健康支援者さま、あなたはユッケやレバ刺し、お好きですか。
5月8日に行なわれた、食コーチングプログラムス主催の
「食コーチングブラッシュアップセミナー パート3」
『文章を印象的に見せるデザイン力を磨く。』の講義を担当した。
このとき、余談として、ユッケによるウイルス感染の話をした。
これを整理して記しておきたいと思う。
責任の所在は事故を起こした流通業界だけではなく、
管轄する行政機関や、情報源となる食品衛生関連の学者らにあるとしても、
最終的には、生肉を注文して食べた個人に、
それ相当の自己責任が伴う、といわざるを得ない、と言った。
「知らなかった」で済むとは思えないし、事実、済まなかった。
戦中・戦後を生きてきた人間にとっては、
生ものを食べるときにはアタる(「中る」と書く)可能性を考えるのは常識である。
肉だから、魚だからということではなく、野菜やくだものだって、
食中毒の可能性はある。
有害細菌の感染は、まさに感染だから、まな板やふきん、
調理器具、そして調理人などを介して周囲の生ものに移る。
戦中・戦後は、家庭でもしばしば食中毒が起こり、
幼い子が亡くなったし、人の家の軒先でメチルアルコール中毒で
死んでいる人を何度か見た。
こんな話も聞いた。
「ある飲食店のトイレに入ろうとして間違えて厨房に入ってしまった。
そこで見たものは、廃棄食材を入れるドラム缶の中に
山積みにされたネコの頭だった。それを見られた調理人から、
手にお金を握らされ、『見たことをだれにも言わないでほしい』と頼まれた」と。
もちろんデマである。
今日のチェーンメールと同じで、そんなうわさ話がアングラ的に流布した。
つまり、牛肉や豚肉を使わずに、ネコの肉を代用している店がある、
という作り話なのだが、こういう話がマコトシヤカに語られたのは、
飲食店では何を食わされるかわからない、という常識があったからである。
この感覚はいまも維持されているから、食品の偽装など、あって当然と思っている。
念のためにいうと、食材にネコを使おうとしたら、
ノラネコを1日に何匹も捕獲しなければならない。
牛肉や豚肉が手に入りにくい時代のノラネコはすばしこかったから、
そうそう捕獲できなかったし、食材にするほど肥えてはいなかった。
それ以前に、飲食店が毎日ネコを追いかけていたのでは、商売になるはずもない。
経済大国になった日本国は、どんな肉でも食べられるようになったが、
ウイルスのほうは、経済力に関係なく生きていかねばならず、
宿主となるものを探して進化の旅を続けている。
水俣病とか、ヒ素混入の粉ミルク事件とか、毒入りギョーザとかと、
食中毒という概念を越える悲惨な事件はあとを絶たないが、
現代の日本人は、総体として食品衛生に鈍感になっている。
賞味期限にこだわったり、「安心安全」をお経のように唱えている現状を
衛生感覚がシャープになった証拠と見るのは正確ではなく、
実態は、記号上の、つまりバーチャルな衛生感覚だけがシャープになったに過ぎない。
腐敗やカビがどういう形状なのか、においなのかを知らない人が多い。
「安心安全」という流行語の困ったところは、念仏のように唱えていれば
ご利益があるかのように錯覚することである。
責任ある人は、こういうマジックワードを使ってはいけない。
ここで栄養士の守備範囲の話になるが、
食をベースに人々の健康を支える栄養士の社会的責任には、
公衆衛生や食品衛生の一部が含まれるのではないか、
ということである。
栄養士になるために勉強していたころ、
それらの授業は受けているはずである。
とすれば、1年間に1,000件以上の食中毒が発生し、
20,000人以上が罹患し、10人以下の死亡がある(2009年は珍しくゼロ)
といったデータを
把握することはできるはずである。
「子育て中のお母さんの料理教室」「要介護にならないための食生活」などの
セミナーや料理講習会で、こういう話題をどの程度とりあげているのだろう。
中食(持ち帰り食事)としての刺身やすしの扱い方、畜産物の保存法や調理法などは、
明らかに栄養士の守備範囲ではないだろうか。
それをテーマ化することは、面倒を増やすことではなく、
栄養士のレパートリーを増やすことであり、
社会貢献の機会を増やすことにほかならない。
自分が役に立つ場が増えるというのは、幸せなことである。
by rocky-road | 2011-05-11 15:59