表現力としての写真

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非常勤講師をしている大学の謝恩会に出た。
当然のことながら、卒業する学生たちはカメラを携行している。
その放列を見て、改めてデジタルカメラの普及率の高さを実感した。
ステージ上でのイベント、友人とのショット、恩師とのショットなど、
思い出のアルバムは分厚くなることだろう。
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写真にしろ日記にしろ、その記録性の高さを言う人は多い。
が、「結果」ではなく、「原因づくり」、言い換えれば動機づけ効果については、
見落としている人が少なくない。
カメラや筆記具を持って街に出るということは、
自分の脳のスイッチを取材モードに切り替えることを含む。
写真撮影とは、街で出会った森羅万象を「収める」というよりも、
雑然とした事物の中から、自分の着眼を創作的に練りあげることである。
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韓国旅行のとき、公共の場、デパートや飲食店でも、
トイレで使った紙を流せないところが多い、と聞いて、
「そんなバカな、韓国は先進国でしょ?」と疑った。が、
行ってみたら、なるほど彼女のいうとおりであった。
それを自分の目で確かめたが、「一流デパートだってこのとおり」といって、
女性トイレの紙事情をデジカメで撮って見せてくれた。
こういう実証的証言は、取材モードの人でないとできない。
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適切な着眼、ユニークな創作をしたカメラマン、カメラウーマンは、
それだけ記録価値の高い写真を残すこともできる。
質のよい写真を撮るためのポイントは2つ。
①自分の写真を論評してもらうこと。
②よい写真を見ること、できればそれについて評価してもらうこと。
この場合、コトバは脳の壁に映像を貼りつける画鋲の役割をする。
こうして脳内に貼りつけたたくさんの映像記憶と言語記憶のセットが、
次の取材の質を高めることになる。

プロ級カメラマンに写真を習ってもなかなかうまくならないのは、
コトバによるサポートが不足するからである。
「パーと行って、さっと構えて、エイヤッて撮るのよ」
「これ、いいんじゃないすか?」では
表現力としての写真の腕は上がらない。

写真そのものは非言語コミュニケーションメディアだが、
多くのコトバで支えられているのである。
心臓手術も国際宇宙ステーションでの船外作業も、
無言かコトバ少なく行なわれるが、それまでには膨大なコトバが使われている。
それがあればこそ、緻密な作業ができるのである。

さて、4月29日、パルマローザ主催の横浜での撮影会には
40人の申し込みがあったと聞く。
http://palmarosa.exblog.jp/
「写真力」をつけて、参加者の表現力がさらにアップするよう、サポートするには、
パーと行ったり、さっと構えず、エイヤッて撮らず、
「いいんじゃないすか」などと論評せず、
「で、なにを言いたいんですか」と、問いかけることにしようと思う。

by rocky-road | 2009-03-22 20:02  

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