「食育」の担い手としての栄養士とは……。

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2024年2月4日(日)に開催された

第127回の「食ジム」について書いておこう。

(かながわ労働プラザ/11時~18時)

座長は米澤須美さん。

アドバイザーは、影山 なお子さん、大橋。

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話し合いのテーマは、                         

「若いお母さんや若い世代に「食育」の理念や

方向性をしっかりと身につけていただくには、

どんなアプローチが必要か。」

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進行プログラムは以下のとおり。

1.子供の頃、親から受けた食に関するしつけ

(いまの「食育」)のうち、しっかり身についてよかった

と思うことと言えば……

2.身近な人や、テレビなどのメディアで見る人たちの、

ちょっと気になる食に関する行動や考え方、あれや、これや……

(献立、食事時刻、食べる場所、食事・栄養・健康観など)

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3.親として、大人として、若い世代に

「これだけは伝えておきたい」と思う食習慣、栄養知識、

食の考え方をあげるとすれば……

4.サポートする側が、食育の理念や思想を身につける方法と、 

それを人々に伝えるには、どんなアプローチがあるか。

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「食育基本法」が施行されたのが2005年7月。

すでに19年目になろうとしている。

この法律では、「食育」の定義はないが、

そのコンセプトを断片的に拾うと、こんな具合である。

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「子どもたちが豊かな人間性を育み、

生きる力を身に付けていくためには、

何よりも『食』が重要である。」

(「付けて」は原文のママ)

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(中略)

「社会経済情勢がめまぐるしく変化し、

日々の忙しい生活を送る中で、

人々は、毎日の『食』の大切さを忘れがちである。

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国民の食生活においては、栄養の偏り、不規則な食事、

肥満や生活習慣病の増加、過度の痩身志向などに加え、

新たな『食』 の安全上の問題や、『食』の海外への依存の面からも、

自ら『食』のあり方を学ぶことが求められている」

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いま、読み返してみて改めて感じるのは、

当時の世相を反応した、マスメディア的、網羅的な発想によって

作文されている点である。

国が定める法律としては、

国や国民性と、「食」との関係を、

もっと明確に語る要素があってもよいと思う。

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すなわち、

食文化や食習慣を維持することは、

自分および国民としてのアイデンティティを維持することであり、

「自分らしさ」「日本人らしさ」を自覚し、誇りに思うことにもなり、

その精神を軸に行動すればこそ、

行動にパワーと持続性が得られる、と。

「人間性」は、これらの意識によって弾みがつく。

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私が提示している「人間の食の意味」の表では、

「食」は、栄養補給やエネルギー補給という、

動物としての人間にとって基本となる目的以外は、

「団欒」(だんらん)や「おもてなし」など、

ほとんどがコミュニケーション行動といえるものをあげている。

しかし、「食育基本法」の理念提示には、

「コミュニケーション」「情報交換」「信頼性・親近感」など

人間関係にかかわる字句は見当たらない。

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つまり、食育基本法を定めるようになったいちばんの理由は、

「いただきます」で始まり、「ごちそうさま」で終わる食事の作法、

正しい姿勢を保つ、箸や食器を正しく、美しく扱う……

などなどの、「食文化」の根っことなる「食習慣」の継続であったはず。

それをもって、日本人としての誇りと自信をもつ。

それこそが、「生きる力」や「人間性」を身につける基礎的行動であろう。

しかし、現実は、

それを支える異世代同居家庭が激減したため、

法律によって問題提起をするしかなかった。

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かつて、おじいさんやおばあさんが口を酸っぱくして言ってきた

