栄養士は、どこまでイニシアティブをとれるか。

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恒例のパルマローザ・新春セミナーが終わった。

(2020112日(日)かながわ エルプラザ)

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タイトルは

「日本人の健康支援を、栄養士が

主導するためのアクションプラン。」

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内容は以下の項目。

1.栄養士が日本人の健康支援を主導したい、これだけの理由。

2.健康支援を主導するために基本となる準備性。

3.健康支援を主導するための社会的行動。

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日本は世界でトップクラスの長寿国だが、

「それはなぜか」と言えば、
1つには地政学的条件。
気候が温暖で、干ばつや冷害が少ない。

水害や地震によるダメージは小さくはないが、

長い歴史の中で見れば、その頻度は限定的で

平均寿命を左右するまでには至っていない。

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文化的、経済的、政治的には、

医療水準が世界的にも高く、

経済的には経済大国の地位を保っているし、

政治的にもきわめて安定。

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文化面では、

東アジアの米食文化圏にあって、

しかも、一汁三菜とか季節感とか、

「いただきます・ごちそうさま」の習慣とかの、

結果としては心身の健康を支える

多くのシステムを生み出している。

これらは道徳的、教育的なレベルを

反映したものであろう。

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俯瞰的に見ればそういう解釈になるが、

人為という点から見れば、

なによりも高い教育効果として

健康意識が高い国民であること、

各人各様に

自分の職場で最善を尽くす人の割合が高いこと、

などにによって、

全国民が直接、間接に

日本人の健康維持・向上に貢献している。

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つまり、

日本人の健康は、

「健康支援者」だけに支えられているわけではなく、

一次産業から三次産業まで、すべての職業、

そして、ここに住むすべての個々人によって

支えられているということになる。

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職業的に見た場合には、

社会の健康教育の面で、

栄養士は、このところ自分の専門分野を

あとからやってきた一部の医師に

少なからず荒らされている。

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「ゴボウ茶を飲むと20歳若返る」とか、

1日3食をやめなさい」とか、

「白米をやめなさい」とか、

栄養学の基礎ができていない医師に

好き勝手な珍説をバラまかれている。

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「荒らされている」と言ったが、

職業的な専門分野を奪われるということより、

フードファディズム(食のまやかし情報)

日本中にバラまかれている

という点が問題であり、

ドクターごときに、そこまで言わせておいて、

この分野のプロとして責任を感じないのか。

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少なくとも食や栄養に関する情報提供は、

栄養士がイニシアティブをとる必要がある、

というのが、今回のセミナーのコンセプトである。

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ただし、相手は医師だけではない。

というよりも、

元凶は医師ではなく、マスメディアである。

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医師がマユツバ情報を

メディアに売り込んでいるとは思いにくく、

むしろテレビや版元が企画をし、

そのプランを、

引っかかりやすいドクターに持ちかけている、

というのが実態であろう。

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栄養士は、書けない、しゃべれない、

一見、論理的に思えるデタラメを

振りまくだけの勇気がない、

などなどの理由があるにしても、

対岸の火事のように感じていては

職業的責任は果たせない。

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フードファディズムのバラまきを

放っておくことは、

箱の中に隠れた容疑者を、

missmiss国外逃亡させてしまったことによる

ダメージなど問題にならないくらい

国民的には損失が大きい。

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その対策をいくつかあげた。

なによりも本人が見た目も健康であること

思想、人生観、表情、姿勢、
歩き方、身だしなみなどの点で。

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さらには、

いつでもスピーチや講演に応じられるように

トレーニングをしておくこと、

そのためのテキスト作りの準備性を高めておくこと

(パワーポイントにおんぶに抱っこの講演はしない)

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あるいは、テレビ出演のときの心得、

同意できないコメントをするように

求められたときの対処法など、

いくつかのポイントを示した。

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要は、メディアを使って社会的発言ができるように

自分を思いきり鍛えておくこと。

医師にしても、

養成中に社会的発言法を学んでいたわけではない。

社会に出てから見つけるスキルである。

依頼があってからの対処ではなく、

日頃から準備性を高めておくこと、

そのポイントを示した。

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さて、受講してくださった人たちが

ピカッと光る食情報を

メディアで披露する日はいつか、

楽しみは10年後か、50年後か、

いやいや100年後か。

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13日は、有志の方々と

「ルノワールと パリに恋した

12人の画家たち」を横浜美術館で鑑賞した。

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ルノワールの作品以外の

当時(1800年代中期以降)の画家たちの作品を

少しずつ見られたことを喜ぶか、

ルノワールの作品が少なかったと悲しむか、

画家たちの作風(うまいヘタ?)の多様性を感じるか、

各作品に付してある解説文の

なんとも味けのない文章を分析するか、

作品よりも解説文にクギづけになる

入場者の、絵ではなく文章の鑑賞力に

感心するか、

美術館にもいろいろの楽しみ方がある。

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その前後の写真も掲げておこう。

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# by rocky-road | 2020-01-14 23:31 | パルマローザセミナー  

押しても引いても動かすセンス。

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2019年1222日(日)に行なわれた

食ジム」 第84回

『「あと押し型リーダー」のセンスとは。』

考えることの多いテーマであった。

(座長/影山なお子さん、アドバイザー/大橋。

横浜市技能文化会館)

改めてこの問題を考えて、まとめておこう。

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プログラムは以下のとおり。

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1.これまでの人生で、私をあと押ししてくれた、

  あの人のあのコトバ、あのアクション。

2.「ひょっとして、あの人を

  あと押ししたことになるかもしれない」と思える、

  あのときの私のアクション(問いかけ、ほか)

3.健康・食事相談のときに「ひっぱり型リーダー」

  として役割を果たしたあのとき、あの場面。

4.「引っぱり型」と「あと押し型」の

  リーダーシップを発揮する、時と場合。

5.「あと押し型リーダーシップ」のセンスアップのためには、

  どんなトレーニングが必要か。

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辞書で「リーダーシップ」を検索すると

「①指導者としての地位または任務。指導者。

 ②指導者としての資質・能力・力量。統率力。」とある。

そして「リーダー」を「①指導者。先駆者。先達。首領」

としている。(広辞苑)

