読書は表現力を強化する。

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この820日に行なった輪読会に

出席でなかった人の何人かに、

主催者が当日のテキストを送ったらしい。

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受け取った人の1人から、

テキストの中にある書物の新聞広告について、

問い合わせがあった。

「あの本もおすすめのものですか」と。

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このテキストは、輪読会の2日前に

読書をすすめる広告が出たので、

参考資料としてご紹介した。

本のタイトルが、カタくなくておもしろい。

広告には、目次の一部がピックアップされている。


*「自分は何も知らない」と自覚する

*読みながら考えないと身につかない

*いくつになっても偶然の出会いは楽しい

*小説で「考える力」を養う

などなど、読書の利点を的確に指摘している。

私自身は読んでいないので評価はできないが、

その段階で「読んだほうがいいか」と聞かれれば、

読書のすすめの本に、

読まないほうがいいものがあるとは思えないので、

「いいんじゃない」と答える。

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皮肉なことに、この広告には

こんなフレーズもあった。

「人がすすめる本はあてにならない」

私の本心は、「それを言っちゃぁおしまいよ」である。

輪読会でも、その点を指摘した。

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昔、著名な精神科医が

「修学旅行のような団体旅行は意味がない」

あるウーマンリブのオピニオンリーダーが、

「女性も、結婚するだけが人生の選択ではない」

ある大学教員が

「栄養の大学だからといって、栄養士の資格を取ることはない」

など公言した。

それを真に受けた人の中には、

「やり直し」のために多くの時間と労力と、

おカネを使った人が少なからずいたはずである。

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人のモチベーションを下げるような言動は、

少なくとも相手が特定できない場では言うべきではない。

くだんの精神科医は、

「旅行は1人で黙々とするから身につくことがある」

というのが持論らしいのだが、

旅行入門コースとしての修学旅行まで否定したら、

「経験から学ぶ」という機会は激減する。

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そんなことを言ったら、

義務教育だってナンセンスということになる。

「勉強は、自分の必要に応じてすべきで

漫然と、いろいろのことを詰め込むのは

「害あって益なし」という議論になってしまう。

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そういうことを言わないで、

いつジャストタイミングがやってくるかが

わからない人生において、

まずはスタートラインについておきたい。

それが基礎教育、基礎体験というものである。

学ぶ機会にはもっと貪欲でありたい。

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以前、電車の中で

人が読んでいる本の一部をちらっと盗み見をし、

なんとか表紙を見て、書名を知ろうと苦労したことがある。

ようやく読み取って、メモをし、

駅を出て書店に直行した。

その本を買っておいてよかったと思う。

すすめられてもいない本にも

「アテ」になる良書は少なくない。

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「人がすすめる本はあてにならない」と言ってしまったら、

自分たちの広告を自己否定したことにならないか。

3八つ」(さんやつ=新聞の8つの広告サイズ×3段抜き)

という超高価な広告を出しておきながら、

「人のすすめる本はあてにならない」とは!!!!

