「エビデンス」のハイジャンプ。

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1月2日、ことしも「ぶらパルマ in 横浜」から
2017年のネットワーク活動が始まった。
確率的に、この日は晴天が多いが、
今回は格別に穏やかな1日だった。
寒さはまったく感じず、
むしろコートを脱ぐことが多かった。
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桜木町の「みなとみらい」から、
山下公園までのシーサイド歩きは
毎度おなじみだが、
快適さにおいて
5月の晴天日にも劣らないほどであった。
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正月の街歩き、シーサイド歩きは、
おそらく50年くらい続いていると思う。
もっとも、その半分は、
内外のシーサイドにいた。
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さらにそのうちの何回かは
海の中からご来光を迎えた。
冬の海の午前6時台、
震えながら日の出を待つダイバーには、
実は寒さは感じられなかった。
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1960年代からの30年くらいまでは、
東京の正月は静かだった。
三が日はどこの店も休みで、
人が出歩くことは少なかった。
デパートの福袋売りが始まるのは
三が日が明けてからだった。
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銀座の交通量のあまりも少なさに気づき、
それが妙にうれしかった。
ならば、このあたりを自転車で自由に走りたいと、
文京区の家から「ママチャリ」で出かけ、
銀座、京橋、青山、原宿などを走り回った。
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のちにディズニーランドやお台場へと
足を延ばすことになっていった。
もちろん、横浜へも自転車で出かけ、
そこでは1泊したこともあった。
メンバーは、家族、海の仲間たち。
多いときは、10人くらいの自転車メンバーになった。
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それが生活習慣になった。
これらの習慣が「健康行動」といえるならば、
80歳の健康を支える一助にはなっている、とは思う。
とはいえ、1人の事例で、
それをもって「エビデンス」がある、とまではいえない。
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「エビデンス」(証拠、証明)といえば、
この、科学的論説の基礎となる専門用語が、
いまや週刊誌にも使われるようになったから、
日本の知的レベルも
そこそこ高いところに来つつある、と思う。
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そう思いたいが、
「エビデンス健康食献立」などとして、
がん予防には、朝食の主菜として「たまご焼き 大根おろし添え」
副菜に「キャベツとわかめのみそ汁」副々菜に「いちご」
昼には「サケのムニエル」……などと
1日の食事を一覧表にして見せられると、
「エビデンス」というコトバの拡大解釈、
もっといえば「誤用」に
笑いと不安が同時にみ上げる。
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さらに、栄養士がついていながら、
献立で示してしまう。
これは、かの「食事バランスガイド」の失敗と同じ。
つまり、英語を教えるのに、
「a」「pen」「アッポー」「have」の意味を教えずに、
「I have a pen」「I have an apple」
「I have a pineapple」というフレーズの
和訳を教えているようなもの。
単語の意味を教えずに構文を教えても
使いものにはならない。
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毎日、サケのムニエルを食べていても、
がん予防にはなりえない、
アッタリマエダのクラッカー。
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「エビデンス」というからには、
医師が情報を提供しており、
栄養士が献立例を作っているのだが、
最近の「にわか栄養学かじり」の医師は
健康やアンチエージングを
単純に食事と結びつけたがる。
そもそも「アンチエージング」などというコトバは
なんとも尊大、なんとも無知な者の用語である。
医師の習性として、
食事を医薬品のイメージで語りたがる。
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これを医師のレベルダウンと見るか、
レベルアップと見るか、
ここはむずかしいところ。
簡単に結論づけるという点では、
先輩医師から研究の奥深さや慎重さを
きちんと学んでこなかった結果であろうから、
明らかにレベルダウンである。
「最近の一部の医師は軽い」といえる。
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しかし、先輩医師たちは
栄養学を学ぶ機会も時間もなかった。
それ以前に、
本性の深いところでは食をバカにするところがあった。
それがいまは、
食事で老化が防げると思うようになった。
1ミリくらいの前進と見るならば、
この傾向を評価してもいい。
コトの始まりの段階では、
少なからずの浅さ、未熟さを伴うものである。
それでも、何かが始まった。
ゆっくり進歩を待つ根気も必要だろう。
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以前、ある某学会の会長が、
自分の学会誌に「日本の栄養士は論文が書けない」
「エビデンスが不確か」と、
まるで他人事みたいに書いているのを見て、
ひどく腹が立った。
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そういう傾向があるならば、
さっそく、論文の書き方、
エビデンスのあり方についての研修会を開くべきである。
それも10年、20年と続けるつもりで。
内部にいて、内部をけなす、
こういう品性の者が、栄養士会の会長だった、
というのは、日本の栄養士にとって、
なんとも悲しい現実であった。
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学会に発表するような研究の「エビデンス」は、
質と量において、
いや、それ以前のデータのとり方において、
高度に洗練されたものでないと困ると思うが、
「にわか栄養学医師」には、
このあたりのマジメさやセンスが欠けている。
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センスについていえば、
たとえば正月に仲間と海風に吹かれながら、
空に向かってジャンプをくり返すような経験を積んでいれば、
「健康」というものが、
いかに複合的な要素によって支えられているかが
容易にわかるはずである。
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学問であれ芸術であれ、
スポーツであれ仕事であれ、遊びであれ、
その基本はセンスである。
「センス」とは何か。
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それは資質(動物性まで遡れ!)に加え、
いろいろの経験(エビデンスに通じる熟語)、
遊び心、ユーモア精神、
よい人間関係、時代を歩く平衡感覚、
それやこれやの複合した感覚である。
それはまた、健康を支えるエビデンスにほかならない。
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こういうセンスは、
机上では学びきれない。
来年の正月は、「にわか栄養学医師」100人くらいを引率して、
横浜の大桟橋あたりでジャンプトレーニングでも
してみようか、と本気で思う初夢であった。
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# by rocky-road | 2017-01-03 15:07  

