話し合って、はいジャンプ!!

b0141773_01212495.jpg
b0141773_01222001.jpg
b0141773_01215007.jpg
b0141773_01230605.jpg
b0141773_01235764.jpg
「≪コミ研 ひろしま≫ in
 福山 20197

と題するセミナーが終わった。

広島の栄養士の有志が始めた

コミュニケーション研究会も

この721日で5年目・第5クールの、

その4回目の講義が終わった。

b0141773_01243944.jpg

今回は、福山城のすぐ下にある

福山福寿会館。

b0141773_01391840.jpg

こういう由緒のある会場で講義ができる

わが身の幸福を感じる。

当日、和室広間では、

「日韓トップ囲碁対局・鞆(とも)」なるものが行なわれていた。

b0141773_01394223.jpg
b0141773_01262668.jpg

私の講義は

複数の人との話し合いに強くなるには……」である。

b0141773_01271970.jpg

日本人の会議下手は、

たぶん世界でもワーストランキングに入るだろう

(アジアの国々は同じようなものだろうが)。

民族性だの歴史的なものだのと言って

逃げに入らないで、

ここはトレーニング不足と認識し、

いまから50年以上はかけるつもりで

改革してゆく必要がある。

b0141773_01280984.jpg

会議に入る前の段階として、

3人以上での話し合いがきちんとできるか、

という問題提起をした。

私的な、自然発生的な話し合いがちゃんとできるか。

b0141773_01292399.jpg

井戸端会議であれ、ランチタイムのおしゃべりであれ、

今度行く旅行の相談であれ、

方向性のない、ただの時間つぶしの話し合いではなく、

そのときどきで、

「見えないテーマ」「見えないプログラム」を見つけて、

ゆる~く、その話題を転がしてゆくことができるか。

b0141773_01283483.jpg

司会や座長はいない、

しかし、3人が3人、

そこでの「見えないプロクラム」に従って、

それをふくらませてゆく。

タイトルやプログラムがなくても、

バラケルことなく、

話を進めていけるか。

b0141773_01300049.jpg

近所のだれかが、

バナナの皮を踏んで転んだとか、

息子がスマホ依存症状態だとか、

参院選の投票率が50%を割ったとか、

そういう話の11つを着地させて

(芸人ふうに言えばオチを、

ある程度はつけて)

次へと進んでいけるのか。

b0141773_01305831.jpg

日本人だって、

昔から「話、変わるけどさ……」と言って

テーマ変更を告知する会話術を持ってはいる。

が、全体としてはまとまりが悪い。

b0141773_01302776.jpg

日常的に会話トレーニングをしていないから、

会議ともなると、ますます苦手意識が強くなる。

発言者がいつも決まってしまうのは、

発言者が悪いわけではなく、

発言をしない人が多過ぎるからだし、

そもそも議長や司会が未熟だから、

参加者の発言の整理や撹拌ができない。

b0141773_01304384.jpg

杜氏が飯に酵母を混ぜるように、

話し合いも、話題をじょうずに撹拌しないと

それが全体に行きわたらなかったり

ダマになって固まってしまったりする。

b0141773_01335732.jpg
今回、複数(3人以上)による話し合いの

たいせつさを説いたのは、

言語技術の向上のためという問題以上に、

話し合いは、高度の思考のプロセスであるとともに、

創造のスキルであることを

認識していただきたいからである。

(3人寄れば文殊の知恵)

b0141773_01324047.jpg

今回、時間がなくて

お話しできなかったが、

以下の話を書いておこう。

b0141773_01345261.jpg

もう5年前になるが、

NHKテレビで、

ディズニー映画『ベイマックス』の

制作裏話を放送した。

b0141773_01352726.jpg

このとき、

映画製作のスタッフが

合議(セッション)をするシーンが

いくつか出てきたが、

3050人が集まっているのに司会らしき人がおらず、

それでいながら、主人公の心理描写の仕方とか、

すでに出来上がっているシーンのチェックとか、

かなりデリケートな話を

みなが楽しそうに論じ合っていた。

b0141773_01355257.jpg

これが会議慣れをしている人たちの話し合いなのかと、

強い印象を受けた。

こういう話し合いができるから、

人類で最初に月に人を送ることができたのだろうし、

100年以上も世界のリーダーでいられるのだろうと思った。

b0141773_01362492.jpg

以上が、

今回のセミナーに関する補足的な話である。

もう1つの話題は、

発表された宿題の回答を聞いていて、

みなさんの中には公的視点というものが

あまり定まっていないと感じられた、

ということである。

b0141773_01363551.jpg

前回の3月に出題した宿題は、

「おしゃれの私的・公的意義について

できる限り簡潔を心がけて書いてください」

というもの。

これを全員に発表していただいた。

b0141773_01371733.jpg

「おしゃれの公的意義」について、

こんな回答が多かった。

「仲間意識を持つことができる」

「おしゃれはマナーの一端である」

「ユニフォームを着ることで仕事モードに切り替える」

「社会参加意欲を維持する」などは、

まったく見当違いではないが、

個人が社会活動をするに当たっての意義の範囲であって、

社会側からの視点にはなっていない。

軸足が自分であり過ぎる。

b0141773_01374794.jpg

「おしゃれの公的意義」という立場で書くならば、

こんなふうな表現になるだろう。

 

b0141773_01385978.jpg

1.警察官や医師、配達業の場合では

  職種を明らかにし、秩序を保ったり、混乱を避けたりする。

2.職場では整った服装によって組織の品位を保ったり、

  作業服などによって作業効率を高めたり、

  セクションや仕事内容を把握しやすくしたりする。

3.冠婚葬祭の服装では、

  儀式の厳粛さや華やかさの効果を高める。

4.街やコミュニティの景観や環境を美化することによって

  人々の社会に対するケジメ感や愛着を強め、

  それらによって心身の健康度をあげる。

b0141773_01404334.jpg
なお、今回は前日の20日に福山に入り、

城周辺を下見したりした。

福山城は終戦直前に空襲で被災したため、

再建されたという。

その分、城としては真新しく、

燦然と輝いて見えた。

大いに楽しい小旅行であった。

b0141773_01413505.jpg


# by rocky-road | 2019-07-23 01:41 | 大橋禄郎 文章教室  

よい話し合いにはシナリオがある。

b0141773_23134321.jpg
食ジム」第79回は

健康支援者の『話力』をどう磨くか。」であった。

201977日、横浜市技能文化会館)

「話力」というコトバは、

日常的に使われるわけではないし、

辞書にも載っていないだろうから、

座長(高藤法子さん)には、

「定義をしておいたほうがよいのでは?」と

すすめた。

b0141773_23141613.jpg

座長さんは、こう定義した。

 「話力とは、発話の目的を左右する能力、場の状況、

 雰囲気にそった話をする技術。

 話題を提供する能力。その話し方」

b0141773_23144533.jpg

念のために、

私もこういう定義を用意しておいた。

 「発話行動において、その目的(*)、対象者、

 時と場合に応じて、より高い効果を得るための言語表現能力。

 『会話力』はその一部。

  (*)発話行動の目的とは、対話、説得、依頼、求愛、

    座談、スピーチ、会議、討論、司会、講話、講演、

    などがその一例。」

b0141773_23132623.jpg


ここでいう「発話」は、

『広辞苑』にも載ってはいるが、一般的とは言えない用語。

言語学やコミュニケーション論などの専門書などでは

普通に使われる。要するにしゃべること。

b0141773_23181575.jpg

さて、「話力」というコトバは、

身長やエネルギーと同じで、尺度を示すコトバ。

身長170㎝、カレーライス750Kcalなどと

数値が入って初めて判断基準となる。

b0141773_23190762.jpg

「話力」も同様で、
高いか低いを示すことで評価基準となる。

「セールストークは見事だが(話力はあるが)、

スピーチの話力は低い」

などということになる。

b0141773_23185455.jpg

話力の高低は、

シチュエーションによって左右される。

とりとめのないおしゃべりの話力、体力ともにあるが、

旅行や観劇後の感想(報告の話力)を伝えるのは下手、

議論には強いが、世間話は苦手、

などということになる。

b0141773_23174312.jpg

どんなシチュエーションにおいても

高い話力を発揮するという人というのは

ありえない。

声が小さい、ユーモア不足、

問いかけベタ、すぐにカッとなる、

表情がペタッとしていて盛りあがらない、など、

だれにも弱点はある。

b0141773_23200885.jpg

健康支援者、栄養士の場合、

健康相談や食事相談の場での話力が高い人は多くはなく、

(ダメ出し型とか栄養学の押しつけとか)