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どこの国のコトバでも、

リーダーは指導者であり、率先垂範者であり、

先駆者であり、先達である。

これらは要するに「引っぱり型」。

このコトバから、ベビーカーを押す人のカタチ、

「あと押し型」をイメージする人は少ない。

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リーダーと言えば、大統領であり首相であり、

将軍であり、議長であり、監督であり、

社長であり、部長であり、家長であり、

先生であり、親である……、

そのリーダーに従う人にとって……。

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食事・健康相談やカウンセリングの場合、

「このようにしなさい」

「そんなことをしてはダメです」

という指示や断定、禁止を極力控え、

まず相手の考え方や現状、そして背景を

確かめるというプロセスをたいせつにする。

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従来の「ダメ出し食事相談」の場合は、

率先垂範型(模範を示したり指示したり)であって、

未熟な担当者の中には、

いわば舞いあがって、

相談者に対して高飛車に出る者が少なくない。

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「こういう姿勢はよくない」

という注意が行き届いたせいか、

「引っぱり型リーダー」は、

敵役みたいに敬遠されがちになった。

しかし、「引っぱってはいけない」

とまで考えるのは誤解である。

そして、

引っぱり方にも無限のバリエーションがあることを

見落とすべきではない。

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たとえば、

こんな問題を考えてみよう。

 「次の3つの食品のうち、

 いちばん太りやすいのはどれでしょう?

 ①砂糖 ②カシュ―ナッツ ③バター」

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この設問をした栄養士は、

いま、ゆるやかに対象者を引っぱっている。

食品を3択から1つを選ばせる、

という設定は、

ほかならぬ栄養士のリーダーシップである。

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と同時に、相手の判断力を引き出すという点で

「あと押し」的でもある。

それは、ベビーカーを押している母親が、

「ケンちゃん、公園と桜川と、ワンちゃんのお店と

どこにいちばん行きたい?」

と尋ねるパターンと同じである。

相手の意志を尊重する、という点で

「引っぱり」的ではなく「あと押し」的である。

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さて、①砂糖 ②ピーナッツ ③バターに戻ると、

「③でしょう」と答えた相談者は、

栄養士から「ブー」と、外れの信号音を出される。

「えっ? じゃあ、やっぱ①か」

「ブー」

「えっ? えっ? まさか②ではないでしょ?」

「ブー」

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栄養士は言う。

「食品のエネルギーは、食べた分だけ高くなります。

食べる量がわからない状態では、

『どれが太りやすい』とは言えないでしょ?」

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「……てことは、全部間違い? 

そんなのズルい!! やだぁ~」

「いや、どれでもないって、いうことです」

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この状態は、

押しながら引っぱっている「超リーダーシップ」。

ここで相談者が興味を示せば、

1日にとりたい食品の種類と量を

4つに分けて説明することになる。

ダイエットは、そこからである。

その瞬間、栄養士はベビーカーの前に立って

引っぱることになる。

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つまり、リーダーシップとは、

いつも引っぱることではなく、

いつもあと押しすることでもない。

日本語では、

どうにもならない状況のことを

「押しても引いても動かない」と言うが、

リーダーシップとは、

押したり引いたりして、相手を動かすことである。

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「引っぱり型」と「あと押し型」は

東と西のように向き合う関係ではなく、

砂時計のように上下が逆転したり、

カクテルのようにAとBが

瞬時に、不規則に混ざり合ったりするものである。

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食事・健康相談やカウンセリング、

コーディネートにおけるリーダーシップとは、

砂時計とカクテル(シェーカー)を駆使する話力である。

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しかしそれは、

日常会話とはかけ離れたスキルではなく、

日々の生活の中にあって、

周囲の人をよりハッピーにしてゆくスキル、

いや、ハッピーを願う理念であろう。 

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# by rocky-road | 2019-12-28 23:21 | 「食ジム」  

忘年会を満喫する健康とは……。

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NHKラジオの夕方の番組で、

「忘年会シーズンに太らない対策」を

栄養士を招いて、

2人の男性(1人はアナウンサー)が

尋ねていた。

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若い栄養士、いわく。

「ビールはたくさん飲んでしまうので、

アルコール度の高い、蒸留酒を

ちびちび飲むとよい。

お料理は、大皿に盛ってあるものでも

じかに食べないで、小皿に自分のものを取り分けて

ゆっくり召しあがるのがよい」

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かつて(30年以上前)、

自分が編集する雑誌でも、

忘年会やお正月の食べ過ぎ・体重増加対策を

記事にしたことがあるから、

あまり偉そうなことはいえないが、

いまだにこの手の話が、

公共放送の企画になる現実を知った。

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「人生100年時代」などといわれるようになった今日、

こういう企画は

火だねのうちに完全に消火させる必要がある。

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まず、「忘年会対策」や

「正月対策」なんていう発想を抑止する。

年に一度の楽しいシーズンに

体重増加のことを考えているようでは、

愉快な「人生100年」なんて送れない。

泥酔癖のある人や、

自宅が遠方な人、

医師に食事に関する注意を受けている人などを除けば、

同僚や仲間たちとの宴席は、

思いっきり楽しめばいいではないか。

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こういう「うしろ向き企画」を

持ちかけられた栄養士は、

2度や3度の食事会くらい

大いに楽しめばいいじゃないですか。

肥満と忘年会とはなんの関係もありません。

大事なのは、1週間単位、1か月単位、

1年・3年単位の食生活のほうじゃぁ

ありませんか

と対応してみてはどうだろう。

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その瞬間、この企画は流れる可能性が高く、

したがって、自分のラジオ出演もお流れになるかも。

それを避けたいので、

栄養士は迎合して(?)、

「お料理は小皿に取り分けて……」などと

宴席がシラケること明らかな、

非現実的な提案をする。

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食生活ってそんなに窮屈なものなのかね?

仲間との心からの交流を押さえてまでも

自分のウエートコントロールを優先させる。

そんなセコイ「人生100年」を

栄養士はすすめるわけ?

