健康支援者のもう1つの方向性

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以前、非常勤で通っていた大学の教え子が、
「将来、エッセイストになりたい」と語っていた。
センスもよく、よい文章を書くので、大いに励ました。
文学部の学生だったが、
卒論のテーマは向田邦子の作品中の食シーンの分析だった。
この卒論は大学からもよい評価を得た。

その後、食生活雑誌に投稿したいというので、執筆を奨めた。
近所の飲み屋がマグロの頭をディスプレーに使っている、
それについての考察だった。
私が仲介するまでもなく、この文章は食生活雑誌に載った。
なかなか読ませる文章だった。
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いまは音信がなくなったので、
現在、彼女がエッセイストとして活躍しているかどうかは、
明らかではない。
まだロッコム文章・編集塾を開塾する前だったので、
継続的なアドバイスはできなかった。

さて、時代は移って、いま、わがロッコム文章・編集塾の塾生の中にも、
雑誌への投稿を考える人が出てきた。
雑誌や新聞、あるいは放送局に意見を言ったり、
原稿を書いたりすることに、どんな意味があるのか。
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それは社会参加であり、世の中をチェンジさせる一石であり、
個人的には腕試しであり、社会人としてのステップアップであり、
人生へのモチベーションを高める方法でもある。

投稿程度では、とても原稿料はアテにできないし、
もちろん名を売るところまでにもいかない。
だからユメユメ(「努々」と書く)売名だとか、目立ちたがりだとかと
思ってはいけないし、人に言わせてもいけない。
しかし、小さな意見、小さな文章でも、世の中を動かす可能性はある。
これについては、池に投げた小石の波紋を考えればよい。
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こんな形の社会参加は、こよなく楽しい体験だが、
少なくとも健康支援者は、それへの指向性が低い。
というよりも、そのことに関して動機づけを受ける機会がないのである。
身近に元編集者がいても、ほとんど彼らの意識には火がつかない。
それは本人の自覚の問題というよりも、歴史的、環境的問題だろう。

そこまで言っても、養成校や同業者のネットワークに期待してもムリである。
教育者側にそれらの準備がないのだから……。
それがはっきりわかるので、私のような立場の者の責任は大きい。
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突然、話は変わるが、先日、ある週刊誌の編集長にハガキを書いた。
どちらかといえば嫌いな雑誌だったが、このところ何号か読まされてしまうので、
「お見事」と書いたのである。ちゃんと返事が来た。
「たかが週刊誌といわれないような編集をしたい」と。
この返事もうれしい。数号読んだだけの1読者の感想が、
就任1年という編集長の路線を支援することになるのである。

自分のことしか考えない投書や投稿は長続きしないし、
自分自身を育てない。
少なからず誇大妄想に思えても、世のため、人のためを考えて、
社会参加を実行することである。
能力など、最初はなくてよい。
参加意識と、一連のアクションが、自分の能力を育ててくれるはずである。
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by rocky-road | 2010-05-29 00:49  

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