その底上げが求められる。

養成校でも、

まだ健康相談や食事相談の進め方を

講義にとり入れているところはないか、

きわめて少ないらしいので、

現役の人たちが、

自発的にスキルアップを図りたい、

ということから今回の食ジムのテーマとなった。

b0141773_23204900.jpg

話力強化のために

特効薬のように効くトレーニング法はないが、

その基本は、

手書きで文章を書く機会をふやすこと。

それはスポーツ選手のランニング、

またはストレッチに当たる。

b0141773_23241568.jpg

声が小さい人、表情が硬い人、

口癖がある人については、

詩の音読が有効だろう。

b0141773_23193001.jpg

そして、当たり前だが、

人と話し合う機会をふやすこと。

などと簡単に言うが、

話し合いにもいろいろの流儀があることを

忘れている人が多い。

b0141773_23224202.jpg

表情で表現する、

1人でしゃべり過ぎない、

人の発言を正確に聞く、

相づちを打つ、

問いかけ、確認を忘れないなどは、

どこかできっと学んでいるはずである。

話し合いには、

その現場ごとに生まれる(生み出す)シナリオがある。

その演出力こそが話力名人としての基礎体力。

b0141773_23211371.jpg

来たる721日(日)に、

コミュニケーション研究会≪ひろしま≫

定例のセミナーで、

「複数の人との話し合いに強くなるには……。」

(ミーティングから会議まで)

を講義することになっていて、

いま、テキスト作りの真っ最中。

b0141773_23204064.jpg

3人以上の人と、
スムースに語り合う習慣は、

単に「話力」の強化にとどまるものではなく、

つまるところ、論理性や思考力を強化することになる、

--そういう話になりそうである。

b0141773_23222428.jpg



# by rocky-road | 2019-07-15 23:25 | 「食ジム」  

「お・も・て・な・し」を偲ぶ金沢の旅。

b0141773_23151714.jpg
20182月に急逝された

谷口佳津子さんを偲ぶ、金沢の旅をしてきた。

b0141773_23160242.jpg

石川県七尾市在住の谷口さんは、

当地で「あじさい会」という栄養士の勉強会を主宰され、

その縁で、

わがロッコム文章・編集塾・能登教室を

2013年3月16日を第1回として始めていただいた。

b0141773_23122047.jpg

当初は、空路で能登入りしていたが、

北陸新幹線ができてからは、

陸路で金沢経由し、半日観光をしてから

車で能登に入るのが定番となった。

b0141773_23172337.jpg

「お・も・て・な・し」の心が豊かで、

事前に私の意向を確かめ、

それを基にスケジュールを作って

事前に送ってくださった。

b0141773_23153871.jpg

3日間のうち、真ん中の1日が講義、

最初の1日は金沢(初期のころは能登)、

セミナー終了後は能登見物。

b0141773_23280960.jpg

観光コースには、もちろん「食」と

撮影スポットとが入っていた。

b0141773_23245884.jpg
b0141773_23323189.jpg
そうした日々がしばらくは続いたが、

2017年に、能登教室は終了し、

翌年の2月に谷口さんは他界された。

b0141773_23580243.jpg

彼女やその仲間と歩いたコースをたどって、

彼女を偲びたいという思いがずっとあった。

b0141773_23584965.jpg
b0141773_23583164.jpg

能登は、遠くなってしまったが、

金沢なら、

ご一緒していただいた笹川真澄さんがおられるので、

彼女にお願いして、

2日間、金沢の街を散策することもできる。

b0141773_23313298.jpg

笹川さんは、いままで歩いたコースをしっかり記録していて、

いつ、だれと、どういうコースを歩いたか、

ときには絵入りで残している。

思い出をたどる旅をご案内いただくのに

これほど適任の方はいない。

b0141773_23295408.jpg

おそらく、わが人生で最後になる

金沢歩きを深く記憶に残すことができた。

金沢の地形が少しは頭に入った。

以後、地図の上でも金沢の旅ができるだろう。

b0141773_23164077.jpg

以下は、今回の旅で撮った写真のあれこれ。

b0141773_23142465.jpg

b0141773_23335723.jpg
b0141773_23342863.jpg
b0141773_23130461.jpg
b0141773_23380744.jpg
b0141773_23260739.jpg
b0141773_23015464.jpg
b0141773_23402765.jpg

b0141773_23405943.jpg
b0141773_23421038.jpg
b0141773_23131900.jpg
b0141773_23134139.jpg
b0141773_23361706.jpg
b0141773_23424128.jpg
b0141773_23311806.jpg


# by rocky-road | 2019-06-23 23:43 | 大橋禄郎  

栄養士は、認知症予防にどう貢献するか。

b0141773_22314790.jpg

1月と6月の開催が恒例となっている、

パルマローザの

ブラッシュアップセミナー、

6月季の、大橋担当セミナーが終わった

2019年6月9日)。

タイトルは

「人生100年時代だから、

食生活・健康支援、15のシフトポイント。」

b0141773_22322156.jpg

3大生活習慣病」といわれる

がん、心臓病、脳血管障害(現在は肺炎が3位)を、

ある程度は克服することができて、

平均寿命も健康寿命も延び続けている。

b0141773_22371608.jpg

延び続けるのはうれしいが、

次に待っていたのが認知症である。

認知症は栄養障害ではないから(異説もあるが)、

栄養士の出番は少なくなるのか。

b0141773_22422370.jpg

いやいや、

それどころか、

むしろ栄養士の存在理由は高くなる。

b0141773_22374760.jpg

野球は9人のプレイヤーでするものだから、

右打ちバッターが出てきたら、

外野手3人で右側にシフトしなければならない。

かつての「王シフト」である。

b0141773_22381759.jpg

日常茶飯事を通じて、

人々の認知機能を高めたり

認知機能の低下を遅らせたりするのは、

現状では、栄養士ほどの適任者はいない。

ここで求められるのが

栄養士による「認知症シフト」である。

「私はレフトが定位置だから……」

などとは言ってはいられない。

b0141773_22384505.jpg

ところで、

「人生100年時代」とは言っても

現在、百寿者は約7万人というから、

平均寿命が100歳になる日がくるとしても、

10年や20年後というわけにはいかない。

b0141773_22455294.jpg

ちなみに、私が生まれた

1936年(昭和11年)ごろの平均寿命は

46.92歳、女49.63歳とあるから、

80余年で平均寿命が約1.8倍も伸びたことになる。

「人生50年時代」には、

平均寿命がそんなに延びることを

どれくらいの人が予想しただろう?