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ところで、

このブログで何冊かの本を紹介したら、

そのほとんどを数日のうちに読んで、

感想を伝えてくれる人が何人かいた。

その文章がなかなか読みごたえがある。

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かねがね、いただくハガキや手紙、Eメールの内容が

多分に儀礼的で、中身がないことが多く、

こなんにも話題がないのに文章を書くのは辛かろう、

と感じているが、

本を読んだ人の文章は、

シャッと背筋が伸びていて、読んでいて楽しい。

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その一部をご紹介して、

どんなきっかけで本を読んだとしても、

マイナスになることはめったにない、

ということを実証しておこう。

本、または情報は、

やはり心を養う知的栄養素である。

人間は、栄養素だけで生きているのではないことを

忘れてはいけない。

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◆H.Nさんの感想

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「海からの贈物」を読み終えて、

ご連絡せずにはいられなくなりました。

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50年という月日をどう考えるのか、

にもよりますが、

この本が、50年前に発行されたと

いうことに驚いています。

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「私たちは飢えを感じているが、

何がそれを満たすかは、

今日の私たちにも解らない」

このように感じている人間は、

増えているように思いますし、

AI社会になれば、

さらに増えていくように感じます。

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技術は進歩しても、

人間は進歩していないのだろうか。

技術ばかりを進歩させたから、

満たされない人間が増えているのか。


司馬遼太郎氏の「人間について」を

読み始めましたが、

医者にも患者にも哲学が

必要であるとありました。

読み進めていくのが、

楽しみで仕方ありません。

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技術も医学も進歩していきますが、

その進歩に、哲学がなければ、

人間が置いてきぼりの世の中に

なってしまう、すでに、

そうなっているように思います。

「海からの贈物」の中に、

アメリカでは、

婦人運動の功績のおかげで、

昔より自由になり、

いろいろなことをする機会に

恵まれたが、

婦人運動に参加した人たちは、

いかに生きるべきかということに

ついては教えなかった。


ただ、先駆者の運動は

そうなることが多く、

後から来るものの課題となる、

とありました。

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後から来た私にできることは何か、

と、進歩の裏側でできることは何か、

と考えます。

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―――――――――――――――――――

◆T.Hさんの感想

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『世界一豊かなスイスとそっくりなニッポン』、

『僕はいかにして指揮者になったのか』を、

読みました。


今は、『人間について』を読んでいます。

こんな短期間に、3冊もの本を読んだのは、

はじめてです。

○『世界一豊かなスイスとそっくりなニッポン 』

 一言で言うと、スイスについて、何も知らなかった。

 ということです。

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 スイスの美観が国際的であること。

 貧困の子どもの現状。

 ましてや、日本と似ているところがあるなんて、

 思いもよりませんでした。

 これまでの知識は、スイスが、美しい国であるが、

 永世中立国と言っても、日本とは、違う。

 ということくらいでしょうか。

 恥ずかしいです。


○『僕はいかにして指揮者になったのか』

 この本は、びっくりするくらいの早さで、

 読みました。数時間だったでしょうか。

 文章が読みやすいのもそうでしょうが、

 引き込まれました。

 人のつながりだったり、情熱だったり、

 いい意味でのいい加減さだったり、に。

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 私が購入した本は、1995年に出版したものに、

 2001年に加筆されて出版されたものです。

 

 まえがきには、15年前を振り返り、

 15年間があっという間だったこと。

 「自信満々」を演じ続けてきたこと。

 そうしたことで、

 「自信満々」が、板についてきたような気がします。

 と書かれています。


 先生が、いつだったか、

 松井やイチローは、大リーガーになる前から、

 大リーガーの自分をイメージしていた、という

 お話を伺ったことを思い出しました。


○『人間について』

 昨日から読んでいます。

 1.今西氏と対談は、1971年ということですが、

   高度成長期の時期に、今どうなっているか?を

   予想した内容。それが、当たっていることに、

   大変、驚きました。


 2.犬飼氏との対談では、犬飼氏が、日本人のことを、

   「あっけらかん」と表現され、本質をついていて、

   おもしろいと思いました。

   それで、いいのか、どうかは、別ですが。


 3.高坂氏との対談では、歴史で習った人物のこと

   語られています。歴史では、その人物像まで、

   習った記憶はなく、新鮮でした。

   最後の司馬氏のコトバが、印象的。

   「政治に、教科書はない。人生に教科書はない」

   わかりやすいことこそ、大切ということでしょうか。

 4、山村氏との対談、『人間について』は、途中です。

   山村氏は、内科学、免疫学者ということですが、

   対談の内容は、人体や病気の話より、宗教の話の

   方が多いように思います。

   

   まだ、途中ですが、

   宗教について、いろいろ考えさせられます。

   知らないことばかり。

   スイスの国のこと以上に、知らないことばかり。

   恥ずかしいというレベルじゃないです!