「人さまに迷惑をかけない、恥ずかしくない生き方」までを

代弁するだけの心の準備がなかったため、

時評的な、ジャーナリスティックな発想止まりとなった、

ということだろう。

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さて、食ジムでは、イントロダクションとして、

みなさんが

「子供の頃、親から受けた食に関するしつけ)のうち、

しっかり身についてよかった」と思うことを発言していただいた。

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「箸の持ち方」「魚の食べ方」「残さないで食べる」

「いただきます、ごちそうさま」

「旬の野菜をいただく」「茶碗にご飯粒をつけて残さない」

「食材をご近所に分けたりいただいたり差しあげたり」

「肘をついて食べない」「フォークとナイフの使い方」

「夕食は7時のNHKニュースを見ながら黙って……

「牛乳を飲む習慣」

「食事時刻に遅れた家族には多めに取り分けておく」

(公平感を身につけるために)

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以上の発言を聞けば、

いまから40年以前の「食育」は、立派なものであった。

それがいまでは、

茶わんやお椀の鷲づかみ、ぎこちない箸の持ち方、

ケイタイとニラメッコの食事、

子どもに話しかけないお母さんなどなど、

食育基本法の理念とは逆の方向に進んでいる。

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家庭に「食育」担当の、お父さんやお母さんが

少なくなったのだから、当然の成り行きである。

「食育」に関しては、

学校でできることはあまりにも限られる。

そもそも、「食」を学校に任せるのはお門違いである。

なんといっても、担当者は親である。

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いま、街では、外国の食材だけを売る店がふえている。

それは見慣れた風景になりつつあるが、

それだけではなく、

それらの食材を生産する農場もふえていると聞く。

白菜や大根の畑の近くに

パクチーやタイミントの畑が広がる……

そんな田園風景がフツーになる日も遠くはない。

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「故郷とは」「国土とは」という概念やイメージが

急速に変わりつつある。

侵略は平和的に、のどかに進むケースだってある。

「平和的なら結構なことじゃないですか」と

考える日本人もふえていることだろう。

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「カラダの栄養士」に加えて

「心の栄養士」を自認する一部の栄養士としては、

食文化戦争に参戦する必要に迫られているのではないか。

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幸い、「食ジム」では、

親たちに「食」に関する社会教育を行なう担い手が

生まれる可能性が感じられた。

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祖先に頼れないのであれば、

「食」のプロ、そして「心の栄養士」が、

言論によってダメ親、ダメ大人を

目覚めさせるときが来たようである。

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# by rocky-road | 2024-02-11 21:25 | 「食ジム」  

宗像伸子さんとのお別れ。

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管理栄養士の宗像伸子さんが、

先日(2024年1月26日)、

83歳で他界された。

告別式は1月31日、

東京・品川区の西五反田にある

桐ヶ丘斎場で行なわれた。

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コロナ禍と重なる時期に、

「非生活習慣病」で闘病生活をしていた頃、

彼女は言った。

「生活習慣病でなくてよかった

(コロナともまったく関係のない、女性の病)

