食育のゆくえ。

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このところ、食育について考えたり話したりすることが多い。
大学での講義では、脱線話ながら
食育について私見を述べたのだが、
その翌日には、
食育コーディネーターを育成している知人から電話があったり、
影山なお子さんが「食コーチングが考える食育」という演題で
セミナーを開催することになったり(2月12日に終了)、
食育に関する講義や講演を控えている複数の人からの
相談に応じたり、そして、私自身も講演依頼を受けたり……と。
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これらの状況に関連して、
「第2次 食育推進基本計画」の概要に目を通した。
そこには、こんな基本方針が示されている。
①生涯にわたるライフステージに応じた間断ない食育の推進、
②生活習慣病の予防及び改善につながる食育の推進
③家庭における共食を通じた子どもへの食育の推進

これにはさらに具体的な推進プランが示されているが、
ますます「食育戦線」が拡大していきつつあり、
「言うは易し、行なうは難し」の領域に
踏み込んでいくばかりである。
(ちなみに「共食」という用語は避けてはいかが?
 読み方を変えると「とも食い」である。
 ホモサピエンスがこんな危ないコトバを使うべきではない。
 「団らん」か「歓談」がいいのではないか)
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さて、今日の「食育」の提案は、
村井弦斎(1863~1927年)によるものではなく、
昭和50年代末から平成にかけて、
著述家の砂田登志子氏が論述したものが
基礎となっていると、私は見ている。
そのころ私は『栄養と料理』編集部にいて、
そのコトバが流布していくのを見てきた。

女性の社会進出に拍車がかかり、
その結果として、家事にかける時間が激減し、
したがって、一家団らんの機会も激減した。
文明面での社会背景には、子どもべや、
テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、電気炊飯器、
パソコン、ケイタイ機器、
コンビニ、外食・中食などの普及がある。
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こういう社会背景の中だからこそ、
子どもの食教育を見直せ、という提案は正しい。
とはいえ、家事よりも社会活動に軸足を移した大人たちには、
そういう情報は簡単には届かないのが現実であり、
子を食育する意識も知識も技能も、
ほとんど持ち合わせがない。

平成16年、私は、ある雑誌に連載していたフォトエッセイの中で、
けっきょく食育は、家庭にフィードバックされることなく、
学校や専門ビジネスにアウトソーシングされるだろう、と書いた。
食育の提案には、古きよき時代への回帰を望む感情が含まれていて、
時計の針を逆回しするようなアクションを求めるところがある。
ときどき、このブログでも指摘する、
「いまから40年くらい前の日本人の食事が
いちばんよかった」論と通じる心情論に傾きやすい。
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「内食」(ないしょく=家庭内での食事)習慣を保ちにくい
これらの社会構造の変化を直視できない人たちは、
ムリを承知か、ムリに気がつかないのか、
無心に食育運動を推進する。
そんな思いを抱きながら
「第2次 食育推進基本計画」を見ていて、
妙な連想が起こった。

ぐんと時代をさかのぼることになるが、
太平洋戦争を戦った日本軍参謀本部は
「補給」のことを軽視して戦線をアジア各地に
そして太平洋の島々へと拡大していった。
ある学者は「アメリカ軍は世界でもマレにみる、
補給を重視した軍隊であり、
日本軍は、マレにみる補給を軽視の軍隊だった」と書いていた。
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アメリカ軍が去ったあとには膨大なドラム缶やタイヤが残った。
カリブ海の島々では、アメリカ軍が残したドラム缶から
「スチールドラム」という楽器が生まれ、
ベトナム戦争のときには、アメリカ軍の廃棄タイヤで
ベトナム兵は自分たちのサンダルを作った。
沖縄の派手なガラス食器や花器は、
コーラの廃棄ビンの利用から始まったという。

さて、食育推進作戦はどうなっているか。
家庭で食教育環境を復活させるには、
まず親の再教育から、ということで、
保護者、教育関係者をターゲットにし、
生活習慣病の予防や改善のための活動も取り込み、
食品の安全性を確保する役割を果たし、
食文化の継承のための活動への支援を行なう……。
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これらの活動を展開する場所や対象者はといえば、
家庭、学校、保育所、地域、生活者、消費者、
農村・漁村などなど、
要するに社会のすべての人、すべての場面ということである。

