コトバは乱れるものなのか。

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食ジム≫第80回で「日本語力の強化」について

話し合ったり

 (「栄養士・健康支援者は『日本語力』を

 どう強化すればよいか」 

 2019年8月25日 横浜・関内ホール)、

ロッコム文章・編集塾の毎月クラスでも、

言語センスをどう磨けばよいか。」

授業した余韻もあって、

いつもよりは日本語の現状について

敏感にならざるを得ない。

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そういう神経過敏状態にあると、

たとえば「ネグレクト」というカタカナ語が

棘のように、わが言語神経に刺さる。

「無視すること。放置すること。怠ること」

あるいは「育児放棄」「児童虐待」

などの意味があるらしいが、

これをカタカナ語によって話題にする理由がわからない。

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「児童相談所」--これを「ジソウ」と略す、

このセンスもわからない。

どうやらこの分野は、

日本語をわかりにくくすることで、

深刻な問題から目を逸らそうという

深層心理が働いているように思える。

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そして、ここで働く人は、

ほかの職場では使いモノにならない、

ややトロいタイプなのか、

いや、そうではなく、

この職場に来ることで神経が鈍くなるのか、

精神医学的な解析をしてみたい。

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所長クラスの人間が、毎度毎度、

「やることをやっていたけれどこうなった」と

無表情に言うのを見ていると、

フツーの神経ではやってはいけないほど

日々、難題に直面するのかもしれない。

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踏切内でトラックに電車が激突した事故、

電車に乗っていた人へのインタビューが

テレビで放送されていたが、

「ドカンという音がして、みんなが倒れたというか、

もうパニックですよ」

「なんていうのか、あわてて後ろから線路に降りました」


九死に一生を得た人の感想が「倒れたと言うか」

「なんていうのか」だと?

倒れたんでしょ? 

「あわてた」というコトバが

さっと出てこないの?

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これは、

インタビューを受けた人が若いから、

言語能力がまだ未完成だから、

と思いたいが、

ラジオでは、

経済関係の専門家らしきゲストが、

「なんて言うのか」を1分間に5回も続けた。

昔、レコード針がレコードの溝にハマったとき、

こんな状態になった。

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そんな話を綴っていたら、

けさ(9月10)の『読売新聞』に

言葉が運ぶ あなたの物語」と題する、

日本語検定 受検者100万人記念対談」の記事。

梶田叡一/日本語検定委員会理事長と、

シンガーソングライターの松任谷由実との対談なのだが、

なんとも抽象的でポイントのない内容。

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梶田「長い間に、日本語は変わってきています。

 乱れと言わざるを得ないのは、

 例えば、若い世代の間のみで通じて、

 ほかの世代には全然通じない言葉遣いでしょうね。

 誤解を生むことになれば、

 変化と言うよりは乱れといった方がいいのかな。」

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松任谷「むしろ積極的に仲間内だけで通じる言葉を

 作っているところがありますね。」

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梶田「例えば『やばい』。昔は『危ない』という意味でした。

 今は感動しても『やばい』、

 非常に注意しなければならない状況も『やばい』で

 多義的になっています。

 仲間内で通じいると思っていても、

 実は誤解を生み出すもとになるのであれば、

 考えものでしょう。」

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松任谷「どういう不快さかを言語化できないと、

 大人になって社会で壁にぶち当たる。子どもの頃は

 『ヤバ』や『キモ』、『ウザ』だけで表現してきたことも、

 そこには複雑な要素がある。自分の中で感情などを

 細かく丁寧に言語化することは、豊かな時間を

 大人になって過ごすための大事な修練だと思います。」

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日本語検定の最高責任者が、

この程度の常識的な見解しか示せないのかと

案じられる。

日本語に限らず、コトバは年月を経て変わるものである。

人間の思考だって、骨格だって、表情だって、

変わるのが当たり前。それが適応である。

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「コトバの乱れ」とはなにか。

若者のコトバと、そうではない者のコトバは昔から違う。

ユーミンが言うように、

「むしろ積極的に仲間内だけで通じる言葉を

 作っている」のである。

人がアイデンティティを獲得する過程では、

仲間意識の確認が必要。

そのようにして、

「違いのわかる人間」に育ってゆくのである。

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「ヤバい」の意味が変わるのを「ことばの乱れ」

などと言っていたら、

われわれはいまも大和時代、奈良時代のコトバを

使い続けねばならない。

「言う」を「言ふ」と書き、

「チョウチョウ」を「てふてふ」と書かねばならない。

いや、それ以前に、

文章は万葉仮名で綴らなければならない。

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ヒトはコトバを「乱す」ことによって

コトバの使い勝手をよくしてきた。

「乱す」動機の多くは「最適化」(カスタマイズ)である。

虹を「きれい」「美しい」としか形容できなかった人が、

あるとき「ヤバい」と言ったとき、

本人にとって、虹の美しさは、

より深く認識されたことになる。

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コトバの「乱れ」とは、

多様性への試行であり挑戦である。

新しい概念を認識し、新しい感性や知性を磨いてきた。

日本語検定に深くかかわる者に求められるのは、

「コトバの乱れ」とは何かを、まず定義することである。

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笑えるのは、こんな発言をしているところ。

梶田そういう意味で、

   言葉にセンシティブでなければいけない

そこでカタカナ語を使う必要ある

敏感であってほしい」「美意識をもってほしい

などと言うほうが伝わりやすくない

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対談の中で「仲間内で通じると思っていても、

実は誤解を生み出すもとになる」と

発言しているではないですか。

「センシティブ」って、一般的日本語?

このコトバ、読者に伝わるのかしら

コトバ、乱していない


つけ加えれば、

この対談は、企画の失敗。

「受検者100万人記念」なのであれば、

記者か、コトバの専門家が

日本語検定委員会理事長にインタビューすればよかった。

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「……とすると、『ヤバい』は本来の意味で使うべき、

ということですか」

「今後、『ヤバい』はどう変わっていくと思いますか」

「日本語のセンスをよくするには、

 どのような勉強をすればよいのでしようか」

などと問いかける。

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あるいは、
ユーミンに、だれかがインタビューをする。

コトバのプロのユーミンと、

名誉職にある心理学者とでは

互いにエラ過ぎてミスマッチ。

「相殺」(そうさい)という日本語、

こういうときに使うのだろうか。

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さてさて、
前述の「……というか」や「なんて言うか」
という流行りコトバの話に戻ろう。
この表現形式、つまりは一発で決めない、
余韻を残しておいて話を引っ張る。
電車が線路上で止まっているトラックに激突したら、
「倒れたというか」なんていう程度の衝撃ではなく、
「吹っ飛びました」でしかなかろう。

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社会環境として見れば、
この国全体が弛緩状態。
平和ボケが言語表現にも現われている、
ということだろう。