写真年賀状の鑑賞力。

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年賀状に自分の写真を使い始めてから何年たつだろう。
自分のダイビング歴と重なるとすれば、
53年ということになるが、
年賀状をカラー印刷にしたのは
それよりだいぶあとだから、
40年くらいかもしれない。
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そのあたりがあいまいなのは、
ファイルはあるものの、
製作年月を記録しておかなかったためである。
反対に、人からもらった年賀状のファイルには、
当然、文面があるから、年代もすぐわかる。
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モノクロ印刷の時代は、
手描きの魚のイラストを使っていた。
一にも二にも予算の関係である。
最初から干支にちなんだ絵を使う考えはなく、
そのせいか、いまも、新しい年が十二支のどれに当たるのか、
無関心に過ごしている。
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いまは、カラー写真を使っても
かなり安く仕上がるようになった。
が、それだけに、
写真のポストカードの希少価値が
下がったことは否めない。
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いまからでは遅いだろうが、
受け取った写真年賀状の鑑賞法の一助になればと、
以下のことをあげておこう。
ここでは、わが子の写真、
家族写真、ペットの写真は除外する。
あくまでも「作品」についての論である。
ただし、家族でもペットでも、
「作品」ということは大いにありうる。
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1.自信のある写真を使う以上、
  写真面には「謹賀新年」とか
  住所とかは書かない。
  書くとすればタイトルか撮影者名を小さく。
  通信記事は切手面にのみ書くこととする。
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2.自作する場合、グレードを保つ。
  弱々しい印刷、薄すぎる用紙、
  何点もの写真使用などは避ける。
  作品にはオプションなし。1点で勝負。
  使えば使うほど相殺して効果は減退。

3.写真が横位置なら、切手面も横位置に。
  縦位置なら、切手面も縦位置に。
  この関係に無関心な人が多い。
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  市販のポストカードでさえ、
  横位置の写真に対して、
  切手面が縦位置になっているものが多い。
  そういうのは、写真または絵に対して失礼である。
  宛名を見て、そのまま裏返すと、
  同じ位置と方向の写真や絵がある、
  それが作品に対する敬意だと思う。
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  過日、ある県立美術館で絵画展をやっていた。
  たまたま居合わせた作者と話ができた。
  ハガキを求めたいと申し込んだら、
  「販売用はないので」といって、
  1枚だけプレゼントしてくれた。
  が、これが横位置の絵なのに、
  切手面は縦になっているのである。
  作者にそれを指摘したら、
  「知らなかった」と。
  残念なことである。
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  業者のせいなのだろうが、
  ポストカード文化が低いレベルに位置づけられている
  日本の現状である。

4.以下は個人的好みだが、
  写真は全面使用、フチなしよりも
  額縁のほうが写真が引き立つように思う。
  額縁とは、写真の周囲を白地にして残すこと。
  この白地部分の面積にも主張があって、
  これまで、ヨーロッパやアメリカのみやげ物店で
  多くのポストカードを見てきたが、
  余白部分が5ミリというのがいちばん多かったように思う。
  いや、個人の好みで、そう感じた可能性もある。
  自分としては、これが国際版だと思っている。
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ポストカードに無頓着の人には、
まったくどうでもいいような話だろうが、
1枚のハガキから人生が変わった話なら、
おそらく世界中に億単位であることだろう。

Happy new year !
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# by rocky-road | 2016-12-29 21:28  

年賀状を書く健康。

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12月18日、「食ジム」第51回のテーマは、
「栄養士・健康支援者としての私が健康な理由」
として話し合った。(座長/岩田博美)
身近な人の「健康」理由から始まって、
そもそも健康とは何か、について論じ合った。
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詳細はここでは省くが、
「健康」を思想としていかに深めていくべきかを
考えつつある者にとっては、
いろいろのアプローチを考えるうえで、
大いに意義を感じる話し合いであった。
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その1つは、個人の健康と、
社会のいろいろの環境とには
どんな相関があるのか、というような問題。
たとえば、ここ何年か、
「断捨離」がブームになっている。
ヨガからきているというコトバに代表される、
身辺整理の流行である。
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衣服の所有を最小限にとどめるというのから
人づき合いを縮小していくという風潮。
そんなものは、一過的な流行と思っていたら、
イギリスがEUから離脱したり、
アメリカのトランプさんは、
自国の国益を最優先するといったりする。
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どうやら縮小トレンドは
地球規模で進んでいるかのようにも思えてくる。
それは日本の断捨離ブームの影響というよりも、
足元を見つめるというモードに、
人類がはまりつつあるようにも錯覚する。
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日本についていえば、
若者は旅行をしたがらない、
車を持ちたがらない、
本を読まない、
外出をしたがらない、
そして繁殖行動をしたがらない。
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性欲は動物の本能ということになっているが、
自分の作った環境の影響をあっさり受けて、
それさえも失ってしまう。
スマホは生物的性欲を
バーチャル欲求に変換する器具のようなところがある。
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少子化は、健康行動といえるのか。
その集団の動物的・民族的・経済的・政治的活力を
低下させるのだから、
いまのところ、健康行動とは思えない。

ヒトは、その棲息環境を広げ、
数を増やし続けて今日まできたのである。
縮小よりも拡大が発展だった。
個人のエネルギーや好奇心こそが
拡大のモチベーションとなった。
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健康寿命を健康の尺度にするならば、
21世紀は、歴史的に見て、
もっとも健康な世紀ということになる。
戦争で多くの人命を失い、
いまも失いつつあるものの、
地球規模で見れば、
途上国がその欠落部分を埋めて、
人口は増え続けてきた。
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「数の増加は質の低下」とはならない、
と言いたいところだが、
世界の長寿国は、人口過密ではあっても、
けっして人口の大きい国ではない。
日本は、その点では例外的な長寿国ではある。
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そうではあるが、
それは、地球規模で進む下剋上の一過程に過ぎない。
これまで、世界をけん引してきた先進国が疲れ、
パワーを失いつつあるとき、
人口は多いけれど短命の国々が台頭してきて、
次の地球上での繁栄を担うことになるのかもしれない。
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いまも、平均寿命が50歳未満なんていう国はいっぱいあるが、
それこそが、地球の未来の可能性である。
そういう国々の平均寿命が70歳代になるには、
50年や100年はかかるだろう。
地球は、主役がだれであれ、
健康度アップの方向へつねに前進している。
「平均寿命」を尺度にする限りにおいて。
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平均寿命の長さ、
さらには健康寿命の長さは、
とりあえずの客観的データに過ぎない。
津波の到来を町内放送で伝え続けて亡くなった人、
高齢者を避難に導こうと説得し続けて亡くなった人の
動機と行為は、生存年齢とは無関係に健康であった。
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こうした、客観的に把握できない健康度を
どう評価するのか、
健康支援者は、好むと好まざるとにかかよわらず、
思想的解釈、哲学的解釈を求められる日が
「もうすぐ」ではなく、
すでに来ているのである。
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そのことは、
健康支援者に抽象語を含む表現能力、
コミュニケーション能力を問わずにはおかない。

