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命長し、雑誌編集のココロ。

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月刊『栄養と料理』が創刊80周年を迎えた。
(創刊は1935年、女子栄養大学出版部発行)
私は1966年(昭和41年)4月に
同出版部に入り、1991年まで、
25年間在職した。
『栄養と料理』は私より1歳年長である。
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その間、『栄養と料理』編集長は
1979年からの3年半と、
1987年からの4年、
合計7年半、経験した。
創刊50周年は1975年だから、
その4年後に私が編集長になった。
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次の60周年号を数えた1985年は、
広告課に席を置いていたが、
60周年を意識した企画広告をプランニングして、
クライアントの協賛を得た。
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いま、インターネットのアーカイブスで、
バックナンバーを振り返ってみると、
60周年記念号は、
ほとんどなんのアクションもなかったことがわかる。
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ともあれ、2015年10月号、11月号は、
80周年記念号、
版型もB5判からA4変型へと変わった。
版型を大きくしたいという願望は
多くの編集担当者にある。
しかし、版を大きくすれば
売れゆきがよくなる、といえるほど
出版界は甘くはない。
問題はつねに中身、
どれだけ読者の心をつかむか、
企画がすべてである。
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テレビコマーシャルをやっても、
電車の車内吊り広告をやっても、
それだけで売れ行きがよくなる、
ということはほとんどない。
1にも2にも、内容である。
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その点、
現在の編集は、
読者のニーズを
かなりつかんでいるのではないかと思う。

編集長は、
野球のピッチャーのように、
日ごろからブルペンで肩慣らしをして
登板に備えるというわけにはいかない。
ほとんどの場合、
なんとなく「次は○○だろう」という
下馬評はあるものの、
編集経験と編集長の適任度は一致しない。
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ましてや大学出版部の場合、
出版社のように
出版経験者がそろっているというわけにはいかず、
したがって、出版人としての育成も充分ではない。

2015年9月22日に
91歳で亡くなった岸 朝子さんの場合は、
主婦の友社で働いていたのを
女子栄養大学出版部が引き抜いたのである。
編集長候補を内部に求めたが、
もう適当な人材はおらず、
けっきょく、よそから連れてくることになった。
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書籍編集課に属していた私の上役は、
岸さんとは同窓生ということで
主婦の友社に、
オファーのために出かけていった。
そのときの様子を覚えている。
バブル時代に入るころに加えて、
健康に対する関心も高まっていた時期なので
部数は伸び続けていた。

しかし、編集長というのは辛い仕事で、
売れているとき、またはヒットを出したときでも、
「やったね!」と励ましてくれる人はまずなく、
成績がよくなくなると目をそらすようになる。

岸編集長のあとを受けて、
私がピッチャーマウンドにあがることになった。
女子栄養大学では、
雑誌経験がなかったので、
スタッフからの昇格というのではなく、
書籍編集課からのスライドだった。
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岸さんの訃報を伝えた新聞に、
『栄養と料理』の編集長を10年間務めた、
とあったが、それは誤りである。
同出版部では、
編集長の任期は、それよりずっと短い。
出版社ではないから、
「お前にすべて任せたぞ」
というような経営者はおらず、
なんとなく、「空気」で交代が決まったりする。

私は、横滑り型編集長となったが、
高校、大学とクラス雑誌を編集し、
ダイビング雑誌の編集を手伝っていたので、
うれしくはなかったが、
戸惑うことはなかった。
『栄養と料理』の編集長になる直前、
『海と島の旅』という雑誌を創刊の
プロデュースをしたばかりたった。
(水中造形センター発行 1978年)
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『栄養と料理』では、
摂食障害、行動療法、
生活習慣病の解説(健康の最前線)、
ライフスタイル別ウエートコントロール、
スポーツ栄養、女性の健康な生き方
などのテーマをよくとりあげた。
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いまはインターネットの時代で、
雑誌の売れ行きがよくないという。
かつて日本では、100万部を売る雑誌がいくつかあった。
が、いまは、週刊誌でさえ、
50万部を超えるのがむずかしくなっている。
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しかし、153回芥川賞、上半期の受賞作、
「スクラップ・アンド・ビルド」と
「火花」を掲載した『文藝春秋』の
2015年9月号は、100万部を軽く超えたという。

雑誌には、人の知らない世界の情報を
自分だけが楽しむという
怪しい魅力があった。
が、インターネットは、
いわば情報のアリ地獄で、
検索を始めると、そこから抜け出せなくなる。
これがタダでできると知れば、
雑誌への関心が薄れるのは致し方ない。
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いまでも、自分の情報源、
自分のアイデンティティを支える
情報源としての雑誌の価値は
少しも失われていないが、
知的階層と、そうでない階層との
ボーダーラインにいた連中は、
インターネットのほうに引きづり込まれている。

それをもって日本人の知的レベルが落ちる、
とは簡単にはいえないが、
個性や根性がフニャフニャしてくることは避けられない。
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しかし、100万部を狙うのはムリとしても、
雑誌や書籍の読者離れは、
食い止められないはずはない。

