ダイビングは何のため? 健康は何のため?

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11月27日から12月4日まで、
モルディブで潜ってきた。
モルディブ行きは4回目になるだろうか。
モルディブとは、インド洋に浮かぶ1,200の島からなる共和国。
「モルディブに行く」とは、1,200分の1のどこかの島に行くことである。
1つの島は1つのホテルによって運営されている。
原則として、いくつかの島を巡ることは、制度的にできない。

今回は「ファンアイランド」へ行った。初めて訪れる島である。
島を指定せず、ツアー会社とダイビングサービスに任せた。
したがって、予備知識はまったくなかった。
思ったよりも大きな島で、一周30分はかかりそう。
これまでの島は、一周10分程度だった。
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旅行者の大半はロシア人のように見えた。
経済的に豊かになったアカシなのか、
ロシアの旅行会社が旅行者を送り込んでいるようだった。
珍しく、日本人とは会わなかった。
それは、この島が日本人好みのダイビングの最適地ではないことを
意味するのかもしれない。
日本人ダイバーにはカメラ派が多く、したがって、海のロケーションを重んずる。
透明度がよい、魚が多い、ダイビング地まで近い……などが条件となる。

ロシア人は、ただひたすら、日光浴に励み、赤いお面をかぶったみたいに
顔を真っ赤に焼き焦がしていた。美男も美女も。
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年賀状に使う写真を撮る目的が大きかったが、これといった写真は撮れなかった。
が、これをロケ地の問題にすることはできない。
カメラマンたるもの、どんな悪条件をも予想し、それに対処しなければならない。
今回は、機材の点、計画の点、意欲の点で、万全を期したとは言い難い。
「ロッキー、老いたり??!!」

幸い、同行の海仲間は、初めてのモルディブということもあって、
気合いが違っていた。それゆえに、よい写真が撮れた。
準備性の違いである。
30年を超えるダイビング仲間、井出哲哉氏の一人勝ちというところか。
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ところで、ダイビングというレクリエーションは、
かつての勢いを失っているように見える。
私が創刊にかかわった2つの雑誌も、
月刊から隔月間に、さらには季刊になったり廃刊になったりした。
1964年、私がダイビングを始めた当時も、
「ダイビングがブーム」といわれていた。
が、その実態は、現在のダイバー人口を大きく下回っていただろう。

現在のダイバー人口は、「ペーパーダイバー」も含めると、
40年前とは段違いに多い。なのに、やはりいまは低迷期に見える。
それは、ダイビングの楽しさを語るコトバを失ったからだと思う。
ダイビング雑誌は、ダイビング地の紹介やダイビング機材の紹介以外の
情報を提供できなかった。ダイビングがダイビングのためにある、そうしか思えなかった。
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日々の生活の中にダイビングや海や旅をどう位置づけるか--
それを私は提案してきた。軸足は生活や人生に置き、
やや軽くなった足で大きなコンパス円を描く。
軽いほうの足で、いろいろの情報(たとえばダイビング経済学、
ダイビング新婚旅行ガイド、海を感じるためのインテリア)をかき集めてくる。

が、ダイビング雑誌の発行者たちは、両足を海に漬けっ放しだった。
両足を海に入れてしまうと、新鮮なテーマを提供できなくなる。
いわゆる「専門バカ」に陥る。
ダイビングの楽しさを、どう語ったらよいか、そういう提案をしてこなかった。
だから、ダイビングが「沈黙の世界」になってしまった。
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ゴルフ雑誌にしろ釣りの雑誌にしろ、
それ自体を目的化してしまうと、幅も奥行きもなくなる。
人は、ダイビングの名人、ゴルフの選手、釣り名人になるために、
それをしているわけではない。
人生の楽しみとしてレクリエーションを楽んでいる場合が大半である。

しかし、専門雑誌のオーナーや編集者には
「人生」や「ライフスタイル」といった概念になじみがない。
なかには「甘っちょろい」と毛嫌いする人もいる。
このあたりから、手段と目的との混同が始まる。
世界を複眼的に見られないのである。
水中を泳ぐ魚にも、岸の人や犬、空を飛ぶ鳥は見える。
が、ダイビング情報を提供する人たちは、それほどの視野はなかった。

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こういうことは、栄養士や健康支援者の世界にも起こる。
先日のリーダーゼミのとき、
「美容師の卵たちに健康について講話をするプランを示しなさい」という
課題を出したら、「若い美容師」ということを忘れて、
いつもの健康論や食事論を展開してしまう人が少なからずいた。
これは、ダイビング雑誌の編集者たちが、
ダイバーがなんのためにダイビングをしているのかを見失い、
似たような情報を送り続ける状態と同じである。
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相手はだれなのか、相手はなにを求めているのか、
そうした基本中の基本を忘れて、類似の情報を提供していたのでは、
やがて飽きられてしまう。飽きられるまでにどれくらいかかるか。
ダイビング雑誌の場合、30~40年くらいだろうか。
栄養情報や健康情報の多くは、とうに飽きられているのではないか。
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社会貢献はそんな単位では成し遂げられない。
一生の仕事、二代、三代にわたる仕事、
そう考えないと、風化しにくい思想や感性を生み出すことはできない。
食や健康の楽しさを、ときには、「食」や「健康」というコトバを使わずに
語るくらいの表現者になることを目指してはどうか。
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by rocky-road | 2010-12-09 01:17  

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