と同時に、世俗的な、時評的解釈も……。
モノを減らすこと、
人脈を整理すること、
それは健康度を下げる可能性がある。
とすれば、
疎遠になりつつある知人、友人に
「ことし」も、年賀状は出しておこう
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# by rocky-road | 2016-12-19 21:26  

日本人の壊れ方、滅ぼされ方。

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悲観論というのにも、
それ相当の意味がある。
それは、人に強いモチベーションを与える。
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昔、ある生理学者は、
白米を食べている日本人はバカになると警告した。
やや時代が下がって、
ある生態学者は、環境汚染を深刻にとらえ、
日本人の「寿命41歳」説を唱えて物議をかもした。
また『壊れゆく日本へ』という終末論的書物を著わした。
ご本人は89歳まで生きたというから、
自ら自説の倍は生きて、
あっさり自説を覆した。
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近いところでは、
ケイタイやネット(当時)依存症によって、
日本人が「壊れる」と警告した人がいる。
「壊れる」とはどういうことか、
その定義は、むずかしい。

新しいところでは、
ことしの1月、
医学博士で栄養士が、
「塩分が日本人を滅ぼす」という本を書いて
滅びゆく日本人に警告した。
新聞広告には、「和食は体に悪い」とある。
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以上あげた1例を除いて、
どの説も、提起したその瞬間に、
「それはないだろう」と、
少しは予備知識のある人を疑わせた。
あとになって「あの説は誤っていた」
ではなくて、瞬間的に眉にツバをつけた。
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例外は、ケイタイ・ネット依存症。
いまでいえばスマホ・ネット依存症への
予測と警告は的中した。
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すでに「壊れて」いる人は多い。
プラットホームから落ちたり、
自動車に轢かれたり、
自分の運転する車で対向車にぶつかったり、
人を轢いたりして、
自ら壊れていく者があとを絶たない。
この場合は「日本人」に限らず、
依存するすべてのヒトを「壊す」
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壊れゆく「地球人」ということになろうか。
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ここで゛いう「壊す」「壊れる」とはなにか。
1人では正常な日常生活ができなくなる
もっといえば、
人生の計画や目標、社会参加ができなくなる状態。
人格破壊を指すものだろう。
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悲観論や誇張、思い込み発言の利点は、
なによりも人の注意を引くし、
実際、それによって一時的にせよ、
行動修正をする人がいることはいるだろう。
スマホによって壊れる、
塩分によって滅びる、といわれて、
一瞬でも、ドキッとする人はいるだろう。
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しかし、ネーミングとしては、
「日本人」と、対象を広げてしまうより、
「あなた」としたほうが「迫り度」は高くなる。
「あなたはスマホで壊れる」
「あなたは塩分のとり過ぎで滅びる」
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いずれにしろ、
こういう悲観論がはやるのは、
平和ボケが下地にあるからだろう。
「杞憂」(きゆう)の故事に従えば、
「杞の国」の人は、
「いまに空が落ちてくるかもしれない」と心配した。
外圧があり、飢餓があり、地震や雷があり、
戦乱があるときには、
空が落ちてくる心配など、していられない。
一時的にせよ、そのときの「杞の国」は
平和ボケしていたとしか思えない。
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現実には、
日本人は大気汚染を緩和し、
その技術を途上国に輸出するようになったし、
白米を食べ続け、一汁三菜を基本とする献立で
健康度を支え、世界的な長寿国になった。
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「バカ」になったかどうかは、
白米否定の亡き生理学者に聞くしかない。
スマホ依存症を指して、
「ほら見ろ」というかもしれないが、
スマホ依存は白米を常食したこととは
関係がないだろう。
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国民の塩分摂取もそれなりに減ってはきているが、
欧米人に比べると多いといわれる。
正確な摂取量の把握はきわめてむずかしく、
正確なデータがほんとうにあるとは思えない。
ともあれ、日本人は
塩分で滅びるどころか、
長寿国街道をトップ集団に入って走り続ける。
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悲観ついでに、
私の分野からの悲観論。
「うれしいというか、感動というか……」
「迷惑というか、災難というか」
「恐怖というんじゃないけれど、かなり怖かったです」
「満足というんじゃないんですが、私の中では満点です」
という発言を、テレビインタビューで聞いていると
こういう壊れ方もあるのかと思う。
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ある表現をするのに、2語を使う。
言い切らない、言い切れない。
インデックス的に1語を示し、
それを否定するかのような振りをして
実はインデックスと同様の話をする。
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こういうあいまい表現、
偽装表現を少なからずの人がする。
若者から始まって年長者にも伝染している。
これは単なる流行表現とは思えない。
もう少し深い心理がある。
逃げ道をつくる、
1文を長くして、いかにも内容がありそうに装う、
コトバの扱いが雑になっている。

日本人の言語感覚に異変が起こっているのか、
いろいろの分析ができる。
一言でいえば「信念の喪失」だろう。

自分を甘やかし、人に甘えるなど、
セルフコントロールができなくなっている。
もともと「セルフ」には限界があって、
外から箍(たが)で絞めつけないと、
自分がどこにいるかがわからなくなる。
昔の人はこれを「タガゆるむ」とか
「タガがはずれる」とかといった。

