お料理評論家になりませんか。

パルマローザが行なった
4月29日の写真撮影会に続く
フォトコンテスト(フォトコン)の選評が終わった。
(このホームページの「スタンバイ・スマイル」参照)
http://palmarosa.exblog.jp/
大好きな仕事であるがために思いきり力が入り、
終わったらぐったりした。

その理由の1つは、
日本でもっともメジャーなフォトコンで
「第一席」を受賞し、授賞式に出席したが、
選者の著名カメラマンたちの選評が
あまりにもたどたどしいので、がっくりした経験があるからだ。
途中で「私が代わりましょうか」と、
出ていきたい衝動を抑えるのに苦労した。
また、テレビ番組で見るデジカメ写真教室でも、
指導するカメラマンは「いいですね」「いいですよ」を
繰り返すばかりで、改善すべき点をまったく指摘しない。

非言語的な創作活動をしている人たちだから、
ハレの舞台で、作品評を論理的に展開するのが不得手なのだろう。
仲間と、酒でも飲みながら論じれば、
もっとイキイキした論評ができるのだとは思うのだが。

そんな実情を考えると、
私が50年近くかかわっている水中写真の世界は、
なかなか作品評の水準が高いところだと改めて思う。
正確にいえば、水中写真家・舘石 昭氏が主宰する
『マリンダイビング』(水中造形センター)の
長きにわたるフォトコンテストである。

ここでは、その回ごとに
作家や漫画家、海洋生物学者などを選者として招き、
発表会場でも、誌上の座談会でも、
その人たちに多角的に論評を求めている。

私がグランプリを受賞した、
第11回 水中写真コンテストについては、
1982年2月号に、3名の審査員による座談会を載せている。
私の作品についてのコメントを引いてみよう。

審査員は、作家の畑 正憲氏、村上 龍氏、
水中写真家の舘石 昭氏である。

編集部「まずグランプリを獲得した『イワシの春』は、大橋禄郎さんの作品です。
この作品を推薦された畑さん、いかがですか?」
畑 「この人、さすがにキャッチフレーズのつけ方がうまいですね。
それと、この作品は奇をてらったものではなく、ごく平凡な風景を
さりげなく撮って表現力を持たしていますね。
だから見ていて見飽きないし、多くの人に愛される作品じゃないかと思います。
また、色彩のバランスも実にいいですね。ただ、ちょっと魚の群れが乱れているのが
気になりますけれど、すぐれた作品だと思います」

村上 「ひと口にいうと印象派の作品みたいですね。
ドキッとするような写真ではないけれど、
壁に貼っていつまでもながめていたくなるような作品ですね。
今回のコンテストの中では、一番見飽きない作品だと思いますね」
舘石 「この作品は、最初見たときからいいなと思ったんだけど、
何回も見ていくうちにますますよくなっていくんですよ。(中略)
それと、この作者は、肩に力を入れないで淡々と水中写真を撮って
楽しんでいる。その姿勢がいいですね。
技術的には充分なところまでいっているのだから、
その達観した感じがいいんじゃないかな。
見ていて心が休まるというか……」(中略)

畑「こういっちゃ作者に悪いかもしれませんが、
ぼくはこの作品にアマチュア精神を感じるんですね。
ベテランダイバーが計算しつくして、色がどうだ、
光がどうだといって撮った作品でなく、ホンダワラのところを潜ったら魚が来た、
それをたまたま撮った。そういう、計算しない感じが、
ぼくたちの心を慰めてくれる作品になったような気がしますね。
プロだけでなく、アマチュアでもよい仕事をやる人がいる。
その典型のような気がします」
村上「精神がすごく素直だというのがピタッときますね」
舘石「うん、そのへんがスゴイんだなあ」(以下略)

一部の引用だが、ほとんど絶賛である。
これだけの豪華メンバーが、
一作品にこれだけのコトバを使い、これほどの賛辞を送ってくれる、
思えばよい環境の中で水中写真を楽しんできたものである。
それに比べると、
「お前の選評は冷たい」といわれるかもしれない。
反省点の1つではある。
が、やはり弱点、改善点を指摘しないと、
技術は進歩しないと思うので、
黙っているわけにはいかない。

写真にしろ絵画にしろ、
音楽にしろスポーツにしろ、
非言語的な世界にも、それらの鑑賞論や評論は必要。
評論のない文化や文明は、まだ未熟といわざるを得ない。

料理や食事に評論家はいるのか。
「料理研究家」はいても「料理評論家」はいない。
フランスには「ミシュラン」があるが、
星の数では「評価」はできても「評論」にはならない。
辰巳芳子さんあたりは、
無意識的に評論家の役割を果たしているかもしれない。
飲食店の料理などは、客が評論家といえなくもない。
しかし、言語能力、評論精神のない者の評価は、
「スゴ~イ」「カワイイ」「どうやって作るんですか」
程度のものだから、板前やシェフは堕落する。
軽口をたたく程度の料理人が、
「軽妙な語り口で人気の……」と持ち上げられて
舞い上がってしまっているのが現状である。

以前、「外食・中食評論家」の仕事を
してみたいと思ったことがあるが、
いまは、そういう時間もなくなった。
だれか希望者があれば後押しをして、
10年以内には看板を掲げるくらいのプロに
仕立てる自信があるのに、手をあげる人はいない。

さて、フォトコンの話に戻る。
今回の受賞のコトバを読んで、
この撮影会に参加した人たちの言語表現力も
ナミでないことを再確認した。

撮影会やフォトコンテストの規模の大小と、
作品のレベル、論評や受賞のコトバのレベルを
過小評価しないことである。
日本は、いや世界は、
思っているほど大きくはないのだから。
by rocky-road | 2012-05-11 23:28 | 写真教室