   

   でも、冷静に思うと、今まで、そうだから、

   無宗教のようであったから、よかったと。

   何かの宗教にはまってたら、どうなっていたかと。

   以上、読書経過報告でした。


―――――――――――――――――――――――――

◆H.Oさんの感想

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ブログでお勧めくださいました本

「世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン」を、

きょう読み終えたことがきっかけです。

(読書ノートを作ったという話)

スイスの歴史も、国民性も、

囲まれた小国を守れているのは

永世中立国だからではないことも、

何も知らなかったことを知りました。


この本でたくさんの刺激を受けたなかで、

1・2位を争う情報は、

こういった文章 を

女性が書いていることだと思います。

「○○だ」「○△□であろう」など、

文体としてはさっぱりしていて、

事実が伝わってきやすい。

場合によっては男性的になりそうでも、

どこかに女性らしさを感じる。


しかし、けっして媚びていない。

スイスに対してもニッポンに対しても、

著者の立ち位置はぶれることがない。

こういったことが、

読みやすかった理由のひとつかもしれません。

そして、ハッとしたのは、最初ほうで、

「私たちの手にあるカードは、

 私たちが思っているより多いのではないか」

と、日本を表現してい ることです。


カードに気がつくこと、

そしてそれをどう使うのか。

同時に思ったのは、

謙遜をするかのように、

持っている能力を隠して、

何もできませんと言っているうちに、

ほんとうに能力がなくなってしまうことが

あるのではないかということ。

これは日本の国策についてのことですが、

国を構成する国民全体の意識として、

こういう傾向があるように感じました。

1冊読み終えた爽快感。

 気持ちよく走っていたら、

 気がつけばゴールをしていたかのようです。

 

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 読書のきっかけをくださいまして、

 ありがとうございます 。

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# by rocky-road | 2017-08-27 21:03  

栄養士は「外食」でも健康を支援する。

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ときどき、初めて行った土地で

同行者の好みに合った飲食店を見つけることがある。

国内に限らず、

ハワイでもグアムでも、

パリでもボストンでも、アムステルダムでも。

「どうして、ここがおいしい店ってわかったのですか」

と、あとから聞かれる。

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「直観」としか言いようがないが、

それでは能がないので、

それなりに自己分析を試みる。

 *店頭のデザイン、ややクラシカルな風情。

 *屋号が浮わついていない。

……なんてやってみるが、

どれも感覚的で、

人に秘伝を授けるほどの内容とはならない。

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で、つまるところ、

店選びのポイントは、

とにかく数をこなすしかない、そこに行きつく。

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外から見て、

料理の適否などわかるはずがないのである。

3段階評価でいけば、

「いい」「ふつう」「ダメ」であり、

「いい」の打率が3割以下であったとしても、

「いい」評価は記憶に残り、

「ダメ記憶」は消去されるので、

相対的に「店選び名人」になれるのである。

つまり、答えは脳科学にあり、ということだ。

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とはいえ、「ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たる」でもない。

人の意見に振り回されない信念や、

コツコツ仕込んできた「食のセンス」が、

こんなところでもベースとなる。

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ところで、去る813日(日)、

58回 「食ジム」では、

「食べ歩きの名ガイドとしての『幹事力』を鍛える」

というテーマで話し合った。

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もう、この「食ジム」は

栄養士、健康支援者の思考のレパートリーから見たとき、

世界の同業者からは何十年分も先へ来てしまっている、

と見てよさそうである。

「自然とどうかかわるか」

「生きがいとはなにか」

「おもてなしの心をどう表わすか」

こんなテーマで1日に語り合う健康支援者は、

世界のどこにあろうか。

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しかし、「食ジム」が進んだ、

と考えるのは正確ではなく、

世の中が、そして健康科学が

どんどん先へ行っているのである。

つまり、栄養、運動、休養による健康促進から、

それに加えて、「ストレスコントロール」

「よい人間関係の維持・発展」「そして生きがい」

最近の長寿や認知症医学の知見も、

ますますライフスタイルとの関係を

重視する方向へと移ってきているではないか。

「食ジム」は、

そういう動きに歩調を合わせているに過ぎないのである。

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いまどき「外食は控えましょう」

などと言っている栄養士は、

完全にガラパゴスにしか生存しない固有種である。

「食ジム」では、

自分だけが外食を楽しむというところから、

さらに、その機会を人にも与えよう、

という話し合いをした。

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遠からずエビデンスが示されると思うが、

生涯にわたって外食の回数が多い人ほど、

健康寿命が高いということになるはずである。

とくに高齢期以降の外食利用率は、

健康寿命にプラスに働くことだろう。

(ホームレスやそれに近い生活をする人は別として)