こういう言語現象を警告して
「『……っていうか』が日本を滅ぼす」
「あいまい表現によって日本人が壊れる」
といいたいところだが、
中から壊れるのには、それなりに時間がかかる。
一方、外から滅ぼされる可能性をあげ、
「日本戦前説」ともいうべき悲観論が、
一部のメディアには続出している。
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日本は太平洋戦争後、
「戦争はいけない」信仰を持ち続け、
その信仰ゆえに戦争から免れてきたと
本心から思っている日本人が
少なく見積もっても1000万人くらいはいる。

そういう信仰を持ちさえすれば戦争から免れるのなら、
世界中の国々は
膨大な軍事費を捻出するようなバカなことをせず、
「平和憲法」を作って、
ひたすら祈ればいいだろう。
戦争の定義の1つに
「よりよい平和の維持」というのもある。
人類は有史以来、よりよい平和を求めて戦ってきた。
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生物には、「増殖」という習性がある。
ハチも蚊も、ゴキブリもミミズも、
チョウチョウウオもクマノミも、
杉もカエデも、桜も梅も
棲息環境を広げるために、
必死に環境に挑戦し、適応を図っている。

人間とて例外ではなく、
国外に出稼ぎに出る、
他国の国籍をとりたくて、その国で子を産む、
留学をする、現地で結婚をする、
そこへ家族を呼び寄せる、
他国との境界付近を意図的にウロウロする、
ときに領空・領海を侵犯する……。
その動機の根底には「人口圧」がある。
気圧と同じことで、
高低差を埋めようとする物理がある。
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人口圧が高くなっている国にとって、
「平和憲法を守ろう」
「戦争をする国になるな」と叫ぶ国は、
「わが家にはカギはかかっていません」
「防犯ブザーは作動しません」と
往来に向かって叫ぶ家と同じで、
これほど侵入しやすいところはない。

なにしろ「専守防衛」を謳う国だから、
海岸に上陸するまでは、手出しはしてこない。
当然、戦場は相手国の海岸や都市となるから、
攻める側の国民には被害はない。
さらにさらに、
「戦争をしない国」だとすれば、
全国民は武器など持たず、
完全に服従し、侵略者を出迎えることだろう。
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この状態こそ「日本人は滅びた」と呼ぶ。
前述の生理学者、生態学者、栄養士に
聞いてみたい。
白米や大気汚染、塩分で壊れるか、滅びるか、
さらには、あいまい表現によって壊れるか、
人口圧に圧迫されて滅ぼされるか、
考えるまでもなく、
人口圧によって滅ぼされる可能性のほうが
はるかに高く、しかもその日は早く来る。

これは悲観論ではなく、論理的帰結である。
が、悲観論は、
楽観論に入れ替わることはないにしても、
現実論にはシフトしやすい。
悲しみの末に、
そこから脱出したいから、
もう一度、冷徹に現状を見つめよう、
というときにリアリティを取り戻す。
危機を回避しようという欲求は、
いろいろのアイディアを生み出す。
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アイディアは可能性への筋道になるから、
理念的、いわば理想論に近づく。

「日本は、内部からは壊れない、というか、
自己崩壊はありえないじゃないかな、
なんか、そんな気がしてくるんです」
などと、あいまい表現ではなく、
「日本人の中には、
あいまい表現を多用することから、
意思決定に時間がかかるとか、
意思決定ができないととかいう者の比率が
増えることが予想できる。
が、正確にいうと、コトバの癖はあとから来る」
と言い切ろう。

軟弱な気風が先にあり、
それからあいまいな言語表現の比率が増える。

対策としては、
子どものうちに体育やスポーツになじませ、
できれば人と組み合う運動(格闘、ダンス、手つなぎ、歩行)を
いまよりずっと増やす。
それは動物性を取り戻すため。

そして、仲間との議論の機会を増やし、
かつ、おかしな表現については突っ込むことを許す。
これは人間性の向上を目指すのが目的。
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これだけでも、
日本人が内部から壊れるのを抑止する。
確かに、塩分を減らすよりは手間がかかる。
が、個々人の充足感は増す。

ただし、それより先に、
日本人が滅ぼされる可能性のほうがはるかに大きい。
それをもう1度、言っておこう。
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# by rocky-road | 2016-12-04 23:53  