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いま、令和2年1月12日に開催予定の

パルマローザ新春セミナー

「日本人の健康支援を

栄養士が主導するためのアクションプラン」

(大橋担当)のテキストを作成中だが、

現在の、医師が主導する健康論を

栄養士が取り戻すには、

上記のような迎合的で弱腰の姿勢では、

日本人の食のセンスは、とても向上しない。

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単にハッパをかけるだけでは
状況は改善されないだろう。
まずは「人生100年」の意味について理解を深めること、
そして、現実的で骨太の食生活論を持つこと
(栄養素論ではない!!)、
次には、その情報を遠くへ飛ばすこと、
つまりは情報発信力をつけること。

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最近、各地でイベントを主催する人が
「発信していきたい」をよく口にするが、
祭をやったり、魚や野菜の市を開いたりするだけでは
情報を発信したことにはならない。
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どんなイベントも、
コトバで補足したり、解説をしないと
発信力も、持続力も弱い。
つまり人の共感を呼ばず、
そしてすぐに忘れられる。

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セミナーでは、
「情報化」のスキル、
情報を遠くに飛ばすスキルについて
いくつかの提案をしてみたい。

それはそれとして、
クリスマス、忘年会、新年会……の
シーズン、
「チマチマ食生活」から脱皮する
チャンスである。

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# by rocky-road | 2019-12-20 18:24 | 忘年会と栄養士  

「話力」は、あしたを生み出す。

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「食ジム」第83回のテーマは、

「男性の健康意識を高めるには、

どんな『話力』が必要か。」

であった。

20191124日(日)、

横浜市技能文化会館)

座長、三上 聡美さん

アドバイザー 影山 なお子さん、大橋。

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プログラムは、

1.男性(親、兄弟、夫、友人、同僚、クライアントほか)を

  喜ばせた(怒らせた)あの一言――あるある「話力体験」

2.家族や、その他の男性の健康観や食習慣などについて

  「男って、ここが違うな」と思ったこと、思うこと。

3.食生活や健康習慣に関して、「この人、私の手には負えない」

  と思った事例(私生活、仕事の場などで)。

4.男性の健康意識、食習慣を改善・向上させた私の経験、

  私の流儀。

5.男性の健康意識や食習慣を向上させるための話力強化法、

  その傾向と対策。

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このテーマを選んだのは、

男性の健康意識が女性に比べて低いこと、

食事の選び方に不得手な人が多いこと、

食事相談を受けるとき、開き直ったり、

専門家のアドバイスを聞かなかったり、

言い訳や反論が多かったり、

決めたことを実行しなかったりする傾向があること、

そして、

そもそも男性は、女性より平均寿命が短いこと、

などなどの事情によるものである。

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実際、みなさんの体験を聞いていると、

お酒を飲んだあとラーメンを食べる、

食事を抜いても気にしない、

ことさら脂ものを選ぶ、

などというケースもあるが、

その一方で、

「いつ死んでもいい」とよく言う父が、

毎日、卵を1個、きちんと食べている、

などという涙ぐましい現実もある。

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つまり、家族や食事相談、病院の現場で

じかに男性と接している人たちの報告によると、

かつて私が体験してきたような

暴飲暴食型や、

人に酒を強要するようなタイプの男性は

激減しているということか。

平成から令和に至る過程で

食習慣や運動習慣から見る限り、

男性の健康意識はかなり高まっている、

と、見てよさそうである。

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下には下があるから、

みなさんが接している男性は、

平均的レベルよりは高い人であるのかもしれない。

そういう傾向はあるにしても、

全体としては、

さすがは世界の長寿国に住むニッポン男子である。

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ところが、

以下のような人も少なくないと言う。

それは食事相談において、

ほとんど意志を表明しないだけでなく、

生活習慣などについても、

疑問や迷い、不安などを示さないタイプ。

「まあまあ、です」

「別に問題はありません」

「そうですね」「はい、そうします」

などと、まったく逆らわない。

「暖簾(のれん)に腕押しタイプ」とでも言うのか。

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かつては

「飲みたい酒も飲めないくらいなら、

好きなだけ飲んだり食ったりして、

死んだほうがマシ」なんていうタイプが

少なくなかった。

が、現場の栄養士さんは

「死にたい」という人には、

まだ「取りつく島がある」とのこと。

暖簾に腕押しタイプには、

かつては、腕利き(?)栄養士さんが

「はっきりご自分のお考えをおっしゃってください」

「そこんとこ、どうなんですか、わかっています?」

なんて、上から目線で迫ったりもした。

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いまは「ほめる」時代だから、

叱ったり諭(さと)したりすることは

少なくなった。

「私の言うこと聞かないと、

1年後にはあの世ですよ」

「いまは医療が発達しているから、

ベッドの上で5年でも10年でも

過ごすことになるんですよ!!」

などと言う医療関係者は、

皆無になったか激減したかであろう。

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しかし、

諭したり注意したり、

叱ったりすることも、ときには必要か。

と言って、

孫の年代が、

おじいちゃん、おばあちゃん年代のクライアントを

諭したり注意したりすることは

現実としてむずかしい。

とすれば、

お説教口調にならない新しいスキルを

開発する必要を感じる。

日本では、

神を応援に引き出すことはしにくいから、

別の情緒や情報をよりどころにして

説得する方法を考えねばならない。

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ロボットにお願いして、

「♪ ダメ、ダメ、アー、ダメよ、ダメよ、

SOSSOS、ほらほら呼んでいるわ、

きょうもまただれか、〇○さんのピンチ♪」

などと歌ってもらうか、

食コーチングが

諭しと説得の「話力」を開発するか、

人生100年時代は、ますますおもしろい。

いずれにしろ、

食事相談、健康相談は

新知識を伝えるだけの場ではなく、

モチベーションアップ、

言い方を変えれば、

モチベーションを注入する場となっている。

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この話につなげて言えば、

過日、東京で開催された

「第40回 世界健康フォーラム 2019・東京

――人生100年時代の生き方上手――」

いうイベントを受講した。

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複数の医師やアスリート、冒険家などによる

講演やシンポジウムの会であったが、

ここでの結論は、

栄養、日本食、野菜や大豆製品も魚の効用、塩分制限、

そして運動、若いうちからの病気予防などであった。

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その結論は「健康の3大要素」の範囲。

「人生」というコトバを使うとなれば、

健康を「健康の6大要素」(ストレスコントロール、

よい人間関係、生きがい)で考える必要があるが、

ここでの中心話題は、身体の栄養補給の話止まり。

心の栄養(よい人間関係、生きがい)に関しては

主催者、講師ともに

視野には入っていないことがわかった。

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1000人の大イベントと、

20人の食ジムとでは、

話題の鮮度において

少なくとも50年の開きがあるのを実感した。

念のために言うが、

食ジムは、現在からあしたに向けて

話し合っているのに対して、

くだんのフォーラムは、

いまから50年前を歩いているのであった。

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人生は、生きる目的を持ち、

その意義を感じている人のものである。

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# by rocky-road | 2019-11-27 23:48 | 「食ジム」  

公共放送の日本語力。

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1110日の「祝賀御礼の儀」を

NHKテレビの実況放送で見ていたら、

原稿のない、フリートークをするときの

アナウンサーの日本語力の弱さを

改めて実感した。

両陛下を沿道でお迎えする人たちは、

事前に手荷物検査を受けて

沿道の歓迎スペースに入ることになるのだが、

これを実況する女子アナは、

「ここをくぐり抜けた人だけが中に入れるのです」

というような説明をしていた。

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「くぐり抜ける」とはなんだ?

