マリア・アリストテレス様

先日、引き出しの中をかき回して探し物をしていたら、
目当てのものとは違う資料が出てきた。
もう10年以上も探し続け、もはや無くなったものと諦めていたので、
この失せ物発見はうれしかった。
それは『文藝春秋』の記事のコピーで、昭和53年1月号と書き込んである。
つまり1978年だから、33年前の雑誌記事である。
タイトルは「哲学の文章について」
筆者は当時、京都大学哲学教授であった田中美知太郎氏。(1885年没)
文末には「本稿は日本文化会議月例懇談会 第百回の記念講演
速記に加筆されたのです (編集部)」と入っている。

なぜ、この記事が私にとって大事に思えたかというと、
哲学というものは、元来、文章によって説かれるものではなく、
対面での話し合いや討議によって説かれるものだった、という話を
この記事によって教えられたと考えていたからである。
ひょっとして、田中氏の著書に、同じようなことが載っていないかと思って、
著書の1冊を取り寄せてみたが、それには見あたらなかった。
その当時の記憶では、
哲学的な思考は、いろいろのシチュエーションの中で
是非や賛否を論ずるものであって、一般論にはしにくいところがある、
という趣旨の話である。
そうだとすれば、それは今日のカウンセリングに似ていて、
個別対応にこそ意味があり、そこに思考法や論法のスキルがある。

Aさんの問題はAさんの問題であって、Bさんには当てはまらない。
ゆえに「標準体重の維持」は大事なことではあったとしても、
「標準体重よりスリムになりたい」というCさんに、
「ムリなダイエットはやめなさい」と注意することが
最適なアドバイスなのかどうかはわからない。
個人対応の思考になっていないからである……。
そんな話を健康支援者の方々に話したことがあったので、
その根拠の1つとなる資料を手元に置きたいと思っていたのである。
しかし、見つかった資料は、30年後に見ると、かすれかすれになっていて、
目を10センチまで近づけないと判読できないほどに変質していた。
当時のコピーは、そんなものだったようだ。

改めてこの記事を読むと、その内容はこんな大意だった。
思想や哲学的な考えは、口伝えで継承されてきたもので、
哲学の祖といわれるソクラテス(紀元前469~前399年。注・大橋)は、
哲学の文章を残してはいない。(弟子のプラトンが対話集を残す。同・大橋)
やがて、いろいろの哲学的思想などは、
対話形式の文章や、詩や、書簡体の文章や、
散文によって固定されるようになった。
この伝統は、西欧ではかなり受け継がれているが、
日本では散文が中心になり、問答形式はもちろん、
詩や書簡体は発展せず、哲学にしろ文学にしろ、
文章表現の幅が狭く、窮屈になった面がある、云々。

これ以上の説明は省くが、驚いたのは、哲学は対話によって語られた、
という記述はどこにもないことだった。
しかし、私としては自分の記憶違いを認めるつもりはない。
当時、田中氏は、『文藝春秋』の常連筆者として、
巻頭のエッセイ欄に登場していたので、その中のどれかの記事で読んだ内容と、
今度見つかったコピー記事との内容がまぜこぜになったものと思う。
いずれにしても、哲学的な思考は口伝えに、または問答形式などによって
受け継がれたという、そのことは再認識することができた。

現在の日本の俗世間には哲学者はなきに等しい。
大学の一般教養科目の「哲学」講義で、学生をシピレさせてくれる教師は少なく、
ラジオでもテレビでも、哲学者の見事な論述を放送することはないし、
新聞や雑誌、書籍でも、名文や明快な文章には出会いにくい。
だから、アメリカのマイケル・サンデル教授に、哲学のおもしろさを
ごっそり持っていかれてしまうのである。
以上の認識によって、私としては
「栄養士は食の窓から人の人生に侵入する哲学者」と
定義したくもなるのである。
健康を支え、生きがいを支えるとは、まさしく健康哲学によって
人の人生を支えることにほかならない。

田中美知太郎氏は、プラトンは、ずいぶん著作があるのに、
作品がすべてではなく、哲学は書けるものではない、と言っている、
というエピソードを語り、
その弟子のアリストテレスも師に倣って問答集を残しているが、
あとは私的なノートとか講義録とかを残すにとどまる。
しかし、他者による注釈入りのその文章が、
のちに哲学を散文で書く原型になった、と書いている。
また、こうも書いている。
「アリストテレスを読むとお分かりになるように、面白くなく、
読みにくいところがたくさんあります。大たい、学校の講義というものは、
面白くないものですが(笑)、(中略)
下手な文章、下手な講義でも学生は我慢して聞いています」
さて、現代の哲学者である(?)健康支援者のあなた、
食事相談の名人で、しかし文章ベタの、アリストテレス的職能を維持するか、
後世の人に笑われないような、そこそこいける文章力も磨くか、
少し立ち止まって考えてもいい。
幸い現代は、いろいろの選択肢のある環境が用意されている。

ロクデル「少なくとも健康支援者は、あなた自身が考えているほどつまらない職業ではない」
マリア「私は、自分の職業が、つまらない職業だなんて、夢の中でさえ、思ったことなんて、
1回だってありませんよ」
ロクデル「そうだろうね。その自信は、あなたの表情、笑顔、髪型、お化粧、姿勢、歩き方、
話し方、見事な問いかけ、ていねいな話しぶり、肯定的な思考などから、
充分に感じているけれどね。自分の職業をつまらないとか地味だとか言う人、
あるわけないものね」 (『健康支援者×ロクデル対話集』から)
by rocky-road | 2011-05-22 20:41