栄養士の話と国語辞典の関係。

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『文藝春秋』6月号のエッセイ欄に
国語辞典編纂者が、
国語辞典が売れなくなった事情と、
その対策を書いている。
売れなくなっている理由は、
いわずとしれたネットの影響。
タダで情報が手に入るのだから、
有料の国語辞書を買うまでもない、と。

とはいえ、
同じ辞書でも、英語の辞書をはじめ、
多くの辞典(辞書と同じ)や
事典(業界では「ことてん」といって区別)は
書店にたくさん並んでいる。
にもかかわらず、
国語辞典のほうは、
日に日に売り場面積を狭めているとか。
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その編纂者の分析は、
理由の1つとして、
利用者の相談相手になるような
書き方をしないから、
ということがあるという。
こんなエピソードから、
その対策を示している。

ある学生に、こんな質問を受けたことがあるという。
路上で出会った近所の人から「お帰りなさい」と
声をかけられたことがある。
「ただいま」と応じたくなったが、
その人の家に帰るわけではないから、
ヘンだと思った、
こんな場合、なんと答えればいいのですか。
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こういう質問を受けた経験から、
今後の国語辞典の書き方として、
たとえば、こんな書き方が考えられる、と編纂者。

 「【お帰りなさい】 
 帰ってきた人をむかえるあいさつ。
 返事は、身内には『ただいま』。
 近所の人には『あっ、こんにちは』などと言う。
 『――ませ』は、ていねいな言い方」
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(ここから大橋の論)
こういう書き方は、
「定義」を基本とする
国語辞典のスタイルではなく、
傾向と対策を示す「実用事典」の記述法である。
ここで「辞典」(辞書と同じ)と「事典」の違いを
「解説」しておく必要があろう。
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「事典」(ことてん)は、
字句を50音順ではなく、
用件別に配列するケースが多い。
仮に『栄養士のライフデザイン事典』
というものがあるとすれば、
項目は、「栄養士養成校の選び方」
「病院での仕事の進め方」
「行政機関での仕事の進め方」
「福祉施設での仕事の進め方」
「スポーツ栄養士の仕事の進め方」
という構成になる。

これに対して『栄養・食糧用語辞典』
(実在。建帛社刊)では、
「アーモンドバター」「R=アルギン」(中略)
「アイスクリーム」「アイスミルク」のように、
「ア行」のコトバから順に説明する。
「辞典」の説明は、普遍性のある定義を基調とし、
用例は示すことはあっても、
あまりくわしいアクションプランは示さない。
国語辞典もこの系統に属する。
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もっとも、
「事典」がすべて実用というわけではない。
たとえば、
『スポーツ心理学事典』(大修館書店)では、
「1.総論」「2.スポーツ運動の発達」
「3.スポーツの運動学習」などの項目の中に
歴史や研究法などの項目が解説されていて、
「辞典」的な(基礎的な)
知識を伝える要素が大きい。
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(「実用」にもいろいろの解釈があって、
私の場合は、思想や考え方、
さらには感性さえも「実用」と思っている)

ところで、国語辞典など、
コトバの定義を中心に記述する場合、
だれもが納得する平均的定義、
つまり「普遍性」を大事にする。
「普遍性」とは、言い換えれば、
相手を特定しないこと。
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「栄養士」の定義として、
「食の窓から侵入する人生の哲学者」では、
「普遍的」な定義とはならない。
ここはしっかりと
「栄養士法に定める教育を受けるか、
国家試験を経て……」
というようなマジメな定義が求められる。
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「普遍性」とは、
料理でいえば幕の内弁当や五目料理、
チャンプル、混ぜご飯……など、
いろいろの具材を混ぜ込んだもの。
うまいとしても、
食材の1つ1つについては味わえない。
「うまさ」が分散してしまう。
毎日、こういうものを食べていると、
いや、毎日、こういうものを食べていても
ストレスを感じない人は、
食への好奇心に凹凸がない傾向がある。
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国語辞典の需要低下と
新聞の発行部数の減少とは、
一部、通じるところがある。
全国紙や、それに類する新聞もまた
「普遍性」を重視する。数百万の読者がある、
ということは、
あらゆる属性の人が存在する、ということである。
当然、新聞社も、女性や年少者、高齢者、
ビジネス関係、家事・育児関係、
スポーツ関係者を想定して、
それぞれのページや欄を設けてはいる。
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が、匿名で書く文章のもどかしさは、
「I think……」という表現ができないこと。
その結果、「……と考えられる」
「……といえなくもない」などと、
奥歯にモノが挟まる。
それは、
全方向的な「チャンプル表現」になることを意味する。
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その実例は、しばしば批判の対象になる「社説」。
それらの文章がおもしろくないのは、
自分の氏名で文章が書けず、
職場の「みんな」を代表して書くようになるから、
キメ細かな表現もできなくなる。
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「私の責任において」書いていない文章は、
読み手に迫っていく迫力もリアリティもない。
それに、ニュースというものは、
過去の出来事を情報化するものだから、
さしあたって筆者名はいらない、と思ってしまう。
新聞が部数を減らしているのは、
過去の情報ならば、
テレビやインターネットでも間に合うからである。
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こういう状況に対応する方法として、
ニュースに評価を加えて伝える手がある。
これがテレビの報道番組である。
キャスターの色をあえて出す。
(裏で制作者がコントロールしているが)
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それに対して、新聞記者は、
自分の名で評論する能力を磨いていない。
「それなら、外部の論客に執筆依頼をすればいいじゃないか」
ということになるが、
そこがまた、うまくはいかない。
というのは、
「あんな読者」「こんな読者」がいるから、
「快刀乱麻」といえるような筆は振るえない。
(快刀乱麻=切れ味がよい。手際のよい処理)
ホンネの意見や、強い主張を書こうとすると、
「この内容だと、ウチの紙面ではちょっと……」
となる。
したがって、日本では(日本でも)、
マスメディアでの言論は、
自由闊達とは言えないのが現状。

「その点、
デジタルコミュニケーションなら自由に発言が……」
という話になりがちだが、
社会的発言をするための
トレーニングを受けていない者の言説には
こちらの品位や知性を低下させることはあっても、
気づきや思考を深めるものは、
現時点では多くはない。
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さて、国語辞典の話に戻ろう。
国語辞典や新聞の文章が魅力的でなくなっている、
という話は、
講話や食事相談、その他、多くの場面で
おもしろい話ができない健康支援者と
共通点がある。
その場その場の相手に沿った話ができていない、
という点で。