『広辞苑』では、「①くぐって通り抜ける。

②危険や困難な事情をうまく処理して

生き延びる」としている。

沿道に小さなトンネルなどないから、

ここでは②の意味。

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手荷物検査をくぐり抜けるという場合、

今日の意味では、

物騒な目的を持った者(たとえばテロリスト)

警察のチェックを巧妙に突破する……

などということになるだろう。

祝賀パレードを祝う人たちに対して

なんと場違いな表現をするのだろう。

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このレポートに続いて、女子アナは

沿道の人たちの声を拾うのだが、

このときには、

「〇〇県から来たという40代の女性は……」

「〇○県から来たという家族は……」

と紹介する。

「来た」は、いかにも粗雑。

なぜ「……いらした」というコトバが

さっと出てこないのだろうか。

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その前日、夕方の天気予報では、

女性の予報士が「あしたパレードを

見に行く人もいると思いますが、

あしたは絶好のパレード日和です」と。

気象予報士に限らず、アナウンサーも

しばしば視聴者に対して

「……する人もいると思う」と表現する。

せめて「人」を「方」に、

「いる」を「いらっしゃる」のように、

ていねい表現ができないものか。

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さて、パレードが通り過ぎたあと、

沿道の人たちから感動の声を求めるのだが、

ここでもマイクを向ける女子アナは、

「お2人の表情を見ることができましたか」と

「見る」を連発する。

せめて「ご覧になれましたか」と言えないのか。

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むしろ沿道の人のほうが

整ったていねい表現をしていた。

「お姿を拝見して、来てよかったと思います」

「お2人のお姿をしっかり拝見できました」

小学生さえ「お姿をこの目に焼きつけました」と。

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沿道と二元中継をする

スタジオでの男性アナウンサーのほうは、

(皇后さまは)「左右の沿道にいる人たちに

手を振られて……」と、伝える。

「沿道にいる」はないだろう。

「いらっしゃる」が使いにくいのなら、

いっそ「いる」を省いて、

「沿道でお祝いする方々(または「人たち」)に……」

「手」は「お手」が柔らかい。

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こういうイベントは、

しばしばあることではないから、

放送関係者のほとんどが初体験だろうが、

この種のイベントについては、

こういう認識をしていただきたい。

すなわち、沿道に集う人たちは、

祝賀行事に自由意思で参加した、いわばゲスト。

事件や事故に集まった野次馬とは意味が違う。

NHKが主催したイベントではなく、

宮内省が行なう行事である。

とすれば、

そこに集う人たちは他者が招いたゲスト。

となれば、一定の敬意が求められる。

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なおかつ、その多くは、

NHKから情報を有料で買っているお得意さんである。

だから、それなりの配慮をもって語りかけるべきだが、

エリート意識の強いNHK職員には、

そういうセンスはない。

今回の放送を聞いていてわかったのは、

皇族に対する敬語は、

動詞に「れる・られる」をつけるパターンに

統一しているらしいこと。

「れる・られる」は、

ていねい表現として、敬意の低いカタチ。

「笑われる」「乗られる」(手を)「振られる」

これを「お笑いになる」「お乗りになる」

(手を)「お振りになる」とすると

ずっと敬意も親しみも増す。

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NHKの感覚では、

動詞に「お」をつけて「なる」で結ぶカタチは、

敬意過剰と感じるのかもしれない。

(お話になる)

あるいは、現場のアナウンサーに

いろいろの敬意表現を指導しにくいので、

マニュアル的に

とりあえず「れる・られる」をつけろ、となったのか。

しかし、言語表現は、

時と場合で臨機応変に対応しないと

窮屈で単調、心の通わないものになる。

NHKは、

かつての「賢くも天皇陛下にあらせられましては……」

のような表現に近づくのを恐れるあまり、

幅が狭くて抑揚のない、非個性的な表現を、

有料で日本中に広めている、

というのが現状であろう。

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ふだん、人を心から敬う生活に不慣れな人が

過半数を占めるであろう公共放送局のこと、

そのことによる悪しき環境づくりに

自分が加担していることなど、

思いもよらないことであろう。

天皇であれ、総理大臣であれ、

外国からの来賓であれ、

そして、あしたの天気を気にしている視聴者であれ、

人に対する敬意表現を狭めることは、

国民の情緒を低下させ、

品位や民度を下げることにつながる。

その可能性を認識させる職員教育や

局内の環境づくりの策はあるのか。

このケースも

「NHKから国民を守る」テーマになる。

公共放送局の品位は

内部からは改善される可能性は少ない。

とすれば、

受信者のアピールは、

なにかにつけて必要となる。

ちなみに、新聞のテレビ、ラジオ欄には、

各局の窓口となる電話番号が載っている。


# by rocky-road | 2019-11-16 21:55  

お好きな外食店を3つあげるとしたら?

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1週間の沖縄旅行から帰った翌日に

下記の「食ジム」があり、

その1週間後には「絵手紙講座」と

「輪読会」(昭和史を振り返る視点)と続いた。

だいぶタイミングを逸したが、

「食ジム」に関する記録はしておきたいので、

以下に記す。

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20191027()

「食ジム」第82回にアドバイザーとして参加した。

テーマは、

「クライアントに外食・中食の

効用をどう説けばよいか。」

(横浜技能文化会館、1030分~1730)