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栄養士としては、

自分を除く最低5人以上の人が参加する

飲食を伴う集まりの幹事を務めることができるプロとして、

そろそろ一歩を踏み出してもいいころである。

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「それって、フードコーディネーターの仕事じゃない?」

という人があるかもしれないが、

さて、そのフードコーディネーターは

いま、社会でどんな仕事をしているのだろうか。

その肩書で仕事をしている人の数は、

栄養士に比べてはるかに少ないのではないか。

それはそれとして、

栄養士が外食の楽しいシーンをプロデュースすることは、

健康支援の仕事の一環なのである。

つまり本業の延長線上にあるわけだ。

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現在のところ、

その役割に気づいている栄養士、健康支援者は、

全国の同業者に対して

0.00数%というレベルだと思うが、

健康をサポートすることは、

楽しさをサポートすることにも通じるから、

食シーンの幹事力は、

今後の「専門性」の一部になるし、

直接・間接的にビジネスチャンスにもなる。

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これまで、栄養士さんには各地でお世話になったが、

「ご招待」の宴席を、地図を見ながら

一緒になって探し回ったことが何回かある。

インターネットで調べたから、

すっとは行きつけないというのである。

途中で、「直感」が働いてしまって、

「ここのほうがいいのでは?」と思うところがあっても、

そこを素通りする辛さは、「名ガイド」(?)としては、

なんとも辛かった。

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そこで、

「食シーンのための幹事マニュアル」の

お試しポイントをあげておこう。

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1.使う店は、一度は飲食をし、評価が定まったところを。

2.初めて幹事になったときは、

  候補の店を訪ねてチェックしておく。

  (1軒を決めるのに5軒も試食した、

  というようなことがないように、普段から利用する)

3.合格したものは手帳に記録する。

  住所録などに「飲食店」というコーナーを設けて、

  記録する。

  (途中で閉店や移転があるからときどき更新)

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4.最初はメディア情報であっても、

  インターネット情報であっても構わない。

  チェックさえしてあれば。

  ただし、そのネタばらしは自分からはしない。

5.人を連れていくとき、「おいしいから」と

  あまり前宣伝をしない。

  「お口に合うかどうか自信ないけど、

  私はおいしいと思ったので」くらいか。

  「あの人が選んだのだから安心」と

  いわれるようになるまで、修業は続く。

6.こういうキャリアを積むためには、

  お酒は少々、飲めるほうがいい、

  食材や料理の好き嫌いは大人としてダメ。

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7.いくつもの店のストックを持っていると、

  相手により、時間帯により、目的によって、

  最適な店を選ぶことができる。

8.どんなに行きつけになっても、

  店の人と親しくなり過ぎない。

  売り手と買い手の立場は堅持する。

9.以上のことを「幹事になったときのために」

  という構え方で処するのではなく、

  自分の食生活にバラエティをもたせる、

  人生の楽しみ方の1つ、

  というくらいの考え方で、軽~く流していく。

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さて、いつ、あなたのおすすめのお店で

みんなで歓談できるのかな?


