世界に「企画家」がふえますように!!!

標語プレートが、街のあちこちに貼ってある時代があった。
どういう団体が進めていたのかは知らないが、
目にするたびに「不思議な運動だ」と思った。
標語を掲げることで平和がくると、
本気で考えている団体があったらしいこと、
ここまで無意味に金を使う人間が存在することなどが
不思議でしようがなかった。
あまりに大きくて、それゆえにちっぽけな、
1人よがりの企画力には、
何回見ても苦笑と怒りとがこみあげてきた。

企画力といえば、このところ、栄養士のいろいろの組織が、
文章表現やデザイン表現、リーダーシップなどの
セミナーを企画するようになった。
パルマローザがこれらのセミナーを実施し始めてから7年たつが、
栄養士界のコミュニケーション力強化トレンドは
これと関係があるのだろうか、偶然の一致なのだろうか、
それとも、同時多発的に、みんなのニーズが高まったのだろうか。
正確にいうと、社会やコミュニティ全体の企画力が
急に高まるなんていうことはまずなく、
1人か数人の企画力が徐々に伝播してゆくのが通例である。
日本にも、企画会社や広告代理店があり、
ここでビジネスモデルやビジネス戦略などが考えられる。
オリンピックや食育運動、食事バランスガイドの運営などにも、
こういう組織が深くかかわっていることは知る人ぞ知る。

しかし、大きな組織の企画は、アイディアはよいにしても、
運営にきめ細かさや持続性、つまり情熱が不足するのが通例で、
「流行」は生んでも「文化」を生み出すところまでは至らない。
もう1つ、「組織企画」の弱点は、
すぐに「マンネリコンプレックス」になることである。
少しすると内部から「マンネリじゃない?」という声が出る。
あるスキルを年月かけて育てよう、普及しよう、学ぼう、
なんていう根気はなく、「マンネリじゃない?」という指摘を恐れて、
いつのまにか「スキルショッピング」「セミナーショッピング」が始まる。

「あの栄養士会でやったから……」「いま、○○が話題になっているから」などと、
人の庭を見て、それを真似たがり、本来の目的のほうへは関心が向かない。
かと思うと、すぐに資格制度にしてラベルを貼りたがる。
こういう感覚は政治家と同じで、
内容よりもいっときの実績にウエートをかける。
動機が横着から出ているので定着するはずもなく、
けっきょくは一時の流行で終わる。
それでも被害者は確実に出る。
「◎△先生の話は聞いた」「行動療法は勉強した」
「コーチングはやった」「○○の資格は取った」などと
実績は語るが、なにひとつ身についていない。
その不安が、次のラベルを求め、全身、ラベルで覆い尽くす。

職業の名称に「カメラマン」と「写真家」があり、
「歌手」と「歌唄い」と「アーティスト」があり、
同じく「アーチスト」と「画家」がある。
「プランニング」や「プランナー」はあるが、「企画家」はない。
「家」がつくと、個人業的なニュアンスが強くなり、
専門性が強くなり、かつ生涯の仕事っぽくなる。
「書家」「茶道家」「武術家」「料理研究家」「評論家」

健康支援者の組織に関わる人(個人も含む)のうち、
考えることが嫌いでない人は、自分のことを「企画家」と、
ひそかに呼ぶようにすることには意味がある。
それだけでも、「にわか企画」「物まね企画」「ハート不足企画」
「一過性企画」をどれだけ抑止するかわからない。

写真は、岡山県栄養士会による写真教室で。
(2010年3月6日)
by rocky-road | 2010-03-07 22:41