いつもの自分でいること。

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アメリカの友人から、こんなメールが来た。

「地震と津波の被害の様子も全容が見えないうえに
原発の件が追い討ちをかけて
日本はどこへ向かっているのでしょうか。 
高いテクノロジーを持つことで知られている日本の原発でも
自然災害にはこんなにも弱いことが世界中の注目を集めていますが、
考え直すきっかけになるのでしょうか。 
海外にいても 故国の惨状に胸がつぶれるおもいです。 
放射能の恐ろしさを一番わかっているはずの日本で原発が55もあるなんて
知らなかったのは私だけでしょうか。 いつのまに……という感じです。 
いまは祈ることと寄付をすることで様子を見守っています

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かつて、60年安保騒動のときにも、新潟の親戚から
「東京はどうなっているのか。危なくなったらここへ逃げてこいのう」
という電話をもらったのを思い出した。

騒動にせよ悲惨な光景などにせよ、それをピックアップして見続けると、
日本中が、または東京中が大混乱をしているように思えてくる。
それがズームアップという写真技術の、
そして危機報道の副作用というべきものである。
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テレビを見ずにはいられなくなる、心の深いところに興奮が起こる、
テレビの前を行ったり来たりする、だれかに連絡をしたくなる、
意味もなく街を歩きたくなる、食欲が異様に高まる、
スーパーなどに行って食品をやたらと買いたくなる、
だれかの役に立ちたいという思いばかりがつのってくる、
そしてまたまた興奮してくる。
饒舌になる、そして理由もなく不眠になったり眠りすぎたりなどなど……。
それが危機報道の感染症状といっていいだろう。

健康支援者を自認する栄養士でも、この感染に気づかず、
チェーンメールを打ちまくった人があると聞く。
自分の心身の異常に気づかず、自分の健康を守れずに、
なにが健康支援者か、栄養士の看板はだいじょうぶか。
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話は変わるが、以前、沖縄・石垣島の白保(しらほ)というところに
大型空港を建設するという案がまとまったとき、労働組合系の反対運動が起こった。
ダイバーの1人も、「石垣の白保を守れ!」と訴えた。
それには反対するつもりもなかったが、
「そういうアピールをする前に、白保のサンゴのすばらしさを
ダイバー自身がアピールしたことがあるのか、
そもそも白保に潜っているダイバーなんていたのか」と
ダイビング雑誌の自分の連載ページに書いたら、
本人から大クレームが出て、誌上討論となった。
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顛末は省くとして、快く思わなかったのは、「俄(にわか)反対論」である。
ふだん、それらしいことを言ってもやってもいないのに、
話題がにぎわってくると、俄に参加してくるヤカラである。
そういうのを私は「お調子者」と呼ぶ。

アメリカの友人が、いきなり「寄付を考えている」というのは、
ボランティア大国のアメリカでは、
寄付や炊き出しなどのボランティア経験がある人が
70~80パーセントを占めるからである。
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健康支援者にいちばん求められるのは、
心身ともにタフであること、いろいろのことがあっても、
泰然自若として自分を律し、自分の健康度を保つことである。
明るい表情、笑顔、キビキビとした動き、アクティビティ……。
ポーズはいらない、周囲の人の健康を支えるだけで、
充分に職業的使命を果たしていることになる。
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戦時から戦後にかけて、食関係者はアカマンマやハコベなどの野草や、
ワカメやコンブ以外の海藻などを
いかにおいしく食べるかという調理法を指導していた。
現在の東京ドームのところにあった後楽園球場で、
野草の調理例を展示しているのを見に行ったことがある。
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いまは、そんなことをしなくていい。
怪しげな情報を流すことなどもしなくてよい。
いつもの笑顔で、ゆったりと過ごしていればよい。
食事をおいしそうに食べていればよい。
いつもの自分でいることだけでも、充分に健康をアピールしていることになる。

by rocky-road | 2011-03-19 00:06  

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