大橋「わかるけど、ぜんぜんよくないよ」

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宗像さんとは、

女子栄養大学時代からの、

50年を超えるおつき合いである。

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彼女は女子栄養大学卒業後、

同大学の栄養クリニックの職員としてスタートし、

その後、山王病院、半蔵門病院などで職歴を重ね、

1988年に《ヘルスプランニング・ムナカタ》(有限会社)を立ち上げた。

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社会背景として、

1970年代の半ばあたりからは、

栄養士が独立して仕事ができるほど

健康志向の食情報が求められるようになっていた。

それまでは、病人食は病院内のものであり、

「食餌療法」などと表記されていた。

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「成人病」(のちに生活習慣病)の予防への意識が高まり、

女子栄養大学出版部からは、

エネルギーコントロールやコレステロール、

塩分制限などに関する〝料理本〟が刊行された。

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それ以前、それらの料理本は、

医学書を専門とする出版社から出されていたので、

写真はモノクロ中心で、そのルックスは

まさに「食餌療法」的な書物であった。

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女子栄養大学出版部は、

そこに至る前には、

『おかず12か月』『肉のおかず12か月』など

《12か月シリーズ》をヒットさせていたので、

この編集手法によって、『糖尿病の人の食事』

『動脈硬化の人の食事』『コレステロール値の高い人の食事』

『がん術後の人の食事』などを

次々と出版した。

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このシリーズを担当したのが藤原眞昭氏。

のちの群羊社の社長である。

そのころ、宗像さんは20歳代の後半くらい。

原稿用紙を使って文章を書く方法などを

藤原氏から教わっていた。

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こういう経過をたどって、

生活習慣病対策としての料理本が出回るようになる。

当初はドクターの氏名が大きく書かれ、

栄養士の氏名はひとまわり小さく印刷されていた。

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それがやがて、ドクターの監修さえ受けることなく、

理論に基づいて、栄養士が単独で料理本や

健康法の本を出すようになる。

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宗像さんは、そういう時代の流れに乗って

大活躍を始める。

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自身が主宰する《ヘルスプランニング・ムナカタ》を拠点に

大学の非常勤講師や、テレビ・ラジオ出演、

講演会、雑誌掲載の料理制作および記事の執筆、

ホテル内に常設された食事相談室担当などなど。

(くわしくはネットで)

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ここまで多様な仕事をこなすことになったのは、

まさに栄養士の仕事が、病院の外、

つまり、人々の生活圏へと広がる時代の幕が

開かれつつあったからである。

そう、「治療」から「予防」の時代の始まりである。

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宗像さんによる著述の基本思想は、

香川 綾先生考案の「四群点数法」による食生活の栄養管理法。

それを料理や献立で示した。

すべての料理はカードに収めて保存されている。

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宗像さんのお料理は、

人柄そのもの、シンプルながら美しく、

気品を感じさせる風景を描き出していた。

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控えめな人柄ゆえに多くの人から慕われ、

年末には、その人脈が集まる、

忘年会的なパーティが恒例となった。

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ここには、ドクター、メディア関係者、教員、著述家、