座長/みなきまゆみさん

アドバイザー/影山なお子さん 大橋禄郎

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プログラムは、

1.これはおススメ、外食メニュー、中食メニュー、

  独断と偏見で選ぶ最近のメニューランキング。

2.この1年間の「外食。中食体験」――

  ちょっといい話、ちょっと気になった話。

3.私は見た!! 外食・中食に対する

  健康支援者の偏見・認識不足のあれや、これや。

4.外食・中食の「いいところ」「よくないところ」を

  思いっきりあげてみる。

5.外食・中食をすすめる栄養士に求められる知識とセンス。

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食コーチング研修を受けた人や、

パルマローザの研修会に参加している人にとって、

このテーマは、
「なにを、いまさら」と感じるくらいに

結論がわかっていることだろう。

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しかし、あえて論じ合うことで認識が深まり、

クライアントに対しても、

外食や中食のあり方について

より適切なアドバイスができるようになるだろう。

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外食や中食が「よいか、悪いか」を論じることは、

「日本人は、よい人か、悪い人か」を論ずるのと同様、

基準のない議論となって、ナンセンスの見本。

日本人の人柄について

「世界貢献への意識」とか「おもてなしの心」とかを

基準にするとしても、

では、どこの国の人と比較するのかなど、

まずは前提条件を掲げなければ議論にはならない。

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同様に外食や中食については、

個々の家庭の食事メニューの把握もなく、

そして、どんな外食や中食と比較するのかさえ

前提条件を示さぬまま、

「外食はなるべく控えましょう」

「外食は味が濃いから……」

「中食は材料がわからないのでコワい」

などと、数十年にわたって伝えてきたのが

少なからずの栄養士、健康支援者である。

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なぜそうなるか。

言うまでもなく食事の良し悪しの基準を

持っていないからである。

「栄養のバランスが大事」と言いながら、

その基準がないか、活用していないから、

内食(家庭の食事)と外食、中食との優劣の判定ができない。

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七大生活習慣病と区分される心疾患、脳血管疾患、

糖尿病、高血圧性疾患、肝硬変、慢性腎不全などは、

外食や中食利用者に多いわけではなく、

日本の伝統的な「おふくろの味」から生まれたものである。

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食事を栄養価や味だけで評価するなら、

だれが作ったか、

どこで食べるかは大きな問題とはならない。

肝心なのは、1回の食事、1日の食事、

1週間の食事の内容である。

それを見極める能力、味わう能力を

一般の人たちにつけてもらうことが

栄養士の仕事の大事な部分である。

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そういう基本的なことを無視して、

「外食に注意」を訴え続けるようになったのは

次のような社会背景があったと思われる。

まずは、1950年代ころから

ファストフード店の普及が顕著になる。

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あるとき、ファストフード店が

都会で活発に開店し始めたのは、

社会の都市化が顕著になった結果である。

都市化とは、

地方の若者が都会へと移動することであり、

女性が勤めに出て、家庭外で働くようになることである。

そこから核家族化が始まるのである。

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このことは、従来の家庭生活に変化をもたらした。

「家庭破壊」などとも言われた。

主婦は半調理品から始まって中食を利用するようになり、

自ら「手抜き」など言ってちょっぴり恥じた。

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しかし、外食や中食が家庭破壊を招いたわけではなく、

日本国の都市化が外食や中食を必要としたのである。

都市化が先で、外食・中食利用はその結果。

しかし、原因と結果を見間違えた人、

たとえば栄養士や健康支援者は、

他人事として「外食はほどほどに」になどと

涼しい顔で言い放った。

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「ジャンクフード」なんていうコトバを

アメリカから仕込んできて使ったりしたのも、

栄養士や健康支援者(おもに医師)である。

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それから60年あまり。

外食・中食はすっかり日本人の生活に定着し、

激しいシェア争いによって鍛えられ、

バラエティにおいて、

充足度において、

コストにおいて、

内食と互角か、それを上回るくらいに実力をつけた。

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「食ジム」参加者は、

「おススメ、外食メニュー、中食メニュー」を

1人もパスすることなくあげた。

コンビニのおにぎりとおでんの組み合わせ、

ねぎトロ太巻き、

500円のコンビニ弁当、

チェーン店の野菜たんめんとギョウザ、

1群から第3群までトッピングができる

うどんのチェーン店のメニュー、

季節限定の冷やし刀削麺、

沖縄のステーキハウスなどなど。

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栄養士の集まりで、

「突然ですが、おススメ、外食メニュー、

おススメ中食メニューは?」と聞いたら、

即答できる人が半分もいるだろうか。

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「食ジム」のプログラム後半で、

外食・中食の「いいところ」「よくないところ」を

みんなであげた。

時間が足りなくなってあげきれなかったが、

おもなものをあげておこう。

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≪いいところ≫

(外食)圧倒的なメニューの多さ。

*時代を反映したメニューの数々。

*調理時間をほかのことに使える。

*比較的低コスト(光熱費、人件費などを含めて)

*店選び、移動、店内の様子などによる脳の活性化。

*引きこもり抑止。

(中食、冷食)手間暇がかからない。

*家族そろって食卓につける。

(冷食)常時ストックしておくことができる。

(外食・中食とも)メニュー、商品を通じての情報量。

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≪よくないところ≫

(外食)適量を把握しにくく、多めになる可能性。

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*地域によっては店がなくて利用不可能。
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*近くに店が少ないとバリエーションが狭まる。

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*天候に左右されやすい。

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*衛生管理が気になる店がある。
*場所や時間帯によって混雑、待ち時間がある。

*女性や子どもが入りにくい店がある。

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(中食)容器の廃棄量が多い、かさばる。

*献立の風景がシンプルになりやすい。

(外食、中食とも)

 利用し過ぎると調理能力を低下させる。

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さて、あしたは、どこで、何を食べようかな?

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# by rocky-road | 2019-11-05 23:50 | 「食ジム」  