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しかし、平和にもストレスはあって、
家庭内暴力とか、いじめとか、あおり運転とか、
身近な弱い者への攻撃とかと、
成果のない、
内部へと向かうモチベーションばかりが高まる。

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精神医学的には、
リスやネズミのように
つねに退路を考えていて、おどおどしている。
1つのことを言うのにコトバを2パターン用意しておいて、
相手によるコトバの適切度チェックから逃れようとする。

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タコやイカのスミのことを
昔は煙幕と言ったが、
海で観察していると、
スミは煙のように広がらず、
むしろ黒いカタマリになって漂う。
そこにだれかがいるように見える。

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それに相手が気を取られているうちに、
自分は姿をくらます。
「……というか」も同様。
2つコトバを並べて、相手の注意力を分散させる。


もう1つの見方は、
モノには多様性があるから、
1つのコトバでは表現しきれないところがある。
科学や深い思考の結果を表わすとき、
「その点は演繹的思考とも言えるし、
帰納法的論法とも言える」
なんという表現をする場合がある。

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「って言うか」のルーツには、このカタチがあるかもしれない。
知ったかぶり、偉そうぶりのことを
「衒学的」(げんがくてき=ひけらかし野郎)

と言うが、「いわゆる」と同様、
「国民総衒学化」現象とでも言ったらよいのか。


しかし、ヒラの「日本語非検定協会」会員は、
これをも「コトバの乱れ」とは言わない。
あえていうなら「コトバの揺れ」かな?
揺れは、しばらくすると収まるものである。

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しかし、コトバには品位がある。
短パンにサンダルをつっかけて
飛行機に乗り込んでくる人間の服装に品位がないように、
「社長、それってヤバくないすか」や
「なんて言ったらいいのか、コトバって言うか、
言語っていうか、ボキャブラリーっていうか、
そのあたりに人間の品格って、出る的に考えます」
には品位はない。

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日本語検定には、
もちろん品位度チェックの審査は

入っているのでしようね。



# by rocky-road | 2019-09-11 01:01 | 日本語力  

「表記・表示学」のすすめ。

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わが地元の路線バスの行先表示に

いきなり新顔の行先が現われた。

「HPSC」と。

日本の停留所に突然、

アルファベット表記が現われたのにはびっくり。

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「どういう意味ですか」

乗客としては当然、運転手に尋ねた。

運転士さんは「わかりません」

「えっ?」である。

自分が巡回する停留所の意味がわからないという。

次の機会にも、

別の運転手に聞いたが、やはり「?」

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昔なら、バス会社の案内所に行って

「社員教育はどうなっているんだ?」と

ねじ込むところだが、

「仏の大橋」となったいまは、

家に帰ってパソコンで検索した。

「ハイ パフォーマンス スポーツ センター」

High Performance Sports Center

の略だという。

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国立スポーツ科学センターの

関連施設が名称変更をしたらしい。

東京のはずれの北区にも、

国際的()な地名(施設名)

いつのまにか生まれたようである。

もっとも、ゲート付近を探索したが

それらしい表示はない。

1施設が、または1バス会社が

地元のコンセンサスもなく

いきなり地名を主張していいものか。

すべてオリンピックのため。

「笑って許して」か。

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話は変わるが、

過日、空港内の書店に寄ったとき、

雑誌の誌名の表記の変化に気がついた。

これも、関係者からすれば

「いまさら」のことかもしれないが、

誌名を、表紙モデルなどによって

いとも簡単にさえぎる流行が真っ盛りなのである。

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わが現役時代には考えられない方式である。

全面に写真を使って、

書名を上にかぶせる(「ヌキ」とか「ノセ」とかという)

方法もあるが、

写真の絵柄と文字とが重なって読みにくくなる。

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そこで写真を切り抜いて(
角版または額縁という)

誌名部分とロゴの部分とを分けて示した。

それでも、「ノセ」のケースにも耐えられるように、

「栄養と料理」のロゴの輪郭線を太くして、

絵柄に埋没しないようにくふうした。

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そういうことに、

こまごまと気をつかった者からすると、

誌名のロゴをモデルさんの顔で覆うなどは

考えられないことである。

読者は誌名で選ぶだろうに。

流行というのは、理屈ではないと、つくづく思う。

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さらに話を進めて、

先日、稲盛和夫氏の著書、

『心。』に関心を示した塾生が少なくなかった。

かねてから、句点の意味について論じているので、

こういう表記に目が行ったようだ。

世界の栄養士のうち、

書名に打たれた「。」の意味について

考察する人はどれくらいいるだろうか。

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などという問題を研究する

「表記学」または「表記・表示学」を

創設してもよい時期かもしれない。

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ちなみに、

来たる825日に行なう、

80回「食ジム」では、

そういう話題も含めて、

「栄養士・健康支援者は

『日本語力』をどう強化すればよいか。」

というテーマで、終日、語り合うことになっている。

(http://www.palmarosa.jp/palmarosa/goaisatsu/index.html)

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# by rocky-road | 2019-08-13 20:26 | 「食ジム」  