スリム志向の若い女性に
骨粗しょう症の警告をしたり、
40代、50代の現役に、
「寝たきりにならない食事」を説いたり、
いつでも、どこでも、
「栄養バランス」の話題しか、しなかったりなどは、
目の前にいる現実のニーズに無頓着な証拠。
コミュニケーションは、
相手との双方向のキャッチボール。
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書棚にある国語辞典、
書店に展示されている国語辞典に
目が止まったときは、
自分の語り口が画一的、
ワンパターンになってはいないか、
自省してみてはいかがだろうか。

# by rocky-road | 2016-06-02 21:04  

名がつくと、そこにモノはある。

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「突然ですが」クイズから入ろう。
この写真にどういうタイトルをつけるか。
いくつかのたたき台をあげておこう。

*「マリーゴールドとスカイツリー」
*「ゴールドツリー」
*「負けないぞぉ~」
*「仰視」
*「天高く」 
*「もう1つの観光スポット」
*「もっと高く」
*「初夏の背比べ」

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クイズとはいったが、
これらのネーミングには正解はない。
4月29日の写真教室での作品のコンテストをやったが、
作品は一定のレベルを保つところまできているものの
タイトルのネーミングのほうはガタンと落ちる。
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これは、わが写真教室に限ったことではない。
全国の、あるいは世界のフォトコンテストのネーミングは、
似たようなものではないかと思う。
映像表現と言語表現とは異質なものだから、
映像表現に軸足を置いているときには、
言語表現の思考は休眠してしまうか、
スムースに回転しないか、なのだろう。
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才能の違いというほどのことはないだろう。
その証拠に、だれもが自分の子やペットには、
しかるべきネーミングをしていて、傑作も多い。
さらには屋号、社名、組織名。
自動掃除機にも名をつけている人もいるという。
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要するに習慣または関心の問題。
いろいろのフォトコンテストがあるが、
タイトルに注文をつける審査員はめったにいない。
自分の経験でいえば、
水中写真コンテストへの応募作品のネーミングがあまりにもひどいので、
審査員でもないのに、
何回か、スキルアップのための記事を書いたことがある。
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水中写真は、ジャンルとしては「ネイチャーフォト」に属するが、
そういう意識がまったくない応募者が多い。
「お稚児衆を引き連れて」「ガマ口」「オバケのQ太郎」
といったネーミングに我慢がならなかった。
写真界には文学性を求めるネーミングの流れがあって、
それが水中写真では「天空のワルツ」
「水の風景」「銀河のロマンス」などとなる。
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水中は一見、宇宙を連想するところがあるので、
宇宙をなぞるネーミングが多い。
それにしても、海の中で「水の風景」はなかろう。
ネイチャーフォトであるからには、
そこに写っている生物の名前くらいはしっかりとつけたい、
そう提唱し続けた。
ちなみに、第13回水中写真コンテストの
わがグランプリ受賞作品は「イワシの春」
第29回「よみうり写真大賞」
第1席受賞作品のタイトルは「わんマンショー」
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少し話がそれるが、
ダイバーには海にちなんだ名をわが子につける流れがあった。
2人の娘に「南海子」(なみこ)、「輝海子」(きみこ)とつけた母。
しかし、2人の娘はダイバーとはならなかった。
なのに南海子さんの子は「海音」(かのん)、
輝海子さんの子は「海聖」(かいせい)というからお見事。
ダイバーの子には、
ほかに「友海」(ともみ)、「七海」(ななみ)、
「夏海」(なつみ)などがある。
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ネーミングにも、ジャンルや時代の風潮があって、
かつて文学作品には「波」「鼻」「心」「蒲団」
「歯車」「和解」「明暗」「三四郎」「暗夜行路」など、
短いタイトルが多かった。ピシッと、しまっていた。
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それがいまは、
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
(ともに村上春樹氏)の時代である。
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ラジオでは、
「有馬隼人とらじおと山瀬まみと」
「伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!」
「すっぴん」
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平和ボケというのか、
肩にも腰にも心にも力が抜けた、
うたた寝のような姿勢で
人前に出ることが許される時代である。
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ネーミングは、
森羅万象、見聞や体験を端的に認識する能力である。
五感で感知したものを体系化すること、
言い換えればフォルダーに入れて
記憶することにほかならない。
表現する前に、自分の中でブログラム化する必要がある。
ダラダラと長いコトバで認識するか、
一言で認識するか。
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フォルダーやインデックスは、
短いほうが便利だが、
それでも、人生には長々と説明する時と場合とがある。
両方の能力を兼ね備えていたほうが有利だろう。
スピーチや講話、講演は長めに属するネーミングだろう。

認識とは、最終的には言語化に行きつく。
狙ったとしか思えないホールインワン、
ワンチャンスしかないときのシュート、
形勢逆転のホームラン、
みんなから称賛されたパーティファッション。
それらは言語行動ではないが、
あとで言語化を求められたりする。
「あのシュートを決めたときのご感想は?」
「あのときのファッション、いつから準備したの?」
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写真のネーミングセミナーをやってほしいと言われたが、
効果を出すにはかなりの回数やトレーニングがいる。
しばらくは自主トレに励んでもらうしかない。
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その1つは、1日10~20個、
なんでもいいからタイトルをタイトルノートに書き写す。
これを1か月くらい続ける。
あるいは、
毎日の食事をネーミングする。
「粘力朝食」
「腹黒男の黒酢ランチ」
「子持ちシシャモの2人っきりミニディナー」
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さて、この回のまとめとして、
世界を17文字で表現する俳句名人の句を5句、
紹介しておこう。いずれも池田澄子さんの作である。
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  やどかりや地球だんだんあたたかく

  永遠に泣いていたいの心太  (ところてん)

  刺した蚊と痒い私とうすら寒

  少しなら要らぬよ情けも散る花も

  二人して春から夏へ野を駆ける
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# by rocky-road | 2016-05-17 17:49  

第390回 パルマローザ 写真教室 選外作品講評

選外作品講評

銀賞、銅賞、入選作については、
栄養士・健康支援者のための写真教室≫主催者、
影山なお子さんのブログ、
スタンバイ・スマイル」で発表しているので、
ここでは、選に漏れた応募作品について、
選評してみた。今回は金賞は「なし」とした。
http://palmarosa.exblog.jp/

写真は映像表現ではあるが、
森羅万象を認識し、記号化するという脳の作業という点では
言語表現と大差はない。
18歳から成人とする、消費税を10㌫にする、
そういうことをどう考えるか、
みなとみらいの風景をどうとらえるか、
それもこれも、
認識力、思考力という点で共通性がある。大橋禄郎

