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集合写真を撮ろう、1000枚撮ろう。

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前回、集合写真の意味について、このページに書いたところ、
こんな感想をいただいた。
「集合写真は自分史の一部だと、改めて感じました」
「自分の居場所を大切にし、あとで悔いないにしようと思った」

こんな感想をいただいて、「やはり、そう取られたか」と
自分の筆力の弱さを再認識せざるを得なかった。

ときどき話題にしていることなのだが、
記録の意味として、真っ先に
「あとで役に立つから」をあげることを、
私は、あまり好まない。
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日記にしろ、写真にしろ、その他の記録にしろ、
それを、思い出づくりのためとか、
備忘録としてとか、という従来の考え方は、
記録の一面しかとらえておらず、
この解釈は早晩改める必要があると思う。
世に流布している日記のすすめ論も、ほとんどこれなのである。

そこで、改めていわなければならないが、
集合写真に限っていうと、
自分の居場所を見つけ、そこで出会った人との交流を
映像として記録する場合は、記録の二次的目的である。

それ以前に、「みんなに集まってもらって写真を撮ろう」という動機がある。
みんなが楽しそうにしているのを見て瞬時に集合写真を思いつくことがあるし、
1か月前から考えている場合もあるし、
だれかが言い出して「では!」となる場合もある。
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いずれにしても、シャッターを切る瞬間までは、
まだこの世に存在しない場面を、撮影者はイメージしている。
それがアイディアであり、モチベーションである。
まず大事なのは、このアイディアであり、モチベーションである。

観光名所で待機している写真屋さんに撮ってもらった集合写真の
顔、顔、顔が、あまり楽しそうに見えないのは、
カメラマンの心理的動機が弱いからにほかならない。

動物の行動には、かならず「動機」または「動因」があると、
行動科学はいう(動物にまで広げると叱られるかも)。
そして、呼吸することも眠ることも、いや、脈拍までもが「行動」だという。
人の活力、人の可能性、人の希望、人の夢、人の野心などなどの
根元(ねもと)にはモチベーション(動機)がある。
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人に呼びかけ、人を集め、「写真を撮りましょ~う!!」
と叫ぶ人のモチベーションは、
人とのよい関係をつくろうというモチベーションに通じる。
人嫌いの人や殺人鬼が「写真を撮りましょ~う!!」と叫んだら、
これはニュースである。

整理しておこう。
記録には2つの意義または目的がある。
一次目的は、いわば準備性。
記録しようと思っている人のモノの見方、考え方は、
そうでない人とは違いがある。

自分の居場所を見つけ、それを維持したいと思う人の人生は、
モチベーションが低いとはいえないだろう。
とすると、カメラは単なる記録機ではなく、
変転する局面に適応し、参加する「生き方機」でもあるといえる。
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さて記録の二次目的は、従来の「結果」の価値。
二次目的に関しては周知のことだからいわないが、
それは一次目的に比べると価値が低い、などと思ってはいけない。
一次目的と二次目的とを比べて、どちらに意味があるか、
などという対比は無意味である。いや有害である。

しかし、一般的な「記録論」では、一次目的に無関心すぎるので、
ここでは一次目的に力点を置いて論じた。

さて、集合写真論に戻ると、
前回、私が強調したかったのは、記録としてのそれではなく、
「人の輪」「人の和」をつくっていくモチベーションとしての集合写真である。
集合写真を撮ろう、撮ろうと思おう、
1000枚の集合写真を撮ろうと思った人には、
少なくとも1000箇所の「居場所」が得られるはずである。
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by rocky-road | 2010-08-16 01:29

 

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