あなたは「あなた」ですか「貴女」ですか。

わがロッコム文章・編集塾が開塾してから6年がたった。
5年間通っていただいた方から、感謝の記念品をいただいた。
彼女の現在の仕事(編集者)や人生に、
ほんのちょっぴり貢献できたと聞いて、深い感慨を覚えている。
当塾の指導方針の1つ、「人は文章で考える」については、
しばらく通った塾生はおおむね理解し、論理的思考を高めつつある。
細かい決まり事、原稿用紙の綴じ方、
「である」調の文体の安定度(ですますの混用がない)、
タイトルのつけ方、句読点の使い方などについては、
大きな失敗が少なくなった。

しかし、なかなかマスターできないのは用字用語である。
「更に」と書くか「さらに」と書くか、「早速」と書くか「さっそく」と書くか、
「好きな所」と書くか「好きなところ」と書くか、
「あの時」と書くか「あのとき」と書くか、
「鯵」と書くか「アジ」と書くか「あじ」と書くか……
そういう点では指導効果がなかなか現われず、困惑している。
その理由は、正書法というべきスターンダートがなく、
なにを基準に書いたらよいかがわからないからである。
多くは新聞を頼りにするが、
新聞は自由民権運動の伝統を引きずる硬派のメディアだから、
「だれにもわかりやすく、親しみやすい用字用語をしよう」という発想が育ちにくい。

そのうえ、たいていの人に実践の場が多いとはいえない。
自分の文章が、自分の組織、
自分の作る商品の存続や売れ行きを左右する、
というようなせっぱ詰まった立場にはないから仕方がないのだが。
いや、そういう立場にいながら、気づいていない可能性もある。
さて、用字用語の不統一は、表音文字を使う欧米の文章表現にもあるが、
漢字とひらがなとカタカナと、さらにはアルファベットを併用する日本語は、
よけいに用字用語の不統一が生じやすい。
いま、上に書いた「カタカナ」だって、
人により、時と場合によって「かたかな」または「片仮名」と書く。

そういう事情は百も承知しているが、
それでも、自分なりの、そして読み手に負担をかけない用字用語を
わがものにしてほしいと思う。
それもまた、社会進出の足がかりの1つだからである。
自分の小さな世界だけで文章を書いているうちは、
用字用語など、気にはならない。
そんなことよりも、文章の論理性やオリジナリティに留意するのが先、
と思うなかかれ。

人物ができていれば服装などどうでもよい、ということにはならないように、
「てにをは」(助詞、助動詞などの使い方や話のつじつま)や
句読点、用字用語などが不適切であっても、
論点さえしっかりしていれば、それでよい……、
そうはいえないのである。
栄養士をはじめ、健康支援者に限らず、だれに対しても、
文章における用字用語のあり方を説く意味は十二分にある。
健康支援者についていえば、ヘルスプロモーション、
いわば「健康の社会教育」のためにいろいろの文章を書くだろう。
そのとき、どんな用字用語をするかまでを考えることは、
その文章のアピール度を高めることにつながる。

相手に合わせた表現をすることくらい、対話のときには子どもでもできる。
なのに、文章となると、とたんに紋切り型(ステレオタイプ、画一的)になる。
たぶん、これは世界中の人にいえることである。
文化財としての文章は、ひどく後発のものなので、
そう簡単には身につかない、ということだろう。
私が編集者であったころ、コレステロールは「コレステリン」といい、
食事療法を「食餌療法」といった。
コトバは変わる。コトバが変わるということは、感性や知性も変わることでもある。
源氏物語から1000年たっても、
文章はまだ万人が使いこなすところにはいっていない。
しかしその事実は、絶望にはつながらない。
むしろ、多くの人にチャンスがあることを意味している。
用字用語を改善するだけでも、その人の社会進出のチャンスは広がる。
世界広しといえども、
自分の文章の用字用語を見直そうと考えている健康支援者は、
多く見積もっても100人はいないだろう。
さあ、どうする、あたなはその100人に入りたい?
な~んも感じない?
あっそう。
by rocky-road | 2009-08-17 01:04