ヒトの心、ワニの心

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先日、ニューヨークから2年ぶりに帰ったという人から
そこでの生活体験の感想を聞く機会があった。
5分くらい耳を傾けたが、印象的な内容は聞けなかった。
2年もいると毎日が「日常化」して、見聞の鮮度が落ちるのか、
久々の再会なので緊張したのか、
日本語を忘れかかっていたのか(!!??)、
その理由は定かではないが、それらのすべてが理由なのかもしれない。
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以前、数時間前に見てきた映画の説明ができず、
汗をびっしょりかいた人がいた。
まだ見聞を言語変換するには時間が足りないからだろうと推量して、
説明を聞くのは翌月ということにした。
しかし、翌月も状況は変わらず、この話はなかったことにするしかなかった。
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パルマローザのホームページで、
「活動結果報告レポート」の文章を読むと、
好ましい「報告環境」ができていることの意味の大きさを感じる。
http://www.palmarosa.jp/circle/report/index.html
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4月29日に行なった、恒例・写真教室(詳細は影山なお子さんプログ「スタンバイスマイル」参照)の場合についていえば、4人のうち3人の報告文に共通しているのは
ポイントとなる点を箇条書きで示している点である。
http://palmarosa.exblog.jp/
その箇条書きも、テキストの丸写しではなく、自分の感想や銘記すべき点などを
それぞれ説明していてわかりやすく、気が利いている。
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箇条書きとは、たくさんの情報を小分けにして整理することであり、
枝葉を剪定(せんてい)することで、
自分および相手に対するアピール度をあげることにほかならない。
同時に、自分の思考の幅を無限に広げることにもなる。
「ニューヨーク生活の楽しさを3つあげよ」と自分に課し、
さらに「いや、3つではなく、5つあげよ」と自分に迫ると、
自分はいやでも5つをひねり出さなければならなくなる。
ここに発見の可能性、思考の幅と奥行きを拡張する可能性がある。
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箇条書きには、理詰めのところがあって、やや冷たさを伴うが、
それらは、前後の文章(「地の文」=ベースとなる文)で充分に補える。
「活動結果レポート」を書いている高藤法子さんの例でいえば……

「写真教室当日は、明らかに朝から気分が違いました。
前泊したホテルの部屋の鏡の前に立ち、
自分と向かい合ってみても、
笑みがこぼれるというか……、ニヤつくというか……(笑)。」

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などというほほえましい前置きがあると、
そのあとにくる箇条書きにもリズム感が生まれ、
箇条書きに伴う機能優先性が際だつのを押さえてくれる。
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初めて書く人の「活動結果レポート」などを含めて、
一様に楽しく、的確なレポートとなっているのは、
それ以前の文例が下敷きになっている可能性もあり、そこに伝統の意味を感じる。
文章修行とは、いろいろのシチュエーションを経験することである。
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情報交換は、発信者と受信者との相互作用によって進展する。
コトバの少ない環境、たとえば宿屋的家庭、人と交わらない生活などに長く身を置くと、
おいしいものを食べたときの感想、人からの好意に対するお礼、感動的な体験などを
人に伝えることができなくなってしまう。
言語技術の問題以前に、心が枯れるからである。
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「心とは何か」といえば、「表現しようとする意欲」とも定義できる。
人との関わりを持たない人には、人並みの心は生まれにくい。
ワニの社会にも、オオカミの社会にも「心」は存在するはずである。
しかし、ヒトと比べると、仲間とのコミュニケーションをとろうという意欲が弱いから、
心もそれなりのサイズにならざるを得ない。
(正確には、心が進化していないから仲間との関係性が低いのだが)
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ヒトの進化とは、表現力の進化であり、つまりは心の進化である。
写真という表現手段を持つことで、さらにまた、ワニの心から遠のくことになるだろう。
眼前の風景をどう切り取るか、人の表情をどの瞬間でとらえるか、
その一瞬一瞬は、進化を望むヒトの心にとっては大きな問題である。
そこでの迷いは、自分への問いかけであるとともに、
ワニ並みの心を持て余している人に対して、進化を促すことにもなるのだろう。

by rocky-road | 2011-05-03 22:21  

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