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エントリー 2
タイトル
真昼のひととき
撮影 さいとうはる子さん
(東京都 行政 管理栄養士)
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【評】
スケッチをする姿をうしろからそっと撮った。
「そっと感」は作品にも出ていて、
インパクトに不足がある。
もっと寄って描いている絵を見せるか、
モチーフのレンガ倉庫を美しく撮るか、
あるいはその両方を示すか、
強い表現力がほしい。
タイトルもマイルドな遠景をほんわかと示している。

エントリー 6
タイトル
YOKOHAMA CITY
撮影 塚本はつねちゃん
(長崎県 佐世保市 小学校4年生)
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【評】
のどかな公園の風景を
しっかりした構図で切り取っている。
人物をやや左に配したのも、観覧車との対比でグッド。
観覧車は、もう少し空の部部まで入れておきたい。
旅のスナップとして撮っておきたい1品。

エントリー 7
タイトル
ピンクのトリオ
撮影 塚本ゆみ子さん
(長崎県 佐世保市総合医療センター 管理栄養士)
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【評】
ピンクのトリオに着眼したのはよいが、
縦位置の写真を横にしたようで、
安定感がとても悪い。
縦位置にして見てみたが、やはり落ち着かない。
カメラアングルに問題がありそうだ。
構図力をつけよう。

エントリー 8
タイトル
春の日差しを満喫
撮影 田澤 梓さん
(神奈川県 シダックス株式会社 管理栄養士)
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【評】
構図としてはおもしろいが、
子どもの動作が説明できていない。
近景の向こうの遠景を撮るとき、
両方に目配りをして、
ジャストタイミングでシャッターを切りたい。
左端の大人の姿が、竹割り式に一刀両断、
その半身が残っているというのも、
構図への配慮不足のアカシ。
タイトルの「満喫感」が感じられない。

エントリー 9
タイトル
ツツジ@みなとみらい
撮影 渥美智佳子さん
(静岡県 病院 管理栄養士)
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【評】
初夏の港の風景を手慣れた構図で撮っている。
ツツジと遠景のバランスもよい。
残念なのは、右の壁のような影。
これを外して撮ることができなかったのだろうか。
むしろ縦位置に構えて、
みなとみらいの空をもっと入れれば、
はるかに印象的な作品になっただろう。
応募のとき、縦位置にトリミングすることは許される。

エントリー 10
タイトル
日本丸の船首から
撮影 三奈木麻弓さん
(東京都 行政 管理栄養士)
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【評】
大胆な構図で、キャリアを感じさせるが、
説明不足は否めない。
カメラポジションが選べず、
こう撮るのが精いっぱいだったと思うが、
帆船の舳先に船員が整列していることを
写真を見て理解できる人は少ないだろう。
マイナス補正のし過ぎで、
船員の服が重くなったのも残念。
これも、応募のとき、
パソコン上で修正ができるはず。

エントリー 11
タイトル
屋根より高く
撮影 三奈木博文さん
(東京都 株式会社ミナキ)
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【評】
入選作と同じく、トランポリン遊具で遊ぶ子を撮っている。
しかし、楽しさよりも、なぜかシラッとした印象。
遠くから望遠で撮ったのか、
現場のにぎわいが消えている。
遠くにいる「われ関せず」という人の動き、
頭の一部だけが出ている人たちの存在感のなさ。
戦場カメラマンではないが、
やはり熱い現場に身を置いてこそ撮れる写真もありそうだ。
タイトルは、季節柄、どんぴしゃり。

エントリー 12
タイトル
こいのぼり日和
撮影 奥村 花子さん
(東京都 Hanaヨガ&食スタジオ主宰 管理栄養士)
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【評】
青空、高層ビル、帆船、いくつかの家、鯉のぼり。
なんとも盛りだくさんな作品。
あんまり欲張ると、
けっきょくなにを表現したかったのかがわからなくなる。
「風景チャンプルだ」との反論があるかもしれないが、
ならば、これをどう味わうか。
幕の内弁当の食後感と同じで、
「なにを食べたかわからない」となる。
「こいのぼり日和」なら、
鯉のぼりの撮り方を考えよう。

エントリー 13
タイトル
カメラを構えて
撮影 山本恵美子さん
(東京都 企業 )
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【評】
タイトルどおりの作品だが、
これといった情報が伝わってこない。
味に自信のる飲食店なのかもしれないが、
写真で見る限り廃屋にしか思えない。
これを撮ろうとする少年カメラマンの撮影意図も伝わらない。
シャッターチャンスは不可欠だが、
そこには鑑賞者を納得させる情報がほしい。
少年の足元までしっかり収めよう。

エントリー 14
タイトル
グリーンロード
撮影 甲斐 和恵さん
(神奈川県 船員保険健康管理センター 管理栄養士)
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【評】
人の配列、雲の様子、広い緑地、
記念写真としておもしろい。
しかし、作品としての新しさ、ユニークさは感じられない。
記念写真は作品にはならない、
ということではなく、
いろいろの演出ができる以上、
「こうきたか!」という独創性がほしい。

エントリー 15
タイトル
ハナくらべ
撮影 植村 寿香さん
(千葉県 高齢者福祉施設 管理栄養士)
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【評】
狙いはわかるが、タイトルの表現ができていない。
致命的なのは、子どもの表情が見えないこと、
顔がアンダーで、楽しさが伝わってこないこと。
普通にまたがっただけでも、
笑顔でピースサインでもしているほうが明るさは出る。
これはたぶん、怖くてへばりついているのだろう。
それならそれで撮り方はある。
心配そうなママの姿を入れるとか。

エントリー 16
タイトル
ちょっと、ひとやすみ
撮影 岩田 博美さん
(神奈川県 企業 栄養士)
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【評】

暗い。露出的な暗さだけでなく、絵全体が暗い。
海が見えるとか、芝生が広がるとか、青空とか、
そういうさわやかさがなく、
建物の裏手のように見える写真からは、
あたかも人目を避けて逃避行する2人のような連想が浮かぶ。
ロケ地として不適。
カップルの明るい表情もほしい。

# by rocky-road | 2016-05-12 13:30  

自己表現としての写真。

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2016年4月29日は恒例の「写真教室」で、
終日、横浜のシーサイドを歩き回り、
翌30日は「食ジム」において、
コミュニケーションスキルとしての
写真について話し合うという、
写真づくしの2日間を送った。
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写真教室はパルマローザの年中イベント。
食ジム」は食コーチングプログラムス主催の
ディスカッションセッション。
第44回 「栄養士・健康支援者の情報発信に
写真をどう使うか