絵手紙には心の弾みを描く。

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絵手紙をいつ始めたのか、

記憶は定かでではないが、

1964年にダイビングを始めて

何年か後には、

海から絵ハガキを出すようになった。

朝食前に「ハガキタイム」などと称して

みんなでハガキを書いたりした。

のちにプロのイラストレーターが仲間になった。

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そのうち、

海への旅にはハガキ用紙を持って行って

海で見た魚の絵などを描いて出すようになった。

この習慣は1960年代後半くらいから始まった。

わが「絵手紙元年」はそのあたりか。

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ダイビング雑誌での連載や、

自分の著書にも、

挿絵を描く機会があった。

画家やイラストレーターを志望したことはないが、

絵を描くことは小学生以来、

途切れることなく、今日まで続いている。

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いわゆる「絵手紙」がブームになるのは

1900年代の終わりころからだろうか。

「ヘタでいい、ヘタがいい」のキャッチフレーズが

受けたことと、

筆を上端で持って書くことをすすめ、

ハンドリングを不自由にして、

筆先をよろけさせること、

これが「絵は苦手」とする人にウケたようだ。

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線をよろけさせれば、

だいたいヘタに書けるから

「ウマい、ヘタ」という感覚を忘れさせる。

この流儀が普及したおかげで、

みんなが、共にヘタという世界になる。

これが「絵手紙ブーム」のポイントだろう。

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アマチュアの絵を見て「ヘタだね」というのは野暮だから、

「ヘタがいい」が世間相場となる。

しかし、この流派の作品展を見に行って驚いた。

1000点以上の作品が展示されていたが、

1人が描いたのではないかと思わせるほど似ている。

これでは、少なくとも私信としてはあまりにも没個性。

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さらに言えば、

文章で絵を説明し過ぎておもしろくない。

「絵手紙」の大橋流解釈は、

「絵に文章をつけるのではなく、

文章に絵を添えるのでもなく、

絵と書、そして余白までをも一体とした作品」

ということになる。

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したがって、

文章は時候のごあいさつや絵の説明ではなく、

額装して飾っても耐えられるものにする。

俳句や短歌、詩を書くのも一案だが、

私は、多少はリズムのある散文、

標語でもないし、キャッチフレーズでもない。

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キザに言えば「哲学を書く」だが、

そんなことは思ったとしても

絶対に人には言えないから、

平凡にはなるが、

「心の弾みを描く」とでもしておこうか。

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境地は俳句や短歌、詩と同じだが、

表現に形式はない。

ワンフレーズでパチッとキメる。

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通信文は切手面に書く。

言うまでもないが、

ハガキを横にして描いた絵ならば

切手面の宛名もメッセージも横書きにする

これがわかっていない人が、

なんと多いことか。

(既製品の場合も同じ)

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書画としては、

榊 莫山(さかき ばくざん)さんからは

学ぶことが多い。

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絵と文字のバランス、

つまりはデザイン。

そして字のタッチ。

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莫山さんも筆の端を持つが、

熟練のワザでフラフラしない。

あえてカタカナを使うところが特徴。

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畏れ多くも絵手紙講座を始めたが、

もちろん第一目的は

神羅万象から情報を読み解き、

さらにそれを

絵と文字、文章で自身と、人に伝えること。

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それはコミュニケーション環境を

さらに活性化するはずだし、

人生をより豊かにする。

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そして、

旅がますます好きになること。

旅先から絵手紙を書く楽しさを

持続的に味わっていただくこと。

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講座を受けた人からは、

きっと絵手紙が〝殺到〟するだろうから、

こちらも、

ますます絵手紙の発信頻度が増すことになる。

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# by rocky-road | 2019-07-31 23:15 | 絵手紙  

話し合って、はいジャンプ!!

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「≪コミ研 ひろしま≫ in
 福山 20197

と題するセミナーが終わった。

広島の栄養士の有志が始めた

コミュニケーション研究会も

この721日で5年目・第5クールの、

その4回目の講義が終わった。

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今回は、福山城のすぐ下にある

福山福寿会館。

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こういう由緒のある会場で講義ができる

わが身の幸福を感じる。

当日、和室広間では、

「日韓トップ囲碁対局・鞆(とも)」なるものが
行なわれていた。

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私の講義は

複数の人との話し合いに強くなるには……」
である。

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日本人の会議下手は、

たぶん世界でもワーストランキングに入るだろう

(アジアの国々は同じようなものだろうが)。

民族性だの歴史的なものだのと言って

逃げに入らないで、

ここはトレーニング不足と認識し、

いまから50年以上はかけるつもりで

改革してゆく必要がある。

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会議に入る前の段階として、

3人以上での話し合いがきちんとできるか、

という問題提起をした。

私的な、自然発生的な話し合いが
ちゃんとできるか。

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井戸端会議であれ、
ランチタイムのおしゃべりであれ、

今度行く旅行の相談であれ、

方向性のない、
ただの時間つぶしの話し合いではなく、

そのときどきで、

「見えないテーマ」
「見えないプログラム」を見つけて、

ゆる~く、
その話題を転がしてゆくことができるか。

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司会や座長はいない、

しかし、3人が3人、

そこでの「見えないプロクラム」に従って、

それをふくらませてゆく。

タイトルやプログラムがなくても、

バラケルことなく、

話を進めていけるか。

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近所のだれかが、

バナナの皮を踏んで転んだとか、

息子がスマホ依存症状態だとか、

参院選の投票率が50%を割ったとか、

そういう話の11つを着地させて

(芸人ふうに言えばオチを、

ある程度はつけて)

次へと進んでいけるのか。

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日本人だって、

昔から「話、変わるけどさ……」と言って

テーマ変更を告知する会話術を持ってはいる。

が、全体としてはまとまりが悪い。

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日常的に会話トレーニングをしていないから、

会議ともなると、ますます苦手意識が強くなる。

発言者がいつも決まってしまうのは、

発言者が悪いわけではなく、

発言をしない人が多過ぎるからだし、

そもそも議長や司会が未熟だから、

参加者の発言の整理や撹拌ができない。

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杜氏が飯に酵母を混ぜるように、

話し合いも、話題をじょうずに撹拌しないと

それが全体に行きわたらなかったり

ダマになって固まってしまったりする。

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今回、複数(3人以上)による話し合いの

たいせつさを説いたのは、

言語技術の向上のためという問題以上に、

話し合いは、
高度の思考のプロセスであるとともに、

創造のスキルであることを

認識していただきたいからである。

(3人寄れば文殊の知恵)

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今回、時間がなくて

お話しできなかったが、

以下の話を書いておこう。

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もう5年前になるが、

NHKテレビで、

ディズニー映画『ベイマックス』の

制作裏話を放送した。

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このとき、

映画製作のスタッフが

合議(セッション)をするシーンが

いくつか出てきたが、

3050人が集まっているのに
司会らしき人がおらず、

それでいながら、主人公の心理描写の仕方とか、

すでに出来上がっているシーンのチェックとか、

かなりデリケートな話を

みなが楽しそうに論じ合っていた。

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これが、
会議慣れをしている人たちの話し合いなのかと、

強い印象を受けた。

こういう話し合いができるから、

人類で最初に
月に人を送ることができたのだろうし、

100年以上も世界のリーダーでいられるのだろうと思った。

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以上が、

今回のセミナーに関する補足的な話である。

もう1つの話題は、

発表された宿題の回答を聞いていて、

みなさんの中には公的視点というものが

あまり定まっていないと感じられた、

ということである。

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前回の3月に出題した宿題は、

「おしゃれの私的・公的意義について

できる限り簡潔を心がけて書いてください」

というもの。

これを全員に発表していただいた。

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「おしゃれの公的意義」について、

こんな回答が多かった。

「仲間意識を持つことができる」

「おしゃれはマナーの一端である」

「ユニフォームを着ることで仕事モードに切り替える」

「社会参加意欲を維持する」などは、

まったく見当違いではないが、

個人が社会活動をするに当たっての意義の範囲であって、

社会側からの視点にはなっていない。

軸足が自分であり過ぎる。

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「おしゃれの公的意義」という立場で書くならば、

こんなふうな表現になるだろう。

 

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1.警察官や医師、看護師、客室乗務員、配達業の場合では
  職種を明らかにするとともに、組織や同僚間の規律や秩序を保ったり、

