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NHKに「食ジム」

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先日(22日?)、
NHKラジオを耳にしたら
ラジオ放送90周年の記念番組の1つをやっていた。
声から判断して、
黒柳徹子さんや谷村新司さんが出演していた。
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谷村氏がいい発言をしていた。
こんな趣旨の発言である。
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「若者のラジオ離れが進んでいるとかで、
その対策として、
若者向きの番組を作ろうとするが、
大人の考える若者向け番組が
若者にウケるわけはない。
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それ以前の問題として、
そもそも、大人向けの番組自体が
おもしろくないのではないか。
大人が、おもしろがって聴き入る番組がいくつもあれば、
若者は、そちらに近寄っていくものである」と。
見事な考察である。

ところが、こういう議論の中に
ファックスやツイターで送られてくる
取聴者からの声が割り込んでくる。
大ベテランの経験に基づく有効な発言が
外野から飛んでくる「声」に
寸断されたり、方向転換を余儀なくされたり。
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これも「論語読みの論語知らず」かな、と思った。
つまり、放送関係者は、
ラジオ番組のほんとうのおもしろさ、
ほんとうの聴かせ方をわかっていない。

プロ同士のレベルの高い議論の中に
たまたま聴いた番組に、
まさしく割り込んでくるアマチュアの声など
まったく求められていないことを
ラジオ番組制作に何年もかかわっている者が
わかっていないようなのである。
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座談会というものは、
その場にいる人が、テーマに沿って、
あるいは、
その場の流れで話題を展開してゆくものである。
ときに脱線もあるが、
それはそれでおもしろい。

この脱線と、
途中で割り込んでくる聴取者の意見とは
「似て非なるもの」である。
こういう、いわば「乱入」を
NHKは「双方向性」(インタラクティブ)だと
考えたいらしいが、それはぜんぜん違う。
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双方向性を成立させるつもりなら、
飛び入り参加者(取聴者)に、
出演者のほうからも
逆質問ができるようなシステムを
作っておかなければならない。
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不用意、不適切な発言には、
問い返して、真意を確かめたり
発言上の責任をとらせたりするのが、
双方向であり、
プライドのある人間のコミュニケーションである。
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一方的に匿名で茶々を入れるのは、
その内容がどんなによいとしても、
それはヤジ以外の何物でもない。
こんなものを「取聴者参加」だと思っているとしたら、
話し合いのおもしろさを
まったくわかっていないことになるし、
出演者にも失礼である。

話の流れを寸断して、
「取聴者の声」を読み上げる女性アナの
なんとも尊大な割り込み方には、
暴力性すら感じる。
本人は、その役割には従順で、
自信と誇りさえもって取聴者を代弁している。
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会議べたは、日本人社会の
だれもが認める傾向だが、
それは、会議のおもしろさを
一度も体験したことがないことに
大きな要因があるのだろう。
たとえば、テレビでも、
時の話題をスペシャル番組で話し合ったりするが、
この場合も、プロに交じって
視聴者を数十人出演させたりする。

わずか2時間くらいの番組に
20~30人の発言が盛り込めるのか、
1度でも体験すれば学習できるはずである。
なのに、同趣向の番組を何回も繰り返す。
「浅く広く」といえば一理ありそうだが、
ごった煮や幕の内弁当は、
何回食しても中身が記憶に残らない。
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これが公共放送だとすると、
NHKは、国民の思考力を低め、
浅薄にするシステムの一部ということになる。

そうか、その放送があったのは、
22日の深夜であった。
ちょうど、
「食ジム」(食コーチング ディスカッションジム)が
あった、その日である。
およそ20人が、約5時間半、
1つのテーマについて話し合った日だった。
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ということは、
ラジオ番組制作者のために、
1度でも食ジムをやったら、
日本の座談会形式の放送も、
レベルが格段にあがることになる。
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「スペシャル食ジム」開催を
ぜひとも、という依頼があれば、
考えないわけでもない。
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by rocky-road | 2015-03-27 00:56  

波静かなビーチサイドで。

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過日、出版社の人から、
食用魚の水中写真の持ち合わせはないか、
あるいは、ストックしている人を知らないか、
という問い合わせを受けた。
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こういうニーズは、
食生活雑誌の編集者時代から
私自身にも何度かあって、
そのたびに残念な思いをした。
水中写真を趣味としている者が、
さかな関係の協会に
ニシンやサンマの写真を借りに行くのは
なんとも不甲斐ないものであった。
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レクリエーションダイビングは、
暖かく、透明度のよい海、
海洋生物の濃密な海をフィールドにするので、
北の海や湖は、あまりうれしくない。
それではいけないと、
北海道やカナダ、カリフォルニアなどの海に
入ってみたが、
水が冷たいのと、魚が少ないので、
何回も潜りたいとは思わなかった。
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ある魚類学者は、
日本の場合、北の海の魚介類の量と
南の海の魚介類の量とを
トン数で比較すれば、
そうは違わないだろう、と言っていた。
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北の海は、1種の魚の量をトン数で稼ぐ、
南の海は、多種多様の質で稼ぐ、と。
サンマやシシャモ、ニシンなどは、
ものすごい大群で泳ぐ。
種類は少ないが、数が多い。
そういう大群は岸近くの
狭いエリアには入って来られない。
だから、レクリエーションダイバーの
被写体にはなりにくい。
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一方、南の海の魚は、種類がいかにも多い。
それが海を輝かせる。
かつて、沖縄の海事情を
「魚類図鑑のページをばらしたような海」
と表現したことがある。
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太平洋と日本海との違いも、
ややこれに似たところがある。
太平洋の魚は、動きがいかにもアクティブ。
そもそも海自体が動いている。
ベタなぎの状態でも、黒潮が近くを流れている。
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日本海は、少なくとも冬以外は、
穏やかで、ダイビングに適している。
が、その穏やかさに不満を感じるダイバーもいる。
日本海で見られるタイやメバルは、
いかにもじっとしていておとなしい。
伊豆あたりにもメバルはいるが、
目の張りに勢いがあり、
日本海のものより動きがある。
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どんな世界にも動と静、陰と陽の対比がある。
それはつり合いだから、
どちらがよくて、どちらがよくない、
という問題ではない。
太平洋がロックなら、
日本海はバラードという感じか。

