「〇〇用ノート」はどこで買いますか。
日本栄養士会・滋賀県栄養士会主催、
カルピス(株)後援のセミナーで、
「パワーアップする、栄養士の表現力 バート2
栄養士が文章力を磨くためのチェックポイント」という
講義をさせていただいた。(11月4日 大津市内)
初めての人に文章力に関する講義をするときには、
「きょう、受講用のノートを持ってきていますか」と聞くことが多い。
というのも、今後、文章力を強化するためにも、
そして、情報収集力を高めるためにも、
これは欠かせない「調査」であり、「問いかけ」だから。
ここで手をあげたのはお1人くらいであったか。
ゼロでなくてホッとした。
約100人中の1人。
それに驚くことは何もない。
そもそも、社会人が講義受講用のノートを持つ、
という文化が、それほど行き渡ったてはないから、
専用ノートを持ってきた人が1人でもいたという事実は、
喜ぶべきデータである。
そうした現状を前提にして、
10年以上は利用できる、堅牢でデザインのよい、
やや高価かもしれないノートを持つことの意義をお話しする。
日本人に限らず、人々の通念として、
体験を記録する目的を「情報を保存するため」
と、効用を小さめに規定する傾向がある。
しかし、私にいわせれば、そういう目的は「二次的」である。
記録は、もちろん重要な目的の一部だが、それ以前の段階として
「一次的目的」というものがあることを忘れてはならない。
しかるべきノートに、受講内容を記録しよう
という準備をすることは、セミナー参加への意欲を高め、
講義に集中しよう、というモチベーションを誘発する。
このとき、良質のノートを準備していると、
いっそう「強化因子」としての効果が大きくなる。
100円のノートと、1000円のノートとでは、
モチベーションに多少の、いや大きな差が出る。
気に入った衣服や装身具、高級車、各種グッズ、
みな同じである。モノは、常に情報を内包している。
いいノートを持つと、セミナーなどでは、
より前のほうに席を取ろうとするし、
居眠りをしたり、人とおしゃべりをしたりという、
情報取集にマイナスとなる行動はとりにくくなる。
そういうシステムを自分に刷り込むと、
結果として、日々の行動に積極性が増す。
それも、活力ある人生を支える地盤の1つとなる。
受講者のみなさんに、県内に気の利いた文具を売っている店、
「たとえば東急ハンズのようなお店はありますか」と聞いたら、
あまり反応がなかった。
「そういうノートは、本屋さんに置いてある」と教えてくれる人がいた。
なるほど、地域によっては、文房具屋さんや本屋さんは
〝よろず屋さん化〟して、
洗剤やら電気のソケットやらを売っていたりする。
滋賀県人の名誉のためにいうが、
同県がそうだ、とはいうつもりは毛頭ない。
現状はどうあれ、上質ノートを必要としない人にとっては、
文房具屋さんの有無は、さほど大きな問題ではないだろう。
しかし、終了後、ご当地の方から、
「これまで使っていたノートを見直したい」
とのメールをいただいたりしたので、
近隣の文房具屋さんに、小さな変化が起こる可能性はある。
脳という臓器は、万能であろうとするがために、
普段は努めてフレキシブルであろうとし、
ゆえに一見怠慢なところがある。
しかし、いちど刺激を与えると、俄然、能動的に働き始める。
ノートは、脳の積極性を引き出すとともに、
脳内の複雑な情報素材を有形化したり、
ホルダーとして情報を固定化したりする。
私は、「手は脳の支店であり、
ノートは手の支店の分所である」とたとえている。
「文才」などという、所在不明な才能に頼るよりも、
情報収集に有効なシステムを1つ採用するほうが、
文章力の強化、洞察力強化には、よっぽど確かである。
ノート~手~脳というネットワークは、
無限の力を秘めたシステムである。
日記、ビジネスダイヤリー、各種ノートなど、
すでに「来年」は始まっている。
準備は、よろしいか。
旅行用ノート、ガーデニングのノート、
水虫治療用ノート、婚活ノート……。
ノートの数だけは……とはいえないまでも、
作ったノートの何分の1かのモチベーションは
得られるはずである。
by rocky-road | 2012-11-08 22:14