  利用者からの信頼や親近感を得たりするのに有効。

2.職場では整った服装によって
  組織の品位を保ったり、
  作業服などによって作業効率を高めたり、

  セクションや仕事内容を
  把握しやすくしたりする。

3.冠婚葬祭の服装では、

  儀式の厳粛さや華やかさの効果を高める。

4.街やコミュニティの景観や環境を
  美化することによって

  人々の社会に対するケジメ感や愛着を強め、

  それらによって心身の健康度をあげる。

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なお、今回は前日の20日に福山に入り、

城周辺を下見したりした。

福山城は終戦直前に空襲で被災したため、

再建されたという。

その分、城としては真新しく、

燦然と輝いて見えた。

大いに楽しい小旅行であった。

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# by rocky-road | 2019-07-23 01:41 | 大橋禄郎 文章教室  

よい話し合いにはシナリオがある。

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食ジム」第79回は

健康支援者の『話力』をどう磨くか。」であった。

201977日、横浜市技能文化会館)

「話力」というコトバは、

日常的に使われるわけではないし、

辞書にも載っていないだろうから、

座長(高藤法子さん)には、

「定義をしておいたほうがよいのでは?」と

すすめた。

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座長さんは、こう定義した。

 「話力とは、発話の目的を左右する能力、場の状況、

 雰囲気にそった話をする技術。

 話題を提供する能力。その話し方」

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念のために、

私もこういう定義を用意しておいた。

 「発話行動において、その目的(*)、対象者、

 時と場合に応じて、より高い効果を得るための言語表現能力。

 『会話力』はその一部。

  (*)発話行動の目的とは、対話、説得、依頼、求愛、

    座談、スピーチ、会議、討論、司会、講話、講演、

    などがその一例。」

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ここでいう「発話」は、

『広辞苑』にも載ってはいるが、一般的とは言えない用語。

言語学やコミュニケーション論などの専門書などでは

普通に使われる。要するにしゃべること。

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さて、「話力」というコトバは、

身長やエネルギーと同じで、尺度を示すコトバ。

身長170㎝、カレーライス750Kcalなどと

数値が入って初めて判断基準となる。

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「話力」も同様で、
高いか低いを示すことで評価基準となる。

「セールストークは見事だが(話力はあるが)、

スピーチの話力は低い」

などということになる。

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話力の高低は、

シチュエーションによって左右される。

とりとめのないおしゃべりの話力、体力ともにあるが、

旅行や観劇後の感想(報告の話力)を伝えるのは下手、

議論には強いが、世間話は苦手、

などということになる。

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どんなシチュエーションにおいても

高い話力を発揮するという人というのは

ありえない。

声が小さい、ユーモア不足、

問いかけベタ、すぐにカッとなる、

表情がペタッとしていて盛りあがらない、など、

だれにも弱点はある。

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健康支援者、栄養士の場合、

健康相談や食事相談の場での話力が高い人は多くはなく、

(ダメ出し型とか栄養学の押しつけとか)

その底上げが求められる。

養成校でも、

まだ健康相談や食事相談の進め方を

講義にとり入れているところはないか、

きわめて少ないらしいので、

現役の人たちが、

自発的にスキルアップを図りたい、

ということから今回の食ジムのテーマとなった。

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話力強化のために

特効薬のように効くトレーニング法はないが、

その基本は、

手書きで文章を書く機会をふやすこと。

それはスポーツ選手のランニング、

またはストレッチに当たる。

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声が小さい人、表情が硬い人、

口癖がある人については、

詩の音読が有効だろう。

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そして、当たり前だが、

人と話し合う機会をふやすこと。

などと簡単に言うが、

話し合いにもいろいろの流儀があることを

忘れている人が多い。

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表情で表現する、

1人でしゃべり過ぎない、

人の発言を正確に聞く、

相づちを打つ、

問いかけ、確認を忘れないなどは、

どこかできっと学んでいるはずである。

話し合いには、

その現場ごとに生まれる(生み出す)シナリオがある。

その演出力こそが話力名人としての基礎体力。

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来たる721日(日)に、

コミュニケーション研究会≪ひろしま≫

定例のセミナーで、

「複数の人との話し合いに強くなるには……。」

(ミーティングから会議まで)

を講義することになっていて、

いま、テキスト作りの真っ最中。

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3人以上の人と、
スムースに語り合う習慣は、

単に「話力」の強化にとどまるものではなく、

つまるところ、論理性や思考力を強化することになる、

--そういう話になりそうである。

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# by rocky-road | 2019-07-15 23:25 | 「食ジム」  

「お・も・て・な・し」を偲ぶ金沢の旅。

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20182月に急逝された

谷口佳津子さんを偲ぶ、金沢の旅をしてきた。

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石川県七尾市在住の谷口さんは、

当地で「あじさい会」という栄養士の勉強会を主宰され、

その縁で、

わがロッコム文章・編集塾・能登教室を

2013年3月16日を第1回として始めていただいた。

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当初は、空路で能登入りしていたが、

北陸新幹線ができてからは、

陸路で金沢経由し、半日観光をしてから

車で能登に入るのが定番となった。

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「お・も・て・な・し」の心が豊かで、

事前に私の意向を確かめ、

それを基にスケジュールを作って

事前に送ってくださった。

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3日間のうち、真ん中の1日が講義、

最初の1日は金沢(初期のころは能登)、

セミナー終了後は能登見物。

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観光コースには、もちろん「食」と

撮影スポットとが入っていた。

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そうした日々がしばらくは続いたが、

2017年に、能登教室は終了し、

翌年の2月に谷口さんは他界された。

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彼女やその仲間と歩いたコースをたどって、

彼女を偲びたいという思いがずっとあった。

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能登は、遠くなってしまったが、

金沢なら、

ご一緒していただいた笹川真澄さんがおられるので、

彼女にお願いして、

2日間、金沢の街を散策することもできる。

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笹川さんは、いままで歩いたコースをしっかり記録していて、

いつ、だれと、どういうコースを歩いたか、

ときには絵入りで残している。

思い出をたどる旅をご案内いただくのに

これほど適任の方はいない。

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おそらく、わが人生で最後になる

金沢歩きを深く記憶に残すことができた。

金沢の地形が少しは頭に入った。

以後、地図の上でも金沢の旅ができるだろう。

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以下は、今回の旅で撮った写真のあれこれ。

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# by rocky-road | 2019-06-23 23:43 | 大橋禄郎  

