願わくは花の下にて春死なん……

 
 願わくは花の下にて春死なん……_b0141773_10521226.jpg


 花の季節である。
 開花の時季になると、夜桜見物のために
 場所取り係が活躍するようになる。
 昼のうちに、場合によっては朝から、
 仲間のために花の下にシートを敷き、
 からだを平らにしてくつろぎを表現し、
 その実、陣地を侵略されないように
 沿岸警備隊の緊張感をもって事に当たる。

 アメリカの心理学の実験報告に、
 図書館の空席に場所取りのために置いたモノによって、
 その場所が乗っ取られる時間が異なる、というものがあった。
 雑誌は1時間足らず、ブックエンドでくくった教科書の場合はそれより長く、
 カーディガンでは1日中、空席が保たれたという。
 願わくは花の下にて春死なん……_b0141773_10525345.jpg

 これを参考にすれば、場所取りに使うシートは、
 ブルーよりも赤か黄色、ひょっとしたらド・ピンクなんかが
 いいかもしれない。
 そしてもちろん、場所取り主の名を大書する。
 「鳩山新撰組」「小沢組黒幕組戦略局上野支部」
 「モナコ共和国日本大使館」
 願わくは花の下にて春死なん……_b0141773_10533973.jpg

 日々の衣服もまた、生活環境における場所取りのようなものである。
 家庭、買い物、職場、ランニング、デート……、
 その場にふさわしい場所を取った者が、しかるべき花見を楽しめる。
 願わくは花の下にて春死なん……_b0141773_10543159.jpg

 さらにまた、資格も人生における場所取りである。
 もっとも、せっかく場所を取って置きながら、
 期待したほど宴会が盛りあがらないこともある。
 いや盛りあげられないことがある。
 夜桜に花冷えは付き物。なんか、しらーっとして日々を過ごす。
 「みんなが場所取りに熱中するので、アタシもなんとなく取っただけ」
 こういうのを「花冷え資格」という。
 願わくは花の下にて春死なん……_b0141773_10544778.jpg

 けっきょく、花見は、シートの大きさや色ではなく、
 その上に集う人たちの楽しみ方で決まる。
 つまり、大事なのは記号ではなく、
 その人たち、つまり実体のほうであろう。

by rocky-road | 2010-03-17 10:55  

<< 『思考の整理学』の整理学 世界に「企画家」がふえますよう... >>