「食」の夜明け前

JR赤羽駅近くの古本屋で、『栄養と料理』のバックナンバーを見つけた。
ちらっと視界に入った『栄養と料理』の表紙を一見して、
自分の編集長時代のものとわかった。
1980年3月号、「中古 成人向」のラベルが貼ってあって、
定価は100円。このまま捨て置けないと反射的に思ってレジに持っていったら、
おばさんが「古いから50円にしておきましょう」と、50パーセントオフにしてくれた。
ちなみに当時の定価は500円。28年前の雑誌との再会だった(昨年末時点で)。

自分の作った雑誌や自分の著書を、
だれかが図書館や電車の中で開いているのを見たことは何度かある。
が、古本屋で見つけることは多くはない。
たぶん、見つけたくないから、無意識的に目をそらしているのだろう。
が、今度は逃げも隠れもできない。真っ正面から目に入ってしまった。
1980年といえば、私が1回目の編集長になった年の翌年。
4月の異動以後、翌年度の企画を始めるので、その年の12月9日に新年号が出る。
古本屋の1冊は、したがって、大橋編集の3号目ということになる。
ピッチャーでいえば、まだ肩ができていなくて、球威が充分とはいえない。
特集は、「ミスとミセスへ やせるための四週間献立カレンダー」
第2特集は「痔と食事 痔は食事で改善できる」
私が力を入れた「研究の前線シリーズ」は「食物によるアレルギー」
まだウオームアップができてはいない、とはいったが、
だいたい私の球筋はできあがっていた、といっていいだろう。

これを影山 なお子さんにお見せしたら、妙な記事を見つけられた。
見開き2ページの「体重コントロール」というQ&Aページ。
ここに、18歳の女性からの、こんな質問があった。
無理な食事制限をしたためか、血圧が低くなり、胃が弱り、生理も止まった。
自分が情けない、指導してください、という相談である。
これに著名な学者が答えているのだが、その書き出しが
「全く困ったことをなさったものです」である。
影山さんは、鬼の首をとったかのように喜んで(かどうかはわからないが)、
講師を務める専門学校や、いくつかの講演会で、昔の食事相談の1例として紹介し
ているという。のっけの「全く困ったことをなさったものです」というところから、
どっと笑いが起こるという。
自発性を重んじる行動療法や食コーチングを学んだ人は、
この決めつけ型の書き出しに笑いをこらえきれない。
自動車を知った人が、お猿の駕籠屋を笑うのと同じパターンである。
行動療法や食コーチングの以前と以後とでは、
食事相談のカタチがまったく変わった。
だから、私に責任を問われても困る。
法学に「事後法」という概念があって、あとからできた法律で、
それ以前の罪を裁くことはできない、という原則があるという。
……などと、ここでは自己弁護をするのが目的ではなく、
要は、「健康サポート」という世界の夜が、いま明けようとしている、ということを強調したい。

しかし、現在のわれわれの食の情報環境は、多くの点で夜明け前である。
大手新聞が、食の問題を継続的にとりあげているのはよいが、
しめくくりに登場するコメンテーターのほとんどが、現状を憂いて落着する。
「飽食の時代が続いている」「ファストフードは問題」「一汁三菜が崩れつつある」
「食事量の基準がない」
そしてしまいには、「食糧自給率が低い」「食品のメーカーや流通に道義がない」
と、栄養的な問題とはあまり関係ない話にまで話を広げて煙幕を張る。
どうすればよいか、という結論がない。これがコメントといえるのか。
世界一の長寿国ともなると、日本を代表する識者も論ずべきテーマを失う。
自分にアイディアがない人は、それでも自分の存在感を示すために
悲観論を展開する。楽観より、悲観のほうが、素人目にはカッコイイから。
あと10年、いや、あと5年もすると、テレビや新聞、雑誌で
日本人の食事論を論じた人は、間違いなく笑われるだろう。
いやすでに、食コーチングを学んだ人たちは、着地点のない論者の論法を笑う。
テレビや新聞の企画立案者には、『栄養と料理』の元編集長が
自分の編集した雑誌の2ページが笑いのタネになっているいきさつを
なんらかの方法で伝えてやりたい。
一方、栄養士をはじめ、健康サポーターにとっては、ビジョンを固めるチャンスであ
り、それは社会的地位を確保するチャンスにつながる。
著名な学者、論者、斯界の先輩や上長に、「いま」を語る論点はない、
今年は、それを認めることからスタートしたらどうだろう。
by rocky-road | 2009-01-05 22:43