栄養士は、認知症予防にどう貢献するか。

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1月と6月の開催が恒例となっている、

パルマローザの

ブラッシュアップセミナー、

6月季の、大橋担当セミナーが終わった

2019年6月9日)。

タイトルは

「人生100年時代だから、

食生活・健康支援、15のシフトポイント。」

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3大生活習慣病」といわれる

がん、心臓病、脳血管障害(現在は肺炎が3位)を、

ある程度は克服することができて、

平均寿命も健康寿命も延び続けている。

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延び続けるのはうれしいが、

次に待っていたのが認知症である。

認知症は栄養障害ではないから(異説もあるが)、

栄養士の出番は少なくなるのか。

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いやいや、

それどころか、

むしろ栄養士の存在理由は高くなる。

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野球は9人のプレイヤーでするものだから、

右打ちバッターが出てきたら、

外野手3人で右側にシフトしなければならない。

かつての「王シフト」である。

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日常茶飯事を通じて、

人々の認知機能を高めたり

認知機能の低下を遅らせたりするのは、

現状では、栄養士ほどの適任者はいない。

ここで求められるのが

栄養士による「認知症シフト」である。

「私はレフトが定位置だから……」

などとは言ってはいられない。

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ところで、

「人生100年時代」とは言っても

現在、百寿者は約7万人というから、

平均寿命が100歳になる日がくるとしても、

10年や20年後というわけにはいかない。

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ちなみに、私が生まれた

1936年(昭和11年)ごろの平均寿命は

46.92歳、女49.63歳とあるから、

80余年で平均寿命が約1.8倍も伸びたことになる。

「人生50年時代」には、

平均寿命がそんなに延びることを

どれくらいの人が予想しただろう?

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とすれば、今後の50年で、

平均寿命が100歳になる可能性を

否定し過ぎないほうがいいかもしれない。

もっとも、人生100年時代は

認知症の人が多い時代であることを意味する。

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厚生労働省の計算によると、

2020年には、認知症の人が700万人になるそうで、

65歳以上の5人に1人が認知症になると見込んでいる。

栄養士に限らず、

健康支援者はこのことを念頭に置いて

今後、仕事をしていかなければならない。

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今回のセミナーでは、

人生100年時代を迎えるに当たって、

栄養士や健康支援者が、

対象者とどう接し、どう支援すればよいか、

ということにポイントを置いてお話しした。

栄養状態をよくするのは当然として、

さらには認知機能を高めるところまで、

守備範囲を広げるときがきていることを強調した。

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ここまでの日本人の平均寿命の延びは、

個々人の意識や努力以上に、

国や自治体、医療機関、地域・民間施設による

ヘルスプロモーション(健康促進活動)に

よるところが大きい。

もちろん、

それを可能にした地政学的な事情もあった。

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いわゆる「平和ボケ」が許される戦後の日本社会では、

少なからずの国民は

「平和」を信仰の対象とし、

つまり願えば叶えられるものと信じ、

(本当の理由をあえて考えず)

「企業戦士」となって働き、

余ったエネルギーを「健康」に傾注することになった。

無責任なライターからは「健康ブームを問う」とか、

無責任な作家からは「健康という病」とかと

遠くのほうから冷笑されてもいる。

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なんと言われようが、

健康長寿は、人からうしろ指を指されるような

やましい思想や行為ではない。

そのことを確認したうえで、

では、今後、健康支援者は

どういうスタンスで

食生活支援や健康支援をしてゆけばいいのか、

そのことについて

15のシフトポイントとして示した。

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1.高齢長寿の意味を正しく理解する。

2.むしろ栄養士の守備範囲を正しく理解する

3.「利他行動」の意味を正しく理解すること。

など、以下、省く。

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要約的に述べれば、

少なくとも健康支援者においては、

「健康」を思想として深め、

それとなく健康についての考え方を人に伝えてゆくこと。

その原則は、

(仕事以外のところでも)

積極的に、より長い間

社会参加することである。

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家族、子や孫にとどまらず、

アカの他人と交わり続けて、

モチベーションを持続すること。

子や孫は20年もすれば自立してゆく。

おじいちゃん、おばあちゃんの認知症は

兆候が出ているかもしれない。

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社会活動へのモチベーションは、

もちろん自発的であることが前提。

つまりは、

以前からの生きがい、

先週から始めた余暇活動に感じる生きがいなど、

あれやこれやの生きがいを持つことである。

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そういう活動には、

創作性や協調性、貢献意欲が伴い、

社会的に有用な人材となる。

個人的には、

モチベーションの更新システムとなり、

健康を支える城となる。

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自分の労力的、時間的、金銭的ロスを受け入れつつも

アカの他人を支える「利他行動」は、

生物学用語になる以前に

仏教用語「利他」として

関係者には使われており、

日本人は格言として

「情けは人のためならず」を知っている。

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「思想としての健康」とは何かと言えば、

「情けは人のためならず」に尽きる。

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健康は、

多様な人と交わることで強化されるものだから、

ヒトとしてのコミュニケーション力と、

人間としてのコミュニケーション力を

同時進行的に備え、強化していきたい。

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「ヒト」としてのコミュニケーション力は

姿勢であり、表情であり、眼力であり、

フェロモンなどなどである。

肯定的な身体コミュニケーション力は、

それ自体が健康環境となって人類に資する。

寝ていても、クシャミの瞬間でも、

建設的な表情を保ってこそ

健康支援者のプロと言える。

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「人間」としてのコミュニケーション力とは、

対面、非対面に適応した

記号・言語コミュニケーション力である。

対面、ミーティング、講話、講演、電話、

サイン、手話、手ぶり、Eメール、ハガキ、手紙など。

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健康は、正確なコトバ、

温かいコトバ、伝わりやすいコトバで語りたい。

コミュニケーション嫌いは健康支援者としてはシンドイ。

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いずれにしても、

栄養士による人生100年時代の健康支援は、

軸足を食と栄養に起きながらも、

コンパスを大きく開いて、

人々のモチベーションを高めること、

自身が生きた見本になることを

このセミナーで強調した。

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たんぱく質やビタミン、

献立や外食について

有用なアドバイスをしてくれる栄養士が

旅行の収穫やゴルフの成績、

介護ボランティアでの出来事などを

問いかけることが多くなることは、

認知症の発症年齢を遅らせることになるだろう。

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2020年を待つことなく、

栄養士は、からだの栄養補給と

心の栄養補給を促進するプロとして

活躍してゆくはずである。

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# by rocky-road | 2019-06-12 23:09 | パルマローザセミナー  

パルマローザ フォトコンテスト 2019  入賞発表。

恒例の栄養士・健康支援者のための写真教室
終わった。

201953日 金/祝日)

フォトコンテストのエントリーが出そろったので拝見した。

横浜の山下公園からレンが倉庫まで、

ゆっくり撮影して歩いた。

写真撮影などのクリエーティブな仕事は、

「勝手を知ったいつものところ」には要注意。

「慣れ現象」によって、
風景を新鮮に見ようとしなくなる。

応募作品を見る限り、
意外なほどバリエーションが少ない。

カメラマンとしては(プロ、アマ関係なく)