# by rocky-road | 2017-08-17 23:30  

「友の愛を入れてほしい」

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去る723日、

食コーチングプログラムス

継続的に行なっている

「栄養士のライフデザイン

 いま、5年後、10年後……。」

というセミナーに特別講師としてお招きいただき、

講話をする機会を得た。

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ポイントは3つ。

1.現在の立ち位置の把握。

  現職についてどの程度満足しているのか。

2.栄養士・健康支援者の方向性。

  20年前、10年前とは

  栄養士・健康支援者の仕事のあり方は

  かなり変わってきており、

  これからも変わっていくだろう。

3.ライフデザインの描き方。

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健康支援者に限らず、

いまの日本人の多くは

国や自分の行く末などには関心がうすく、

生きている実感さえなく、

日々をついでに生きている。

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周辺の複数の国が、

日々、軍事力を強化し、

間近で軍事的威圧を続けているのに、

わが国会やマスメディアは、

どうでもいいようなちっぽけな案件を

争点にしたりニュースにしたりしている。

平和ボケもここまできた、

と認識しておく必要がある。


ついでにいえば、

国民が日用雑貨しか買わなくなったから、

国会もマスメディアもコンビニ化して、

清涼飲料やサンドイッチ程度のものしか

扱わなくなった、ということである。

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新聞やテレビ、ラジオの

政治や時事問題を見るときには、

自分がコンビニの店頭に立っていると思えばよい。

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健康支援者としては、

平和も健康も、ある頂点を超えると

今度はマイナスのほうに向かい始める、

という点は押さえておく必要がある。

つまり平和や健康も、

限度を超えると逆走する可能性がある。

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人間は、栄養以外にも、

心の栄養、つまりモチベーションを補給して生きる動物だから、

先になんの展望もなく、

その日暮らしをしているタイプは、

一見、極楽の生活のよう見えても

パワーダウンで失速する。

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栄養士、健康支援者の仕事の質も大きく変わりつつある。

食コーチング」は

生きがいづくり」をテーマにしているように、

少なくとも栄養士も、

いつまでも話題を食卓まわりに限定して、

すましているわけにはいかない。

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なのに、「生きがいづくり」のプロ自身が、

自分の人生をどう生きるか、

展望を持っていないのでは、

登山経験のない山岳ガイドのようなもので、

人を安全にガイドすることなどできはしない。

ところで、

去る718日に、105歳で亡くなった

日野原重明先生には、

かつて『栄養と料理』の誌上で

香川 綾先生との対談に出ていただいたことがある。

確か、聖路加病院までお迎えにあがった記憶がある。

当時、日野原先生は79歳、

綾先生は91歳だった。

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対談のタイトルは

どの人みたいになりたいか、

探してごらん。」

サブタイトルは

「〝健康な心〟を語る。」であった。

健康な生き方について、お2人のプロが語り合う、

有意義な対談であった。

日野原先生は、この中で、

電車の中で出会う高齢者を見て、

自分の将来のカタチをイメージするとよい、

ともおっしゃっている。

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そして、結びのところで、

こんなことを話しておられた。

長くなるが、紹介しておこう。

日野原氏の発言。

 

 講演のときに、こういうことをよく言うんですよ。

 みなさんが死ぬときに閻魔(えんま)さんが

 出てくるかもしれませんよ。

 そのときに、あなたの生涯の中で、

 あなたが人から、親でも、先生でも、社会でもいい、

 とにかくだれかからもらったものと、

 あなたが人に与えたものと、どっちが多いかを

 はかりにかけるとしたらどうか、とね。

 もらうばっかりで、人に与えなかった人、

 できるだけ与えようと努力した人……、

 そのバランスは死ぬときに自分でわかると思います。

 私がそう思うようになったきっかけは、

 タゴール(インドの詩人、哲学者)の詩です。

 タゴールが80歳くらいのとき、

 来年の自分の誕生日には

 もう自分はいないだろうという遺書のような詩を作っています。

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 その詩というのは、

  「私がさげているずた袋はすっかり空になった、

  与えることのできるものはすべて与えつくした。

  その空になったずた袋に

  なにかほしいものを入れられるのだったら、

  私が犯した罪の許しを入れてほしい、

  そして友の愛を入れてほしい。

  それをさげて、

  私は三途の川を渡ろう」

 という意味なんです。

日野原先生にして、

やはり生き方の手本となる人が存在した。

(タゴールはその中の1人にすぎない、だろう)