(会場/横浜市技能文化会館)
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写真教室のほうは、経験者が増えたこともあって、
レクチャーは簡略にして、いきなり撮影開始。
大桟橋には「飛鳥 Ⅱ」が入港していて
ジャストタイミングであったが、
冷たい強風に見舞われたため、
撮影場所を赤レンガ倉庫付近に移した。
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写真撮影は
きわめて臨機応変が求められるジャンル。
戦場カメラマンや災害現場取材者のように
命がけで撮影をする一方、
代案があるときは、さっさとそちらにポイントを移す。
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プロの水中カメラマンの言だが、
ボートダイビングのとき、
ボートの真下に着地した時点で、
素早く撮影プランを想定しなければいけない、と。
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「なにかいい被写体はないか」
「もっとおもしろい被写体があるはずだ」と
探し回っているうちに、エアをいたずらに消費し、
あるいは潮流が速くなったり、
濁りが出てきたりして、
ロクな撮影もできないままに
その回のダイビングが終わる。
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こういうことがないように、
撮影体制ができるやいなや、
その地形、そこの海底景観の特徴を把握し、
そこで可能な撮影テーマを決めて撮影を開始する。
「見切りをつける」
「相手に期待しないでチャンスは自分でつくる」
などと表現する。
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ウロついたダイバーのほうが
おもしろいものに出会う可能性がないでもないが、
ボートの下の、かならずしもベストではないポイントで
自分の被写体を見つける、
あるいは、そこにあるものを自分の被写体として作品化する、
そういう判断をしたほうが、
結果として、手堅く、自分らしい写真が多く撮れる。
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プロやベテランほど、高望みや大ヒットを夢想しない。
できることから確実にモノにする。
そのあたりの見極めがベテランの
ベテランらしさというものだろう。
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自分に与えられた条件の中から
出来得る限り最上のコトやモノを獲得する、
この図式は、人生にも、仕事にも、
人間関係にも、趣味にも、買い物にも当てはめられる。
つまり、
水中写真にも、陸上写真にも、
いいや、きょうのゴミ捨てにも、
石にケッつまずいてぶっ倒れるときにも、
「哲学」がある。
そういう哲学は、哲学教員からは学べない。
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ともあれ、この日の撮影作品はコンテスト対象とし、
後日、賞をもって評価する。

30日の食ジム、
「栄養士・健康支援者の情報発信に
写真をどう使うか。」では、
こんな話し合いをした。
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1.手持ちの写真のうち、いちばん気に入っている、
  または大事な1点をあげるとしたら。
2.私の写真歴、いつから、どんなきっかけで。
3.「私のベストポートレート」披露。
4.フォトコミュニケーション、私の流儀。
5.健康支援者は、写真をどう活用すべきか。


「1」について、私の場合は、
  昔、アラスカ州のアンカレッジ空港内で出会った、
  オードリー・ヘップバーンの写真が
  その1点だろう。
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「3」について、みなさんの公開した写真の多くは、
  旅先や街中のスナップ、記念写真。
  メディアに公表するときには周辺や背景がじゃま。
  無地のバックで、上半身の「肖像写真」の準備は
  すみやかに始めるべきである。

  パルマローザの場合、これとは別に
  ファッション写真も用意しておく必要がありそうだ。
  オピニオン紙「エンパル」(同会の定期刊行物)に
  ファッション事例として紹介される可能性、
  その結果として、専門誌からの掲載依頼の可能性が
  あるからである。
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「5」については、私なりにまとめておこう。

1.写真とは、宇宙の森羅万象を視覚認識することである。
  連続的な、ひとときも静止することのない世界を
  何百分の1秒というタイミングで記録することである。
  食材の鮮度、食材の切り方、盛りつけのデザイン、
  それらを視覚的にコミニケートすることである
  (自分と、人とに)。
  写真技術のメリットは健康支援者に限らず万人に共通する。
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2.料理や食事写真は、
  料理教室の教材、食事相談の資料として活用できる。
  「食事相談」とはいえ、コトバ以外のメディアを
  もっと活用できる場面がある。
  埃っぽいフードモデルよりも、
  両手に持った野菜350グラムの写真、
  ハカリに乗せた350グラムの写真、
  料理に展開した350グラムの写真のほうが、
  アピールするところが大きいはずである。
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  写真を適材適所に使うためには、
  パソコンのフォルダーを
  バージョンアップする必要がある。
  「肉」「魚」「緑黄野菜」「単色野菜」
  (または第1群、第2群、第3群、第4群)
 「盛りつけ」「単品」「外食」
 「ウォーキング」「ジョギング」
 くらいのフォルダーを、
 すでに作っている人が存在していることを心から祈りつつ、
 このページを終える。
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# by rocky-road | 2016-05-01 22:10  

栄養士会はどこへ行く?

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ロッコム文章・編集塾/能登教室が
この7月で10回目を迎えるという。
年4回のペースだから、
2年半が経過したことになる。
もっとも、その前から、
単発ではうかがっているので、
それらを計算に入れると
10年近くにはなる。
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任意の栄養士会が、
活発に活動をしてるのを見ると、
地域や、わが国を代表する栄養士会に
積極的に参加している人と出会う機会が少ないのはなぜだろう、と、
しばしば思う。
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地域の栄養士会や、
さらに大きな栄養士会の内部事情は知らないが、
学会誌を見る限り、
これでは人が集まらないだろうとは、
だれもが思うことだろう。
「だれも」の中には、
当然、関係者も含まれているはずだが、
しかるべき対策が練られないまま
年を重ねているのを見ていると、
ひよっとして、いまの行き方でよいと、
少なくとも関係者は思っているのかもしれない。
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関係者といっても、
一定の任期で役員は変わるから、
新任者は、しっかり下積みを経験しないまま、
ほぼいやいや役員を引き受ける、
あるいは押しつけられるかして任につくから、
そう簡単には気合が入らないのはわかる。
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そういう組織が定期発行する学会誌は、
編集経験者から見ると、
ほかの学会誌と横並びしたくて、
精いっぱい背伸びしているように見えて痛々しい。
テーマの多くに読者(会員)のニーズが感じられない。
こういう雑誌について、
出版界では「ページに風が吹いていない」という。
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掲載されている論文の多くは建前論で、
読者の1人1人と語り合おうという姿勢が感じられない。
役員をはじめ、多くの筆者の論点整理がうまくいっていない。
文章がぎこちなく、下手くそ過ぎる。
編集部のチェックが入らない、
成り行き任せの編集である。

レイアウトがなっていない。
1行が23字というのも、
栄養士の一般的な読解力からすると長すぎる。
なかには1行が43字、なんているページがある。
ビジネスを伴う版元だったら、
こんな雑誌には読者がつかず、編集長は、即クビだろう。
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「投稿規定」が載っているページがある。
これも、どこかの学会のまねなのだろうが、
A4ページの左右1行48字のベタ組みの7ページ。
こんなにハードルを高くしておいて、
何を期待しているのか。
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それでいて、ある人が応募したところ、
受け取ったでも不採用でもなく、
返事がないままにボツ。
自分が編集長であったときを振り返ると、
想像不可能な横柄な態度。
何様のつもりか。