砂漠のど真ん中に放り出されても、

なんらかのモチーフを見つけるアィディアが不可欠。

それは人生も同じで、

砂漠のような「平凡な日々」のど真ん中に放り出されても、

心の被写体(モチベーション)を見つけて

作品化していかないと(知的・感覚的刺激または認識)、

つまらない人生になってしまう。

今回も、「銅賞」を最高位とせざるを得なかった。

ハードルを下げたい誘惑に負けそうになるが、

歯を食いしばってでも、

それなりの尺度で選考を続けたい。

タイトルのネーミング力不足は、

この撮影会に限ったことではなく、

日本中のフォトコンテストの99%は幼稚園並み。

しかし、ここも妥協しないで、

よりよいネーミングを求めていきたい。

受賞作品のあとに、

参考作品として、
大橋のショットもご紹介させていただく。

銅 賞

エントリー 3.
タイトル 「帽子をかぶり、横浜散歩」
撮影者 塚本 ゆみ子 (長崎県 特別養護老人ホーム勤務)
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【評】 

ユーモラスな表情をとらえて成功した。

基本どおり、ローアングルで狙ったのがよかった。

遠景の船の煙突を強調するのなら、

ズームで狙って遠近感を狭めるとよい。

そうすれば、余計な背景を少なくすることができただろう。

タイトルの「帽子」はどうか。この表情からすれば「王冠」

「横浜散歩」は不要なつけ足しのフレーズ。

「浜のオンリーわん」で決まりだろう。


佳作

エントリー 5.
タイトル 「アイドル」
撮影者 甲斐 和恵さん (神奈川県 船員保険健康管理センター)

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【評】 

子どもの表情を撮ろうと迫る2人の女性の姿がおもしろい。

瞬時のできごとに素早く反応したセンスを買いたい。

2人のカメラマンと、撮影者。

写真教室での、
みなさんの夢中ぶりがほほえましい。

野暮な指摘ではあるが、

撮影するときは、荷物は極力減らして

より身軽でありたい。

佳作

エントリー 9.
タイトル 「中1の春。人生の目標は高く高く!」
撮影者 影山なお子 (神奈川県  パルマローザ主宰)

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【評】

 「逆バンジー」(と呼ぶらしい遊具)で遊ぶ子の撮影はむずかしい。

動きが速いし、距離も流動的。

この作品は、知り合いの子を追いつつも

構図のおもしろさに着目している。

幾何学的な模様と、イベント会場の雰囲気とを

冷静な作画感覚でとらえている。

タイトルは説明のし過ぎ。
「人生の目標は高く」くらいでいいのでは?

佳作

エントリー 8.
タイトル 「花道の先には……
撮影者 三奈木博文さん (東京都 会社経営)

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【評】

 撮影意図がわからない不思議な写真だ。

砂場で無心に遊ぶ子か、
迷子か、「座敷わらし」か。

出来過ぎた構図、動と静の対比、

静寂の音が聞こえてくるような臨場感など、

なかなか撮らない(撮れない)作品として
注目した。

タイトルからも肌寒さが感じられる。

佳作

エントリー 6.
タイトル 「オーロラをゆく」
撮影者 永野 幸枝さん (千葉県 学校栄養士)
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【評】

 みなで同じ場所から撮った一作。

夕陽を追わずに、停泊船を入れ込んだ構図がよい。

わずかながら、もう少し明るく撮りたかった。

タイトルの「オーロラ」はどうか? 

実際にオーロラを撮ってくる人が多い今日、

夕陽をオーロラと見るのは現場感覚の弱さか。



その他の作品

エントリー 1.
タイトル 「昇っていく」
撮影者 徳本 梨江
さん 
(埼玉県 高齢者福祉施設勤務 栄養士)



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【評】

 春になると、ときどき、こういう人が現われる。

それをスナップショットで押さえた適応力を買う。

が、現場を知らない人には、意味不明の作。

記念写真にはなるが、
「作品」として公開するには弱い。

タイトルには、
怪しい行動をする男の気分が出ている。


エントリー 2.
タイトル 「輝く一輪」
撮影者 塚本 剛志さん 
(長崎県 塚本工務店経営)

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【評】

ワイド系のレンズで寄ったために、 花弁が湾曲してしまった。

色も黄ばんでいて
ホワイトバランスの設定が気になる。

「一輪」を撮るには、しっかり一輪に限定したい。

右下の中途半端な一輪はカットするか、

2輪で美しく撮るか、意図をはっきり持とう。


エントリー 4.
タイトル 「ももいろの夢」
撮影者 塚本 初音さん
 (長崎県 中学
1年生)

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【評】

バラの花とマリンタワーの対比はおもしろいが、

その場合は、
その他のものは思い切って整理したい。

高く伸びた枝や、草むら、左の赤いバラ、

こういうものが入り込むと
画面が散らかってしまって

夢が「ももいろ」ではなくなってしまう。
花の向きにも工夫を。

カメラアングルを工夫すれば、もっとすっきりとできるはず。


エントリー 7.
タイトル 「夕暮れの引き寄せ力。」
撮影者 奥村 花子さん 
(東京都 
Hanaヨガ&食スタジオ主宰)

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【評】

夕景をきれいに撮っているが、インパクトが弱いかな?

同じポジションからでも、ズーミング(絵の切り取り方)、

露出などを工夫することで個性は出せる。

タイトルで謳っているように、

「引き寄せ力」を発揮していただきたい。

それにしても
スルメみたいに乾燥したネーミングだ。

エントリー 8.
タイトル 「横浜ジャンプ、スタンバイOK!」
撮影者 三奈木麻弓さん(東京都 行政栄養士)

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【評】

わが子の記念すべき瞬間をいいアングルでとらえている。

係員の表情もいい。

フォトコン作品とするには、もう少しインパクトがほしい。

充分なキャリアからすれば、もっとユニークな撮り方があるはず。

タイトルもダラダラと長すぎる。
ビシッと決めよう。

参考作品(撮影/大橋禄郎)

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一輪の撮り方

   

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おじさんコスプレみなと


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 神の所在

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 潮風の通り道

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一期一会                                 
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ゴールデンタイム
 
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# by rocky-road | 2019-05-19 22:18 | 写真教室  

孤独は、そこまでわがままである。

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読売新聞の51日の「人生案内」に、

意味の深い相談記事が載った。

投書者は90歳代の女性。

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「十数年前より念願の一人暮らしになり、
極上の孤独を楽しんでおります。
特に一人の食事が好きで、
歯が悪いせいもあり、
長い時間をかけて味わい尽くしております」