日野原先生の死生観は、

旧来の地獄か極楽か論を思わせるが、

現代の健康論でいえば、

人に与えるもの、貢献できる力がある人ほど、

健康度が高くなる、健康寿命が延びる、

ということになるだろう。

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くだんの

栄養士のライフデザイン

 いま、5年後、10年後……。」セミナーでは、

人生の地図として、

名作といわれる文学作品を読むといい、といったが、

考えてみると、文学を読みつけない人には、

シンドイかもしれない。

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そこへのつなぎとして、

いくつかの本が頭に浮かんだ。

あえて「厳選」せず、ジャンル不問であげておこう。

比較的軽く読めるものばかりである。

手元にあるものは写真に撮ったが、

デザインが変わっているものがあるかもしれない。

『海からの贈物』は、紛失中で写真なし。

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*海からの贈物

 (新潮文庫) 文庫

 アン・モロウ・リンドバーグ (), 吉田 健一 (翻訳)

 女性の生き方を述べた短編のエッセイ集。

 ダイビングの入門書ではない。

 小林カツ代さんが好きだった著者でもある。

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*人間について(司馬遼太郎対話選集7

 (文春文庫)


*僕はいかにして指揮者になったのか

 佐渡 裕著 (新潮文庫)


*世界一豊かなスイスとそっくりなニッポン

 川口マーン恵美著 (講談社α新書)

 これの前に『住んでみたドイツ……』が出ている。


*日本人へ リーダー編

 塩野七生著(ななみ) (文春新書)


*思考の整理学

 外山滋比古著 (ちくま文庫)


今回はここまで。

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# by rocky-road | 2017-07-31 22:17  

「自然バランス」とれていますか。

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去る716日の、

57回「食ジム」のテーマは

人は自然と関わることで

なぜ健康度が上がるのか。」であった。

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「健康」を現代的に定義すれば、

  「日々の思考や行動の自由度が

  個人の中で比較的高く、

  心身に著しい不安や苦痛、

  重篤な病気がない状態」(大橋)