この十数年、
あるNPO法人が発行する機関誌の編集のお手伝いをしてきた。
ここでは4人のプロの編集経験者に外部委託をし、
発行済みの雑誌の評価と、
次の号の企画についてアドバイスを受けるために
定期的にミーティングを続けている。
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このほか、いくつかの組合から
機関誌の新任編集スタッフ向けのレクチャーを
依頼されたこともある。
そこでは、新聞社や雑誌編集者を講師に
そのつど講義を受けているという。

アマチュアが、
プロの評価を受けることなく、
どこかの学会誌のまねをしようと思っても、
そうは問屋が卸さない。
まねをするにしても、それなりの素地がいる。
このケースでは、
目線は他誌のほうに向いていて、
自分の読者のことなど考えてはいられない。
読者不在の編集は、こうして踏襲される。
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NHKテレビの「プロフェッショナル」ではないが、
「編集のプロとはなにか」と問われれば、
「読者の深層心理と向き合うこと」である。

・・・・・なんていう話を、
ビジネスの成功者が耳にしたら、
「ちゃんちゃらおかしい」というだろう。
消費者ニーズの的確な把握は、
ビジネスの基本中の基本。
それなくして仕事なんぞ、できるわけはない、と。
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が、世の中には、
閉店への道を歩んでいるデパートがあり、
遠からず、買収されるスーパーマーケットがある。
ということは、ニーズを読めない、
言い換えれば、人の深層心理を読めない人間が
少なくない、ということである。

学会の役員や編集担当の救いのなさは、
自分がビジネスにかかわっている、という自覚がないことである。
「食コーチング」は力説する。
「栄養士はサービス業である」
「対人コミュニケーションを基本スキルとする接客業である」と。
本業はなんであれ、
学会の役員になったからには、
精いっぱい会員にサービスをしなければならない。
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自分が平会員だったときに感じていたこと、
不満に思ったことを緩和すべく、行動すべきである。
もっとも、やる気のない人というのは、
人の話さえ聞きたがらない。
人から参考意見を聞こうという人は、
そのこと自体、才能と考えるべきである。

会員不在の学会誌、会員不在の学会。
こういう難題と直面したとき、
現在の担当者だけを責めてはいけない。
「♪こんな女にだれがした♬」という歌が終戦直後にはやった。
そう、そんな人間にした先輩がいるはずだ。
と、源流を訪ねていくと、
けっきょくは「伝統だから」「前例に沿って」となる。
これぞ日本文化の典型である。

現アメリカ大統領ではないが、
まずは「チェンジ」である。
前任者がどうあれ、
まずは、変えることを最初の仕事にすべきである。
どう変えるかはあとから考えればいい。
まず「変える」ことをコンセプトにする。
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次に、しかるべきプロのアドバイスを受けるべきである。
1回、2回ではなく、
継続的にアドバイスを受け続けることである。
学会が企画する研修会なども、
Aという講師にaというテーマの講義を依頼し、
Bという講師にbというテーマの講義を依頼する。
これを何十年も続けている。

摂食障害に「ドクターショッピング」という困った傾向がある。
自分を甘やかしてくれるドクターを求めて、
次々とドクターを変えてゆく。

栄養士の会も、多分に「講師ショッピング」傾向がある。
1つのことをしっかり勉強しない。
次はA、次はBと、
テーマや講師はルーレットのように代えていく。
これでは1つのことさえ身につくはずがない。
A講師にaの講義、bの講義、cの講義を受けたほうが、
実効性がある。

ルーレット式は、
「セミナーコレクター」のような、いやなタイプをつくる。
「ああ、A先生の話、聞いてたことあるわ」
「B先生ね、聞いたことあるわ」
「あなた、C先生、知らないの?」
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こういう懸案は、
どう解決していけばよいのか。
それは、小さなグループが、
エネルギッシュに、やりたいことをやっていけばよい。
それがいつかは、新しい潮流をつくっていく。
パナソニックもホンダも、
かつては小さな町工場だったという。

小回りが利くということは、うれしいことである。
いいや、本当のところは、
ディスカッションのシステムさえ維持できれば、
どんなに大きな組織でも、
小回りは利くものである。

# by rocky-road | 2016-04-20 00:11  

「ヘルスコミュニケーション」というコトバ。

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6月5日(日)に行なう
パルマローザのブラッシュアップセミナー、
「『ヘルスコミュニケーション力』をどう強化するか。」
のために、テキスト作りを始めた。
(横浜/神奈川近代文学館 講師 大橋禄郎)

ヘルスコミュニケーション」というコトバを
数年前から使っているが、
そのコトバを掲げる学会があることはあとから知った。
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文章にしろ、講義にしろ、
あまり使い慣れていないコトバを使うときは、
まずはコトバの定義をすることから始めるのを習慣としている。
学会がある以上、
学会の定義に従うのが原則であろうし、
マナーでもあろう。
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きょうは、
「ヘルスコミュニケーション」について、
BGF(バック・グラウンド・フラワー)をバックに、
論じてみよう。
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インターネットで「ヘルスコミュニケーション」を
検索していたら、
こんな説明をしているホームページにたどり着いた。
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「ヘルスコミュニケーション学は、
医療・公衆衛生分野を対象としたコミュニケーション学です。
日本国内では、医療コミュニケーション学、
医学コミュニケーション学等と呼ばれることが多いのですが、
英語圏ではHealth Communication
という言葉を用いるのが一般的です」
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これは「ヘルスコミュニケーション学」の
解説または説明であって、
「ヘルスコミュニケーション」
そのものの定義とはなっていない。
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考えてみれば、「ヘルスコミュニケーション」などは、
読んで字のごとし、で、
あえて定義するまでもない、ということなのかもしれない。
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しかし、このコトバ、
いろいろの概念を包含しているので、
整理しておく必要を感じる。
WHOの「ヘルスプロモーション」の定義を
「ヘルスコミュニケーション」の定義に
転用しているホームページもあったりするので。
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私がイメージする「ヘルスコミュニケーション」は、
医療従事者のためのそれではなく、
軸足を個々人に置いて考察したいテーマである。
そこでさっそく定義すれば、こうなる。
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「個人、集団が行なう健康にかかわる、
または健康を左右する
言語・非言語コミュニケーション行動をいう。
個人においては、発声・発話のカタチ、
言語化された思想、感性、非言語的な生活行動などを対象とする。
社会的には、国、地域、行政、マスメディア教育現場、
各種コミュニティ、事業所などにおける言語・
非言語コミュニケーション活動を対象とする。
研究テーマとしては、健康度という観点から
個人や集団のコミュニケーション行動を考察したり、
改善したり、評価したりする」(2016年4月 大橋)
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かつて、摂食障害の症例をいくつか見てきたが、
それを「コミュニケーション障害」と考えたことがある。
親子のコミュニケーションの過不足、
夫婦のコミュニケーションの過不足が、
子の摂食障害の強い要因となっている例が
少なくない、と見た。
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のちに、ある学者が、
「不登校も摂食障害も発生原因は同じだ」
といっているのを聞いたことがあるが、
私には、その言わんとする意味がよくわかった。

