文章力をつけるということ。

この7月18日(日)で8回を数えるところまできた。
遠方の人に、毎月のクラスに通っていただくのは負担が多いので、
3か月に1回、集中講義形式で終日の授業を行なっている。
毎月のクラスに通う人の中にも、遠距離クラスでも学びたいという人も出てきて、
講師としては、重複講義を避けてあげたい気持ちもあって、
少なからず悩まされている。
月1回、2時間の講義を1年に12回受講する場合と、
3か月に1回、終日コースを学ぶ場合とでは、
どういう違いがあるのか、講師の側からは論評できない。

両方を受講している人からは、遠距離クラスには緊張感がある、
ほかの人のいろいろの文章に接することができ、
自分のレベルがどのあたりにあるのかを
より広い対照群との比較で理解することができる、などの声がある。
その優劣は、人により、状況にもよるので、客観的に結論することはできない。

文章力や思考力の進歩、強化という点で見れば、
どちらのクラスにも実力をつけた人が少なくない。
編集者養成機関ではないし、就職先を推薦する立場でもないが、
先日、文章力の進歩を見せてくれた人に、
つい「『栄養と料理』の編集部で採りたいくらい」と言ってしまった。
実力を最大限に評価するための比喩のつもりだった。

しかし、自分のスタッフとして編集者を育てるのと、
日本を代表する健康支援者を支援するのとでは、
難易度にだいぶ差がある。
前者は指導や教育によってどしどしシゴいていけるが、
それぞれのフィールドで活躍する健康支援者の場合は、
遠方からの後方支援だから、
内視鏡の扱いどころではないむずかしさがある。
日々の生活の中では、しばしば「この道は左か右か」と迷うことがある。
こんなとき、自分の迷いをちょっとでも聞いてもらえると決断がだいぶ楽になる。
文章力は、こんなときにも役に立つ。
質問事項を要約して、うまく問いかければ、瞬時に返事が返ってくる。
一見、単純な作業に見えるが、文章力が身についていないと、
問いかける表現ができないし、そもそも「聞いてみよう」という発想さえ起こらない。

文章は、人間が獲得したスキルとしては新しく、しかも人為的なものだから、
ひたすら学習によって身につけなければならない。
つまり、話しコトバは10歳くらいまでのうちに、本能によって
自然にその文法を獲得するが、
書きコトバの場合は、その年齢以降、残念ながら本能の力が切れたあたりから
本格的な学習を始めるので、どうしてもトレーニング不足のまま、
社会的言語として使うことになってしまう。
しかも、書きコトバは、社会的コミュニケーションスキルとして開発されたものなので、
社会的体験と一緒に身についていくところもある。
ロッコム文章・編集塾の目指すのは、塾生が社会的発言力を高め、
日本に、世界に貢献する健康支援者の育成や支援である。

by rocky-road | 2010-07-25 23:10