『思考の整理学』の整理学
外山滋比古氏(とやましげひこ)の
『思考の整理学』という本のことを書いた。
それをきっかけにして、この本を読んだという人が何人かいた。
いまもって推薦したい本に違いないが、
記述のすべてを是認しているわけではないことは、
言っておいたほうがよいかもしれない。
健康支援者なら異論を呈するだろうが、
午前中に仕事に集中するためには、
朝食をとらず、胃に回す血液を思考に使ったほうがよい、
という考え方には「待った」をかけたい(「朝飯前」という項目)。
「朝飯前」に仕事を片づけるには、起きたらすぐ仕事にかかり、
昼まで仕事を続け、昼食を朝食ということにすればよい、
という論法はおもしろいが、つまりはこれは1日2食主義、
または、夕から夜にウエートがかかる3食主義ということである。
著者の流儀であるとしても、万人に勧めるものではない。
読者は、著者の流儀を100パーセント受け入れる必要はない。
「つんどく法」という項では、メモを取ることのマイナス面を指摘している。
本を読んだり講演を聞いたりするとき、メモをとらなくても、
一定の記憶は頭に残るという。
メモをとることに気をとられていると頭がお留守になる、と。
これは昔からある指摘である。
しかしこれも、外山流であって、だれにも奨めているわけではない。
私は、メモは記録のためにだけとるとは考えない。
第1に、メモをとろうと考えること、そのことに意味がある。
それなりのメモ用紙(またはノート)を用意するだけで、
読書や講演に集中しよう、というモチベーションが高まる(一次目的と呼ぶ)。
その次に、これは従来の記録。あとで役に立てるという効果(二次目的)。
なまじメモをとると、かえって忘れやすいというのは、
情報発信の機会が少ない人の場合である。
メモをとろうがとるまいが、使い道のない情報は、すぐに忘れられる。
外山氏のように、執筆や講演、講義の機会が多い人は(当時)、
メモなどとっているヒマもないほどに、
きょう得た情報は、あしたにでも使うことになる。
この立場の違いを見落とすと、アブ、ハチとらずになる。
著者の思い違いもある。
「情報の〝メタ〟化」という項に、
「『抽象のハシゴをおりろ』と命じたのは一般意味論である」
と書いているが、これは違う。
一般意味論のリーダー的存在だったS.I.ハヤカワ(日系二世)は、
おもしろい著述家や話し手は、具体的な話と抽象的な話をうまく混ぜて語る
(抽象のハシゴを上ったり降りたりする)といっているのであって、
「抽象のハシゴをおりろ」(具体的な話こそ有効)などとは言っていない。
大きな誤りである。
どんな著述にも思い違いや誤りはある。
また、ある人には適切でも、ある人には不適切ということもある。
著者は、そこまで考えて書かねばならないが、
それにしてもパーフェクトなどありえない。
したがって、いまも『思考の整理学』は優れた著作であることに変わりはない。
そして、ますます優れた読者に読まれることを願いたい。
by rocky-road | 2010-03-22 00:08