道をお教えいただく。
過日、小雪の降る日、大学の夜の講義に自転車で向かった。
途中、預けておいた買い物を受け取ってから
大学へ向かうコースを考えたので、
自転車のほうが小回りがきくと判断したためである。
ところが、いつもと違う道を走ったために、
途中で道に迷った。
いつものように、迷いを楽しんでいる時間的余裕はない。
道路補修現場に数人の保安員が立っていたので、
その1人に道を尋ねた。
20歳代と思われるその男性は即答してくれた。
「この坂をのぼっていただいて、突き当たりを右へ……」
天下の公道である。彼らの私有地ではない。
なのに、「この道をのぼっていただいて」ときた。
過日の遠距離クラスで、
このフレーズについて、受講者から質問があった。
人に写真を送るとき、「お送りさせていただきます」としたら、
仲間から「送ります」でいいのではないか、と指摘されたという。
答えは「相手がだれかによって決まる」なのだが、
仮に後輩や発注先の業者であっても、
「お送りさせていただきます」で不都合はない。
……などと話していたあとだったので、
雪の路上で道を尋ねられた人が、
「坂をのぼっていただいて」と、瞬時に答えたのには感服した。
戻って、改めてそのことを言おうと思ったが、先を急いでいた。
なんとか時間どおりに買い物を引き取り、
大学の講義時刻にも間に合った。
大学での講義を終え、自転車で帰途についた。
途中、エネルギーと温もりとを補給するために、
何回か利用したことのあるステーキハウスに入った。
《山芋フライ》でビールを飲みたかった。
アツアツの揚げ物と冷たいビール、どちらも身にも心にもしみた。
「これ、おいしいですね」と、男性店員に声をかけた。
前にも、女性店員にそんなことを言ったような気がする。
今回は40歳代と思われる男性店員、
いや、店の責任者か、ひょっとしたらオーナーか。
その彼が、即応した。
「ありがとうございます。お口に合いますか」
「お口に合いますか」である。
正真正銘の問いかけである。
「ありがとうございます」でも充分だが、
「お口に合いますか」と、問いかけつつも確認する。
結果的にはダメ押しするかのような受け答えである。
ここで「おいしさ」は2者間を往復し、1つのシーンが現出した。
武士の立ち合いであれば、
相手とすれ違った瞬間に「お主、できるな?」とつぶやくようなもの。
この日は、「話芸者」のような2人に出会った、快い1日であった。
ここでいう「話芸者」とは、話芸が職種のメインになっている人。
従来は講談師や落語家、漫談師などについていうが、
食事相談やカウンセラーなど、
健康相談に当たる人も、話芸または話術によって仕事をする人、
という意味で、「話芸者」または「話術師」ということができる。
もっとも、凹型社会(受け身型/芳賀 綏氏用語)である日本では、
話し上手は、かならずしもよい評価を受けないから、
「話術」や「話芸」は、なんとなく軽く見られる懸念はある。
しかし、「武芸者」(武道で道を希求する人)のイメージを考えると、
どうしても「話芸者」といいたくなる。
この用語については、もう少し考えるとして、
保安員もステーキハウスの店員も、
職業スキルというよりも、
身についた「話力」を示したという点で評価できる。
素地がいい、ということだろう。
スポーツ選手がランニングで基礎体力をつけるように、
話芸者も、日常会話によって基礎体力をつけておく意味はあるだろう。
日々のあいさつ、道案内、メール、手紙、
仲間との日常的な会話にも、手を抜かないことである。
気温零度の小雪の中で、
道路にあいた穴に通行人が転落しないように
保安している徹夜勤務の若者の写真を撮って、
話芸者のパワーアップおまじないにしたいくらいである。
なのに、なのに、今回、このエピソードに関連のある写真はゼロ。
せめて「山芋フライ」の写真くらいは撮っておきたかったところだが、
それさえもない。
カメラを持っていたのに、寒さのせいか、
バッグの中のカメラのことを忘れていた。
ドジとしか言いようがない。
ちなみに、山芋フライは、スティック状に切った山芋に
粉のバジルを振った薄い衣をつけて揚げたものである。
by rocky-road | 2012-01-25 23:53