b0141773_22464287.jpg

とすれば、今後の50年で、

平均寿命が100歳になる可能性を

否定し過ぎないほうがいいかもしれない。

もっとも、人生100年時代は

認知症の人が多い時代であることを意味する。

b0141773_22470782.jpg

厚生労働省の計算によると、

2020年には、認知症の人が700万人になるそうで、

65歳以上の5人に1人が認知症になると見込んでいる。

栄養士に限らず、

健康支援者はこのことを念頭に置いて

今後、仕事をしていかなければならない。

b0141773_22492892.jpg

今回のセミナーでは、

人生100年時代を迎えるに当たって、

栄養士や健康支援者が、

対象者とどう接し、どう支援すればよいか、

ということにポイントを置いてお話しした。

栄養状態をよくするのは当然として、

さらには認知機能を高めるところまで、

守備範囲を広げるときがきていることを強調した。

b0141773_22481702.jpg

ここまでの日本人の平均寿命の延びは、

個々人の意識や努力以上に、

国や自治体、医療機関、地域・民間施設による

ヘルスプロモーション(健康促進活動)に

よるところが大きい。

もちろん、

それを可能にした地政学的な事情もあった。

b0141773_22483977.jpg

いわゆる「平和ボケ」が許される戦後の日本社会では、

少なからずの国民は

「平和」を信仰の対象とし、

つまり願えば叶えられるものと信じ、

(本当の理由をあえて考えず)

「企業戦士」となって働き、

余ったエネルギーを「健康」に傾注することになった。

無責任なライターからは「健康ブームを問う」とか、

無責任な作家からは「健康という病」とかと

遠くのほうから冷笑されてもいる。

b0141773_22513785.jpg

なんと言われようが、

健康長寿は、人からうしろ指を指されるような

やましい思想や行為ではない。

そのことを確認したうえで、

では、今後、健康支援者は

どういうスタンスで

食生活支援や健康支援をしてゆけばいいのか、

そのことについて

15のシフトポイントとして示した。

b0141773_22503756.jpg

1.高齢長寿の意味を正しく理解する。

2.むしろ栄養士の守備範囲を正しく理解する

3.「利他行動」の意味を正しく理解すること。

など、以下、省く。

b0141773_22521330.jpg

要約的に述べれば、

少なくとも健康支援者においては、

「健康」を思想として深め、

それとなく健康についての考え方を人に伝えてゆくこと。

その原則は、

(仕事以外のところでも)

積極的に、より長い間

社会参加することである。

b0141773_22531794.jpg

家族、子や孫にとどまらず、

アカの他人と交わり続けて、

モチベーションを持続すること。

子や孫は20年もすれば自立してゆく。

おじいちゃん、おばあちゃんの認知症は

兆候が出ているかもしれない。

b0141773_22533302.jpg
社会活動へのモチベーションは、

もちろん自発的であることが前提。

つまりは、

以前からの生きがい、

先週から始めた余暇活動に感じる生きがいなど、

あれやこれやの生きがいを持つことである。

b0141773_00003688.jpg

そういう活動には、

創作性や協調性、貢献意欲が伴い、

社会的に有用な人材となる。

個人的には、

モチベーションの更新システムとなり、

健康を支える城となる。

b0141773_22571309.jpg

自分の労力的、時間的、金銭的ロスを受け入れつつも

アカの他人を支える「利他行動」は、

生物学用語になる以前に

仏教用語「利他」として

関係者には使われており、

日本人は格言として

「情けは人のためならず」を知っている。

b0141773_22550892.jpg

「思想としての健康」とは何かと言えば、

「情けは人のためならず」に尽きる。

b0141773_22552446.jpg

健康は、

多様な人と交わることで強化されるものだから、

ヒトとしてのコミュニケーション力と、

人間としてのコミュニケーション力を

同時進行的に備え、強化していきたい。

b0141773_22582516.jpg

「ヒト」としてのコミュニケーション力は

姿勢であり、表情であり、眼力であり、

フェロモンなどなどである。

肯定的な身体コミュニケーション力は、

それ自体が健康環境となって人類に資する。

寝ていても、クシャミの瞬間でも、

建設的な表情を保ってこそ

健康支援者のプロと言える。

b0141773_22390273.jpg

「人間」としてのコミュニケーション力とは、

対面、非対面に適応した

記号・言語コミュニケーション力である。

対面、ミーティング、講話、講演、電話、

サイン、手話、手ぶり、Eメール、ハガキ、手紙など。

b0141773_22554925.jpg

健康は、正確なコトバ、

温かいコトバ、伝わりやすいコトバで語りたい。

コミュニケーション嫌いは健康支援者としてはシンドイ。

b0141773_22595293.jpg

いずれにしても、

栄養士による人生100年時代の健康支援は、

軸足を食と栄養に起きながらも、

コンパスを大きく開いて、

人々のモチベーションを高めること、

自身が生きた見本になることを

このセミナーで強調した。

b0141773_23002531.jpg
b0141773_23035861.jpg

たんぱく質やビタミン、

献立や外食について

有用なアドバイスをしてくれる栄養士が

旅行の収穫やゴルフの成績、

介護ボランティアでの出来事などを

問いかけることが多くなることは、

認知症の発症年齢を遅らせることになるだろう。

b0141773_23042030.jpg

2020年を待つことなく、

栄養士は、からだの栄養補給と

心の栄養補給を促進するプロとして

活躍してゆくはずである。

b0141773_23090349.jpg


# by rocky-road | 2019-06-12 23:09 | パルマローザセミナー  

パルマローザ フォトコンテスト 2019  入賞発表。

恒例の栄養士・健康支援者のための写真教室
終わった。

201953日 金/祝日)

フォトコンテストのエントリーが出そろったので拝見した。

横浜の山下公園からレンが倉庫まで、

ゆっくり撮影して歩いた。

写真撮影などのクリエーティブな仕事は、

「勝手を知ったいつものところ」には要注意。

「慣れ現象」によって、
風景を新鮮に見ようとしなくなる。

応募作品を見る限り、
意外なほどバリエーションが少ない。

カメラマンとしては(プロ、アマ関係なく)

砂漠のど真ん中に放り出されても、

なんらかのモチーフを見つけるアィディアが不可欠。

それは人生も同じで、

砂漠のような「平凡な日々」のど真ん中に放り出されても、

心の被写体(モチベーション)を見つけて

作品化していかないと(知的・感覚的刺激または認識)、

つまらない人生になってしまう。

今回も、「銅賞」を最高位とせざるを得なかった。

ハードルを下げたい誘惑に負けそうになるが、

歯を食いしばってでも、

それなりの尺度で選考を続けたい。

タイトルのネーミング力不足は、

この撮影会に限ったことではなく、

日本中のフォトコンテストの99%は幼稚園並み。

しかし、ここも妥協しないで、

よりよいネーミングを求めていきたい。

受賞作品のあとに、

参考作品として、
大橋のショットもご紹介させていただく。

銅 賞

エントリー 3.
タイトル 「帽子をかぶり、横浜散歩」
撮影者 塚本 ゆみ子 (長崎県 特別養護老人ホーム勤務)
b0141773_21392017.jpg

【評】 

ユーモラスな表情をとらえて成功した。

基本どおり、ローアングルで狙ったのがよかった。

遠景の船の煙突を強調するのなら、

ズームで狙って遠近感を狭めるとよい。

そうすれば、余計な背景を少なくすることができただろう。

タイトルの「帽子」はどうか。この表情からすれば「王冠」

「横浜散歩」は不要なつけ足しのフレーズ。

「浜のオンリーわん」で決まりだろう。


佳作

エントリー 5.
タイトル 「アイドル」
撮影者 甲斐 和恵さん (神奈川県 船員保険健康管理センター)

b0141773_21390838.jpg

【評】 

子どもの表情を撮ろうと迫る2人の女性の姿がおもしろい。

瞬時のできごとに素早く反応したセンスを買いたい。

2人のカメラマンと、撮影者。

写真教室での、
みなさんの夢中ぶりがほほえましい。

野暮な指摘ではあるが、

撮影するときは、荷物は極力減らして

より身軽でありたい。

佳作

エントリー 9.
タイトル 「中1の春。人生の目標は高く高く!」
撮影者 影山なお子 (神奈川県  パルマローザ主宰)

b0141773_21394024.jpg

【評】

 「逆バンジー」(と呼ぶらしい遊具)で遊ぶ子の撮影はむずかしい。

動きが速いし、距離も流動的。

この作品は、知り合いの子を追いつつも

構図のおもしろさに着目している。

幾何学的な模様と、イベント会場の雰囲気とを

冷静な作画感覚でとらえている。

タイトルは説明のし過ぎ。
「人生の目標は高く」くらいでいいのでは?

