袖振り合うも多生の縁

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作家の立松和平氏が2月8日に逝去された。62歳だという。
1昨年の1月、読売写真大賞の授賞式のとき、
読売新聞社内の授賞式会場でお会いした。

私が応募した「テーマ部門」(ゆかいな仲間)の審査員だったので、
受賞作品の前で少し話をした。
「どういう方法で撮ったのですか」というような問いかけだった。
私は半水面という写真の撮り方について説明した。
立松氏の、私の作品についての評は
「泳ぎ疲れた犬が人の背中に乗るという絶妙なタイミングをとらえたのが
『わんマンショー』。空と海中の光景も十分でうまい」であった。
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立松氏の文学には接したことはないが、
NHKのラジオ深夜便にはレギュラーで出演していたので、
自然を愛する話はしばしば聞いた。
かなりの荷重労働であった文学活動を
自然を見つめること、宗教的境地を味わうこと(小説「道元禅師」)で
バランスをとっていた、ということだろうか。

すれ違った作家のもう1人は三島由紀夫である。
学生時代、YMCAに通っていたが、
そこの室内プールで何回か見かけた。
プールに入る前に、お風呂でからだをよく洗う規則だった。
浴室で、場違いに大声で話す男がいる。
その虚勢を張ったような大声に反感を持ったが、
それが30歳になるかならぬかの三島由紀夫だった。
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彼は水泳が得意ではなく、コーチをつけて習っているのだった。
数日後には、平泳ぎで20メートルのプールを
楽々往復できるくらいになっていた。

さらに数か月後、新聞に三島のエッセイが載った。
アカプルコの海を泳ぎながら見た、そこの風景を描写するものだった。
まるで100年前から泳ぎは得意、という書きぶりに、
「これが作家だ」と思い知った。
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もう1つ、大きなすれ違いは、
オードリー・ヘップバーンである。
1980年代の後半のいつだったか、
アンカレッジの空港で、彼女とすれ違った。
わずかに気づいている人はいたが、
周囲はザワザワとはしていなかった。
「May I take your picture,please?」
コーヒーショップでコーヒーを注文するのにも手間取るくらいの英語ながら、
このときは、バーンさんが明るく「OK!」と即答してくれた。(写真)
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すれ違いは、いろいろの音や香りを残して過ぎて行く。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と
鴨 長明(かものちょうめい 『方丈記』)さんはいったが、
人は記号の機能を飛躍的に発達させた。
命は永遠ではないが、記号が、記憶の持続性を限りなく高めてくれる。
無常観をつのらせて、ため息ばかりついていることもあるまい。

by rocky-road | 2010-02-14 01:10  

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