがない。
日本の政治が不安定なのは(日本に限らないが)、
こういうおバカな国民に支えられているから……、
そういう結論に行きつくしかない。
が、ここで気をつけたいのは、
街の声のインタビュー手法にトリックがある、
という点である。
政治は、一般国民の日常生活の最周縁部に属する分野だから、
街ゆく人に「次の政権にどんなことを望みますか」と問いかけても、
うまい即答は期待できない。
その結果、前掲のような、小学生レベルの、
おバカなコメントばかりが拾われることになる。
サッカーや野球の大ファンでも、
街を歩いているときに、
突然テレビカメラを向けられて、
「ひいきチームの改善点は何か」と聞かれて
適切なコメントを即答できる人はそうそういない。
ましてや政治の話、いちばん苦手な話題。
テレビカメラの前でアガッてしまうこともあって、
思わぬことを口走ったり、
メディアでいっていることをなぞったりすることになる。
まともな街頭インタビューをするつもりなら、
インタビューをすることを告げてから、
5分か10分、準備時間を与えて、
考えをまとめさせてからインタビューを開始すべき。
できれば、エンピツと紙を預けて、
下書きをさせてもいいくらいである。
有識者が、適切な発言をするのは、
事前に取材依頼、インタビュー依頼をして
充分に発言の準備時間を与えるからである。
アマチュアにそれをやると、
「自然な声が聞けない」「作りすぎる」と感じ、
番組的に「カタくなりすぎる」と考えてしまうから、
安値安定の、おバカ発言集を選択することになるのである。
薄利多売の情報商品としては、
単純で、聞いたような意見であることが
必要条件なのかもしれない。
かくして、日本人の政治的センスは、
幼くて、〝天然〟で、
何年たっても成熟することがない、
万年少年・少女を続けることになる。
選挙のとき、「無党派層」が勝敗のカギをにぎる、
などというが、ひいきのチームがないということは、
スポーツでいえば、ファンでもなんでもない、
ただの部外者でしかない。
スポーツのファンなら、それでもいいが、
無党派層の多くは、選挙にも関心がなく、
「今度の選挙に行くか」と聞かれて、
「行かない」「わからない」と堂々と答える。
つまり国民の義務を果たしえない、
これぞまさしく「非国民」である。
それを「層」とくくると、誤解が生ずる。
「中間層」「読者層」のように、
互いに関係のない者同士でも、
グループとしてくくられることはある。
「読者層」などは、それでも、
ある程度の持続的意志を持つ人のグループだが、
「無党派層」ともなると、職場、地域、
コミュニティなどへの参加意識が薄く、
ほとんど自分のことで精いっぱいの、
トカゲやドジョウ並みの生き方でしかない。
なのに「無党派層がカギを握る」などとおだてるから、
行き当たりばったりの、
持続性ゼロ、思いつきでチーム選びを続ける者が、
いつまでものさばるのである。
「でも、票を左右するのは投票行動の結果ではないか、
ちゃんと国民の義務を果たしているではないか」
との反論があるかもしれない。
スポーツチームだって、国家だって、
思いつきでファンになられては困るのである。
そんな連中によって生まれたのが現政権ではないのか。
「いまの政権はなってない」とはよく聞くが、
それを選んだ人の悔恨や反省を聞いたことがない。
政治や国の運営、国家の維持は、
思いつきでは困るのである。
準備性が求められる。
街頭インタビューのとき、
いきなりマイクを向けたのでは、
シビレルような回答が得られないのと同じで、
国づくりは、ぶっつけ本番ではできるはずはない。
そこで、インタビューの予告を1つ。
「あなたは国づくりに参加しますか」
近々、インタビューをさせていただくかもしれません。
そのときは、よろしく。
by rocky-road | 2012-11-20 00:27