居場所をつくる全員集合写真

花粉症でお世話になっている医院の待合室に、
明治維新を推進した志士たちの集合写真が飾ってある。
「尊皇攘夷志士四十六人像」とのタイトルがあり、
慶応元年 一八六五年 写真撮影 上野彦馬とある。
これには、西郷隆盛、伊藤博文、坂本龍馬、中岡慎太郎などなど、
そうそうたる人々が写っており、それぞれに名が付してある。
しかし、考えてみると、これらの人々が
一同に会するなどということは、まずありえない。
撮影日まで書いてはあるが、疑わしい。
敵対していたり、新撰組に追われていたり、
これだけのメンバーが顔をそろえる可能性はない。

それはともかく、こういう写真(絵もあるかも)を集めて
リアリティのある写真を合成した人の
着眼と根気には脱帽せざるを得ない。
「集合写真」をどう定義すべきか、迷うところだが、
ここでは「3人以上の人が、撮影されることを前提にして集まった写真」
ということにしておこう。

世界中の栄養士、健康支援者を対象にして
「第1回 健康支援者 集合写真世界コンテスト」というのを
開催したら、パルマローザや食コーチング関係の集合写真は、
まちがいなくグランプリを取るだろう。その点数の多さにおいて。
集合写真は、ただそこに人が集まるのではなく、
イベントのプログラムが秒単位で進行する中で、
そのための時間と場所を確保し、
かつ、撮影の意図を全員に周知徹底しなければならない。
キビキビとやらないと時間ばかりくってしまう。

軍隊なら「全員集合!」との命令一下(いっか)で、全員集合となるが、
平和ボケ重症の日本では、号令に機敏に従う人は少ない。
その大事業をクリアしたあと、いよいよシャッターを切る。
喪中写真は別として、明るい集まりであれば、
みんなに「チーズ顔」や「バター顔」をしてもらわなければならない。
さらには、だれがシャッターを押すか。
最初から三脚を用意しておけばよいが、
イベントを進行させるための仕事が多く、
そこまで手が回らないのが普通。
主催者がシャッターを押すとなると、本人が画面から抜けてしまう。
となると、画角やシャッターチャンスを考えられるカメラマンが常在する必要がある。

パルマローザ関係の場合、このあたりの流れがきわめてスムース。
そのうえ、あとあとのことを考えて、
人々の背格好やファッション、バッグまでを勘案して列をつくる。
コーディネートの極地とでもいいたいほどのノウハウがある。
これでこそ、「第1回 健康支援者 集合写真世界コンテスト」の
グランプリを獲得できる。

デジタルカメラによる集合写真のスタイルは変わった。
いままでのように1~2列の横並び式ではおもしろくない。
少し隙間をあけて並んでもいいし、縦に伸びて遠近感を出すのもいい。
パルマローザではよく階段を使う。
ある人の結婚披露宴で、参列者がこの方法で撮っていたら、
プロのカメラマンに、そのアイディアを盗まれたという。

集合写真の意味の1つは、その場に自分が「いる」こと、「いた」こと。
人生の目的の1つは、地球上に自分の居場所を複数つくること。
それが自分のモチベーションを高める方法だし、
人との関与、人への貢献の歴史の1ページを描くことにもなる。
撮られる人の注意点としては、
1.肩越しにカメラを見ても、カメラからは顔が写らないことも。
2.バッグで足を隠さない。大荷物は、別の場所に置く。
3.前列だからといって、無意味に膝や腰を曲げて小さくならない。
(そもそも、あまり重ならない)
4.カメラから遠くなる人はグラスや手をあげてポイントを作る。
5.目をつぶりやすい人は、シャッター直前まで目をつぶっている。
6.足は前後に構える(仁王立ちは不可)

西郷隆盛と一緒に写真を撮った人、
高杉晋作と一緒に写真を撮った人、
坂本龍馬と一緒に写真を撮った人は、
互いがそこに居合わせたことに幸せと誇りを感じていることだろう。
さてあなたは、どんな場所で、どんな人と居合わせるのかしら?

by rocky-road | 2010-08-09 14:26