ゴルフ仲間などが集まった。

(「宗像杯」と称するゴルフコンペも続けられたという)

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私との接点は、仕事に関するアドバイスや、

ときどきの旅行、そして、カラオケ仲間でもあった。

子供の頃、コーラス部に席を置いたこともあるそうで、

澄んだ声で、「里の秋」や「四季の唄」を歌ったり、

ときには「天城越え」を歌ったりした。

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栄養士の何人かが、

いまもメディアで活躍しているが、

料理本を50点、100点と著わすような時代は

ふたたび来ることはないだろう。

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しかし、栄養士の社会的仕事が終わったわけではない。

新しい時代、たとえば「人生100年時代」の

オピニオンリーダーとなる栄養士が、

あちらこちらでスタンバイしていることだろう。

「宗像さん、あとに続く人はいるから、ご心配なく」


# by rocky-road | 2024-02-02 22:23 | 宗像伸子先生  

能登のみなさん、See You Again.

能登の地震や津波、火災の被災地の現状が、

毎回のニュースで伝えられる。

この地は、2011年から2017年まで、

4か月に1回のペースで開いていただいた文章教室に

講師として通っていたので、

馴染みのある地域である。

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きっかけは、影山なお子さんが、

地元の栄養士サークル《あじさい会》からの依頼で

講演を行なったことから、この会とのご縁ができた。

のちに影山さんが私を講師の1人として

ご紹介くださった。

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日本海に突き出した能登半島に、

知り合いはまったくなかったから、

こういうきっかけがなければ、

訪れることはなかっただろう。

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教室は1日だったが、

毎回、1、2泊して、石川県の各地をご案内いただいた。

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列車でのルートとなる金沢にはしばしば出かけることにもなった。

京都、奈良に匹敵する風情のある金沢も、

大好きな土地となった。

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いま、ニュース映像で見る能登の観光コースは、

ひととおり訪れたことだろう。

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とはいえ、地元の人のご案内に任せきっていたので、

実のところ、、土地勘は働かない。

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現在のテレビ画像を見て、

「あそこだな」と思えるほどはくわしくはない。

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そこで、「能登文章教室」のフォルダーから、

時系列的に(正確とはいえないが)選んで、

コメントなしで展示しておこう。

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最初に掲げた空港ビルの1室でも

授業を行なったこともある。

なんともローカルらしい体験だったことか。

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東京の羽田から能登まで、

飛行時間がいかにも短いのにも驚いた。

日本列島を、縦断ではなく、横断するとは

こういうことなのだ、と実感した。

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楽しかった能登出張も、

2018年に、《あじさい会》のリーダーのご逝去で

終了した。

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大震災は、それから6年目のことであった。

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# by rocky-road | 2024-01-28 22:05 | 大橋禄郎 文章教室  

やっぱ、年賀状、やめないで!!

