「輝き表情コーディネーター」への道
セルフタイマーで写真を撮った。
が、どの写真もブータレていて、とてもハッピーには見えない。
公園の一箇所にカメラをセットしておいてシャッターを切ったのだが、
セルフタイマーが点滅している間、笑顔を維持しているのはむずかしい。
表情も笑顔も、コミュニケーションメディアだから、
自分に、いやカメラに笑いかけることは、そう簡単ではない。
演劇の道に進まなかった理由がよくわかった。
演劇をやっている知人の舞台を見に行ったことがあるが、
観劇中に感じたあの恥ずかしさは、苦痛というよりも、
生命にかかわる危険な状態だった。
おかしくも、悲しくもないのに笑ったり泣いたりするのは、
天賦の才能というべきで、とても凡人のできることではない。
ところで、以前、NHKテレビで超高齢者(85歳以上)の人たちの
元気ぶりを紹介する番組を見たことがあるが、
このとき、どの高齢者も笑顔を見せないことに興味を持った。
たぶん、生物的な現象であろう。
加齢は行動のスピードを、より緩やかにしていく傾向があるが、
それは表情にも及ぶということだろう。
これは動物、身近なところでは、イヌやネコにも見られる。
子どものとき、あんなにはしゃぎ回っていたペットも、
高齢化すると表情から笑顔(…的な表情)が後退する。
高齢者施設では、無表情の人の割合が高いために、
相乗効果で、施設内の無表情化に拍車がかかることもある。
その効果は強力で、ときには、そこで働く職員にまで及ぶ。
どちらが入居者かわからないくらい、表情がフリーズする場合もある。
そういう傾向に気づいた施設では、職員が意識的にテンションをあげ、
「お早う!!!」「山田さん!!、きょうは!!!、天気がいいね!!!!!!」と、
クラクションみたいな発声を心がけたり、タンバリンや太鼓を叩いて歌ったりと、
表情の解凍、笑顔の誘発に涙ぐましい努力を続けている。
コミュニケーションメディアとしての表情も笑顔も、
他者があってこその維持・向上である。
他者とのコミュニケーションが成立しない人に表情の輝きを求めるのは、
セルフタイマーで自分だけを撮るために、「エヘッヘッ」と笑いかけるほどむずかしい。
ならば「輝き表情コーディネーター」という職業が求められる。
「そんなことをしなくても、漫才や落語を見せたり聞かせたりすればいいではないか」
それはダメ。ビデオや録音メディアでは双方向コミュニケーションは成立しない。
プロの芸人を呼んでくるのはよい案だが、予算が追いつかない。
「輝き表情コーディネーター」は、笑顔や輝き表情を押し売りする人ではなく、
自発的な笑顔、自発的な輝き表情を誘発する仕掛け人である。
「石川さん、終戦の日、どこにいらしたの?」
「無人島に漂流するとき、何か1つだけ持っていくことを許されたら、
何を持っていきますか」
「これまで生きてきて、いちばん恥ずかしかったことってなんですか」
など、豊富な歴史を持った人に、話し合うことへのモチベーションを与えながら、
よりハッピーな会話へと発展させていくプロフェッショナルである。
(そういうプロが、すでに存在しているのならゴメンナサイ!!)
こういうアプローチは、年齢にかかわらず
表情がフリーズしてしまったすべての人に効果が期待できる。
「何歳くらいから」というよりも、年齢の下限など考えず、何歳からでも始めたい。
ただ、そういう人たちは、まだ高齢者施設には入ってはいないから。
「輝き表情コーディネーター」と出会う機会はない。
そこなのである。
特定健診に伴う「栄養指導」の場でも、表情を失っている人には、
オプションとして、「表情解凍のための問いかけ」を試みてもよいだろう。
「いま、デコレーションケーキを顔にぶつけてやりたいと思う人はいますか」
「5㌔体重が落ちたら、ごほうびに好きなものを買ってあげるといわれたら、
あなたなら何を求めますか」(仮定の話ですよ。私には予算がありませんからね!)
「地球最後の日に、1つだけ食べられるものがあったら、それはなんでしょう?」
「いま、透明人間になったら、最初に何をします?」
健康支援者のあなた、くれぐれも、これらの問いかけを
まだ現場で実践しませんように。
「輝き表情コーディネーター」は、いずれ国家資格になるはずで、
そのための研修をしっかり受けた人だけに許される問いかけの例である。
無資格の者が使ってはいけないスキルであることを忘れないでほしい。
by rocky-road | 2011-07-27 21:06