おにぎりを読み解くチカラ。

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おにぎりの早食い競争で
参加者が亡くなったというニュースの悲しさは、
こういうイベントが
何百年という長い年月、
世界中で毎年繰り返されている、という現状にもある。
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秋の収穫を祝う気持ち、
互いの健康を確かめ合う心が動機となっているとしても、
飲食物をたくさん食べる、飲む、
早く食べる、早く飲むというゲームが
なぜ、おもしろいのか。
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命の危険が伴うということ以前に、
貴重な飲食物を味わうことなく、
無理やりに胃に押し込む、という行為には
飲食物への感謝どころか、
冒涜以外の理由は感じられない。
これが、なぜおもしろいのか、
おかしいのか、どうしてもわからない。
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以前、新聞の折り込みに、
地域の行政機関が主催する「健康フェア」のチラシが入っていた。
ここでも、どんぶりに盛ったご飯の早食い競争が
プログラムされていた。
主催者に電話をして、
「健康フェア」に早食い競争を入れることの意味を問うた。
電話に出た人は「責任者に替わる」といって、
判断を上役に譲った。
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たいした議論もなく、
課長は、健康フェアとご飯の早食い競争とは趣旨が合わないことを
あっさりと認めた。
「ただ、今年は協賛していただいている農協との関係もあるので」
という理由で黙認してほしいといわれた。
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以後、この区では早食い競争はやめた、らしい。
翌年の新聞チラシにもフェアのプログラムが挟まれていたが、
早食い競争というイベントは消えていた。
こんな話は、話せばすぐわかること。
が、それに気づく人は少ない。
伝統とは、そういうものだろう。
今度の事故は、
早食い、早飲み、大食い、大飲みの愚を
日本中に知らしめたという点では、
不幸中の不幸、それにプラスαの意味は
あるかもしれない。
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いま、私の文章教室では、
「非言語情報をどう読み解くか」という講義を続けている。
この宇宙は、非言語情報のほうがはるかに多い。
わずか500年前には、
人類は、太陽が地球を回っていると思っていた。
しかしコペルニクスは、回っているのは地球のほうだと読み解いた。
さらにおよそ400年前まで、
リンゴがなぜ木の枝から落ちるのか、
説明することができる人はいなかった。
ところがニュートンは、万有引力の存在を読み解いた。
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こうして、いまは理解できないことも、
読み解かれていく。
言い換えれば、コトバで説明できるようになる。
草食系男子の存在、肉食系女子の存在も、
そうネーミングしたことで存在を認識できるようになった。
それはあたかも、
糖質をインスリンというホルモンが、
からだに取り込むシステムのようである。
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インスリンが正常に機能する人は
糖質を栄養源としてからだに取り込みことができるように、
活性化したコトバを持つ人は、
森羅万象を読み解くことができる。
コトバによって事物や現象を説明することができる。
コトバは、人体におけるインスリンである。
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もし、早食い・早飲み競争の方向性を
読み解くことができる人がもう少し多ければ、
世界中で、こういう無意味な、いや有害な遊びを
否定し、やめることができるはずである。
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2016年11月16日の
コミュニケーション研究会 ひろしま≫主催の文章教室では、
非言語情報の意味について講じたが、
宿題に、「いま、私だけが気づいていること」を
書くように求めた。
さあ、どんな発見があるか。
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世の中は非言語的に存在しているが、
それを認識するのは言語。
コミュニケーションは、
コトバでないものをコトバにすることで
活性化する。
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宿題の回答には、
コペルニクスやニュートンに勝るとも劣らない発見が
あるかもしれない。
それを期待するのもコトバである。
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# by rocky-road | 2016-11-25 21:12  

外国人に日本の見どころを紹介するとしたら。

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わがロッコム文章・編集塾では、
相手によって話し方、書き方を変えるという
トレーニングを続けている。
たとえば、「外国人に日本の見どころをアピールする」
「外国人に、日本が世界一の長寿国である理由を
文章で説明する」といった宿題を出して、
相手に沿った文体、説明の仕方を求める。
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この場合、相手の国籍、性別、年齢などは
書く人に任せている。
が、そんな属性の特定にまで及ぶことなどなく、
ほとんど日本人向けの文章になってしまう。
外国語ではなく、日本語で書くからそうなる、
といわれそうだが、
そういう問題ではなく、
実在しない相手にピントを合わせるという経験がないから、
どうしても、実在する日本人向けの文章になってしまう。
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しかし、不特定の人に文章を書く機会は、
少し社会性のある仕事に就いたら、
かならずある。
イベントのポスターやチラシを作る、
掲示を書く、招待状を書く、
新聞や雑誌に寄稿する、
テレビやラジオに出演するなど、など。
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そういう場面を想定して、
トレーニングをすることは、
「そのとき」に備えるというよりも、
「そのとき」を求める姿勢、
ライフスタイルをステップアップさせる動機づけになる。
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7月23日の能登教室(石川県)では、
「ステップアップの行動学」という講義をしたので、
「その内容を、友人・知人に説明しなさい」
という宿題を出した。
その提出は11月13日の第11回の教室。
16名の発表があったが、
予想どおり、
講義の内容を、相手を特定せずに説明している。
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その証拠は、相手の「友人・知人」が
すぐに理解できるはずのないコトバを並べてしまう、
というところに現われる。
「アブラハム・マズローの五段階欲求説」
「利他行為」「人間の社会生活は、下りのエスカレーターを
逆に昇っているいるようなもの」
などと、講義のときに出た話をいきなりしてしまう。
これでは、普通の人は何を言っているかわからない。
宿題の文字数は600字以内。
この分量ではくわしい説明はできない。
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なぜ、そうなるか、
それは、講義内容の振り返りに精いっぱいになるため。
その結果、小・中学生の感想文になってしまう。
どの発表者も、「知人・友人」のことなど、
かまっていられなくなる。
ここでも「想定力」の難儀さを実感した。
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さんざん、その不備を指摘したあとに、
図らずも、ドンピシャリの発表があった。
それを全文、あげてみよう。
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幼なじみのあや子さんへ。』
              花崎智恵美

 私たち、これまで、もう何十年も、
 年末に会うたびに、
 「来年こそは、お互いステップアップしようね」って
 言っているよね。でもそれって、
 具体的にどうしたいと思ってるのかな。

  今年7月に、ロッコム文章・編集塾の能登教室で、
 「ステップアップの行動学」という
 講義を受講したの。
 そしたら、いかに今まで、あいまいな励まし合いを
 してきたかということに気づいたの。
 そこで学んだことは、
 ステップアップにどんな意味があるのか
 ということから、
 ステップアップするためにはどんな行動をすべきかという内容。

  ワンステップ目としては日常生活を見直す、
 たとえば、日記をつける、衣服の管理、住環境のチェック、
 おつきあいの仕方、雑誌の定期購読、読書の習慣、
 手書きの習慣など、行動のチェック。

  さらにツーステップ目として、
 人脈、専門性の強化、事業計画の作成、投稿、
 ホームページの作成、アドバイスを受ける態勢づくり、
 セミナーや講演会の参加率を高めるなど、
 仕事に結びつく内容を具体的に教えてくださったの。

  よい人生を送りたい。よいお仕事をしたい。
 そう思っているだけではダメ。
 具体的な行動を起こさないといけない。
 そう思わない?
 講師の先生は「清く、正しく生きているだけではダメ。
 誰かに借りをつくったものを返していかないと」
 っておっしゃるの。
 そのとおりだと思う。そのコトバは、
 今も胸にジーンと響いている。
  ステップアップするのは、来年からじゃなくて、
 今からだよね。行動リストを作ってみない?
 