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4年前の2020年の1月に、

このブログに書いた「年賀状を何歳でやめますか。」のページが、

2023年の年末の段階で

このブログの記事ランキングの1位になっている、

と人から教えられた。

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内容は、

年賀状のやめ方には大別して

①「フェイドアウト型」(自然消滅、もらっても返事をしない)

宣言型」(これで終わりと相手に伝える)

死別型

の3つがあるとし、

メリハリをつける意味では、宣言型がよかろう、と書いた。

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読み返してみて、

健康論、マナー論としては、

「宣言型」には、いくつかのリスクがあることに気がついた。

申しわけないが、この点を大幅に訂正させていただきたい。

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自分が仮に「宣言型」を採るとしたとき、

自分の恩師や先輩に、

そういう宣言ができるだろうか、と自問してみたら、

それは「あり得ない」と即答してきた。

自分はそんな恩知らずではないはず。

それは自分の生き方に大きく反する。

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そう思っていた矢先、

今年の年賀状にも

「本状をもちまして年賀状を最後にさせていただきます」

というのがあった。

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「本状をもちまして」とは、ずいぶんとツッパッタ言い様である。

このお役所的表現の冷たさにはあきれた。

こういう人間と交流があったことは

自分史の中では後味が悪い。

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そうか、

「人生の終い(しまい)方」だの「年賀状の終え方」だのという

流行的風潮に染まるタイプは、

むしろ、もともと人との交流が少なく、

狭い世界に生きてきたので、

社会性に磨きがかかっていないうえに、

マナーに関するブラッシュアップをしてこなかったために、

こういう不愛想、無教養な表現ができるのだろう。

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振り返ってみると、

これまでに年賀状終了宣言をしてきた連中には共通点があって、

大半は10~20歳以上離れる後輩であること、

女性がほとんどで、男性は1人、いずれも内向きタイプ。

1名だけは、病状が進み、もう筆記ができない、と事情を伝えてきた。

いずれも、いまはほとんど交流のない人たちである。

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推測として、宣言型の全員が、

こちらを嫌っていた、という共通点だってありうる。

しかし、言わせてもらえば、

いずれも、こちらから誘い込んだ人脈ではなくて、

向こうの意志で、こちらにやってきた人たちである。

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ここからはマナー論からは離れて、

社会心理的に、そして健康論として考えてみよう。

まずは「断捨離」から始まって、

友人・知人を捨てること、

自分の人生を仕舞うことなどを伝授する人が

メディアで持ち上げられる社会とは、

どういう社会なのだろうか、である。

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そういう、うしろ向きの情報に反応するタイプとは、

ひとことで言えば、やることがない連中である。

「やること」とは、

すべてが自分自身のこととは限らない。

死生学で知られた

アルフォンス・デーケン氏(元・上智大学名誉教授)が

説いたように、

人生の晩年は「お返しの時期」であろう。

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自分がここまでハッピーに生きてこられたのは、

親や友人、知人、

その他、多くの人からの知識や技術、

富や財産などなど、量りきれないほどの支援のおかげ。

それらに対して、

少しでもお返しをすることに時間や労力を使いたい、と説いた。

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これに私は尾ひれをつけて、

そういうことをしないで死んでゆくのは、

「食い逃げ」「持ち逃げ」に等しい、と。

社会性とは、そういうものであろう。

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いまでも、日本各地には、

居住地の自治活動やコミュニティに参加しないと

シロい目で見られるところが少なくないはず。

ずいぶんやっかいな環境のように思われがちだが、

人間の行動は、100%自発的ということはあり得ない。

モチベーションは、人や環境から与えられるもののほうが多い。

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脳科学者や生物学者は言う。

「人間に自発性というものがあるのだろうか。

動物の行動のほとんどは、

環境からの刺激に対する反応である」と。

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きょう食べたものも、いま着ているものも、

きょうテレビを見たものも、

ハッピーな1日だったと思うのも、

自発性というよりも、

環境が与えてくれた「動因」(モチベーション)に対する

反応ということか。

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毎日、入ってくる多くのメールの処理、

近所の人が、畑で採れたという大根やトマトを

突然、届けてくれる。

「さっき買ってきたばかりだよ。

もう冷蔵庫はいっぱいじゃないか」などと

心の中で舌打ちをしたりするが、

それを使った料理を考えることで

新しいメニューを覚えたり、家族からは称讃されたりする。

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戦時中、

東京では防火訓練や避難訓練、

回覧板を隣に届けるなど、

断れない社会活動が多かった。

夏は、冷房はもちろん、扇風機もなかったので、

道路に縁台を出して、夕涼みをするしかなかった。

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とても「自分探し」だの「生きづらい時代」だのと

甘ったれたことを言っているヒマはなかった。

「自分探し」をする前に、

人から自分が探されて、

「防火演習に出てください」

「すみません、おしょうゆをちょっと借りられない?