その服、似合っているか。

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さる9月16日(月/祝)に行なわれた

「栄養士・健康支援者のための

 ≪身だしなみセミナー≫in 銀座」に

今回も参加させていただいた。

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女性服の一流店内(ジュン・アシダ)で

女性服について語るキャリアも心臓もないので、

衣服の記号性について

短いコメントをさせていただいた。

要点を文字にしておくほうがよいと思うので、

少し補足して以下のようにまとめてみた。

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ポイントは2つ。

1つは「衣服という環境の意味」

もう1つは「衣服が似合うとはどういうことか」

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衣服の記号性については、

昔から、多くの論者によって指摘されている。
記号性とは、

意味を内包するメディア(媒体)でもある、ということ。

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衣服の本来的な目的は、

素肌を寒暖や日射、風雨、

他者の視線から守るためにある、

と考えたいところだが、

発達順序からすると、

それが一番の理由ではなさそうである。

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その証拠に、

現在でも裸で生活する人が

地球上に少なからず存在する。

彼らは、この世に衣服というものがあることを

とうの昔から知っているが、

それでも裸の生活を続けている。

都市暮らしのわれわれが考えるほど、

外界から自分のからだを守る必然性はないらしい。

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確かに寒冷地に住む人には、

衣服は欠かせないものだが、

ヒトは、当初はそういう地域には住まなかった。

衣服で自然環境から身体を守る必要がないところに住んで、

裸でいられる生活を選んだ。
少々の寒さなら、

多くの哺乳動物や鳥類のように

体毛によって防ぐことができた。

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裸身で暮らすことができた地域のヒトにとって、

もっと大事なことは、

自分の特徴をアピールすることだっただろう。

衣服をつけない人たちでも、

古くから、

からだにペインティングを施したり

骨だの貝殻だの金属だのをつけて装飾したりするして、

「自分らしさ」をアピールしてきた。

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ときに「男らしさ」「女らしさ」を表わし、

ときに、自分の属するグループを表わし、

ときに、地位や年代を表わし、

ときに喜びや悲しみを表わし、

ときに儀式の装束として、

ますます社会性のある記号性を強めていった。

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こういう点は、

動植物が生まれながらにして

ユニークな色やデザインを受け継ぎ、

環境に適応していった進化史と

なんら変わるところがない。

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こういう経過を表面から見ると、

人との関係において、つまり社会的記号として

装飾を使ってきたかのように思えるが、

今日の心理学や精神医学の知識によって見直せば、

無意識的にせよ、

彼らは、自分の装飾を誇り、

そのことでアイデンティティを感じていたはずである。

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衣服の記号論では、

とかく他者とのコミュニケーションのほうを

重視しがちだが、

少なくとも現代人においては、

衣服が自身の意識やモチベーションを高め、

健康度さえも左右する点に

もっと注意をはらっていいだろう。

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要するに「衣環境」は、

個々人に、もっとも身近な環境であり、

その環境は自分のライフスタイルの一部となり、

自分の方向性に関係してくる。

人生観や生活信条などと同じように、

衣環境も、

あしたからの人生のカタチをつくってゆく。

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さて、その衣服が自分に似合うか似合わないかを

どう判断すればよいのか。

自分を含め、ある服が似合うか似合わないかは、

その人の、きのうまでのライフスタイルを

知っている人が、

その延長線上で評価するのが普通である。

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しかし、それらは絶対的なものではなく、

「慣れ」の問題でもある。

今では外国人が和服を着て歩く姿は

珍しくはなくなった。

専門家の目で見ると問題はあろうが、

全体としては「似合って」きている。

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わが理論では、

どんな服でも、ジャストサイズであれば、

1週間か1か月か、着続ければ似合ってくる。

「似合う」とは、

言い換えれば自他ともに「慣れてくる」こと。

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「慣れ」または「似合う」は、

一面においてマンネリの始まりでもある。

とすれば、自分の中では

日々、環境改善に挑戦したいところである。

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肌着の色を変える、素材を変える、

コーディネートを変える……、

日々の多忙な生活の中で、

そういうことをきちんと考える、

それは忙殺されない生活、

人生の主導権を少しでも自分がもつ生活、

それは、個々人が

たったいまからできる環境対策である。

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きょう着る衣服は

きょう1日の設計図でもある。

その設計図は、もちろんあしたに通じる。

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旧来の「身だしなみ」や「おしゃれ」というコトバは、

仕事、勉強、お堅い社会活動と

対立する概念ととられがちだが、

それを「衣環境論」と位置づければ、

むしろ、それらと一体化するものであろう。

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放射能汚染物の除去作業に

ジーパンで参加する無防備者はいないように、

どんな活動にも、

最適な衣環境がある。

そこまで思考範囲を広げることは、

思考力を分散させるどころか、

モノを広い視野で見る洞察力を強化する。

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「あした、どんな靴下で勤めに出るかなんて、

考えているヒマなんてあるわけないでしょ。

そんなことを考えていたら仕事に身が入らないよ」

なんていう者の頭脳は、

すでに錆び始めているから、

「身を入れている」はずの仕事とて、

たいしたものではない。

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人間の頭脳をナメてはあかんゼヨ!!

好奇心旺盛な脳は、

もっともっと多様な、

もっともっと刺激的な酷使(?)を求めている。

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さあ、考えてみよう。

あしたは、どんな靴下で……

いやいや、その前に、

肌着から行こう。

いやその前に、

あしたのメインの仕事を考えよう、

だれと会うのか、

その人と、どんな話をするのか……、

でも靴下は……。


# by rocky-road | 2019-09-24 18:34 | 身だしなみセミナー  

コトバは乱れるものなのか。

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食ジム≫第80回で「日本語力の強化」について

話し合ったり

 (「栄養士・健康支援者は『日本語力』を

 どう強化すればよいか」 

 2019年8月25日 横浜・関内ホール)、

ロッコム文章・編集塾の毎月クラスでも、

言語センスをどう磨けばよいか。」

授業した余韻もあって、

いつもよりは日本語の現状について

敏感にならざるを得ない。

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そういう神経過敏状態にあると、

たとえば「ネグレクト」というカタカナ語が

棘のように、わが言語神経に刺さる。

「無視すること。放置すること。怠ること」

あるいは「育児放棄」「児童虐待」

などの意味があるらしいが、

これをカタカナ語によって話題にする理由がわからない。

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「児童相談所」--これを「ジソウ」と略す、

このセンスもわからない。

どうやらこの分野は、

日本語をわかりにくくすることで、

深刻な問題から目を逸らそうという

深層心理が働いているように思える。

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そして、ここで働く人は、

ほかの職場では使いモノにならない、

ややトロいタイプなのか、

いや、そうではなく、

この職場に来ることで神経が鈍くなるのか、

精神医学的な解析をしてみたい。

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所長クラスの人間が、毎度毎度、

「やることをやっていたけれどこうなった」と

無表情に言うのを見ていると、

フツーの神経ではやってはいけないほど

日々、難題に直面するのかもしれない。

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踏切内でトラックに電車が激突した事故、

電車に乗っていた人へのインタビューが

テレビで放送されていたが、

「ドカンという音がして、みんなが倒れたというか、

もうパニックですよ」

「なんていうのか、あわてて後ろから線路に降りました」


九死に一生を得た人の感想が「倒れたと言うか」

「なんていうのか」だと?

倒れたんでしょ? 

「あわてた」というコトバが

さっと出てこないの?