「足腰の痛みや苦しみを差し引いても、
すべて自分の思うがままに物事を進んでいろるという
素晴らしさは至福の極みです」

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このように、

自分のライフスタイルに対する誇りと自信を

全体の約75%の文章を使って綴っている。

万々歳の生き様かと思いきわ、

終わりの8行で、こう結ぶ。


「ただ、人間としてこの世に生を受けた限りは、

一般に推奨されているように、

医療の恩恵にあずかりながら、

一日でも長く生きなければならないものなのでしょうか」

(和歌山・Y子)

これに対する回答者の作家は、

内村鑑三(宗教家、評論家)による

『後世への最大遺物』と題する講演から

こんな発言を引用している。

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「お金もない、
手がけた事業も名声もない思想もないという
普通の人でも後世に遺せるものがある。
それは人に恥じない、まじめな生涯を送ることである。
そしてこの世は楽しい世であったと語ること、
これはだれでもできる」


そして、回答者作家自身は
こんなコトバで絞めている。
「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう、
そのような気持ちでこれから日々過ごされることを
願っています」
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かねがね、孤独の経験がないどころか、
むしろ日本で、もっとも孤独ではいられない
売れっ子作家の一部の人が
「孤独のすすめ」だの「極上の孤独」だの
「夫婦という他人」だの「元気に下山」だのと、
無責任な言説によって
稼ぎまくっている現象を危ぶんでいた。
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予測どおり、
今回の人生案内に投稿するような
「極上の孤独」にそそのかされている人が
やはり、いたのである。

どの本も、何十万部も売れているそうだから、
投書者のような心境になる人は少なくないだろう。

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「いい歳」になっても、
人間や生きることの意味が

わからない人はいるものである。

そもそも、「孤独もの」の作家や、

人生案内の回答者である作家たちが

ここまで人間がわかっていないものかと、

あきれるばかりである。

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内村鑑三は、

金や事業、名声、思想もない普通の人でも

「人に恥じない、まじめな生涯を送ること」

「この世は楽しい世であったと語ること」と
言ったそうだが、

「人に恥じない」や「まじめな生涯」の解釈は

そう簡単なものではない。

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「まじめな生涯」とは、

単に反社会的な行動をしない

というような浅い意味ではあるまい。


内村が言う

「この世は楽しい世であったと語ること」も、
「まじめな生涯」の要件であろう。

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ドイツ人哲学者で日本在住の
アルフォンス・デーケン氏(上智大学名誉教授)は、

人生の後半は「お返しの時期」だと言った。
自分が祖先や先輩から知識や技術を学んだように、

晩年は、それを後輩に伝えることが仕事だ、と。

いわば「借り」を返す時期である。

「極上の孤独」を提唱したり、

それにそそのかされている人は、

「持ち逃げ人生」「借りを踏み倒す人生」を

臆面もなく「極上」だなどと抜かす。

その挙句は、数百万の読者を持つ大新聞に投書して

しかるべきアドバイスを求める。

「甘ったれるな!!」と、

難聴の耳に口を当てて叫んでやりたい。

「孤独とは、

そんなふうに人に頼るのではなく、

自分で考えて、

自分の道を進むのではなかったのかね。

90年間、お主は、なにを考えてきたのか、

できもしないくせに、突っ張るんじゃねぇ」

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「一般に推奨されているように、
医療の恩恵にあずかりながら、
一日でも長く生きなければ
ならないものなのでしょうか」だと?

だれがそんなことを言った?

「極上の孤独」を楽しみ、

「至福の極み」とまで言いきる人間が、

いまさら「一般に推奨されている」などと

世間を持ち出して、

自分の生き方を人に決めさせるなよ。

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生物学で言う「共生」とは

「異種の生物が緊密な結びつきを保ちながら

一緒に生活すること」だが、
共生にも
「片利共生」「双利共生」「寄生」がある。

アニメ映画で知られた「ニモ」、

すなわちクマノミという魚は、

イソギンチャクと共生し、

クマノミは外敵からの隠れ家とし、

イソギンチャクは、

自分に付着する汚れなどを

除いてもらっているから

ともに利益があるという意味で

「双利」(そうり)の共生という。

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人間の腸内細菌は、

双方にメリットがあるという点では「双利」だが、

水虫菌と人間との関係は、

水虫にとっては「片利」的である。

ただし、同種同志、

人間同士の共存関係は「共生」と言わず、

「仲間意識」とか「協調」とか「協働」とか

「ネットワーク」とかと言う。

かつて、最終学校卒業後も親の家に居座り、

いつまでも育った家から出て行かない若者のことを

「パラサイト・シングル」などと言った

(パラサイト=寄生虫)。

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「極上の孤独」を享受する人は、
パラサイトとは真逆の生き方を

しているように見えるが、

社会の側から見れば、

なんの還元も貢献もないまま、

孤独ぶっているわけだから

とても「共生」とは言えず、

とすると、けっこうパラサイト的ではないか。


回答者の作家は、

回答のまとめとして

「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう、

そのような気持ちでこれから日々過ごされることを

願っています」

と書いているが、

「極上の孤独」を決め込んでいる人間のどこが、

「世の人の手本になられるよう」なのか。

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甘やかすのもいい加減にしてはどうか。
そんな人間を手本にしたら、
人類は遠からず絶滅するだろう。
前にもこの欄で書いたが、
家族ではなく、
アカの他人に貢献する「利他行動」を
日本のことわざで説明すれば
「情けは人のためならず」である。

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こういう高度な社会的活動は、
人間に至って身についたものではなく、
体重わずか4050gのチスイコウモリにも
見られる行動だという。
『進化と人間行動』(長谷川寿一、長谷川眞理子
東京大学出版会発行 20004月)

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中南米に住むチスイコウモリは、
夜中に活動して、
野生動物(近年は飼育動物)に近寄っては、
じかに皮膚を噛んで穴をあけ、
舌で血液をなめたり吸ったりする。
相手に気づかれぬよう、
麻酔液を出して注入するという。

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食事が終わって洞窟内の巣に帰ったとき、
老いた個体や若い個体は、
うまく血が吸えず、飢餓状態になっている。
すると、血を吸うことができた個体は、
飢えた仲間の口に血を吐き戻して
「お裾分け」をする。

チスイコウモリの世界では
「極上の孤独」などは許されず、
家族以外の相手でも、
生命の危機を救い合って進化してきた。
人間もチンパンジーもゾウも、
その他の哺乳動物の多くは、
そういう「利他行動」を習性として持っている。

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こういう話を思い出すと、
新聞社としては、
人生案内の回答者の人選を
根本から見直す必要があるだろう。
この欄では、精神科医や哲学者、
作家などが回答をしているが、
適材適所とは言えない。

専門性の問題というよりも、
人間または人生についての洞察ができていない。

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さらに、回答者には「ぶりっ子」傾向があり、
バカな質問者をどやしつけることはまずない。
それは親切であるかのように見えて、
結果的には冷たい。
いつの日か、
食コーチング型栄養士が回答者になると、
少しは状況がよくなるかもしれない。