なくなっているのに気がつかなくって……」

などと声をかけられた。

昔は、しようゆや油の借り貸しもあった。

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そして、待ったなしの空襲があった。

私が住んでいた〝東京市小石川〟では、

床下の防空壕に入る家が多かったが、

場所によっては、近所の人が共同で入れる

「横穴式防空壕」もあって、

そこにみんなが逃げ込んで来ると、すし詰め状態になった。

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マンション暮らしなどはほとんどなく、

長屋はあったが、戸建て住まいが多かった。

近隣とは、壁1枚以上も離れていたが、

人間と人間の距離は近かった。

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共同生活に忙しくて、

ストレスやうつ状態でふさぎ込めるような

時間も心の余裕もなかった。

周囲が焼け野原になっても、

「すごいストレスだったね」

などと言う人はいなかった。

「ストレス」というコトバがなかったから。

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そういう「自分・探され時代」が終わって、

マイペースで生きられるようになると、

さあ、「自発モチベーション」の低い者は、

自分の立ち位置がわからなくなる。

「自分探し」や「生きづらい世の中」と口にする者は

とかく世の中に文句を言うが、

要は、「自発モチベーション不足」ゆえの、

環境への適応不全ということであろう。

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人間というものは(群れ行動をする動物も)、

自分の集団からの刺激に反応して

「自分」というものを創っている、

それがノーマルな、いや不可欠な行動様式である。

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しかし、群れ行動への適応性が低い者は確かにいる。

そういう個体としては、

自分の友達や、自分の持ち物などを捨てるくらいしか

「自発モチベーション」を得られない。

そういう低迷タイプにとっては、

「断捨離」系の考え方には共感できるのだろう。

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久々に「外的モチベーション」に反応した理由は、

人と接することなく、事を進められるからである。

久々に「自発モチベーション」に燃えて、

すがすがしい顔をして

捨てるものを分別してゆく。

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とはいえ、彼らには、

それらの廃棄物のあと処理に

どれだほどの作業や費用がかかるか、

そんなことには考えが及ばない。

「トラック2杯ぶんも捨てた」などと、

身近な人に誇ったりする。

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健康論として見ると、

このページでもしばしば書いているが、

「孤独のすすめ」も「人生の終い方」も、

「断捨離」も「年賀状の終え方」も、

要は「短命のすすめ」ということになる。

モノを捨てた人ほど、健康寿命が延びた、

なんていうことはありえない。

エビデンスが必要なら、

孤独死をした人の死亡年齢を調べればすぐにわかる。

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ガラクタのようなモノにも情報があり、

その情報は、それを見る人になんらかの刺激を与える。

想い出であったり、懐かしさであったり、

友達の顔であったりコトバであったり……。

そういう環境を少なく、小さくすることは、

人間の、いや生物の生存への可能性を

縮めることにほかならない。

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世界の長寿国に中で、いわば「短命思想」が

一部の者に受け入れられるのは、なぜなのか。

これも、以前書いたが、

国が縮んでいくときには、

国家的なビジョンや方向性が「おぼろ」になり、

国民のモチベーションが低くなるということかもしれない。

「平和ボケ」の時代は終わった。

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自分の身に危機が迫っていることは、

だれもが知らずにはいられなくなった。

地球のリーダーがいなくなって、

局地的な紛争を収められなくなった。

これからは、同時多発的に、

地域紛争が続くことになるだろう。

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そういう地球事情には関心を持てない

「低モチベーション人間」は、

いまのうちに人生を楽しんでおこう、

そういう楽しい人生を、

どうすれば持続できるのか……

などという大それたことを考える思考力はなく、

「父の残したこの時計、捨てようかどうしようか」

なんていうことを2日も3日もかけて考えて楽しんでいる。

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そりゃぁ、年賀状なんか書いているヒマなんかないよね。

しかし、世の中、復活ということはあるもので、

90歳を超えた先輩女性から年賀状が来た。

去年、「90歳を超えたから、年賀状を終わりにしたい」と

書いてきた方である。

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ご意向に沿って、今年は出さないでおいたのに、

「終了宣言」を忘れてしまったのか、

元旦配達の年賀状が来た。しかも2通。

そこには、「復活宣言」はなく

(つまり、去年書いたことは忘れている)

「本年は、94歳になります。知人、友人も

あちらの世界の人が多くなりました」とさらっとあって、

「本年もよろしくよろしくお願いします」

2通の文面は同じではなかった。

宛名も本文も、しっかり手書き。


少し事務力は落ちたかもしれないが、

これが日本人というものでございましょう。

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しかし、年賀状の世界から「足抜け」ができない、

なんていうことになると、うっとうしい話。

このテーマの結論としては、

フェードアウト型しかないのかも。


パーティ―会場から途中退出するときのマナーと同じで、

いちいちあいさつなどしないで、

そっと、会場から消えていけばよい。

心の中で、そっとつぶやこう。

「おかげさまで、楽しいパーティーでした」


# by rocky-road | 2024-01-16 22:00 | 大橋禄郎  

2023年度 「使いたくない日本語・日本語表現大賞」発表。

2023年度

「使いたくない日本語・日本語表現大賞」発表。

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年末には、『現代用語基礎知識』という辞書が選定する

「新語・流行語大賞」が発表されて話題になる。


そこで、わがロッコム文章・編集塾でも、

「使いたくない日本語。日本語表現大賞」を

選ぶことにする。

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実際、授業でも、

「NHKが使っても使いたくない日本語、日本語表現」

というテキストによって講義をしている。


以下は、

上記のテキストにも収載してある事例の1つでもあるが、

2023年度の(に限らないが)