摂食障害の人からもらう手紙には、
親(とくに父親)の悪口を延々とつづるものが
少なくなかった。
不登校も、学校でかかるストレスを
緩和するだけのコミュニケーション環境が
家庭にないか、弱いために、
自分のへやに閉じこもってしまう、
というプロセスを想定できる。
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ここでいう「家庭」の主体は夫婦である。
夫婦のコミュニケーション不足や歪みの影響が
いかに大きく子に及ぶか、
その事例を少なからず見てきたように思う。

「ヘルスコミュニケーション論」を振りかざすことを
厳に自制しなければならないが、
「いじめ」とされる自殺の中には、
家庭なり学友なり、教員なりとの
コミュニケーションの質と量に
問題がある場合も考えられる。
そういうケースについては、
自殺も、
ヘルスコミュニケーションのテーマとなりうる。
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個人の言語行動にしても、
対話中に、「でも」といって発話する人と
「なるほど」といって発話する人とでは、
現在、将来にわたって、健康度はどうなるのか、
というようなテーマでアプローチができる。
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現人類はアフリカに発生したといわれるが、
北の、かならずしも生活環境に適さない
乾燥・寒冷地域に展開した人類のほうが、
健康寿命が長い、という現状を、
どう理解すればよいのか。
「健康」をビジネスにする者として、
考えてみたいテーマを
スタートラインに戻って再スタートしてみたい。

もうしばらく、
テキストを練り続けることになる。
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# by rocky-road | 2016-04-06 23:42  

水族館はお好きですか。

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ロッコム文章・編集塾/能登教室の終了後、
能登島水族館を案内していただいた。

まったくの偏見だが、
日本海側の水族館にジンベイザメがいるとは思わなかった。
別に、ジンベイザメが特段好きというのではなく、
ジンベイザメのいる広い水槽が好きなのである。
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昔、日本海側のある県の水族館に行ったものの、
淡水魚の割合が多く、
なんとも陰気で幻滅したことがある。
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時代は変わって、どこの水族館でも
広い水槽に暖流系の魚の群れを泳がせるようになった。
そういう点では、どこも似てはきている。

能登島の水族館を見ていて、
ふと、以前行ったカリフォルニアにある
モントレー水族館に似ているような気がした。
地元の人によると、
提携しているようなところもあるらしい。
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ウイークデーでもあったのか、
大水槽の前に立っても、
ほかの見物人がカメラのフレーム内に入ってこない、
というのも大きな魅力だと、
つくづく思った。
中の魚よりも人の頭のほうが多いくらい
というところばかりを見てきたからだろう。

能登島では、
水槽内の底をダイバーが清掃していた。
混んでいてはそういうことはできないだろう。
サメなどの急襲を防ぐために、
人間がケージに入って作業を進めていた。
人間がそこにいることが、
私にはうれしかった。
めったに撮れない写真が撮れた。
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ここでも、
イルカのショーをやっていたが、
トレーナーの解説が
まったくのお子ちゃま向きなのは、
国内共通のように思えた。
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甲高い声で、
「さあ、あそこを飛び越えられるかなぁ~」
とやっている限り、
子どもたちは、ショーは楽しむにしても、
水生動物への関心を深めることないだろう。
そして、小学高学年になるころには、
子ども扱いする大人を敬遠するようになり、
結果として、ショーを子ども向きと
認識するようになるだろう。
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ナレーションの文章の見直しをすすめたい。
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カナダのバンクーバー水族館では、
解説タイムを「セッション」と呼び、
シャチのいるプールの水温や、
彼らが食べる食料の種類や量について
静かな声で説明していた。
社会が、大人を育てようとしているように感じた。
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いま、
モントレーの水族館の写真を探したが、
ラッコなどのショットがないので、
慌て始めた。
フィルムをデジタル化していないのだろうが、
さて、そのフィルムはどこにあるのか。
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いくつかの水族館、
そしてホテルの水槽などで撮った写真を
ランダムに掲げておこう。
撮影地は、能登島、沖縄、葛西(東京)、九州、
ハワイ、バンクーバー島、
そして、お台場、旧日航ホテルなど。
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# by rocky-road | 2016-03-30 00:00  

もう、タラの芽の天ぷら、食べましたか。

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ロッコム文章・編集塾、能登教室の9回目が終わった。
2014年4月から、
3か月に1回のペースで満2年になった。
受講者も20余人程度で安定、
運営もスムースになった。
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この教室では、
司会をいろいろの人に体験させて、
そのワザを磨き合っている。
最初は原稿棒読みの司会ぶりも、
いまでは季節の話題から始まり、
前回の講義の振り返りをするなど、
柔らかく参加者の気持ちを高めてゆく。
なかなかの準備性である。
季節の話題は、こんなふうに。
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 「3月と言いますと、
 私の家は農家でございまして、
 農業の始まりの月でもあります。
 私が能登に嫁いで来ましたときは、
 まだ五右衛門風呂で、
 マキでお風呂を沸かしていました。
 このお風呂には、
 人間以外のモノも入ります。
 モミを品種ごとにネットに入れて、
 五右衛門風呂の湯壺に水を張って
 そこに浸す、そこから農作業が始まるのです」

 「持っている知識に
 新しい情報を取り入れ形として行く、
 3月は、そういう始まりの月だと感じています」

農作業と、今年の勉強の始まり。
苦心の作というべきか。
ローカルの味もよく出ている。
司会は本谷(ほんや)佳美さん。
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今回の授業メニューは、
1.宿題発表(前回の受講の感想)
2.非言語記号のリテラシー。
3.文章を音読することの意味。