佳作

エントリー 8.
タイトル 「花道の先には……
撮影者 三奈木博文さん (東京都 会社経営)

b0141773_21463614.jpg

【評】

 撮影意図がわからない不思議な写真だ。

砂場で無心に遊ぶ子か、
迷子か、「座敷わらし」か。

出来過ぎた構図、動と静の対比、

静寂の音が聞こえてくるような臨場感など、

なかなか撮らない(撮れない)作品として
注目した。

タイトルからも肌寒さが感じられる。

佳作

エントリー 6.
タイトル 「オーロラをゆく」
撮影者 永野 幸枝さん (千葉県 学校栄養士)
b0141773_21474651.jpg

【評】

 みなで同じ場所から撮った一作。

夕陽を追わずに、停泊船を入れ込んだ構図がよい。

わずかながら、もう少し明るく撮りたかった。

タイトルの「オーロラ」はどうか? 

実際にオーロラを撮ってくる人が多い今日、

夕陽をオーロラと見るのは現場感覚の弱さか。



その他の作品

エントリー 1.
タイトル 「昇っていく」
撮影者 徳本 梨江
さん 
(埼玉県 高齢者福祉施設勤務 栄養士)



b0141773_21505074.jpg


【評】

 春になると、ときどき、こういう人が現われる。

それをスナップショットで押さえた適応力を買う。

が、現場を知らない人には、意味不明の作。

記念写真にはなるが、
「作品」として公開するには弱い。

タイトルには、
怪しい行動をする男の気分が出ている。


エントリー 2.
タイトル 「輝く一輪」
撮影者 塚本 剛志さん 
(長崎県 塚本工務店経営)

b0141773_21512313.jpg

【評】

ワイド系のレンズで寄ったために、 花弁が湾曲してしまった。

色も黄ばんでいて
ホワイトバランスの設定が気になる。

「一輪」を撮るには、しっかり一輪に限定したい。

右下の中途半端な一輪はカットするか、

2輪で美しく撮るか、意図をはっきり持とう。


エントリー 4.
タイトル 「ももいろの夢」
撮影者 塚本 初音さん
 (長崎県 中学
1年生)

b0141773_21541586.jpg

【評】

バラの花とマリンタワーの対比はおもしろいが、

その場合は、
その他のものは思い切って整理したい。

高く伸びた枝や、草むら、左の赤いバラ、

こういうものが入り込むと
画面が散らかってしまって

夢が「ももいろ」ではなくなってしまう。
花の向きにも工夫を。

カメラアングルを工夫すれば、もっとすっきりとできるはず。


エントリー 7.
タイトル 「夕暮れの引き寄せ力。」
撮影者 奥村 花子さん 
(東京都 
Hanaヨガ&食スタジオ主宰)

b0141773_21581502.jpg


【評】

夕景をきれいに撮っているが、インパクトが弱いかな?

同じポジションからでも、ズーミング(絵の切り取り方)、

露出などを工夫することで個性は出せる。

タイトルで謳っているように、

「引き寄せ力」を発揮していただきたい。

それにしても
スルメみたいに乾燥したネーミングだ。

エントリー 8.
タイトル 「横浜ジャンプ、スタンバイOK!」
撮影者 三奈木麻弓さん(東京都 行政栄養士)

b0141773_21515602.jpg

【評】

わが子の記念すべき瞬間をいいアングルでとらえている。

係員の表情もいい。

フォトコン作品とするには、もう少しインパクトがほしい。

充分なキャリアからすれば、もっとユニークな撮り方があるはず。

タイトルもダラダラと長すぎる。
ビシッと決めよう。

参考作品(撮影/大橋禄郎)

b0141773_21450597.jpg
b0141773_21411716.jpg
b0141773_22014689.jpg

一輪の撮り方

   

b0141773_21445312.jpg
b0141773_21410573.jpg

おじさんコスプレみなと


b0141773_21404496.jpg
b0141773_21413106.jpg
b0141773_21403237.jpg
b0141773_21414761.jpg
 神の所在

b0141773_21405437.jpg

 潮風の通り道

b0141773_22080907.jpg
一期一会                                 
b0141773_22081941.jpg
ゴールデンタイム
 
b0141773_22083088.jpg

# by rocky-road | 2019-05-19 22:18 | 写真教室  

孤独は、そこまでわがままである。

b0141773_19433393.jpg

読売新聞の51日の「人生案内」に、

意味の深い相談記事が載った。

投書者は90歳代の女性。

b0141773_19473046.jpg

「十数年前より念願の一人暮らしになり、
極上の孤独を楽しんでおります。
特に一人の食事が好きで、
歯が悪いせいもあり、
長い時間をかけて味わい尽くしております」


「足腰の痛みや苦しみを差し引いても、
すべて自分の思うがままに物事を進んでいろるという
素晴らしさは至福の極みです」

b0141773_19450694.jpg

このように、

自分のライフスタイルに対する誇りと自信を

全体の約75%の文章を使って綴っている。

万々歳の生き様かと思いきわ、

終わりの8行で、こう結ぶ。


「ただ、人間としてこの世に生を受けた限りは、

一般に推奨されているように、

医療の恩恵にあずかりながら、

一日でも長く生きなければならないものなのでしょうか」

(和歌山・Y子)

これに対する回答者の作家は、

内村鑑三(宗教家、評論家)による

『後世への最大遺物』と題する講演から

こんな発言を引用している。

b0141773_19452549.jpg


「お金もない、
手がけた事業も名声もない思想もないという
普通の人でも後世に遺せるものがある。
それは人に恥じない、まじめな生涯を送ることである。
そしてこの世は楽しい世であったと語ること、
これはだれでもできる」


そして、回答者作家自身は
こんなコトバで絞めている。
「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう、
そのような気持ちでこれから日々過ごされることを
願っています」
b0141773_19525663.jpg

かねがね、孤独の経験がないどころか、
むしろ日本で、もっとも孤独ではいられない
売れっ子作家の一部の人が
「孤独のすすめ」だの「極上の孤独」だの
「夫婦という他人」だの「元気に下山」だのと、
無責任な言説によって
稼ぎまくっている現象を危ぶんでいた。
b0141773_19550378.jpg
予測どおり、
今回の人生案内に投稿するような
「極上の孤独」にそそのかされている人が
やはり、いたのである。

どの本も、何十万部も売れているそうだから、
投書者のような心境になる人は少なくないだろう。

b0141773_19553057.jpg

「いい歳」になっても、
人間や生きることの意味が

わからない人はいるものである。

そもそも、「孤独もの」の作家や、

人生案内の回答者である作家たちが

ここまで人間がわかっていないものかと、

あきれるばかりである。

b0141773_19524546.jpg

内村鑑三は、

金や事業、名声、思想もない普通の人でも

「人に恥じない、まじめな生涯を送ること」

「この世は楽しい世であったと語ること」と
言ったそうだが、

「人に恥じない」や「まじめな生涯」の解釈は

そう簡単なものではない。

b0141773_19535540.jpg

「まじめな生涯」とは、

単に反社会的な行動をしない

というような浅い意味ではあるまい。


内村が言う

「この世は楽しい世であったと語ること」も、
「まじめな生涯」の要件であろう。

b0141773_19533229.jpg
ドイツ人哲学者で日本在住の
アルフォンス・デーケン氏(上智大学名誉教授)は、

人生の後半は「お返しの時期」だと言った。
自分が祖先や先輩から知識や技術を学んだように、

晩年は、それを後輩に伝えることが仕事だ、と。

いわば「借り」を返す時期である。

「極上の孤独」を提唱したり、

それにそそのかされている人は、

「持ち逃げ人生」「借りを踏み倒す人生」を

臆面もなく「極上」だなどと抜かす。

その挙句は、数百万の読者を持つ大新聞に投書して

しかるべきアドバイスを求める。

「甘ったれるな!!」と、

難聴の耳に口を当てて叫んでやりたい。

「孤独とは、

そんなふうに人に頼るのではなく、

自分で考えて、

自分の道を進むのではなかったのかね。

90年間、お主は、なにを考えてきたのか、

できもしないくせに、突っ張るんじゃねぇ」

b0141773_20081025.jpg

「一般に推奨されているように、
医療の恩恵にあずかりながら、
一日でも長く生きなければ
ならないものなのでしょうか」だと?