「使いたくない日本語、日本語表現大賞」として

記しておきたい。

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「ほしい」

NHKが頻発する表現。

各地の取材先で、いろいろの人にインタビューした場面で、

登場する人が

「ぜひこちらに来ていただきたい」とか、

「これをみなさんに召しあがっていただきたい」とか、

「ぜひご覧いただきたい」とかと発言しているのに、

テレビの画面のスーパーインポーズでは

……してほしい」となっている。

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ラジオも同様で、

そうは言っていない流れなのに、

「『県庁では市民に対して〇〇してほしい』と言っています」

「道路管理者は『注意してほしい』と話していました」

などと放送している。

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日本語には、人になにかを期待するとき、

「いただきたい」と、ていねい表現を使う。

そのため、「早くコロナが収まっていただきたい」

「そろそろこの暑さ、やわらいていただきたい」

などと、コロナウイルスや天候にまで

ていねい表現を使ったりする。

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国語的には誤りだが、その態度は好ましい。

それに対してNHKは、

登場人物が「いただきたい」と言っているのに、

「ほしい」と言い換えてしまう。

ときには、もっと荒っぽく「もらいたい」とまで〝誤訳〟して、

相手の国語力や人間性を貶める。

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そのことを電話で伝えたら、

担当職員は歯切れの悪い言い訳をしていた。

「スーパーの文字数を減らすため」と。

そうだとしても、

人格がうかがえる表現を要約してしまうのは、

一種の人格侵害ではないか、

と指摘したが、

巨大組織の傾向を、電話に出た担当者が

電話で釈明できるものではない。

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かくして、

「ほしい」「もらう」という、ナマの欲求表現が、

ジワジワとていねい表現化しつつある。

NHKの影響とも思えないが、

若者の発言にも、

「ほしい」や「もらう」をていねい表現的に使うケースがふえている。

「大学は、もっと部員の希望を聞いてほしかった」

「親には娘の意志を尊重してほしい(もらいたい)」

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しかし、NHKの場合、

「ほしい」や「もらう」がていねい表現ではないことを

忘れてしまったわけではない。

自分のお願い事には、しっかり、ていねい表現を使っている。

受信料や引っ越しなどに関する「お願い」では、

……いただきますよう、お願いします」と。

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この使い分け、なにんともいやらしい。

相手によって使い分けるのである。

一市民の発言は「ほしい」と誤訳しても

なんとも感じないのがエリート意識だろう。

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職員の多くは、周囲からチヤホヤされ続けている者が多く(たぶん)、

一般人を無意識的に低く見る深層心理がある。

NHKには、放送文化研究所という施設があって、

アナウンサーの教育や世論調査を行なっているが、

所詮は同じエリートたち。

視聴者が簡単に気づく表現の歪みにも

気がつく感性はまったくない。

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「ほしい」には多分に内語的のニュアンスがある。

「金がほしい」「時間がほしい」「文句を言わないでほしい」

したがって、

比較的身近な人に対して使ったり、

尊敬の対象にならない事物や現象に対して使ったりする。

「ママ、あれがほしい」

「モノではなく、君のココロがほしい」

「景気がよくなってほしい」

「そろそろひと雨ほしい頃」

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国の壊れ方にもいろいろあって、

他国に侵攻される、内戦が起こる、

人種の混交が進む、天変地異に見舞われるなど。


それに対して、内部からの崩壊がある。

協調性の衰退(二極化など)、

国民の海外脱出、地元離れ、

精神的には祖先への敬意低減、

そして、言語の損壊など。

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コトバの乱れは、協調性衰退の一因になりうる。

とりわけ、敬語やていねい表現の軽視。

NHKは視聴料を取って、言語損壊を進めていることになる。

器物損壊は罪になるが、

言語損壊は犯罪の対象にはならない。

器物損壊の比ではないほど、

影響は大きいのに。


「日本句読点学会」は、

「NHKから国語を守る部会」を

設置する必要に迫られている。

ご支援、ご協力をお願いしたい×協力してほしい)


とはいえ、救いはあるもので、

街歩きを楽しんでいたら、

古着屋の陳列品に、こんな表示があった。

「本日、お値下げしました」

値段は、売り手と買い手との共有物。

だから「お値段」と、「お」をつける。

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日本語の美しいところは、ここである。

「お寒うございます」「お暑うございます」

「お天気、よろしいようで……

「お3人様、こちらのお席にどうぞ」

「お値下げ」の古着屋さん、

カウンターを見たら、

「お会計」とあった。

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  【日本句読点学会からのお願い】

1.年末に受け取った印刷形式の「喪中あいさつ」のうち、

句点のないものが何点あったか。

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2.印刷形式の年賀状のうち、

句点のないものが印刷形式の全受け取り賀状のうち、

何パーセントであったか。

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上記についてご連絡いただいた方には

学会から、句点「。」を5つ差しあげます。


# by rocky-road | 2023-12-30 20:33 | 大橋禄郎