定義のないコトバの悲しさで、
「食育」の範囲は広がるばかり。
ニワトリが先か卵が先かの議論どおり、
「まずは親から」となるのは当然の成り行きだとしても、
ここでも「補給」の問題が生じる。
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まずは人員、人材。
兵隊さんには、それを束ねる小隊長、中隊長、
大隊長が不可欠。食育戦線では、それをだれが担うのか。
現状は、行政の一部の職員や、小学校の栄養教諭や、
それらの人を介して外部組織に丸投げしてしまっている状態。
いわば「雇い兵」によって戦線を世界規模に拡大しつつある。
現場は武器の補給も受けられず、「最後の一兵まで戦え!」と
叱咤激励されっぱなしである。

「情報」は、戦争でいえば武器に当たる。
武器を充分に配布しているのか。
食生活の改善は、ライフスタイルの改善を意味するが、
それほど大規模で、長期化する戦いなのだから、
相当な大作戦になることを覚悟しなければならない。
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こんな大戦には大戦略が必要だが、
現状は、戦線拡大の方向に向かうばかりで、
「補給」のことは忘れられている。
というより、無制限に戦線を拡大してしまうと、
補給が追いつくはずもない。

戦争の場合、勝利がムリなら、
停戦するタイミング、休戦するタイミングを
考えて戦略を立てるが大原則。
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しかし、「第2次 食育推進基本計画」では、
当面の着地点さえあいまいで、
理想的なイメージばかりが列挙されている。
それはそうだ、ライフスタイルの着地点など、
無限といえるほどで、中国の広大な地域に
踏み込んでいった程度の規模ではないのである。

どう攻めればわからなくなった挙句、
子どもたちを畑や海に連れて行って、
農業体験や漁業体験をさせたりする。
やることに意味がないとはいわないが、
一次生産者になるのならともかく、
都会生活をする子たちに、
それを家庭の食卓とどうリンクさせるか、
それをつなげるには、絶大な指導力が必要になるだろう。
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それはそれでいいとして、
ファミレスやファストフード店や、
スーパーマーケット、コンビニなどで、
好ましいメニューを選ぶことを学ぶ
「外食や中食、食体験」というのも、
やっているのだろうか。
もちろんやっていると思うが、
そういう話はあまり聞かない。

戦線を無限に広げていくに当たって、
たぶん企画の中心部にいる人は、
「食育」というコトバと、
その活動とのギャップに気がついているはずである。
「成人や高齢者への食育」なんていう表現が
日本語として成立しにくいことは、
30秒考えればわかるはず。
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家庭内の食事を考えるはずの食育を
農業・漁業体験にまで広げてしまうのは、
公園でのサッカー遊びを、
大スタジアムでのサッカー試合に発展させるようなもの。
人数も足りないし、経験も足りないし、
そもそもコーチも監督もいないし……。
それ以前の問題として、
出場する選手は試合のルールさえ知らなかったりする。

こんな現状を考慮して、
影山さんの「「食コーチングが考える食育」セミナーのために、
「食生活のデザインブック」というものを作った。
(大橋禄郎/影山なお子)
これは、食行動のいくつかをとりあえずの着地点とし、
そのための指針を描いてみた。
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ここでは、食事の意味を「栄養補給」に限定せず、
健康行動や人間性を支える基本行動と位置づけ、
献立のデザイン、日々のリズムの作り方、
買い物の仕方、外食店の選び方、
トイレタイムの決め方など、
実行可能な行動指針を12項目で示した。

その目的は「食育」のためではなく、
人間の健康的な食行動の軸になる指針を描くことにある。
対象を大人、子どもと分けてはいない。
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着地点のあいまいな行動は、
達成感が得られず、効果が確かめられない。
それよりもなによりも、
スタッフの心身の健康上よろしくない。

立場により、仕事の内容により、地域により、
その指針は異なるだろうから、
それぞれのコミュニティに合った「指針」なり
「デザインブック」なりを作ってはどうだろう。
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ウエートコントロールと同じで、
短期目標を立て、それをプログラムにし、
1歩ずつ前進することが必要だろう。

いまは、際限ない戦線拡大でヘトヘトになっている
食育戦線の兵士たちに、
わずかとはいえ休息をとらせてあげたい。
そして、食育参謀本部の人たちにいいたい。
「あまり欲を出すな、見せかけの〝結果〟ではなく、
地味に見えても、日々の生活習慣の基礎固め作戦に重点をおけ」と。

by rocky-road | 2012-02-23 22:59  

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