となるが、

自然は、思考や行動の自由度を高めるのに

プラスに働く可能性が大きい。

海や青空、山や湖を見て

気分が悪くなる人はそう多くはないはず。

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ルーツをたどれば、

人間は自然の真っただ中にいることを好まず、

樹上から草原に降り、二足歩行を獲得し、

集落に集まり、田畑を作り、町を作り、

都市を作ってきた。

その歴史を振り返れば、

「自然が好き」とは、とても思えない。

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しかし、仕事に追われ、

または、仕事への意欲もなく、ボケっと過ごし、

自然をまったく感じなくなってしまうと、

健康度が落ちてくることは体験的に知っている。

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都市では、

全身日除けの布で覆って歩く人、

自転車で走り抜ける人の割合が多くなっているが、

まさしく自然を嫌う姿である。

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研究課題として、

そういう「怪傑黒頭巾」パターンと、

直射日光を浴びながらも、

笑顔で歩く人と、

どちらの健康度が高いかを

50年間くらいの追跡調査をしてみるとどうなるか。

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そんなのにエビデンスはいらない。

黒頭巾のほうが短命で終わるに決まっている。

酸素と太陽光という、

危険極まりない酸化促進環境を防御した人は、

人とのコミュニケーションの機会をも防御し、

生涯で収集する情報をも抑制することになるから、

知的動物である人間のモチベーションを低下させ、

結果として、

健康度を下げる方向に向かう可能性が大きい。

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人間が好きなのは、

「ときどきの自然」である。

「栄養バランス」と同じように、

「自然バランス」というものもある。

「食ジム」では、いろいろの自然体験が語られた。

蛍、季節の香り、太陽の香り、雲、海、水中……。

そう、そのように体験を思い出すこと、

これが大事。

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自然は大きすぎて、その範囲がわからない。

その大きさを包むことができるのがコトバである。

自然は、

コトバ、絵、写真、庭や公園、田畑、山などによって

切り取られてようやく人間のものとなる。

拍動も、まばたきも、涙も、唾液も、

みんな自然の一部だが、

気づこうとしないと、何も感じられない。

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栄養士の仕事は

食を通じて人々の健康度をあげること。

しかし、こちらが一方的に

食や栄養の講義をする時代は終わった。

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相手との会話の中から、

健康へのモチベーションアップに

つながる話題を見つけ、

それをふくらませてゆくのが

プロのワザとなりつつある。

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仕事、余暇活動、運動、ライフスタイル……。

そういう話題の中で、

「自然」は、もっとも遠いところにある話題の1つ。

病気や死、人生やあの世よりも、

もっと遠い話題の1つ。

が、それを話題にすること、

話題にできることは、

「話芸者」の守備範囲をでっかく広げる。

横綱の取り組みスタイルのように、

胸を張って「ど~んと来い」と、

待ち構えることができる。

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遠すぎて、近すぎる自然を

どう語るか、

そのとき、自然が近づいてくる。

その点は健康も同じ。

健康とは、

けっきょく自然の一部なのである。

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以下、プレミアム(おまけ)

加計呂麻島の自販機で

清涼飲料を買ったら、

意外なおまけがついてきた。

ビンにトカゲが張りついているのである。

トカゲがなぜ、ビンにくっついたのか、

都会でだったら大騒動になっていただろう。

が、ここは加計呂麻。

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これぞ、身近な自然。

飲料を飲みたかったトカゲは、

気の毒にも他界していたので、

1人、中身はいただいた。

自然を胃の中にも感じたひとときだった。

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# by rocky-road | 2017-07-20 00:18  

