現代の哲学者は栄養士か……?!?!?

b0141773_23593088.jpg
『文藝春秋』 「SPECIAL」 季刊秋号は、
第1特集で「ゼロからはじめる 幸福論」を組んでいる。
大いに気になる特集なので目を通した。
なかなかタイムリーな企画ではないかと思う。

とはいえ、著名な論者が原稿を寄せているものの、
普段、こんな問題を深く考えているとは思えず、
それぞれサイズの小さな幸福論にとどまっていて、
いまのところ(閲覧中)、脱帽ものの論には出会っていない。
b0141773_062338.jpg

それは別として、ある哲学者が、座談会形式で
「哲学者たちの幸福論」を試みている。
生きた時代も地域も違う3人の哲学者……ヘーゲル(1770~1831年 ドイツ)、
ニーチェ(1844~1900年 ドイツ)、アラン(1868~1951年 フランス)の
座談会である、ドキドキしないわけにはいかないアイディアである。
一部をご紹介しよう。
b0141773_004332.jpg

  (前略)
《司会》(日本のある哲学者) 今日は、『本当の幸福とは何か?』というテーマで、
三人の偉大な哲学者のみなさんに集まっていただきました。
ヘーゲルさん、ニーチェさん、アランさん、よろしくお願いします。
 まずは生につきまとう不安についてお尋ねしたいのですが、これに関連して
私の大好きな映画チャップリンの『ライムライト』から話を始めたいと思います。
死にたいという女性を励ますために、「人生を恐れててはいけない。人生に必要なものは、
勇気と想像力と少々のお金だ」という年老いた道化師の名ゼリフが出てきます。

 《ヘーゲル》 それはよくわかるなぁ。私は三十七歳の時、主著『精神現象学』を
書くまでフリーター同然の生活でしたから。そりゃ不安でしたよ。でも物事は
必ず発展していくというのが私の持論なので、とにかく信じて前に進み続けました。
まさに勇気と想像力と少々のお金だけをもってね。

 《ニーチェ》 長い人生、誰でも心が乱れて不安な時期ってものはあるもんなんだよ。
どんな偉大な人間だって不安を抱く。むしろそれが当たり前だと思ったほうが
気が楽になるんじゃない?

 《アラン》 そういう時はたいがい過去を振り返っているんですよ、私たち。
過去を嘆いていても何のいいこともない。いや、有害ですらあります。
だって過去はどうすることもできないんですから。
早く未来に向かって前向きな気持ちになることでしょうね。
その意味では勇気というものはたしかに必要かもしれません。

 《司会》 それは不安を抱いたところで仕方がないっていうことですか?

 《アラン》 ええ。病気でいうなら、痛い部分を触るからますます痛くなるのと同じ理屈です。
苦しみについてあれこれ思いをめぐらすべきではないってことですよ。

 《ヘーゲル》 私は苦しみも克服できるんじゃないかと思っています。
『精神現象学』で論じましたが、意識というもの成長していくものです。
苦しみだって意識しだいでしょ。

 《ニーチェ》 そうじゃなくて、不安とともに生きるべきだろう。
例えばあなたが孤独だとすると、その孤独から逃げるのではなく、
孤独を抱きしめて生きればいいんだよ。

 《司会》 いずれにしても自分次第ということですね。たしかに不安は
個々人の意識の問題ですが、それは社会の状態がよくないことに
起因している場合もあると思うんです。ここで社会との関係も考えてみたいと思います。
(以下、略) 
-----------------------------
b0141773_02552.jpg

読み始めてすぐに、関心の潮がさっと消えていくのだった。
哲学者たちが、もともと自著の中で大したことをいっていないのか、
まとめ方が悪いのか、予備知識のない者には判断しかねるが、
引用部分のなんと平凡で抽象的なこと。

まだ、心理学も精神医学も、動物行動学も、
ましてや行動科学や脳科学は未熟な時代だから、
簡単に「意識の問題」で片づけてしまう。

気の毒なのは、現代に生きる司会者兼筆者が、
個々人の不安を、社会状態と結びつけようとしている点。
不安は、よくも悪くもモチベーションだから、
社会がよかろうが悪かろうが、人はいろいろの事情で不安を手づくりする。
私はこれを「手づくりストレス」と呼んでいる。
動物にはモチベーションが必要なのである。
プラスのモチベーション、マイナスのモチベーションを
あれこれつくって、怠惰や無為の自分をけしかける。
b0141773_031363.jpg

不安や孤独の緩和法なら、現代の栄養士または健康支援者のほうが、
まともな気づきを促してくれるはず。
哲学すること(智を愛すること)は必要だが、
シチュエーションの違う時代に論じられた哲学論は
そのまま現代に使うことはむずかしい。

同様に、「食」という字は「人」を「良く」すると書く、
などと、漢字の構成から現代を説くのもナンセンス。

「食や健康を窓から人の人生に侵入する栄養士」の出番は
ここにもある、ということを実感する記事であった。
b0141773_05284.jpg

蛇足ながら、座談会記事を作るには、高度の編集技術を要する。
みんながしゃべったことを時系列的に並べていくだけでは
読ませる座談会記事にはならない。
哲学者には、この仕事はムリだったかもしれない。
もし、現代に通用するようにまとめるなら、もっと司会者が介入していかないと、
おもしろい座談会にはならない。

さすがの文春編集部も、筆者が自作した座談会には、
参加したり編集したりすることはできなかったのだろう。

by rocky-road | 2010-11-19 00:06  

<< 『半漁人伝』に想うこと。 「シラ~ッ人」の存在理由 >>