健康支援者よ、凹型プラス、凸型に。

大学時代以来、今日に至るまでわが恩師である、
芳賀 綏先生(はが やすし)が、
11月26日、午後のNHKラジオの30分番組に出演されたので聴いた。
「私の日本語辞典」という4回シリーズ番組の3回と4回の放送。
先生からファックスで教えていただいたのは、この段階だったので、
1、2回は聴けなかった。
番組は司会アナウンサーのインタビューに答える形式。

芳賀先生は、国語学者で評論家、東京工業大学の名誉教授。
NHKとは縁が深い先生で、テレビでは「視点・論点」という番組に
しばしば出演される。
ちなみに1928年生まれ。大学時代、先生は20歳代の助教授だった。
金田一春彦先生のお弟子さんでもある。
今回の放送は「日本語辞典」となっているが、
コトバの問題というよりも、比較文化論が中心の話であった。
たとえば、文化圏を凸型(とつがた)文化と
凹型(おうがた)文化とに分けて見る視点。
凸型とは大陸に住む人たち。
ヨーロッパやオーストラリア、北米などに代表される人たち。
宗教的には一神教の世界。

自然環境、たとえば空気が乾いていて、
自然が厳しく、季節の変化の幅が小さい。
ここでは牧畜が発達し、人は動物をコントロールし、
そこで強い統率力、リーダーシップが発達した。
何千頭、何万頭の動物たちを大自然の中で支配するのは、
並大抵のことではできない。
したがって、自然に対して制服的、攻撃的。
自己主張が強く、個人と個人、国と国とせめぎ合う。
自信があり、相手を言い負かすことに懸命になるが、
そもそも相手も、そう簡単にはへこまない。
これが凸型文化。

これに対して凹型文化は、日本をはじめ、
湿潤気候の、一部のアジアの人々。
ここでは暑く湿度が高いので、とても牧畜には向かない。
ここに住む人は、自然が身近で、それを崇拝する植物性文化。
八百万の神(やおよろずのかみ)というように、
神は身近なところにいくらでいる。
神様は、困ったときには助けてくれる存在。
(大陸の凸型文化圏では、ゴッドは天にいて、人にそうやさしくはない)
凹型文化圏にある日本人は、自己主張よりも、相手を気づかう文化。
「おコトバを返すようですが……」、「至らぬ者ですが……」
「不適任とは思いますが……」「浅学非才(せんがくひさい)を顧みず……」
「以上、はなはだ簡単ですが、ごあいさつに代えさせていただきます」
などという表現を好んで使う。

日本には、「コミュニケーション」というコトバはなかった。
一時、日本語訳を試みたが、受け皿となる概念がないため、
よい訳語が見つからず、原語をそのまま使うことになった。
日本人は、コミュニケーションを「コトバのやりとり」くらいに理解しているが、
アメリカの言語学者の定義には、
「人の心を変化させること」というのもあるという。
最近は、日本人もディスカッションやディベートを好むようになったが、
凸型文化圏からやってきた留学生から見ると、
日本人のディベートは、始まりから終わりまで、
話があまり変化しないという。
みんなで話し、時間はかけるが、新しい知識が身につくものでもなく、
高度な理論に到達するわけでもない。

……以上は、放送のごく一部だが、
このような内容が中心だった。
凸型と凹型とどちらが優れているか、という議論ではなく、
まさしく比較文化論である。
こういう知識を前提に、
自分たちのコミュニケーション風土の長短を見極め、
自分たちとは違うコミュニケーション風土の人と
どのように接していったらよいか、という話である。
先生の考察がますます文化論的になり、
ワイドレンズで人々を見るような、
広い視野に立っている、という点が勉強になった。
文化人類学や動物学など、ご専門以外の学問からの引用が多い。
ホームグランドだけで戦うのではなく、
アウェイでも善戦している、といったらわかりやすいか。

ここからも健康支援者が学べることがたくさんある。
その一部をあげておこう。
1.専門性に逃げ込むな。
自分のフィールドだけで戦っている人間の足腰の弱さを
自覚する必要がある。
昔からいわれているように、専門バカは、
自分の世界に引きこもり、小さな穴を掘り込むことだけに熱中する。
それがだれのための専門なのかさえ忘れて、
あたかも自閉症のごとく、周囲に目を閉ざす。
福島原発では、原発の専門家は、
大きな津波が来る可能性を指摘する学者の声を無視した。
栄養士の世界では、それほどのスキルが準備されていないのに、
特定健診後の「栄養指導」を一手に引き受けて、
少なからずの受診者を失望させている。
まさしく専門バカが露呈しつつある。
健康支援者は、これまでに、
人間のライフスタイルや人生を考えたことがあったのか。

2.まぎれもなく凹型人間の典型である健康支援者は、
もっと自己表現に意欲的であっていいだろう。
勉強は、なんのためにするのか。
その目的意識がないと、いくら学んでも身につかない。
もっといえば、なんのための人生なのか。
自分の知識や体験を世の中に還元しよう、
という使命感がない者には、人生はあまりにも退屈である。
「使命感」などという表現が重いというなら、
「プライド」「幸福」「心身の豊かさ」「輝きのある人生」といってもよい。

芳賀先生はこう話した。
「日本人は、コトバにしないことを大事にする。
以心伝心、相手の心を察する」
これらは美徳ではあるが、これは世界が小さかったときの話。
栄養士も、毎日のように新聞や雑誌、テレビやラジオに登場している。
だが、その多くは、素人が企画したものを依頼されただけのこと。
アマチュアであるディレクターが書いた栄養論・食事論を
復唱するだけのテレビ番組のなんと多いことか。
「待てば海路の日和(ひより)あり」なのである。
(待っていれば、いつかいいことがある、という格言)

「自分は、こんなことができる」とメディアに売り込んでいる人が
どれくらいいるだろう。
世の中は、政治家や行政やメディアだけが動かしているわけではない。
1人1人のアイディアとアクションが、政治や行政、メディアを動かすことも多い。
ロッコム文章・編集塾の得意の1つは、
そういう人を支援することなのである。

★芳賀先生の「私の日本語辞典 第4回」の再放送は、
12月3日(土) 第2放送、午後3時ころ。(ラジオ体操のあと)
by rocky-road | 2011-11-29 22:55