「そこに海があるから」ではなく、「わが人生に目的があるから」海に向かう。

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過日、

スノーケリングクラブの

昔からの仲間の出版記念パーティがあった。

集まったのは約70人、

最初に所属した東京潜泳会(せんえいかい)は

昭和39年、1964年の発足だから、

53年がたっている。

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全盛期には70人を超える会員がいたが、

1980年代に休眠状態に。

今回の出版記念会に参加したのは元会員の5人。

今回、出版を祝うことになった本の内容は、

日露戦争の後日談をベースにした話。

日本海海戦で、日本艦隊に撃沈された

「ナヒモフ」という軍艦が積んでいた

8兆円という財宝の行方を追うという、

実話をベースにしたフィクションである。

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53年前にダイビングを始めて、

その後、雑誌編集者や執筆活動を続けてきた

鷲尾絖一郎君は、上記「東京潜泳会」の

第一期の会員である。

海に関する著作と、

ライフワークである飼育鳥に関する

研究と著作を続けている。

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この出版記念パーティの発起人たちは、

日本のレクリエーションダイビング界を支えた、

2世代から第3世代ともいうべき人たちである。

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1世代とは、

日本占領中の米軍兵隊から

直接、ダイビングを習ったという世代である。

消火器のタンクを利用して

エアタンクにしたという。

存命であれば、90歳代前後か、

それ以上の年代である。

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パーティに集まった人たちのうち、

どれくらいの人が現役ダイバーであるかは

尋ねる機会はなかったが、

その様子からは、

70歳以上で海に行っている人は、

そう多くはないように思えた。

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高齢者にはダイビングは向かない、

ということではない。

日本には「シニアダイバーズクラブ」という、

1992年に発足し、20年以上の歴史を持つクラブがある。

会員は数百人。

平均年齢66歳、90歳代の会員もいるという。

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もう40年以上も前になるが、

ダイビングを「マリンスポーツ」として

くくるのは適切ではないと、

専門誌を通じて唱え続けた者にとっては、

「そら見たことか」と言いたい現状である。

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ダイビングは、スポーツではなくて、

「地の果てから始まるもう1つの旅」なのである。

旅だから、足腰がしっかりしていれば、

何歳になっても楽しむことができる。

富士山の登る7080歳代があるそうだから、

それに比べれば、

「地の果てから始めるもう1つの旅」は、

ちょろいものである。

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問題は、体力ではなくて気力、

つまりはモチベーションである。

海の上を歩く、海の中にとどまるという体験は、

特異な体験だから、

よほど合わない人でない限り、感動を覚える。

しかし、それほど新鮮な体験でも、

10年くらい続けると飽きてくる。

人間というのは、飽きっぽい。

それは利点でもあって、

それゆえに次の刺激を求めることにもなる。

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ダイビングを普及する役割を担っていた人は、

そういうことがわかっていたので、

当初は「魚突き競技」(スピアフィッシング)や

魚介類の捕獲と飼育、

「水中ナビゲーション」(陸でいうクロスカントリー)

「水中運動会」などを試みた。

「マリンスポーツ」時代である。

もちろん、これらは

自然環境に対して強いインパクトとなったり、

体力勝負のスポーツになったりするので、

すぐにすたれた。

そのころから、

だれにも使える水中カメラが普及し始め、

ダイビング雑誌などがフォトコンテストを

始めるようになって、

多くの「カメラ派」が生まれた。

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当時、魚などを観察することを

「野生観察」「生態観察」などといっていたが、

いかにも色気がないので、

「フィッシュウォッチング」という

コトバを使ってはどうか、と、

雑誌の連載記事の中で提案した(1979年)。

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こうして、

スノーケリングやダイビングのテーマが

多様化していった。

それでも、

レクリエーション目的で

スノーケリングやダイビングを

30年、50年と続ける人はそう多くはない。

これは旅でも登山でも、

テニスでも水泳でも同じである。

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飽きっぽいか、飽きっぽくないか、

といったタイプの問題ではないし、

長く続けることだけが価値のあることでもない。

大事なのは、

趣味や余暇活動が、

どの程度、人生のモチベーションになっているか、

というところである。

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それには、

仲間がいること、

その仲間はただの同行者ではなく、

人生を支え合うほどの心のつながりがあること、

その余暇活動に予定や計画性があること、

活動ごとにテーマがあること、

などが好条件となる。

そのことをダイビング雑誌の発行者にも

何度となく伝えてきたが、

それをうまく情報化できず、

私が初案を作った海関連の2つの雑誌は、

20年を過ぎて廃刊になってしまった。

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上記の「好条件」は、

ゴルフにも旅にも、「断捨離」にもいえること。

食生活雑誌も、

この視点で見ると、安泰とはいえない。

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先の出版記念会で、

久々に会ったダイバー仲間は、

いまもダイビングサービスをしているといったが、

もらった名刺のアイキャッチャー(キャッチフレーズ)に

「海と酒はいいね」というのがあった。

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なんともだらしのないフレーズなので、

「どういうこと?」と尋ねたら、

ある有名カメラマンがネーミングしてくれたという。

知性皆無、海をバカにしたフレーズを

日本を代表する水中カメラマンが

ネーミングしたのだと聞いて、暗澹たる気分。

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日本のダイビング界をリードしてきた人間が、

後輩の名刺のキャッチに、

こんなアホなネーミングしかできないとは、

「ダイビング界」はバラケルだろうと思った。

リーダー不在、一種の無政府状態になる。

ダイビング雑誌も、

オピニオンリーダーの役を果たしえない。

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みんなが海水浴程度にダイビングを

楽しむようになった昨今、

もはや「界」などという概念は

なくなってもいいのかもしれない。

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しかしそれでも、

「人間が海に潜るということは

どういうことなのか」

それを問い続けることは、

自分のライフスタイルを考えるうえで、

いや、趣味や余暇活動を楽しむうえで意味がある。

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これまでもそうであったが、

今度の奄美大島ツアーのあとでも、

またまた新しい旅のテーマが見つかった。

休眠中の2つのクラブの仲間には悪いが、

新しい海仲間もふえ始めていて、

54年目の「海と島の旅」も楽しめそうである。

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# by rocky-road | 2017-07-12 16:17