だれがそんなことを言った?

「極上の孤独」を楽しみ、

「至福の極み」とまで言いきる人間が、

いまさら「一般に推奨されている」などと

世間を持ち出して、

自分の生き方を人に決めさせるなよ。

b0141773_21110385.jpg

生物学で言う「共生」とは

「異種の生物が緊密な結びつきを保ちながら

一緒に生活すること」だが、
共生にも
「片利共生」「双利共生」「寄生」がある。

アニメ映画で知られた「ニモ」、

すなわちクマノミという魚は、

イソギンチャクと共生し、

クマノミは外敵からの隠れ家とし、

イソギンチャクは、

自分に付着する汚れなどを

除いてもらっているから

ともに利益があるという意味で

「双利」(そうり)の共生という。

b0141773_20073393.jpg
人間の腸内細菌は、

双方にメリットがあるという点では「双利」だが、

水虫菌と人間との関係は、

水虫にとっては「片利」的である。

ただし、同種同志、

人間同士の共存関係は「共生」と言わず、

「仲間意識」とか「協調」とか「協働」とか

「ネットワーク」とかと言う。

かつて、最終学校卒業後も親の家に居座り、

いつまでも育った家から出て行かない若者のことを

「パラサイト・シングル」などと言った

(パラサイト=寄生虫)。

b0141773_20070002.jpg
「極上の孤独」を享受する人は、
パラサイトとは真逆の生き方を

しているように見えるが、

社会の側から見れば、

なんの還元も貢献もないまま、

孤独ぶっているわけだから

とても「共生」とは言えず、

とすると、けっこうパラサイト的ではないか。


回答者の作家は、

回答のまとめとして

「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう、

そのような気持ちでこれから日々過ごされることを

願っています」

と書いているが、

「極上の孤独」を決め込んでいる人間のどこが、

「世の人の手本になられるよう」なのか。

b0141773_20062868.jpg
甘やかすのもいい加減にしてはどうか。
そんな人間を手本にしたら、
人類は遠からず絶滅するだろう。
前にもこの欄で書いたが、
家族ではなく、
アカの他人に貢献する「利他行動」を
日本のことわざで説明すれば
「情けは人のためならず」である。

b0141773_20064187.jpg
こういう高度な社会的活動は、
人間に至って身についたものではなく、
体重わずか4050gのチスイコウモリにも
見られる行動だという。
『進化と人間行動』(長谷川寿一、長谷川眞理子
東京大学出版会発行 20004月)

b0141773_21101478.jpg

中南米に住むチスイコウモリは、
夜中に活動して、
野生動物(近年は飼育動物)に近寄っては、
じかに皮膚を噛んで穴をあけ、
舌で血液をなめたり吸ったりする。
相手に気づかれぬよう、
麻酔液を出して注入するという。

b0141773_21182855.jpg
食事が終わって洞窟内の巣に帰ったとき、
老いた個体や若い個体は、
うまく血が吸えず、飢餓状態になっている。
すると、血を吸うことができた個体は、
飢えた仲間の口に血を吐き戻して
「お裾分け」をする。

チスイコウモリの世界では
「極上の孤独」などは許されず、
家族以外の相手でも、
生命の危機を救い合って進化してきた。
人間もチンパンジーもゾウも、
その他の哺乳動物の多くは、
そういう「利他行動」を習性として持っている。

b0141773_21211781.jpg
こういう話を思い出すと、
新聞社としては、
人生案内の回答者の人選を
根本から見直す必要があるだろう。
この欄では、精神科医や哲学者、
作家などが回答をしているが、
適材適所とは言えない。

専門性の問題というよりも、
人間または人生についての洞察ができていない。

b0141773_21201734.jpg
さらに、回答者には「ぶりっ子」傾向があり、
バカな質問者をどやしつけることはまずない。
それは親切であるかのように見えて、
結果的には冷たい。
いつの日か、
食コーチング型栄養士が回答者になると、
少しは状況がよくなるかもしれない。


b0141773_21222044.jpg

それには、
文章による回答力をつける必要はある。
作家でも、
「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう
などという窮屈な表現をするのが現状だから。

b0141773_21230679.jpg
ところで、
NHKの「マイあさラジオ」という番組の、
「くらしテキスト」というコーナーで、
三好春樹という理学療法士が
高齢者施設に入る人の注意点として
次の3点をあげていた。

「私物を持ち込むこと」

「人間関係を維持すること」

「生活習慣を変えないこと」

b0141773_21233646.jpg


かねがね私は

「物質は情報を持つ記号でもある」

と言っているが、

現場を知っている人の見解は、

さすがにリアリティがある。

b0141773_21235567.jpg
人間の一生とは、
過去、現在、未来が

糸引き納豆のようにつながっているものである。

「断捨離」だの「極上の孤独」だのという人生は、

粘りのない納豆のようなもので、

食品としての存在価値は半減以下となる。

「健康」や「健康寿命の延伸」が

人生の目的ではないとすれば、

「よい人間関係」の維持・発展は、

人生の目的の1つになるであろう。


糸引き納豆が嫌いでも、

人のネットワークを大事にすることは

一人ぽっちを「至福のとき」などと言っているよりも

「一般に推奨される」はずである。

b0141773_21151406.jpg





# by rocky-road | 2019-05-07 21:24 | 大橋禄郎  

なぜか気になる「いわゆる」

b0141773_23271180.jpg

このブログの「記事ランキング」では、

2012年8月に書いた
「『いわゆる病』にご用心。」

つねに上位にランキングされている。

b0141773_23285007.jpg
電波メディアでは、

毎日のように「いわゆる連発症」

というべき事例を確認できるが、

自分が、これまでつき合ってきた人の中には、

この症状の人は皆無だから、

「いわゆる病」がなぜランクインするのか、

その理由を推測できない。

b0141773_23275311.jpg

この話題に初めて接する人のために

少しおさらいをしておこう。

「いわゆる」とは、

「世間で言われている……」

「俗に言う」というのが本来の意味。

昔は「所謂」と書いた。

「いわゆる『働き方改革』のとばっちりで……」

「いわゆる『激レア』な人物なんです」

「いわゆる『自分らしく』っていう生き方ですよ」

などと使う。

b0141773_23304827.jpg
ときに、

相手があまりなじんでいないかもしれないコトバに

「いわゆる」をつけて

注意力を促すこともある。

「いわゆる『学際的』に協力し合っていますよ」

「いわゆる『言語本能』を刺激する意味でもね」

このほかの使用例では、

「いわば」に近いニュアンスで、

「いわゆる『風前の灯』ですよ」

「いわゆる『自然消滅』かな?」

というケースも少なくない。

このコトバの禁則は、

あとに「という」をつけること。

「いわゆる『働き方改革』というヤツのとばっちりで」

「いわゆる『自分らしく』という生き方ですよ」

b0141773_23332462.jpg

「いわゆる」には、

すでに「言うところの」という意味があるから、

それに「という」をつけると、

二重に「言う」を使うことになる。

これほど野暮な使い方はない。

さらに困惑するのは、

「いわゆる」で話し始めながら、

しばらく言いよどんで

「いわゆる……なんていったらいいのか……」

これをやる人間は、

かなりのお調子者と考えてよい。

(バカ野郎!! 最初のコトバも決まらないうちに

『いわゆる』なんて、もったいぶった言い方をするな!!)

