集合写真の撮られ方テクニック。

9月1、2日、2日間の軽井沢/写真教室でも
少なからずの集合写真を撮った。
パルマローザ関連のイベントにしろ、
ロッコム文章・編集塾の遠距離クラスにしろ、
集合写真を撮ることが多い。

いくつかのパターンができてきて、
階段、坂道、橋での集合写真がやたらと多い。
集合写真オリンピックがあれば、
金メダル級に達していること間違いなし。

集合写真を撮っていて、ふと思った。
フォトテクニックの中には、
「撮られ方テクニック」も含まれるのではないか、と。

生涯、撮られるだけの人はともかく、
撮影テクニックを学ぶ人としては、
撮られ方テクニックも磨いておきたい。

自分が撮られる段になると、
にわかに非協力的になるようでは、
写真がほんとうに好きなのかどうか、疑わしい。

「さあ、みなさん、集合写真を撮りましょう」となったとき、
なぜかどこかに行っている、人の影に隠れる、
目をつぶる、前にある花や石や垣根などの影になる、
コケる、隣の人と話をする、
アクビやクシャミをする、アゴを外す……などである。

多くの被写体人物の中には、
写真に撮られると、なぜか動物顔になってしまうとか、
ヘン顔になってしまうとかと、
気の毒な人もないとはいえないが、
それとても、対策がないわけではない。

これから社会人としてハッピーに生きていくためには、
「写真は苦手」といっていたのでは、
自分のポジションは安定しない。
集合写真にも、その人の社会参加意欲が
意欲度数計のようにはっきりと出る。

撮られるほうの心得としては、
体型が気になるならば斜に構える、
人の影に入ろうとしないで、
最前列か最後列かにポジショニングして、
手なり足なりをあげる、さらに過激なアクションをする、
にこやかに笑うなど、攻め続けて弱点をカバーする。

棒立ちの人は、だれかが予想外のアクションをすることもあるので
自分の顔やからだの大半が覆われてしまわないように、
周囲の気配を読んでおく必要がある。

集合写真を棒立ちで撮られる、という時代は終わった。
サッカーの試合同様、パフォーマンスの試合である……
くらいの勝負魂で臨み、
しかし表情は「チーズ」ばかりでなく、「モナリザ」も試みる。

目をつぶりやすい人は、
シャッターが切られる瞬間まで目をつぶっていて、
「撮るな」というタイミングで目を開く。
しばしば目をつぶって写る人に対する人々の評価は、
「この人、頭の回転が悪いかも」となっている可能性がある。
そのくらいに真正面に考えておいたほうがいい。
たかが写真ではない。写真は社会参加へのパスポート。

ところで、「集合写真」とはなにか。
定義しておこう。
「集合写真とは、そこにいる、だれかの提案によって
複数の人員が所定の場所に集まり、
全員がカメラのレンズを見つめる状態で撮る写真。
その目的は、そこに集合した人たちの健在を
記録し、参加者に配り、全員の思い出にすることにある」

では、道を歩いている人々を、
全員が写る位置から撮る写真を集合写真というのか。
従来、こういう写真は「スナップ写真」といった。
しかし、パルマローザ関係では、
集合写真をスナップ的に撮り、
スナップ写真を集合写真的に撮ることが多くなっているので、
その区別がむずかしくなっている。

これは、デジタルコンパクトカメラの普及と関係がある。
デジタルコンパクトカメラは、「被写界深度*」が深いので、
短距離走のスタートラインのように、
みんなが横一線に並ばなくても、いや、並ばないほうが、
動きのある、おもしろい写真が撮れる。

つまり、集合写真をスナップ写真的に撮る方向へと
シフトしつつある。
若い人たちは、とっくにそういうことをやっていて、
それぞれが役割や演技を決めて撮ったりしているのを
よく見かける。

「写真は真実を写す」と定義したプロカメラマンは多いが、
「写真は錯覚を楽しむ」という一面もある。
旅先の写真などは、非日常の記録のおもしろさを楽しむ要素も強い。
集合写真で〝はじけた〟自分を記録することは、
長い人生の楽しみであり、
おそらく「生涯現役」を下支えする要素の1つにもなるだろう。

*「被写界深度」=ピントの合う範囲のこと。
「被写界深度が深い」とは、
被写体の前やうしろのピントが比較的合うこと。
カメラのレンズの特性として、
ワイド側で深くなり(合いやすく)、
望遠側で浅くなる(ボケやすい)。
by rocky-road | 2012-09-04 13:04