ニーズは、
人々の潜在意識の中にある。

『栄養と料理』時代、
新任の出版部長から、
「あなたたちの会議を見ていると、
思いつきで企画をしている。
商社にいた私たちは、市場調査を何回もやって
消費者のニーズをつかんだものだ」
といわれた。
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そのときの私の反論はこうだった。
「大手の企業は、そんなに調査をしているのに、
経営不振になったりつぶれたりするじゃないですか。
調査だって、その程度のものでしょう。
雑誌は、読者の深層心理を把握することです。
編集は、心理学ですよ」

いまだったら、
「脳科学ですよ」というだろう。
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月々、ロッコム文章・編集塾をはじめ、
いくつかの教室のテキストを作り、
パルマローザの『エンパル』の発行にもかかわり、
塾生の書物の執筆のお手伝いをしている限り、
加齢が編集力低下につながる、という実感はない。
(自覚症状はないものである)
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そのせいか、
古巣の『栄養と料理』を応援したい気持ちが、
このところ高まっている。

いや、『栄養と料理』だけではなく、
『マリンダイビング』についても、
季刊になってしまった『マリンフォト』、
休刊中の『海と島の旅』についても、
同じように思う。
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雑誌は「栄養」ではなく、
「情報」で命を長らえる。
いや、「心」で寿命を延ばす。
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なのに、
提供する「情報原材」を失って
命を失う雑誌のなんと多いことか。
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by rocky-road | 2015-10-15 23:40  

着飾ることの意味は?

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今年の2月に、
NHKテレビの「地球イチバン」という
再放送番組で、
アフリカのコンゴ共和国の男たちの
ファッションレクリエーションについて
紹介していた。
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タクシーの運転手とか電気工とかの男たちが、
週末になると着飾って街を歩いたり、
広場に集まったりして、
デモンストレーションを行なう。
ファッションにかける費用は、給料の半分以上という。
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通勤でもパーティでもなく、
着飾って街を歩き、女性や子どもの称賛を受けたり、
仲間とオシャレを評価し合ったりする。
街を歩くとき、男たちは
ときどき短いステップダンスをする。
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もともとスタイルのいい連中だから、
どんな服でも似合うが、
思い切りファッショナブルな服を着る。
コーディネートのセンスを競っているらしい。
そこを訪問したお笑い芸人が
それをまねておしゃれをしたところ、
靴下の選び方が失敗だ、と突っ込みを入れていた。
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着こなすこと、それで街を歩いたりすることを
「サプール」(SAPEURS)というのだそうな。
フランス語で「エレガントな紳士協会」の略だという。
さらに略して「サップ」
それはオシャレをする人、オシャレをすること、
オシャレをして歩くことなど、
名詞としても動詞としても使われる。
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さらには
人格の洗練さをも問われるというから、
「馬子にも衣裳」の現代版であろう。
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コンゴ共和国は、
西欧先進国の植民地を何回か経験し、
その後も内戦があったりクーデターがあったり、
そしていまも、
政治的に安定とはいえない様子であったりするが、
「サプール」は、
そういう社会環境とは、
一見関係なく展開しているように見える。
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街の様子を見ると、
太平洋戦争直後の東京よりも未整備な感じだが、
そういう風景をバックに、
世界中、どんな先進国にも見られないほどの
超ファッショナブルな服装で、
私的ファッションショーを行なうアンバランスは、
ヒトの生態の不思議さ、
そして多様性を感じさせる。
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先進国では、服装はそのつどの目的によって選ばれる。
通勤、通学、室内業務、冠婚葬祭、スポーツ、交際……。
が、「サプール」は、ファッションそれ自体が目的である。
給料の半分以上を使って、
そこまでする動機はなにか。
通勤用ではないから、両手はいつもあいている。
だからちょっとステップを踏んでみたくもなる。
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娯楽施設のないからこそのレクリエーションなのか。
それならば、サッカーとかマラソンとか、
金のかからないスポーツをなぜ選ばないのか。
内戦や政情不安の結果、
からだを張って競うことに嫌気が差したのか。
それとも、西欧型近代化への1プロセスなのか。
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そして日本では、
「サプール」をテーマとした写真集が出た。
これはどういう意味なのか。
日本の男には絶対にまねのできない、
ピンクのスーツ、
黄色いシャツに黒のジャケット、赤のパンツ、
赤のストライプのスーツ。
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これらが日本の男の身だしなみ環境に
なんらかの影響を与えるのだろうか。
どちらかといえば、
「キタナ系」や「ダサ系」が主流(?)の日本男児に
爪のアカほどの影響を与えるのだろうか。
ここにも、文化の流れのおもしろさがある。
水は、上から下へと流れるが、
文化の流れには法則性を見つけにくい。
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インフラの行き届かない劣悪な環境で、
思い切り着飾る男たち、
それを、生身の人間に関心を失った日本の男たちが、
どう見るのか。
スマホをのぞき込むことに明け暮れ、
バーチャルな世界に遊ぶがゆえに、
人と目を合わさない、
あいさつを好まない日本の男たちに、
まさに動物的ディスプレーを行なう「サプール」たちが
どんなメッセージを送ることになるのか。
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文化が動く渦中にいるおもしろさは、
台風の目の中に入ってみたい好奇心、
クジラに飲み込まれて、
胃の中を探検したい探求心に通じる
モチベーションとでもいうのか。
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by rocky-road | 2015-10-08 20:28