「非言語記号のリテラシー」は、
ふだん、見聞するテーマとは異なるので、
やや理解に戸惑っている感じがした。
少し補っておこう。
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人間にしろ、動物にしろ、
人生は「いつか来た道」を行くのではなく、
1歩1歩が本人にとっては初めての道である。
その道を五感を使って、安全に、
かつ効率的に進んでゆく。
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かすかに吹く風に春の到来を感ずる、
路傍のタラの芽に目をやる。
採って夕食の一品にしようか。
そういう環境認知は、
まずは動物的な感覚によって行ない、
そして言語的なプログラムにしてゆく。
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感じたものを言語記号に置き換えてゆく。
それは人間の知的作業である。
読書も知的活動だが、
言語化されていないもの、
いや、目には見えないものを感じるプロセスも
知的作業である。
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路傍に頭を出しているタラの芽は、
明らかに視覚に入る対象物だが、
見ても見えない人もいる。
見える、見えないは、
その人、そのときによって決まる。
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見えた人が「あ、タラの芽だ」と
感じた範囲では、
タラの芽を「認知」したまでだが、
さらに、それを採って夕食の一品にしよう、
「そういえば、家族の好きな料理だ」と
考え始めるあたりから、
「非言語的対象」を
「読み解く」(リテラシー)ことになる。
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なぜタラの芽が「非言語」なのか。
「『タラの芽』という名がちゃんとついているではないか」
でも、その名を表示して頭を出しているわけではない。
見ても、それがなんだかわからない人も多い。
自然界の万物は名札をつけて存在なんかしていない。
それらを知覚すること、
それを「非言語記号を読み解く」という。
厳密にいうと、タラの芽が「記号」となるのは、
それに着目し、認識し、
自分および人とのコミュニケーションのメディア
として使う段階からである。
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地下にあるカウンセリングルームに、
予定どおりクライアントが訪ねてくる。
「ここがわかりましたか」と問いかける。
患者さんが、病院の玄関から、
カウンセリングルームに来るまでの行動は、
患者さん本人にも、とくに認識されてはいない。
が、「ここがわかりましたか」という一言で、
カウンセラーと患者さんの共通話題になる。
これが言語化であり、
患者さんがカウンセリングルームに
たどり着くまでの道のりが「記号」となる。
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講義で
「世の中には、コトバがついているものよりも、
コトバがついていないもののほうが、はるかに多く、
その数は無限である」と
何度でもいうのは、このことである。
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 「2016年3月21日、
 石川県能登にある、
 介護老人福祉施設『千寿苑』に集まった、
 ロッコム文章・編集塾/能登教室の受講者
 20数人の人たち」
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というコトバ(フレーズ、表現)は、
いま、ここで表記する以前には存在しなかった。
「草食系男子」も「肉食系女子」というコトバも、
「ベルギー同時テロ」というコトバも、
10年前、あるいは1週間前には
この世には存在しなかった。

それらを予測することが
「非言語記号のリテラシー」ではない。
相手を思いやるコトバ、
「雨にぬれなかったですか」
「体重が減って、スリムになったこと、
どなたかに指摘されたりしました?」
「桜前線は、例年より北上がスローペースになるかも」
など、いろいろの事物、
いろいろの現象を読み解くこと(理解すること)、
そういう能力のことをいう。
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それがなぜ必要なのか。
それは、自分の世界を広げること、
自分の世界を活性化すること、
コミュニケーション環境を豊かにすること、
さらにいえば、
人生を刺激的にすることの
ベースになるからである。

作詞家・阿久 悠さんは詠んだ。

 「透明人間、あらわる あらわる」
  ……
 「嘘をいっては困ります
 あらわれないのが透明人間です」
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そこで言おう。
 「弱気になっては困ります。
 人間は、透明なものでも見えるのです。
 記号化能力があれば、
 見えないものが見えるのです。
 それが非言語記号のリテラシーです」

次回の能登教室は7月23、24日。
10回記念の企画中とか。
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終了後、能登島にある水族館を訪ねた。
自称、水族館評論家としては、
大いに楽しめるところだった。
ここに2頭のジンベイザメがいるなんて、
初耳だった。
能登は、奥が深いのか、
いいところの出し惜しみをする土地柄なのか。
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# by rocky-road | 2016-03-25 14:44  

リアリティのあるトレーニングを。

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読売新聞の人生案内は、
質問内容も、それへの回答内容も、
食事相談や健康相談を行なう健康支援者にとっても、
大いに参考になる。

 *太った妻をやせさせたいと思い続けて30年という夫、
 *高齢になって年賀状書きはもう限界という男性、
 *夫の死を願ってしまう50代の主婦、
 *人前で話すのが苦手という30代の女性社員
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などなど、当塾や各地でのセミナーでは、
しばしば宿題として取り上げ、受講者の回答を求めている。
「人前で話すのが苦手」については、
3月6日の、
コミュニケーション研究会 ひろしま≫の
セミナーで、みなさんに発表していただいた。
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第三者の質疑応答に対して、
あとから別の回答をするのは、
いわば「あと出しジャンケン」だから、
ずいぶん有利であるはずだが、
健康支援者は、概して
まばゆいばかりの純粋性を持っているので、
回答は、新聞紙上以上に美しくなりがち。
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「妻の肥満を気にする夫」に対しては、
「よく話し合って」「いっしょにウォーキングをしては?」
となりがちであり、
「人前で話すのが苦手の女性」に対しては、
「人前で話す機会をつくればよい」や
「親しい人と思って話せば緊張しない」であったり。
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30年も干渉し続けた夫の評論家的態度を
イメージしないから、
「いっしょにウォーキングをしたら」などと
能天気な回答になってしまう。
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アカの他人の前で話すのを苦手とする人に、
「親しい人と思え」というのはムリ。
思うだけで解決するのなら、
「自分は世界一の大金持ち」
「世界一の幸せ者」の1フレーズで、
地球上に争い事はなくなるだろう。
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ロッコム文章・編集塾の塾生に限らず、
日本人は「心得論」を好む傾向がある。
「こう考えればなんとかなる」と。

たとえば、天災。
「忘れたころにやってくるから」と、
メディアは記念日的にいっせいに放送をし、
忘れることを抑止する。
しかし、毎年、同じ日時に
注意を喚起しているうちに、
それが慢性化して、むしろ耐性ができてしまう。
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こんな場合、行動科学的に考えれば、
避難訓練以上の対策はない。
防波堤を作ったり、陸地を高くしたりと、
同じ場所に同じ津波が来る、という想定は、
発想自体にも問題がある。