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この文章には、講義に出てきたマズローも、
「下りのエスカレーター」も出てこない。
要約とはそういうもの。
それに、内容のすべてを伝える必要もスペースもない。
相手を想定して、相手に伝わる内容に仕立てればよい。
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相手が日本人であれ、外国人であれ、
相手の想定はむずかしい。
だから、親しくない人に向けて文章を書くときは、
想定する人の名、または写真を近くに置いて
作文するとよい、と説いている。
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年賀状はいいとして、
「喪中につき年末・年始のごあいさつは……」という
年末のハガキを書くときも、
こちらの事情というより、
受け取る相手を想定して作文をしたい。
「だれの喪中なのか」
「母とは、実母なのか義母なのか」
受け取る人の迷いを想定して書状を作りたい。
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# by rocky-road | 2016-11-19 00:52  

「おもてなし」の宿題に応える。

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去る10月23日(日)(2016年)に行なった
第49回食ジム「おもてなしの心をどう表わすか」
――人づき合いからイベントまで――
は、座長の小林美穂さんの進行で、
有意義な話し合いができた。
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人をもてなすとは、どういうことか、
国語辞典には多くの意味が示されている。
①とりなす。処理する。
②取り扱う。待遇する。
③歓待する。ご馳走する。
④面倒をみる。世話をする。
⑤自分の身を処する。ふるまう。
⑥取り上げて問題にする。もてはやす。
⑦そぶりをする。見せかける。
          (「広辞苑」)
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源氏物語や平家物語などから用例を
拾っているところを見ると、
そうとう古くから使われているコトバのようである。
とても便利なコトバのようで、
いろいろの意味で使われてきたことがわかる。
要約すれば、「人に対応すること」である。
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次期、東京オリンピック誘致のときに使われた
「お・も・て・な・し」には、
外国から来る人たちを「温かく対応する」という意味を
込めていることだろう。
これに関しては、日本人は心配いらない。
放っておけ、といっても
厚くもてなすに決まっている。
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今日的な「おもてなし」には、
「飲食をもって待遇する」という意味が強い。
昔、新潟県にある父の実家を訪ねたら、
「わざわざ東京から来なさったから、
ラーメンでも取ってやろうのう」と、
もてなされたことがあるし、
「ごちそうするから、あの鶏を絞めて来いのォ~」と
歩いている鶏を指してもてなしてくれたこともある。
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食ジムでは、
いろいろのもてなし体験、もてなされ体験が披露された。
ここでの収穫の1つは、
贈り物も「もてなし」の1つになりうること、
非対面(電話、ネット、ハガキ、手紙)の「もてなし」も
ありうる、という点にも触れられたこと、などである。
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心のこもったバースデーカード、クリスマスカード、
年賀状なども、一種の「もてなし」であろうし、
必要な情報をタイムリーに提供することも
「もてなし」といえる。
国語辞典が示す「とりなす」や「待遇する」に相当する。
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時間の関係で、
「おもてなし――する側、される側のための10か条」は
私への宿題となった。
ここでは、「もてなす側」について、
その宿題に応えておこう。
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◆もてなす側の10か条

1.物品の提供だけを「もてなし」と考えない。
  客や相手と誠実に向き合い、
  ていねいにコトバを交わすことこそ基本とする。
  相手にもよるが、「もてなし」の基本は会話を楽しむこと。
  接待側としては、お客に問いかけ、相手の好む話題を見つけ出す。
  ここがうまくいけば、「もてなし」の大半は成功。
  ごちそう攻め、酒の強要、録画映像やアルバム閲覧の強要、
  自分ばかりが話す、ホームグラウンドをいいことに、
  自慢話大会などはNGとしたい。
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2.食事などを供する場合、
  もてなし側がサービスのために
  立ったり座ったりするのは感心しない。
  話題、話し合いを第一と考え、
  飲食はその次に。
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3.自宅に招く場合、
  事前にタイムスケジュールを示しておくとよい。
  「3時においでいただいて、
  旅行のときの写真など見ながらお話しして、
  6時ごろ夕食をとっていただいて、
  8時にはお開きというご予定ではいかが?」
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4.和風のもてなしの基本、
  玄関あたりに打ち水をする、花を生ける、
  水まわりをきれいにしておく、
  香りをつかう、衣服を整えるなどは、いまも手本にしたい。
  洋風には、玄関にウエルカムボードを掲げたり、
  ゲストから以前にいただいた絵ハガキ、アクセサリーなどを
  飾っておいたりする方法もある。
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5.宿泊をしてもらう場合、相手によっては
  自宅よりもホテルを使ってもらうほうが、
  相手にとっては気づかいが少ないことも。
  もちろん、事前に知らせておく。
  近くに適当なところがない場合はその限りではない。
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6.飲食店を選ぶ場合、「ここはおいしいから」と
  あまり強調しないほうが安全。
  むしろ「私はよく行くところだけど、
  お口に合うかどうか試してみて」くらいに抑えめに。
  「テレビで紹介された」「有名人がよく来る」などは無用で野暮。
  ネットで検索したところに
  初めて連れて行くなどは「もてなし」以前。
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7.家に招く場合、インドアだけがもてなしとは限らない。
  近くの公園に行く、公共施設を見学する、
  祭やイベントを案内するなどの方法もある。
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8.「もてなし」には、
  観劇、コンサート、スポーツの試合、
  旅行などへのご招待などもある。
  これには自分が同行する場合と、
  ペアチケットを贈る場合とがある。
  ペアチケットとなると、
  「贈り物」に近づくが、
  「もてなし」の定義から外れるとまではいえない。
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9.「もてなし」には、
  祝い事に関して物品や食品を
  プレゼントすることも含まれる。
  そうなると、伝統の中元や歳暮まで
  もてなしになってくる。
  それでも「もてなし」の定義からは外れないが、
  好意を示す、親愛の情を示す、という
  基本理念からすると、
  季節の行事までをも「もてなし」とするには
  異論があろう。