もう1つの、超禁則使用例は、

特別の意味がない一般名詞に「いわゆる」をつけて、

「いわゆるパソコン」「いわゆる満月」

「いわゆる幸福」「いわゆるコトバのクセ」

などとやること。

b0141773_00275421.jpg
上の写真は、「平成最後の満月 419日深夜」

これらの誤用は「うっかりミス」では済まない、

野暮、能天気、はったり屋などが丸出しとなる。

とはいえ、実際には

これらは、あらゆる局のラジオ、テレビ出演者が

毎日のように事例を見せてくれる。


この種の実例に触れたい人は、

TBS系テレビの「ひるおび」のキャスター・恵某、

ラジオならこの3月末に放送終了した

「荒川強啓 デイ・キャッチ!」にレギュラーで出ていた

国際ジャーナリストと称する小西某、

日本テレビ系なら「ミヤネ屋」のメインキャスター。

b0141773_23343313.jpg

国際ジャーナリストの場合、

国際会議の同時通訳をすることを売りにしていたが、

ここまでセルフコントロールの効かない男が

正確な同時通訳なんかできるのか、

大いに怪しんだものである。

2人のテレビキャスターのほうは、

ともに「急性期」は過ぎて、

その頻度はだいぶ減ってきてはいる。

ところがつい最近、「ひるおび」で

ボード解説を担当していた若いアナウンサーが

シールをめくりながら、

突然「いわゆる」を頻発し始めた。

b0141773_23351206.jpg
ここに、このコトバを使う言語心理が見事に現われている。

「クセ」(癖)には「やまいだれ」がつくが、

厳密に言うと、

「いわゆる」の頻発は、

「あのォ~」や「え~と」などのように

うっかり出てしまうクセとは違って、

もう少し自覚的、確信的である。

b0141773_23361399.jpg
したがって、罹患者に対する同情はまったくご無用。

それどころか、その小心ぶり、

衒学性(げんがくせい=ひけらかし根性)、

品性の貧しさなどについて、大いに突っ込んでよい。

b0141773_23364109.jpg
いつも原稿を読むくらいのアナウンサーが、

フリートークで話ができるようになると

(実際には、パネルに従って話しているだけなのだが)

急に自分が偉くなったように錯覚して

無意識的に自分の立場をひけらかし、

視聴者に対して上から目線で「いわゆる」とやる。

b0141773_23371965.jpg

人のコトバの癖を論う(あげつらう)のは

あまりよい趣味ではないが、

上記の事例は個人的な「クセ」というよりも、

マスメディアという公器を使っての

国語の汚染だから

環境問題として認識する意味はある。

b0141773_23365889.jpg
それでなくても、

「注目を集める」「真摯に受け止める」

「多岐にわたる」「だから戦争はいけない」

「先行きは不透明」「しっかり対処します」

「忖度する」

などなど、

マスメディアや政治家からは、

空虚で、手アカのついたコトバを

ずいぶん刷り込まれているはずである。

b0141773_23381593.jpg

マスメディアには、

正しい情報を送ることと同等に、

正しい国語を使う責任と使命がある。

「コンプライアンス」とか「ガバナンス」とかは、

組織の弱点を指摘するときの

専用用語のようになっているが、

メディア自体、

こういうコトバづかいを平然と続けるのは、

まさしく組織のガバナンスに

問題があるからだろう。

b0141773_23392051.jpg
b0141773_23394319.jpg
おもにテレビ、ラジオが振りまく、

不適切国語に感染しないためには、

その大小にかかわらず、

指摘したり、警告したりすることが

今後も必要だろう。

b0141773_23402139.jpg

そうか、

この「いわゆる」関連ページが、

もう少し「記事ランキング」の上位に

いてもらう意味はあるのかもしれない。


b0141773_23415203.jpg


# by rocky-road | 2019-04-25 23:42 | 大橋禄郎 文章教室  

元号をどう手書きしますか。

b0141773_21522428.jpg

41日の新元号発表の時点から、

マスメディアの文字に対する準備性のなさが

気になっている。

めったにない行事だからやむを得ないが、

漢字の国としては、やや不甲斐ない。

b0141773_21525276.jpg

「令」を、発表どおり「本字」(ほんじ)または「活字体」で書くか、

筆記体または「許容書体」で書くか、

はっきりと方向性を示していないように思う。

b0141773_21542613.jpg
書家を訪ねて「令和」を書いてもらうテレビ局もあったが、

書家いわく「どちらでもいいんです」

b0141773_21551802.jpg

だから、オタリアまで活字体で「令和」と書いていた。

これでは困るのである。

この場合、取材先を間違えている。

正解は、小学校の国語の先生か、

文部科学省を訪ねて、

日常生活において、どちらを使うのがよいか、

意見を求めることである。

b0141773_21574698.jpg

実は、そんなむずかしい問題ではなくて、

日頃、「命令」や「年齢」「冷却」「鈴」を

どう書いているか、というだけのこと。

おそらく、本字や活字体で書いている人は

ほとんどいないだろう。

(ついでながら「年令」と書くのは大間違い。意味が違う)

b0141773_21582351.jpg

このほか、日常生活において

「道」や「通り」の「しんにょう」を

活字体で書いている人はいるだろうか、

「糸」を8画で書いている人はいるだろうか。

b0141773_21535301.jpg
b0141773_21592506.jpg

おもしろいのは、

テレビ画面にちらっと出た写本『万葉集』の序文部分では、

すでに「令」の字を筆記体で書いていること。

写本は慶長年間、1600年代に作られたというから、

400年前には、

すでに「令」を略して書いていたということになる。

どこの国にも「本字」(のちに活字体とも)に対して

「筆記体」「略字」はある。

それが合理性というもの。

b0141773_22002886.jpg
b0141773_01210142.jpg

b0141773_22020184.jpg

とすると、

新元号を発表するにあたって、

字体をどうするかについて、

有識者のあいだで話し合いがあったのだろうか、

それが気になる。

懇談会参加者の職歴を考えると、

その種の議論に強い人がいなくて当たり前である。

b0141773_22015073.jpg

新聞社も、いまはパソコンで原稿を書く時代だろうから、

「字体をどうすべきなのか」ということに

頭が働く人は少なかったのかもしれない。

「どちらでもいい」では

適切な解釈にはならない。

b0141773_22024316.jpg
b0141773_22030948.jpg
この種の問題を話し合うときのキーワードとして

「本字」「略字」「活字体」「筆記体」「許容体」

「常用漢字」(かつては「当用漢字」)、

「字体改革」などは無視できない。

日本では、太平洋戦争後、

漢字の字体を大きく簡略化し、それが今日に至っている。

b0141773_22111702.jpg

とすると、

新元号発表者には、

こんなコメントを添えてほしかった。

「なお、一言申しあげたいことは、

ここでは旧来の『令』の字を使っておりますが、

(正確には、上のテンの部分は略字化している)