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これは、

インタビューを受けた人が若いから、

言語能力がまだ未完成だから、

と思いたいが、

ラジオでは、

経済関係の専門家らしきゲストが、

「なんて言うのか」を1分間に5回も続けた。

昔、レコード針がレコードの溝にハマったとき、

こんな状態になった。

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そんな話を綴っていたら、

けさ(9月10)の『読売新聞』に

言葉が運ぶ あなたの物語」と題する、

日本語検定 受検者100万人記念対談」の記事。

梶田叡一/日本語検定委員会理事長と、

シンガーソングライターの松任谷由実との対談なのだが、

なんとも抽象的でポイントのない内容。

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梶田「長い間に、日本語は変わってきています。

 乱れと言わざるを得ないのは、

 例えば、若い世代の間のみで通じて、

 ほかの世代には全然通じない言葉遣いでしょうね。

 誤解を生むことになれば、

 変化と言うよりは乱れといった方がいいのかな。」

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松任谷「むしろ積極的に仲間内だけで通じる言葉を

 作っているところがありますね。」

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梶田「例えば『やばい』。昔は『危ない』という意味でした。

 今は感動しても『やばい』、

 非常に注意しなければならない状況も『やばい』で

 多義的になっています。

 仲間内で通じいると思っていても、

 実は誤解を生み出すもとになるのであれば、

 考えものでしょう。」

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松任谷「どういう不快さかを言語化できないと、

 大人になって社会で壁にぶち当たる。子どもの頃は

 『ヤバ』や『キモ』、『ウザ』だけで表現してきたことも、

 そこには複雑な要素がある。自分の中で感情などを

 細かく丁寧に言語化することは、豊かな時間を

 大人になって過ごすための大事な修練だと思います。」

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日本語検定の最高責任者が、

この程度の常識的な見解しか示せないのかと

案じられる。

日本語に限らず、コトバは年月を経て変わるものである。

人間の思考だって、骨格だって、表情だって、

変わるのが当たり前。それが適応である。

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「コトバの乱れ」とはなにか。

若者のコトバと、そうではない者のコトバは昔から違う。

ユーミンが言うように、

「むしろ積極的に仲間内だけで通じる言葉を

 作っている」のである。

人がアイデンティティを獲得する過程では、

仲間意識の確認が必要。

そのようにして、

「違いのわかる人間」に育ってゆくのである。

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「ヤバい」の意味が変わるのを「ことばの乱れ」

などと言っていたら、

われわれはいまも大和時代、奈良時代のコトバを

使い続けねばならない。

「言う」を「言ふ」と書き、

「チョウチョウ」を「てふてふ」と書かねばならない。

いや、それ以前に、

文章は万葉仮名で綴らなければならない。

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ヒトはコトバを「乱す」ことによって

コトバの使い勝手をよくしてきた。

「乱す」動機の多くは「最適化」(カスタマイズ)である。

虹を「きれい」「美しい」としか形容できなかった人が、

あるとき「ヤバい」と言ったとき、

本人にとって、虹の美しさは、

より深く認識されたことになる。

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コトバの「乱れ」とは、

多様性への試行であり挑戦である。

新しい概念を認識し、新しい感性や知性を磨いてきた。

日本語検定に深くかかわる者に求められるのは、

「コトバの乱れ」とは何かを、まず定義することである。

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笑えるのは、こんな発言をしているところ。

梶田そういう意味で、

   言葉にセンシティブでなければいけない

そこでカタカナ語を使う必要ある

敏感であってほしい」「美意識をもってほしい

などと言うほうが伝わりやすくない

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対談の中で「仲間内で通じると思っていても、

実は誤解を生み出すもとになる」と

発言しているではないですか。

「センシティブ」って、一般的日本語?

このコトバ、読者に伝わるのかしら

コトバ、乱していない


つけ加えれば、

この対談は、企画の失敗。

「受検者100万人記念」なのであれば、

記者か、コトバの専門家が

日本語検定委員会理事長にインタビューすればよかった。

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「……とすると、『ヤバい』は本来の意味で使うべき、

ということですか」

「今後、『ヤバい』はどう変わっていくと思いますか」

「日本語のセンスをよくするには、

 どのような勉強をすればよいのでしようか」

などと問いかける。

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あるいは、
ユーミンに、だれかがインタビューをする。

コトバのプロのユーミンと、

名誉職にある心理学者とでは

互いにエラ過ぎてミスマッチ。

「相殺」(そうさい)という日本語、

こういうときに使うのだろうか。

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さてさて、
前述の「……というか」や「なんて言うか」
という流行りコトバの話に戻ろう。
この表現形式、つまりは一発で決めない、
余韻を残しておいて話を引っ張る。
電車が線路上で止まっているトラックに激突したら、
「倒れたというか」なんていう程度の衝撃ではなく、
「吹っ飛びました」でしかなかろう。

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社会環境として見れば、
この国全体が弛緩状態。
平和ボケが言語表現にも現われている、
ということだろう。

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しかし、平和にもストレスはあって、
家庭内暴力とか、いじめとか、あおり運転とか、
身近な弱い者への攻撃とかと、
成果のない、
内部へと向かうモチベーションばかりが高まる。

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精神医学的には、
リスやネズミのように
つねに退路を考えていて、おどおどしている。
1つのことを言うのにコトバを2パターン用意しておいて、
相手によるコトバの適切度チェックから逃れようとする。

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タコやイカのスミのことを
昔は煙幕と言ったが、
海で観察していると、
スミは煙のように広がらず、
むしろ黒いカタマリになって漂う。
そこにだれかがいるように見える。

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それに相手が気を取られているうちに、
自分は姿をくらます。
「……というか」も同様。
2つコトバを並べて、相手の注意力を分散させる。


もう1つの見方は、
モノには多様性があるから、
1つのコトバでは表現しきれないところがある。
科学や深い思考の結果を表わすとき、
「その点は演繹的思考とも言えるし、
帰納法的論法とも言える」
なんという表現をする場合がある。

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「って言うか」のルーツには、このカタチがあるかもしれない。
知ったかぶり、偉そうぶりのことを
「衒学的」(げんがくてき=ひけらかし野郎)

と言うが、「いわゆる」と同様、
「国民総衒学化」現象とでも言ったらよいのか。


しかし、ヒラの「日本語非検定協会」会員は、
これをも「コトバの乱れ」とは言わない。
あえていうなら「コトバの揺れ」かな?
揺れは、しばらくすると収まるものである。

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しかし、コトバには品位がある。
短パンにサンダルをつっかけて
飛行機に乗り込んでくる人間の服装に品位がないように、
「社長、それってヤバくないすか」や
「なんて言ったらいいのか、コトバって言うか、
言語っていうか、ボキャブラリーっていうか、
そのあたりに人間の品格って、出る的に考えます」
には品位はない。

