海の中でカレーを食す。
前回ここで予告した
「給食便り・広報メディアのための
編集力スキルアップセミナー」
第3回、『情報は身近なところに――
取材力のつけ方』(7月29日)の
ご報告の第2弾は次回にさせていただいて、
今回はダイビング関連の話をしてみたい。
しかし、編集とは無関係な話ではない。
7月は、タイピングの歴史に関するビデオ取材を
2か所から受けた。まったくの偶然である。
1つは、海底ハウスに関して。
20数年以上前までのことだが、
伊豆の三津浜(みとはま)というところの
海底9メートルのところに
家を建てた人がいた。
いろいろの人にクイズ的に尋ねるのだが、
「海の中にある家の玄関はどこにあるか」である。
①天井 ②壁面のドア、 ③縁の下
正解は③の縁の下である。
台所仕事のとき、桶の中につけた茶碗やお椀を
伏せて沈めると、中にできた空洞はそのままで、
水が入らない状態を保つ。
あれと同じ原理で、気密性の高い家を海底に伏せて、
中にその深度の水圧よりも高い圧力の空気を送ってやれば、
屋内の空間は保たれる。
スノーケラーは、水面から〝そこの底〟まで潜って、
縁の下から「コンニチワ」と入室する。
そこは水深9メートルの空間である。
ウエットスーツを、備えつけのTシャツに着替える。
コーヒーもある。カレーライスもある。
マージャンもオセロゲームもできる。
海の外には魚、家の中はゲームを楽しむ人。
この世界的な建造物を造った人は田中和栄(かずひで)氏。
出身地の愛媛県宇和島でみかん畑ををやっているとき、
眼下の海を見下ろしながら、
海底居住を思いついた。
小さな住空間から始めて、2度目に
50㎡くらいの家を作ることに成功した。
私はここには3度訪れた。
最初の訪問は1976年だった。
このとき撮影した8ミリフィルムから、
いくつかのカットをデジカメで撮ったので見ていただこう。
このとき撮った8ミリフィルムを
2回目の訪問のとき持っていき、
その映像を室内の映写機にかけ、
水中に張ったスクリーンに映した。
「これぞ世界初の水中映写会だ」と喜んだ。
3回目は、閉鎖後の海底ハウスだった。
経営難と潜水事故とが重なって、閉鎖に追い込まれた。
閉鎖後は、空気を送ることをやめたので、
室内には海水が満ちていた。
先導してくれた田中さんは、
「こんなみじめな様子は見せたくない」
と嘆いていた。
その田中さんが、去年(2011年)亡くなった。
そこで、田中さんの業績を、
海底ハウス訪問者へのビデオインタビューという形で残そうと、
科学ジャーナリストの工藤昌男さんが
発案し、自らがカメラを持って拙宅に来られた。
ビデオ取材はいろいろの人に対して行ない、
当面は編集をせず、記録として保存するという。
さて、もう1つのビデオ取材は、
水中映像サークル発足30周年(2013年4月)の
ための特別出品作品用。
このサークルは、1983年5月に発足した。
私が発案し、数人の発起人の協力を得てスタートした。
月1回の例会、年1回の映像祭(発表会)というパーターンで
私は20年間、運営に携わった。
取材内容は、発足の動機、その後の経緯などについてであった。
クラブやグループの運営論については
論じたいことはいろいろあるが、
ここでは深入りしないでおこう。
今回のまとめとしては、
まず「編集」は、しばしば指摘するように
プロだけの仕事ではなくなっているということ、
そして「取材」は、文章にすることだけが目的ではない、
ということである。
映像取材もあるし、録音取材もあるし、
美術的取材もある。
写真アルバムを作ることは編集だし、
フォトブックともなれば、正真正銘の編集物である。
ことほどさように、仕事であるかないかは別として、
「編集」や「取材」(したり、されたり)は、
人生の中で何度も経験するということ。
前回も書いたが、編集は「人間の歴史が始まって以来」
育ててきた表現技術であるということ。
コトバが生まれる前に、すでに編集的なことは、
してきた、ということである。
そして、これからはますます、
編集は、人生を充実させるスキルとして、
人々に活用され続けるであろう。
by rocky-road | 2012-08-06 00:41