  つまり、パソコンで打った年賀状までもが
  「お・も・て・な・し」ということになってしまう。
  ここは基本に帰って、
  「こころのこもった対応」こそが
  「お・も・て・な・し」なのだ、ということにしよう。
  年賀状といわず、紙切れに書いたメモ書きでも、
  「もてなし」になることもある。
  教室で先生にほめられた子に、
  近くの席の子が「やったね」と書いただけでも、
  「もてなし度」は高いものとなる。
   つまりは、日常的なメールやハガキ、手紙にも、
  もてなし度の高低がある、ということ。
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10.イベントに集まる人への「おもてなし」の基本は、
   集まった、より多くの人が発言できる機会をつくること。
   飲食はその次。
   初参加の人には一言でも発言してもらうように問いかける。
   この点は、パルマローザや食コーチング関係の集まりは完璧。
   話し合いを好まない傾向のある日本人は、
   立食パーティなどでも、
   飲食を山のように用意する。
   食べ物で口をふさいでしまえば
   隣の人と話をしなくてもよい、ということか。
   ビュッフェは災害地での食糧支援とは違う。
   ゆったり話し合う場と考えたい。
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   忘れられがちなのは、
   その日、集まった人の氏名は
   全員が共有できるように図らうこと。
   あとから振り返ったとき、
   そこで、だれと同じ体験をしたかがわからないのでは空しい。
   「個人情報」とやらを拡大解釈して
   なんでも隠そうとするのは、
   「もてなし精神」を阻害する。
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さて、年末・年始の「おもてなしシーズン」
どんなアイディアで人をもてなそう。
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# by rocky-road | 2016-11-10 23:39  

水中スタジオに、ことしも。

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「いままで潜った海でどこがいちばんいいですか」とは
よく聞かれることである。
この質問に対しては、
あえて条件設定をしてから答えることにしている。
水中か、ビーチか、ホテルライフか、
水中の場合、魚の濃さか、透明度か、サンゴかなど。
「♪ 海は広いな、大きいな ♬」だから、
評価対象を絞っておかないと
誤解の元になる。
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これは『海と島の旅』という雑誌の創刊に
かかわって以来のことである。
創刊当時、海へのパックツアーを評価するページを設けた。
ここでは、食事や景観、アクティビティなども対象にした。
しかし、スポンサーのご都合もあって、
長続きはしなかった。
『暮しの手帖』のように、
商品評価をすることは
商業雑誌には容易のことではない。
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ともあれ、私のささやかな海の旅経験でいえば、
水中景観という点では、
沖縄の座間味島(ざまみじま)が
いちばん好みに合っている。
透明度、魚の濃さ、水中景観の美しさ、
そして、水中へのアクセスの容易さ、という点で。
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ここの古座間味ビーチは、
水中スタジオだと思っている。
波打ち際から1メートルと泳がないうちに、
コトヒキやコバンアジ、
マルゴバンの群がりや群れに出会える。
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困るのは、
那覇から島への高速船が
ちょっとした風雨で欠航することである。
真夏のベストシーズンなのに、
天気図にはかならず台風があって、
すぐに船は欠航する。
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半世紀近く通った結果、
いまさらながらだが、
台風シーズンを避け、
10月下旬から11月を狙えばいい。
沖縄といえども冬はあって、
そのころから寒くなると、風が吹く。
魚も減ってくる。
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そこでことしは、10月下旬を狙った。
秋が、いつもより早めに来た感じだが、
今回は、
スノーケリング初体験者を含むツアー。
「ぶらカメラ」とフィッシュウォッチング。
このパターンも、
これまで続けてきたことだが、
メンバーが若返った分、こちらもリフレッシュした。
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結果は写真のとおり。
今回は、映像にすべてをお任せしよう。
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# by rocky-road | 2016-11-05 23:14  

蒲郡で「三谷祭り」を見る。

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名古屋周辺に在住の3人の塾生から
 お招きをいただいて、
 愛知県のご当地祭りを見物した。
 「三谷祭り」(みやまつり)という。
 場所は愛知県蒲郡市(がまごおり)三谷(みや)地区。
 祭りは2016年は10月15日、16日の2日間。
 私は16日に伺った。
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 2つの神社の間を4基の「山車」(やま)が
 移動するのだが、
 途中で海の中を行く場面がハイライトとなる。
 山車の上にはお囃子方の子どもたち。
 山車を支える男たちが100人近く。
 山車を曳く男たちはおよそ200人。
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 たぶん、海中は砂地なのだろう、
そこをおよそ300メートル、
山車はゆっくりと移動する。
大潮の日を選んで行なう理由がよくわかる。
水位が下がるので、大きな山車が
海の中を進むことができる。
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それにしても、海底が岩場では、
山車(やま)にとっては不安定すぎるし、
砂地だとしても、車がのめりこんだりしたら動かなくなる。
300年の歴史のある祭りという。
最初にこれを試みた人のアイディアと勇気に感心する。
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東京の祭りしか経験していない者からすると、
祭りにしては静かである。
確かに祭囃子は流れてはいるが、
人の表情が柔らかだし、ゆったりとしている。
はしゃいで走り回るような子どもも見当たらない。
東京の祭りでは、参加している男たちの表情がキツイ。
戦闘モードであり、実際、あちこちで衝突が起こる。
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東京に限らず、ときに死傷者が出るような
荒くれた祭りは各地にはある。
愛知県人は郷土愛が強いそうだが、
それも荒くれない一因なのか。
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三谷祭りの穏やかさは、
神事としての意識を参加者が持ち続けているからだろう。
また、参加者の年代の幅が広い。
子どもから高齢者まで、
各層のバランスが実によい。
高齢者が、年長づらすることなく、
みんなが溶け合っている。
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日本中の若者がスマホ依存症に
かかっていると思っているが、
少なくともこうした祭礼の日には、
スマホをのぞき込む者はいない。
そういう機会のある地域が、
この日本にもまだあることを知って安堵した。
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祭りはシーサイドに限らず、
神社の境内でも行なわれていた。
ここでも、奉納する数パターンの踊りを
いろいろの年代層のグループが
分業して行なっているのであった。
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この多面性が気に入った。
1点に集中するのではなく、
広い地域のあちこちで、
いろいろのメンバーが、いろいろの目的で動いていた。
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その多様性は、なぜかアメリカのショーを連想させる。
アメリカ人のショーには、
幕間に当たるものがないことが多い。
あるショーが、右から左へと展開し、
それを目で追っていると、
いつの間にか右手からは、
次のショーの一団が入場してきて、
パフォーマンスを始めていたりする。
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三谷祭りでは、
神社の境内は階段になっていて、
階段と階段の間のスペースで、
いくつかのグループが舞を舞っていた。
まさに階段の「踊り場」なのであった。
それを追って見物した。
歩数計によれば、
1万歩以上は歩いたという。
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1年前から計画した、
私の誕生日へのプレゼントとのこと。
祭のあと、竹島水族館を見学し、
名古屋経由で東京に戻った。
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# by rocky-road | 2016-10-18 23:59  