各地に活断層が走っている日本のこと、
ハザードマップを作ることは不可欠だとしても、
それに基づいた避難訓練をしなければ、
非難想定地図も「情報の宝」の持ち腐れである。
訓練にしろトレーニングにしろ、
そこにはリーダーが不可欠。
しかし、リーダーは現実には不在。
そこで、メディアが疑似リーダー努めることになる。
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小学生低学年時代、
空から落ちてくるB29投下の焼夷弾(しょういだん)を
見つけ次第、火が本格的に噴き出す前に
「防火用水」(家々の外壁に沿って作った水槽)に
火の出る頭から漬ければ火は消せる、
という実習を校庭で受けた。
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以来、空襲があるたびに、
落下直後の焼夷弾と遭遇することを期待したものである。
トレーニングというのは、困ったもの。
焼夷弾の落下を嫌うのではなく、
「さあ来い」という反応が起こる。
小学2年生の、一種の条件反射である。
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行動科学は、
心得だけでは実際行動は導き出せないことを教えている。
人前で話すのが苦手なら、
ペットの前で10回、
動画収録用カメラの前で10回、
家族の前で20回、
友人の前で50回くらいの
トークトレーニングによって、
緊張感への耐性をつくっていくのが基本であり、
それを避けていては、
克服は時間がかかるばかりである。
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「忘れない」「語り継ぐ」と
100回コメントすることよりも、
1回のトレーニングのほうが実効性は高い。
しかし、リーダー不在の社会では、
災害経験地域以外では、
トレーニングの実施はまず期待できない。
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「机上のプラン好き」型の現在の日本では、
まずは、
片っ端から災害対策マニュアルを作ることから
始めるのも一法である。
ひょっとして、出版不況対策の1つにはなるだろう。
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寝たきりの人の避難訓練マニュアル、
子どもや年寄りの避難訓練マニュアル、
ペットや飼育動物の避難訓練マニュアル、
家族の避難訓練マニュアル、
幼稚園児・小学校生の避難訓練マニュアル、
地域の違う恋人との避難後再会マニュアルなど。
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ロッコム文章・編集塾は、
キャリア不足のため、
ここには参入できず、
論理的思考とコミュニケーションスキルアップへの
ささやかな貢献を続けるのが現状である。
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# by rocky-road | 2016-03-14 20:55  

はからずも、この道。

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工藤昌男さんの、
ダイビング界への貢献を確認し、
称える会を開いた。
題して「工藤昌男さんの『海からの発想』を語る会」
2016年3月5日、6時30分~8時30分
新宿区「ウイズ新宿」3階会議室。
タイトルは、工藤さんの著書の書名にちなんでいる。
発起人は、山崎由紀子さん(マナティーズ)と私。
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工藤さんは、1930年、東京生まれで、この3月で85歳。
戦後のレクリエーションダイビングの草分け世代のお1人。
アメリカの進駐軍から
直接習った日本人を第1グループとすると、
その人たちから、さらに習った日本人は第2グルーブといえる。
工藤さんは、
1950年代の前半にダイビングを始めたというから、
第1と第2グループの中間あたりに属するのかもしれない。
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しかし、工藤さんはダイバーとしてよりも、
ダイビングや海を科学的に解釈する論者として、
海洋雑誌やダイビング雑誌、
その他のイベントなどで活躍した。
それがダイビング関係のリーダーたちに、
刺激となった。
自分たちが後輩たちを
どの方向へ導いていくべきかを考えるときのヒントになった。
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もっとも、
工藤さんが著書の中で書いているように
「ダイバーは科学的発想は得意とはいえない」から、
多くのダイバーは、
海を科学するというような楽しみ方はしなかった。
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そうではあるが、
少なくとも私は、
工藤さんの発想には納得するところが多かった。
カメラマンが被写体を手作りして
「自然風」を装う「ヤラセ」議論がはやったとき、
工藤さんは「水中でストロボ撮影することだって
ヤラセといえばいえる」といった。
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確かに、ストロボ光は自然そのものではない。
「それを自然を撮った写真」といえるのか。
工藤さんは、ヤラセを肯定したわけでも
否定したわけでもない。
工藤さんにとって重要なのは、
発想の着眼点であり、ユーモアである。
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ビデオカメラが普及したころ、
「これからは動画の時代」
といった人がいたらしいが、
工藤さんは「人が見ているのは動いている世界。
それをそのまま撮ってもおもしろくはない。
止まっている瞬間は見られない。
それをキャッチするのがスチール写真だから、
その価値は少しも落ちるものではない」
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これらの発想は、
いまも私の写真論の下敷きになっている。
また、1975年に「水中8ミリフェスティバル」を
発足させたが、
このアイディアも、
工藤さんのアドバイスに大きく依っている。
このサークルは、8ミリフィルムの衰退に伴い、
発展的解消をし、
1983年には「水中映像サークル」へと移行した。
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時代は8ミリフィルムから、
ビデオ映像へと変わっていた。
スチール写真をどうするか迷っているとき、
アメリカでは「スライドショー」を楽しんでいる、
という話を工藤さんから聞き、
ビデオとスチール写真を楽しむサークルとした。
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当日の工藤さんからは、
1964年以前、私が出会う前のことも
お聞きしたかった。
その1つは、
かつて三木鶏郎の「冗談工房」に属する
放送作家時代(永六輔、野坂昭如氏らも仲間)の話。
あるいは、海洋博のときの
「くじら館」のプロデュースの話など。
1時間くらいはかけて聞きたかったが、
あの雄弁家/工藤昌男氏も
気力・体力は万全ではなかった。
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この会のコンセプトは、
個人の業績を確認し、
それを個々人の歴史の1ページにすること、
そして、できれば、のちの時代の人に
語り継ぐこと。
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近年、「語り継ぐ」は、流行語になっているが、
その場合、ほとんどが悲劇を対象としている。
日本人は人の業績を
肯定的に評価することが得意でない。
「伝記」という文学ジャンルが不活性なことからもわかる。
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それこそ人を「動画的」に見ているから、
ピシッと静止画像で見られない。
人の業績や人生を静止画像で見るには、
コトバが欠かせない。
コトバは目では見にくい「業績」というものを
ストップモーションで見ることを可能にするし、
保存することをも容易にする。
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それにしても、
これまでに、功績のある人と、
フェイドアウト的に別れることは幾度あったことか。
そういう別れ方は、
自分の能力の低さの証明ではないのか、
そう思うようになった。
こういう反省から、
工藤さんの功績をみなさんと共有したいと思った。

当日の工藤さんは、
「はからずも」をキーワードにして
スピーチをしたかったらしい。
「はからずも」とは「図らず」と書く。
「意図せずに」「たまたま」「偶然にも」
という意味。
つまり、気がつけばこの道を選んでいた、
ということだろう。
ギラギラしない、謙虚な表現。
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工藤さんらしいキーワードだが、
そういう人を
「なりゆき任せ」が嫌いで、
「図る」ことの好きな私が
引っ張り出したことにおもしろさを感じた。
それが人生における役割分担というものだろう。

この経験を、
みなさんも語り継いでくれることだろう。
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# by rocky-road | 2016-03-08 00:41