日常生活において手書きをするときには

『八』に『、』と『マ』と書くことは妨げません」


b0141773_22060374.jpg

言語現象として興味深いのは、

手書きのときに筆記体を使っていた国民が、

新元号に従って、

活字体を手書きに使うようになるのかどうか、

という点である。

元号を書くときだけ「令」とし、

「年齢」や「命令」「冷却」「鈴」は

いままでどおりに書くのか。

b0141773_22142069.jpg

b0141773_22150008.jpg

「どうでもいいこと」と考えず、

しばらく見守ることは、

言語感覚を磨くうえでマイナスにはならないはずである。

b0141773_22152367.jpg


# by rocky-road | 2019-04-14 22:16 | 大橋禄郎  

海から見るオカの世界。

b0141773_19252302.jpg
久々に、

ダイビング関係のいくつかの恒例イベントに

出かける時間が得られた。

行ったかいがあって、

いろいろと刺激を受けた。

b0141773_19282290.jpg

毎年4月は、

東京近辺のダイビングシーズン幕開け季節である。

厳密に言えば、

いまどきのダイバーは、

世界中で「いまが夏」または、

「いまが流氷の季節」の海に

出かけていくことができるので、

1年中がシーズンである。

b0141773_19265076.jpg
しかし、それではメリハリがないので、

丘の上世界の習慣に従って、

春から初夏くらいにかけて、

シーズンの開始と考えるようにしている。

b0141773_19274180.jpg

出かけたのは、次の3つのイベント。

1つめは「海で逢いたい」グループによる

23回目の写真展。(東京都・大崎)

2つめは「マリンダイビングフェア」

 (同、池袋サンシャインシティ)

b0141773_19313035.jpg

b0141773_19462373.jpg
b0141773_20153995.jpg
b0141773_19461328.jpg

3つめは「第36
回 水中映像祭」

 (同 江東区文化センター)

b0141773_19322047.jpg
b0141773_19310050.jpg
このほかに、スペシャルイベントとして、

45年前から2年間、

西伊豆の海底9メートルに存在した

海底ハウスを語る会にも参加した。

以上の体験から

感じたことの1つを書いておこう。

b0141773_19330178.jpg
改めて感じることだが、

文明や文化は、

右肩上がりに進むとは限らない、ということ。

停滞や逆走もあるし、

消滅も、もちろん、ある。


「海で逢いたい」グループと、

「マリンタイピングフェア」では、

応募された作品、または、

「フォトコンテスト」に入選した

海関係の傑作写真が展示されていた。

被写体のバリエーション、

撮影技術の目覚ましい向上を強く感ずる。

b0141773_19285442.jpg

ところが、作品のタイトルが稚拙すぎて、

失笑を超えて暗い気分になった。

共通するのは、

被写体の生物名を検索することなく、

つまらないネーミングによって

安易に、または低俗化している点。


「海は美しい」(ロク=いま気づいたのか!

「海中は色鮮やか」

「魅せられて」 (古い歌謡曲だ

「キラキラ」  (幼稚園児か

「満点の星空」

「赤い惑星」

「お見合い」

「ひゅん!」 

「回って回って」 

「ゴチャッと」 (アンタのお脳がね

「はい!ポーズ」 (いまどき、陸でも言わんぞ

「コンニチハ」 向こうは人間を恐れているよ

「銀河鉄道」

b0141773_19372407.jpg
b0141773_19301015.jpg

水中写真は、

芸術性以前に科学性(生物学などを中心とした生態学)を

担っているとともに

未開のエリアへの探検的・旅行的な発見が

大きな動機の1つとなる。

b0141773_19334493.jpg

したがって、

水中で撮った写真は、

それがどういう生物なのか(学名までは求めないが)、

どういう行動の瞬間なのかを

撮影者および発表者には

説明責任がある。

その自覚は微塵もなく、

「キラキラ」や「ひゅん」「ゴチャッと」などと

ネーミングする。

芸術性はおろか、成人の言語能力さえ疑われる。

b0141773_19363230.jpg
ガマンがならないのは、

自称「プロ」と称する人間の

「古い手法ですが、好きな1枚(笑い)」

というタイトル。

小さなウミウシを、

水面直下で撮影した1点だが、

被写体が水面の裏側(陸上から見たとき)に

反射している作品。

b0141773_19385311.jpg
およそ公共性はなく、

仲間内の冗談みたいなネーミング。

少なくとも公共施設で写真展を開くからには、

その生物の名くらいは示して、

見物者に一定の情報を伝えたい。

b0141773_19395683.jpg
昔、あるイラストレーターのダイバーが

「ダイバーはバカばっかり」とほざいて

私の全面的反論を誘ったことがあるが、

あれから約半世紀、

ひょっとしたら、

あのイラストレーターの言は

まんざら的外れではなかったかもしれないと、

こちらをグラつかせるほどのおバカぶりである。

b0141773_19353483.jpg

この責任はどこにあるのか。

それはコンテストの主催者である。

写真が傑作でも、

ネーミングの悪い者は落選とする、ということは

実際にはしにくい。

だから、事前に「ネーミングのあり方」を

教育しておく必要がある。

たとえば、

*タイトルには被写体の生物名を入れること。(種名でもよい

*ネイチャーフォトであることを自覚する。

*生物を無意味に擬人化しないこと。

 (×「こっちへ来ないで」×「どちらさんですか」)

*海を宇宙に置き換えないこと
(×「満天の星空」×「赤い惑星」)