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日本語検定には、
もちろん品位度チェックの審査は

入っているのでしようね。



# by rocky-road | 2019-09-11 01:01  

「表記・表示学」のすすめ。

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わが地元の路線バスの行先表示に

いきなり新顔の行先が現われた。

「HPSC」と。

日本の停留所に突然、

アルファベット表記が現われたのにはびっくり。

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「どういう意味ですか」

乗客としては当然、運転手に尋ねた。

運転士さんは「わかりません」

「えっ?」である。

自分が巡回する停留所の意味がわからないという。

次の機会にも、

別の運転手に聞いたが、やはり「?」

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昔なら、バス会社の案内所に行って

「社員教育はどうなっているんだ?」と

ねじ込むところだが、

「仏の大橋」となったいまは、

家に帰ってパソコンで検索した。

「ハイ パフォーマンス スポーツ センター」

High Performance Sports Center

の略だという。

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国立スポーツ科学センターの

関連施設が名称変更をしたらしい。

東京のはずれの北区にも、

国際的()な地名(施設名)

いつのまにか生まれたようである。

もっとも、ゲート付近を探索したが

それらしい表示はない。

1施設が、または1バス会社が

地元のコンセンサスもなく

いきなり地名を主張していいものか。

すべてオリンピックのため。

「笑って許して」か。

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話は変わるが、

過日、空港内の書店に寄ったとき、

雑誌の誌名の表記の変化に気がついた。

これも、関係者からすれば

「いまさら」のことかもしれないが、

誌名を、表紙モデルなどによって

いとも簡単にさえぎる流行が真っ盛りなのである。

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わが現役時代には考えられない方式である。

全面に写真を使って、

書名を上にかぶせる(「ヌキ」とか「ノセ」とかという)

方法もあるが、

写真の絵柄と文字とが重なって読みにくくなる。

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そこで写真を切り抜いて(
角版または額縁という)

誌名部分とロゴの部分とを分けて示した。

それでも、「ノセ」のケースにも耐えられるように、

「栄養と料理」のロゴの輪郭線を太くして、

絵柄に埋没しないようにくふうした。

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そういうことに、

こまごまと気をつかった者からすると、

誌名のロゴをモデルさんの顔で覆うなどは

考えられないことである。

読者は誌名で選ぶだろうに。

流行というのは、理屈ではないと、つくづく思う。

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さらに話を進めて、

先日、稲盛和夫氏の著書、

『心。』に関心を示した塾生が少なくなかった。

かねてから、句点の意味について論じているので、

こういう表記に目が行ったようだ。

世界の栄養士のうち、

書名に打たれた「。」の意味について

考察する人はどれくらいいるだろうか。

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などという問題を研究する

「表記学」または「表記・表示学」を

創設してもよい時期かもしれない。

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ちなみに、

来たる825日に行なう、

80回「食ジム」では、

そういう話題も含めて、

「栄養士・健康支援者は

『日本語力』をどう強化すればよいか。」

というテーマで、終日、語り合うことになっている。

(http://www.palmarosa.jp/palmarosa/goaisatsu/index.html)

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# by rocky-road | 2019-08-13 20:26 | 「食ジム」  

絵手紙には心の弾みを描く。

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絵手紙をいつ始めたのか、

記憶は定かでではないが、

1964年にダイビングを始めて

何年か後には、

海から絵ハガキを出すようになった。

朝食前に「ハガキタイム」などと称して

みんなでハガキを書いたりした。

のちにプロのイラストレーターが仲間になった。

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そのうち、

海への旅にはハガキ用紙を持って行って

海で見た魚の絵などを描いて出すようになった。

この習慣は1960年代後半くらいから始まった。

わが「絵手紙元年」はそのあたりか。

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ダイビング雑誌での連載や、

自分の著書にも、

挿絵を描く機会があった。

画家やイラストレーターを志望したことはないが、

絵を描くことは小学生以来、

途切れることなく、今日まで続いている。

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いわゆる「絵手紙」がブームになるのは

1900年代の終わりころからだろうか。

「ヘタでいい、ヘタがいい」のキャッチフレーズが

受けたことと、

筆を上端で持って書くことをすすめ、

ハンドリングを不自由にして、

筆先をよろけさせること、

これが「絵は苦手」とする人にウケたようだ。

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線をよろけさせれば、

だいたいヘタに書けるから

「ウマい、ヘタ」という感覚を忘れさせる。

この流儀が普及したおかげで、

みんなが、共にヘタという世界になる。

これが「絵手紙ブーム」のポイントだろう。

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アマチュアの絵を見て「ヘタだね」というのは野暮だから、

「ヘタがいい」が世間相場となる。

しかし、この流派の作品展を見に行って驚いた。

1000点以上の作品が展示されていたが、

1人が描いたのではないかと思わせるほど似ている。

これでは、少なくとも私信としてはあまりにも没個性。

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さらに言えば、

文章で絵を説明し過ぎておもしろくない。

「絵手紙」の大橋流解釈は、

「絵に文章をつけるのではなく、

文章に絵を添えるのでもなく、

絵と書、そして余白までをも一体とした作品」

ということになる。

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したがって、

文章は時候のごあいさつや絵の説明ではなく、

額装して飾っても耐えられるものにする。

俳句や短歌、詩を書くのも一案だが、

私は、多少はリズムのある散文、

標語でもないし、キャッチフレーズでもない。

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キザに言えば「哲学を書く」だが、

そんなことは思ったとしても

絶対に人には言えないから、

平凡にはなるが、

「心の弾みを描く」とでもしておこうか。

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境地は俳句や短歌、詩と同じだが、

表現に形式はない。

ワンフレーズでパチッとキメる。

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通信文は切手面に書く。

言うまでもないが、

ハガキを横にして描いた絵ならば

切手面の宛名もメッセージも横書きにする

これがわかっていない人が、

なんと多いことか。

(既製品の場合も同じ)

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書画としては、

榊 莫山(さかき ばくざん)さんからは

学ぶことが多い。

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絵と文字のバランス、

つまりはデザイン。

そして字のタッチ。

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莫山さんも筆の端を持つが、

熟練のワザでフラフラしない。

あえてカタカナを使うところが特徴。

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畏れ多くも絵手紙講座を始めたが、

もちろん第一目的は

神羅万象から情報を読み解き、

さらにそれを

絵と文字、文章で自身と、人に伝えること。

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それはコミュニケーション環境を

さらに活性化するはずだし、

人生をより豊かにする。

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そして、

旅がますます好きになること。

旅先から絵手紙を書く楽しさを

持続的に味わっていただくこと。

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講座を受けた人からは、

きっと絵手紙が〝殺到〟するだろうから、

こちらも、

ますます絵手紙の発信頻度が増すことになる。

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# by rocky-road | 2019-07-31 23:15 | 絵手紙