松下村塾とロッコム文章・編集塾

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NHK総合テレビに「セカイでニホンGO!」という番組があるが、
8月4日に放送した「最新ニホン教育事情」というのを見た。

OECDでは、加盟する国々で義務教育が終わるころの15歳の生徒を対象に、
読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシー、問題解決能力について
3年に1回、「生徒の学習到達度調査」を行なっている。
(略称「PISA」Programme for InternationalStudent Assessment,)
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この話はニュースなどで知ってはいたが、
かつて世界一(数学部門)になったこともある日本も、
2009年の調査では、3部門とも1位を上海に、以下、シンガポール、
フィンランド、香港、韓国、台湾などに譲り、
数学的リテラシー部門で9位、科学的リテラシー部門で5位に入る程度の結果になった。
このようにレベルが急落した理由の1つは、例の「ゆとり教育」だという。

出演者の渡辺美奈代、宋 文洲、パトリック・ハーラン、
千原ジュニア、尾木直樹、加藤晴彦、
たかのてるこ、松本あゆ美、青井実といった人たちが
その原因を指摘する話し合いがおもしろかった。
国際社会で活躍しようと思う日本人にとって、
柔軟性の弱い日本的思考法は、ずいぶんマイナスになる、
との指摘が、宋 文洲氏やパックンからなされていた。
また、上位のフィンランドの教育事情を示すルポが参考になった。
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フィンランドでは、教科書に従って授業を進めるのではなく、
教師が徹底的に「なぜ?」「どうして?」と生徒に問いかけ、
生徒に自分で考えをまとめる経験をさせていた。

この方式は、図らずも食コーチングプログラムスが開講した
「健康支援者のための リーダーシップ ゼミナール」でも行なってきたところであり、
これからは「食コーチング ディスカッション ジム」で
さらに発展的に実施されようとしている。
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さて、わがロッコム文章・編集塾はというと、開塾して7年がたったところで、
入塾者が増える一方、初期の人が私的な理由で退塾したりもしている。
塾生数としては大きな差異はないが、
もっと塾生のニーズに応える方法があるのではないかと、
思案しているときでもある。
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というのも、ある入塾希望者が「いまからでもついて行けるか」と
間接的に尋ねてきてくれたことによる。
「ついて行く」とは、まさしく旧来の発想で、
つまりあるレベルを目標にして、それに到達するまで勉強を続けるという図式である。
しかし、わがロッコム文章・編集塾では、
社会人の日常生活における発想力、文章力、編集力、表現力を強化するのが目的だから、
いわゆる卒業や到達はない。
終点がないのだから、途中下車はあっても、途中乗車を拒む理由はない。

しかし、先の入塾者に迷いがあったように、
あるいは成果を数値化することを望みがちな日本人にとっては、
一定の着地点が見えていたほうが、スタミナの配分がしやすいのかもしれない。
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そこで突然だが、不遜にも吉田松陰の「松下村塾」(しょうかそんじゅく)のことを
思うのである。
あの時代、あの塾には、幕藩体制をどうするか、諸外国の外圧にどう対処するか、
といった深刻な問題から目をそらすことができない圧倒的な社会環境があった。
塾長にも、塾生にも、日本をなんとかしなければならないという使命感が必然的に生
まれた。
そうした緊張感に囲まれていた塾生の中から、多くの優れた人物が輩出した。

「いまは、そういう時代ではない」という解釈は、ときに逃げ口上になる。
シチュエーションの違いを無視してコトを論ずるのは浅慮である。
しかし、人類の歴史で、「いまこそ、そのとき」でなかった時代などはない。
縄文式土器を作っていた社会で、弥生式土器の可能性を考えていた人はいたはずで、
彼にとっては、「いまはチャンスの時代」であったに違いない。
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現代の食の世界についていえば、男たちが、がっちりと構築してきたフードビジネスの世界を
女性の目で(男性の目でもよいが)見直し、再構築するのに、
いまほど機が熟しているときはない。

健康支援者についていえば、医師を最高位にして組みあがっているヒエラルヒー(ピ
ラミット構造)を再構築するのに、こんなにタイムリーな時代はない。
いや、「健康支援者」というコトバ自体、「チーム医療」という概念をも包含する、
よりスケールの大きい用語として、時代を切り開いてゆく可能性を秘めている。
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ある有名なカルチャースクールの文章教室で、受講者から提出された紀行文が、
どのように添削されているかを見せてもらったことがあるが、
部分的に「うまい表現!」「うならせる表現!」などの講師の書き込みがある。
が、それを見て失笑した。
その紀行文の分量は、A4びっしりの文字詰めで10枚ほど。
アマチュアが、推定1万字もの紀行文を書く機会があるのか、
600字、800字という制約の中で、いかにまとめるかを学んでこそ生きた勉強である。
カルチャースクール方式は、無意味な学習法として肝に銘じた。

その一方で、ベストセラーになる本を企画させ、
それを版元に売り込むことを推奨している編集塾もあるという。
成功した人は、なぜ長財布を持っているのか、
片づけ名人になるにはどうするかといった内容がその一例だという。

ロッコム文章・編集塾としては、こういうニーズにはいつでも応えられる。
現に、食生活・健康雑誌への投稿を促しているが、それに応じる人は少ない。
ニーズは生まれるものではなく、生み出すものだから、
生み出すためのモチベーションを与えない塾長に責任の大半がある。
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あまりにも実利や効用を強調するのは、はしたない……
そういうためらいがあることはある。

いずれにしろ、塾の学習にも、フィンランド方式を採り入れる必要性を感じている。
ロッコムの塾長には、松陰先生のように、密出国を企てたり、獄死したりする可能性
は低いが、
塾生の行く末を見届けるには少し時間がかかるから、
そろそろ急ぐ必要が出てきてはいる。

by rocky-road | 2011-08-05 23:36  

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