b0141773_19411117.jpg
かつて、このようなことを

ダイビング雑誌に寄稿して説いたことがあった。

いまは、そういう人がいないのか、

水中写真の発表に関する基礎知識およびマナーに関しては

野放し状態であるようだ。

b0141773_19402229.jpg
ある写真展で、

唯一安心できたのは、

正真正銘のプロカメラマン、

大方洋二氏の作品とネーミング。

「ニシキハギの縄張り争い」

b0141773_19421759.jpg
ここには魚名があり、行動の説明がある。

多くのインチキ・ネーミングでは、

魚が向き合っていると

判で押したように「お見合い」「見つめ合い」とやる。

が、自然界はもう少し厳しい。

お見合いどころか威嚇や対立、

ときには捕食である。

b0141773_19423841.jpg

不勉強な者や思慮の浅い者に

ネーミングの機会や文学性を与えると、

「〇チガイに刃物」くらいに危ない。

自然界の真実を誤って伝える、という点において。

b0141773_19262315.jpg

次に、

「水中映像祭」は36年前に

私と数人の有志とで始めた水中写真のサークルが

毎年1回開くイベントである。

私は第20回までかかわってきたが、

以降も有志各位の尽力で続けられている。

b0141773_19450653.jpg

作品は私の時代とは

比べものにならないくらい進歩しているが、

なんとも入場者が少ない。

500人入るホールにおよそ40人。

12時間のイベントを

昼の部と午後の部とに分けたことが一因としても、

空席があり過ぎて寒々しい。

b0141773_19464605.jpg

ここまで入場者が減ってきたら、

会場をもっと小さいところに変えるべきだが、

それ以前に、

なぜこれほどまでに入場者が減ったのかが問題。

参加者激減の理由は、当事者に直接伝えるとして、

ここでは別の大きな問題について書いておこう。

b0141773_20320955.jpg

万物は経年変化が避けられない。

建造物なら、陽光や風雨による劣化、

組織なら、コンセプトのあいまい化、

リーダーシップの低下、

モチベーションの低下などなど。

b0141773_19495836.jpg

栄養補給は、

組織にも思想にも必要で、

それを怠ると萎えてしまう。

司馬遼太郎は、

「小説はフィクションに分類されるが、

思想もフィクションですよ」と言った。


「マリンスポーツ」としてのダイビングは

フィクションであった。

ダイビングに「スポーツ」性を感じず、

そのカテゴライズに大橋は強く反対した。


いまはレクリエーションダイビング、

または海と島への旅、

またはフィッシュウォッチング、

そして水中撮影の被写体探しなどが

中心となった。

が、私が提案して創刊した『海と島の旅』も、

『マリンフォト』も、

いまは廃刊になった。

栄養を与えられない思想は、

けっきょく「フィクション」として消える。

b0141773_19501555.jpg

陸の世界で言えば、

先祖を慈しむ思想、

国を愛するメンタリティーはどうか、

そしてそして、

食育やスローフード、

あるいはコーチングや行動療法はどうか。

だれかが栄養補給をしているのだろうか。

b0141773_23252537.jpg

もちろん、「食コーチング」とて例外ではない。

b0141773_23251525.jpg

ダイバーのあり方について

私に多くのヒントをくださった工藤昌男さんに

『海からの発想』という著書があるが、

この桜の季節に、

海のイベントに参加したことによって、

いろいろの発想法をいただくことになった。

b0141773_23250578.jpg


# by rocky-road | 2019-04-08 19:52 | 大橋禄郎  

メディア・リテラシーの磨き方。

b0141773_22205019.jpg

大人のための文章教室「ロッコム文章・編集塾」は

2003年に開講し、今年で16年目になる。
当初は、岡山県や三重県、千葉県などから

通ってくれる人もいたが、

1回のペースで東京まで通うのはご苦労が多い、

と思われたので、

2008年に、

年に4回、1日かけて集中講義を行なう

「遠距離クラス」を、

おもに横浜で会場を見つけてもらって開講した。

b0141773_22212003.jpg

講義内容は、毎月クラスと同じだが、

毎月クラスと遠距離クラスとの

両方を受講する人もいて、

そういう人によると、

メンバーが異なると、

強弱のポイントに差が出て、

雰囲気はだいぶ違うと言う。

b0141773_22220124.jpg

遠距離クラスには

「近況報告」のコーナーを設けて、

各地の話題を提供していただいている。

このコーナーは毎月クラスにはない。

近況報告も

表現力強化の演習の一環として重要だから、

毎月クラスでも行ないたいが、

2時間授業の中では時間的にキツイ。

b0141773_22221186.jpg

近況報告では、

職場の話、講演会に参加した感想、

ご自分が運営する料理教室の現状、

雪が凍ってアイスパーンになっている道を

何回か転んでやってきたなど、

鮮度の高いローカルな話には惹きつけられる。

b0141773_22240016.jpg

当初は、1人で10分以上かけて報告をする人もいたが、

「あえて何分以内」と注文はつけず、

「これくらいの人数のときは、

1人がどれくらい話せばよいか、自分で判断して」

として、時間配分を各自に任せたら、

それぞれテーマを絞って

コンパクトにまとめられるようになった。

その前進ぶりは見事。

要領のよい報告スキルは、一生の財産になるだろう。

b0141773_22232100.jpg

遠距離クラス、毎月クラスとも、

このところは、

以下の宿題に、みなさん苦労している。

b0141773_22243409.jpg

 【出題】

 最近の新聞記事、テレビ・ラジオ番組の中から

 1つをとりあげ、(情報のまとめ方などについて)論じてください。

 10行で内容の概略、残りの20行で論評を

b0141773_22250556.jpg

この宿題の前段階として、

「メディア・リテラシーのセンスアップ」

という講義を行なった。

「リテラシー」については、

『ウィキペディア』で次のように定義している。

b0141773_22261820.jpg

 (英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、

 転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)

 適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」

 という意味に使われるようになり、

 日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。

 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり

 書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。

b0141773_22264598.jpg

そして「メディア・リテラシー」については、

大橋はこう定義した。

 「(おもに)テレビ、新聞、雑誌など、

 マスメディアによってもたらされる情報を正確に理解する能力。

 『正確』とは、個々の情報の理解力にとどまらず、

 情報提供者の意図、個々の情報の因果関係、

 その情報の影響、時代性などを含む。

 あえてデジタル情報は、ここでは除外する。(大橋)

b0141773_22323111.jpg

講義では、メディアを通じて伝えられる情報は、

無限にある「真実」のごく一部であり、

厳密に言えば、

「真実」は、

11人の認識以外のところにはない。

したがって、

メディアで「真実」を伝えることは最初から不可能。

b0141773_22280170.jpg

かと思えば、意図的にある情報を

伝えないことをもって

情報発信者の意図を示す報道姿勢もある……

という話もした。

自分たちが好まない情報は、

ほかのメディアが報じても、

自分のところでは無視する、

などということは普通にある。

b0141773_22324570.jpg

こういう講義に沿った宿題だから、

論評はメディアの情報提供の仕方について

問うものであった。

が、課題では、

前述の( )内の「情報のまとめ方などについて」

を入れておかなかったので、

メディアの情報提供についての論評ではなく、

中身そのもの(記事に登場する論者の意見や

施策の是非など)に入り込んでしまい、

情報提供のあり方について論ずるものは、

1割にも達しなかった。

b0141773_22333660.jpg

最初のクラスの反応を見て、

あくまでも「情報の提供の仕方」

についての論評であることを補足したが、

2回目も惨敗だった。

出題内容がうまく伝わらなかった責任を感ずるが、

メディアのあり方について論ずるという

経験も情報もほとんどない、

というのが、

現在の日本の状況であることを

認めざるを得なかった。

b0141773_22341430.jpg

つまりは、

テレビ、ラジオの視聴者、

新聞、雑誌の読者の大半は、

内容について楽しんだり、

うんざりしたりはするものの、

制作者または編集者の思想、センス、

姿勢などに視線を向ける習慣がなく、

寛容に受け入れる傾向がある。

われわれは、そういう風土の住人ということだ。

とは言え、

メディアのあり方を論ずる雑誌は少なからずあるし、

新聞でも、月々の雑誌の論調を紹介する記事はある。

しかし、

それを読むのは「専門家」と思われがちなのだろう。

b0141773_22343475.jpg

メディアの利点・弱点を見抜く能力の強化は、

メディアにミスリードされないため、

または、

自己防衛のためというばかりではなく、

けっきょくは、

自分の立ち位置、

これから向かう道への選択眼を磨くことに有利。

メディア・リテラシーは、

つまるところ、

自分の人生の方向を読み解く能力にもなる。

b0141773_22352025.jpg

現在、宿題の再提出待ちのタイミングだが、

あえて、

テレビ番組を論ずる一例として、

NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」

という番組について、

ゆる~く論評してみよう。

b0141773_22372161.jpg

 【番組の概略】

 1995年から始まった、笑福亭鶴瓶主演の

 「ぶっつけ本番」番組。

 おもに芸能人がゲスト出演し、

 そのゲストが望む地域を訪ね、

 鶴瓶とゲストが最初は一緒に、

 途中から分かれて、

 それぞれが出会った家族と語り合う。


 【論評】(肯定的に論ずる例)

 芸人鶴瓶による、出会った人への話しかけ、問いかけ、

 インタビューは、プロのアナウンサーや記者でも

 かなわないほどの超一級。

b0141773_22363625.jpg

 テレビでは、事前に準備しておいて、

 いかにも「ぶっつけ本番」に見せる細工が大半だが、

 この番組では、ときに収録を断られる場面、

 放送には不適切な発言、

 訪問を受けた人たちの狼狽、 

 ガラスなどに反射する取材風景などを

 あえて写すことなどから推測して、

 「やらせ度」は比較的低いと見る。

b0141773_22380463.jpg

 とは言え、ゲスト出演の芸能人に

 インタビュー力を求めるのはムリで、

 2人が現地で別々の行動をとるとき、

 ゲストのほうの言動にじれったさを感じる。

 制作者は、それもたぶん読み込み済みで、

 鶴瓶の老練ぶりと、芸能人のドギマギぶりの対比で

 むしろ視聴者を引きつけるのかもしれない。 

などとするのかな?

b0141773_22383118.jpg
b0141773_22385931.jpg

ともあれ、

大人の文章教室は、

句読点の打ち方や

敬語の正しい使い方などのところで

足踏みしているわけにはいかない。

b0141773_22172306.jpg
「人は文章で考える」であり、

「編集は豊かな人生のプログラムづくり」である。

b0141773_22401069.jpg



# by rocky-road | 2019-03-31 22:40 | 大橋禄郎 文章教室