一筆したためし候


たまたま見かけたのれんや看板の書体に、誠実さや力強さを感じたからである。
そのたくましさは、東大寺の金剛力士像など、
木彫作品の表情やポーズに通じるものがある。

最近、若い書家がテレビにも登場するようになり、
作品を見ることが多くなったが、ヘンな癖があって好きにはなれない。
書の専門的な見方はわからないが、
若手書家の書は、個性を出そうと力み過ぎるのか、
品格や誠実さが感じられず、もちろん力強さなど微塵も感じられない。

なぜそういう意地悪な見方をしてしまうのか、と考えてみると、
榊 莫山(さかき ばくざん)さんの書に親しんできたために、
それが自分のスタンダードになっているのかもしれない。
(2010年10月没 84歳)

莫山さんの書は、広告や商品ロゴにもなっていてよく知られている。
とくに書画が好きで、絵と書のバランスに魅了された。
漢字とカタカナという組み合わせもおもしろかった。
何回か、それをなぞって練習したことがある。
筆の端を持って、筆圧をかけずに書く手法はなかなか真似ができず、
お手本とするにはレベルが高すぎることを悟った。

ところで、私のまわりにも、書に挑戦する人がぼちぼち出てきている。
専門家の指導を受けているという話は聞かないが、
世の中にはお手本はいくらでもあるから、
そういうものを参考にして自己流でしばらくやってみればよい。

デジタルコミュニケーション一本槍になって、
文字への美意識が弱くなっている人が多い時代には、
むしろ新鮮なコミュニケーションスキルとなる。

書は、字がうまくなるとか、アピール度が増すとかといった
表現力強化にプラスに働くということにとどまらず、
美意識や洞察力を育み、結果として
世の中や人生を見る目を肥やすことになる。

いまは、筆ペンが普及したおかげで、
硯(すずり)で墨を擦ったり、筆を洗ったりという手間はいらなくなった。
本格派からは邪道といわれるだろうが、複数系統の発展があってもよいと思う。
エンピツもシャープも、万年筆もボールペンも水性ペンも筆ペンもある筆記具文化に
決定的な不都合はないように思う。

シンプルを選ぶよりも多様性を選ぶほうが、
生物としての適応力を高めることになるだろう。
by rocky-road | 2011-06-01 23:19