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それには、
文章による回答力をつける必要はある。
作家でも、
「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう
などという窮屈な表現をするのが現状だから。

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ところで、
NHKの「マイあさラジオ」という番組の、
「くらしテキスト」というコーナーで、
三好春樹という理学療法士が
高齢者施設に入る人の注意点として
次の3点をあげていた。

「私物を持ち込むこと」

「人間関係を維持すること」

「生活習慣を変えないこと」

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かねがね私は

「物質は情報を持つ記号でもある」

と言っているが、

現場を知っている人の見解は、

さすがにリアリティがある。

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人間の一生とは、
過去、現在、未来が

糸引き納豆のようにつながっているものである。

「断捨離」だの「極上の孤独」だのという人生は、

粘りのない納豆のようなもので、

食品としての存在価値は半減以下となる。

「健康」や「健康寿命の延伸」が

人生の目的ではないとすれば、

「よい人間関係」の維持・発展は、

人生の目的の1つになるであろう。


糸引き納豆が嫌いでも、

人のネットワークを大事にすることは

一人ぽっちを「至福のとき」などと言っているよりも

「一般に推奨される」はずである。

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# by rocky-road | 2019-05-07 21:24 | 大橋禄郎  

なぜか気になる「いわゆる」

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このブログの「記事ランキング」では、

2012年8月に書いた
「『いわゆる病』にご用心。」

つねに上位にランキングされている。

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電波メディアでは、

毎日のように「いわゆる連発症」

というべき事例を確認できるが、

自分が、これまでつき合ってきた人の中には、

この症状の人は皆無だから、

「いわゆる病」がなぜランクインするのか、

その理由を推測できない。

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この話題に初めて接する人のために

少しおさらいをしておこう。

「いわゆる」とは、

「世間で言われている……」

「俗に言う」というのが本来の意味。

昔は「所謂」と書いた。

「いわゆる『働き方改革』のとばっちりで……」

「いわゆる『激レア』な人物なんです」

「いわゆる『自分らしく』っていう生き方ですよ」

などと使う。

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ときに、

相手があまりなじんでいないかもしれないコトバに

「いわゆる」をつけて

注意力を促すこともある。

「いわゆる『学際的』に協力し合っていますよ」

「いわゆる『言語本能』を刺激する意味でもね」

このほかの使用例では、

「いわば」に近いニュアンスで、

「いわゆる『風前の灯』ですよ」

「いわゆる『自然消滅』かな?」

というケースも少なくない。

このコトバの禁則は、

あとに「という」をつけること。

「いわゆる『働き方改革』というヤツのとばっちりで」

「いわゆる『自分らしく』という生き方ですよ」

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「いわゆる」には、

すでに「言うところの」という意味があるから、

それに「という」をつけると、

二重に「言う」を使うことになる。

これほど野暮な使い方はない。

さらに困惑するのは、

「いわゆる」で話し始めながら、

しばらく言いよどんで

「いわゆる……なんていったらいいのか……」

これをやる人間は、

かなりのお調子者と考えてよい。

(バカ野郎!! 最初のコトバも決まらないうちに

『いわゆる』なんて、もったいぶった言い方をするな!!)

もう1つの、超禁則使用例は、

特別の意味がない一般名詞に「いわゆる」をつけて、

「いわゆるパソコン」「いわゆる満月」

「いわゆる幸福」「いわゆるコトバのクセ」

などとやること。

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上の写真は、「平成最後の満月 419日深夜」

これらの誤用は「うっかりミス」では済まない、

野暮、能天気、はったり屋などが丸出しとなる。

とはいえ、実際には

これらは、あらゆる局のラジオ、テレビ出演者が

毎日のように事例を見せてくれる。


この種の実例に触れたい人は、

TBS系テレビの「ひるおび」のキャスター・恵某、

ラジオならこの3月末に放送終了した

「荒川強啓 デイ・キャッチ!」にレギュラーで出ていた

国際ジャーナリストと称する小西某、

日本テレビ系なら「ミヤネ屋」のメインキャスター。

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国際ジャーナリストの場合、

国際会議の同時通訳をすることを売りにしていたが、

ここまでセルフコントロールの効かない男が

正確な同時通訳なんかできるのか、

大いに怪しんだものである。

2人のテレビキャスターのほうは、

ともに「急性期」は過ぎて、

その頻度はだいぶ減ってきてはいる。

ところがつい最近、「ひるおび」で

ボード解説を担当していた若いアナウンサーが

シールをめくりながら、

突然「いわゆる」を頻発し始めた。

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ここに、このコトバを使う言語心理が見事に現われている。

「クセ」(癖)には「やまいだれ」がつくが、

厳密に言うと、

「いわゆる」の頻発は、

「あのォ~」や「え~と」などのように

うっかり出てしまうクセとは違って、

もう少し自覚的、確信的である。

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したがって、罹患者に対する同情はまったくご無用。

それどころか、その小心ぶり、

衒学性(げんがくせい=ひけらかし根性)、

品性の貧しさなどについて、大いに突っ込んでよい。

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いつも原稿を読むくらいのアナウンサーが、

フリートークで話ができるようになると

(実際には、パネルに従って話しているだけなのだが)

急に自分が偉くなったように錯覚して

無意識的に自分の立場をひけらかし、

視聴者に対して上から目線で「いわゆる」とやる。

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人のコトバの癖を論う(あげつらう)のは

あまりよい趣味ではないが、

上記の事例は個人的な「クセ」というよりも、

マスメディアという公器を使っての

国語の汚染だから

環境問題として認識する意味はある。

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それでなくても、

「注目を集める」「真摯に受け止める」

「多岐にわたる」「だから戦争はいけない」

「先行きは不透明」「しっかり対処します」

「忖度する」

などなど、

マスメディアや政治家からは、

空虚で、手アカのついたコトバを

ずいぶん刷り込まれているはずである。

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マスメディアには、

正しい情報を送ることと同等に、

正しい国語を使う責任と使命がある。

「コンプライアンス」とか「ガバナンス」とかは、

組織の弱点を指摘するときの

専用用語のようになっているが、

メディア自体、

こういうコトバづかいを平然と続けるのは、

まさしく組織のガバナンスに

問題があるからだろう。

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おもにテレビ、ラジオが振りまく、

不適切国語に感染しないためには、

その大小にかかわらず、

指摘したり、警告したりすることが

今後も必要だろう。

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そうか、

この「いわゆる」関連ページが、

もう少し「記事ランキング」の上位に

いてもらう意味はあるのかもしれない。


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# by rocky-road | 2019-04-25 23:42 | 大橋禄郎 文章教室