そして、いまも「スノーケリング」。

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10月末から11月にかけて、
いつものように沖縄県の那覇市に近い、
慶良間諸島、座間味島(ざまみじま)に
スノーケリングの旅に出る。
50年近く通っている、
水中スタジオのような島である。
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これに同行する栄養士、ケアマネージャーたちが
自主的にスノーケリングの講習を受けたと聞いて、
大いに明るい気分になった。
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日本のレクリエーションダイビングの歴史の中で
栄養士やケアマネージャーが
ダイビングやスノーケリングを経験した、
という例なら、いくらでもあるだろうが、
「健康支援者」というくくりで、
スノーケリング講習を受けた、
という話は、そう多くはないはずである。
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講習は、2016年10月8日、
千葉県にある室内プールで行なわれたという。
指導は、東京新宿でダイビングショップ
「マナティーズ」を開いている山崎由起子さん。
ずいぶん多くのダイビングインストラクターと
かかわってきたが、
女性のオーナーは珍しく、
それよりもなによりも、
気力・体力、心配り、アクティビティにおいて、
彼女を超える人は知らない。
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女性が講習を受けるなら、
あるいはツアーガイドを頼むなら、
この人こそドンピシャリである。
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以上のプールの水中写真は、
彼女にお願いして撮っていただいたもの。
水面上は、甲斐和恵さん撮影。
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いまは「シュノーケリング」という人が多い。
もう30年以上前になるだろうか、
水中造形センター発行の『マリンダイビング』や
『海と島の旅』という雑誌、
その他の刊行物の用語統一を図ったとき、
「スノーケリング」「スクーバダイビング」を採用した。
外部スタッフとして私もかかわっていたが、
現状はどうなっているかが気になって、
編集部に問い合わせたら、
いまも同様だと聞いてほっとした。
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が、世間では、インストラクターまでが
「シュノーケリング」という。
しょせんは日本語だから
(カタカナ表記という意味で)、
どちらが原語に近いか、なんていう議論はナンセンス。
ともあれ、なじんだコトバが変わるのはいやなもので、
私は生涯、「スノーケリング」で通すつもり。
「スノーケリングピープル」
というクラブを作ったこともあって、
「シュ」か「ス」かは大問題である。
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前にも書いたような気がするが、
スノーケリングにしろダイビングにしろ
「地の果てから始めるもう1つの旅」が
私の定義の一部である。
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日本では、
スノーケリングはスクーバダイビングの準備として
位置づけられがちだが、
私としては、スノーケリングは独立した
レクリエーションだと思っている。
「旅」の自由さという点でも、
スノーケリングは利点が多い。
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旅のおもしろさは、
「足の向くまま、気の向くまま」である。
その点でスノーケリングは、
この自由さを持続することができる。
その地にダイビングサービスがあろうがなかろうが、
どこの海、湖、川、池でも、
その水面を歩くことができる。
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実際、ある公園の池で、
うじゃうじゃいるコイを水中で撮りたくて、
そっと水中マスクと水中カメラを持ち込んだことがある。
が、監視員が何回も巡回するので、目的を果たせなかった。
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しかし、大分県の佐伯の水族館のプールで
マンボウが一時的に飼育されていると聞いたときは
もう我慢ができず、
飛んで行って、水中撮影をさせてもらった。

沖縄の座間味島は、
ダイバーには知られるスポットだが、
われわれが旅するビーチは、
むしろ海水浴のビーチ。
そこが狙い目で、実に多くの魚が集まっている。
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そんなところで、
スノーケリング講習をやっている時間はない。
とはいえ、50年近く、
そういうことをやってきた。
が、いまは晴れて、
スノーケリングの基礎を身につけた健康支援者と
地の果てからの旅を楽しめる。
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スノーケリングだけを目的に講習を受ける人は少ないし、
ショップもそれを嫌う傾向がある。
客単価が低すぎるからである。
が、そこはマナティーズ。
フロリダにあるクリスタルリバーという川に
冬場、海に生息するマナティが集まる。
ジュゴンに似た海洋哺乳動物である。
これを見物するのはスノーケリングだという。
マナティーズは、しばしばそこにツアーを出す。
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スノーケリングとダイビングを始めて52年、
スノーケリングだけの講習を
引き受けてくれるショップがあるというのは、
私には奇跡のように思える。
講習を受けた人たちは、
海での講習は省いて、
いきなり魚たちと対面することになる。
(そうは、うまくはいくまいが)
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昔、初めてこの海をのぞいた女性が
「大変、たいへん」と叫んだことがある。
事故かと思って走って行ったら
彼女は魚の多さに驚いて、
「たいへん」と叫んだのだった。
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さて、ことし「たいへん」を叫ぶのはだれなのか。
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海の陸、水中の写真は大橋撮影。
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# by rocky-road | 2016-10-12 23:21