人生を楽しむ技術としての編集

b0141773_134548.jpg
広島県栄養教諭・学校栄養職員夏季研修会のお招きで、
2日間(7月28日、29日)の研修会のうち、
3時間の講義を担当させていただいた。
初日は影山 なお子さんが全日を使って
「学校栄養士のための食コーチング入門」を講じた。

私の演題は「食情報を魅力的に伝えるための基礎と実際」
--文章力・編集力・デザイン力をつける--

栄養士が文章力や編集力、デザイン力を学ぶことに
違和感を感じる時代は急速に終わろうとしている。
会場ロビーには出版社2社がブースを設け、
「食育」関連の書物を相当な点数、展示していた。
b0141773_141561.jpg

つまり食育は、学校の栄養教諭・栄養職員に
編集者のとしてのスキルを身につけることを急速に迫っているのである。
「食育だより」など、社会教育的メディアをほぼ定期的に発行するわけだから、
編集技術は不可欠である。

なのに、編集のなんたるかのレクチャーもせず、
定期刊行物を発行させるなどは、
水泳のできない人をプールに投げ込むようなもの。
これを虐待、イジメ、荷重労働といわずして、なんといおう。
b0141773_143058.jpg

実際、慣れない仕事を押しつけられ、多くの現場担当者は、
残業や、ふろしき残業、休日出勤を余儀なくされていることだろう。
いまに、食育だよりに追いかけられて過労死する人が出るかもしれない。
メタボ健診にしても食育にしても、行政のやることは見切り発車の連続で、
必要なスキルを教えることもせず、
いきなり兵隊を戦場に投げ込むといったムチャをする。

以前、『スターリングラード』という映画を観たが、
ドイツ軍占領地域にソ連軍が進攻するとき、
ソ連軍には兵員の数だけの銃がなく、
上官は敵前上陸直前の部下に叫ぶのである。
「武器のない奴は、死んだ奴の銃を拾って戦え!!」
なぜか、あのシーンが浮かんだ。
編集技術を持たない人のメディアづくりは、
まさしく銃を持たない兵隊である。
b0141773_144683.jpg

それでも、作ったメディアが多くの人に読まれていれば救いがある。
いくつかの現物を見せてもらったところ、
残念ながら、これらのメディアは、肝心な情報を
あまり運んでいないことが明らかだった。
それはそうだ。
制作者にコミュニケーションを行なおうという意図が弱いから、
読み手にフィットする情報の質も量も不足してしまうのでうある。

担当者は、媒体を作ることが目的となり、情報を効率よく伝えるという、
本来の目的を見失ってしまっている。
つまり読み手不在のメディアなのである。
編集の基本中の基本は、読み手の想定、洞察である。
b0141773_15985.jpg

しかしこれは、担当者にドジが多いということではない。
それどころか、プールサイドに立っていただけなのに、
後ろから押されて、プールに突き落とされた被害者なのである。

家庭で食教育ができなくなった、だから食育基本法をつくった、
しかし、その責任を家庭に戻すのではなく、学校やイベント屋さんや、
関連企業に丸投げすることになった。
とはいえ、家庭もなんとかしてもらわなければならない、
では少しは情報を与えよう……。
b0141773_152555.jpg

そこまできたら、「そうか、よい情報メディアを作ることが、
食育活動には欠かせない」と、だれかが気がつけばよかったのだが、
そこに着眼する人は、メディア関係者以外には少ないから、
「栄養教諭・学校栄養職員のための編集入門」なんていう発想はありえなかった。

というようなことが頭に浮かぶ研修会だった。
このあたりの状況を見ることができたのは幸運だった。
それ以前に、そのことに気づいて、
私を講師に指名した栄養士または栄養士会があったということは、
さらに幸運であった。
b0141773_154152.jpg

今後、編集を学ぶ機会を得た栄養士の何人かは、
編集は食育メディアをつくる技術であることにとどまらず、
生活やコミュニケーションを楽しむ生き方の技術であることに
気がつくはずである。

by rocky-road | 2010-08-03 00:53  

<< 居場所をつくる全員集合写真 文章力をつけるということ。 >>