浦島太郎に出てくる竜宮城は、
もし、この昔話が純日本製であるならば、
日本海の海底にあったことだろう。
「タイやヒラメの舞い踊り」というフレーズからは
太平洋は想定しにくい。
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とはいっても、
タイやヒラメは、舞い踊りなどしない。
海藻の中にじっとしていたり、
砂地に這いつくばっていたりする。
はしたなく、舞い踊るのは、
アジやイワシ、タカベなどの回遊魚や
サンゴに群がるスズメダイなどだろう。
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インサートカットもなく(わかる人にはわかる)
とつぜん、陸の話になるが、
能登と広島で定期的に文章・編集塾を
開講するようになって、
いままで見てこなかった海と
向き合うことが多くなった。
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能登は内海、広島も内海。
ベタなぎのような海が眼前に広がる。
そんな海にも潜ってみたいと思うが、
南の海で感じる、せかされるような躍動感はない。
ゆっくりと人生について考えてみたい、
心身を癒されたい、
そんな境地になる海である。

こういう海の魅力を伝える水中写真の表現力は
まだ多くの水中カメラマンにはない。
穏やかな、哲学するのに向く海を
コトバで伝える表現力も、
まだ多くのダイバーにはない。

ダイビング雑誌などは、
そういう文化を育てていく責務がある。
私は、「海を語る語り口」の開発に長年携わってきたが、
ダイビング雑誌のほうの意識はいまいちで、
まだ、水中を魅力的に語る話術や文章力が
ダイバーの共有スキルにはなっていない。

ともあれ、
穏やかな海を見ている人は、
穏やかなメッセージを受け続けているうちに、
少なくとも動きの大きい海辺の人よりも
穏やか度は違うかもしれない。
静かな海を見ている人の気性に
タイやメバルを感じる(顔のことではない!!)。
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「それをいうなら、
湖の湖畔に住んでいる人は穏やかかね?」
と突っ込まれるかもしれない。
そうしたら、こう反論する。
「湖が穏やかだなんて、だれが言った?
浜名湖にしろ琵琶湖にしろ、
けっこう波立っているぜ」
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自然環境と人間の感性や知性との関係を
検証するエビデンスは少ないから、
現時点では仮説以前の話である。
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が、文章力、編集力との関係は、
ひょっとすると、
ある種の傾向は出るかもしれない。
あと10年くらい
私が現役であるならば、の話だが。
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by rocky-road | 2015-03-15 22:12  

栄養士の「やさしさ」とは……。 

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ロッコム文章・編集塾/能登教室の第5回が終わった。
(2015年3月1日、石川県七尾市、千寿苑研修室)
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プログラムは、以下のとおり。
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1.宿題発表
  読売新聞人生案内にあった
  「妻にやせてほしい」という夫からの
  相談と回答記事について考える出題。
  「あなたならどう答えるか」

2.スピーチのスキルアップ。(前回の続き)

3.「戦場」としての会議。
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宿題発表は全員にしていただいた。
50歳代後半の夫が、
妻の肥満と、高めの血圧を気づかって
すでに20年間、減量を促してきたが、
効果があがらなかった、
どうすればよいのか、という相談である。

予想どおり、回答の大半は
「いっしょにウォーキングをしては?」
「よく話し合って」「食事や間食を見直してみては?」
という、今後も夫主導で大同小異のサポートを
してゆくようにすすめる回答だった。
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多くの回答の基調は、
「話し合って」であり、
夫の協力を前提にした提案になっていることであり、
「妻にやせてほしい」という夫の願望や心理を
洞察することなく、
常識的なウエートコントロール手法を
示すというものである。

ただ1人、「別れましょう」と
「過激」な提案から始まる人の回答には、
ユニークな視点があった。
たまたま最初の回答者だったために、
いきなりの「別れましょう」にはどよめいた。
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この人の着眼は、
「妻にとってあなた(夫)は
ストレスの対象かもしれません」
「あなたは自分の価値観を妻に押しつけて
いるのではありませんか」
「あなたは方法を間違えたのです。
『妻に運動させるために健康器具を買った』
『妻に運動をさせるために(食事の)後片づけを
自分がした』と、あなたの行動は
『妻に運動させるために』が根底にあります」
という点で、本質をついている。
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まさに、妻の上に君臨するために、
「やせさせる」をカードに使っている気配がある。
さらに、その不満を新聞に投稿して訴える……、
妻の肥満を大衆に売り渡すとは、
とんでもない裏切りであり、
その愛情も疑われるイヤな奴である。

人間論的に見れば、
まさしく過干渉であり、偏執的である。
妻を責めることを趣味にしているのではないか、
とさえ思える事例である。
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そこまで悪人視しないまでも、
「妻は食後はテレビを見ている」そうだから、
もともとつまらない夫で、
妻としては、テレビでも見ていなければ、
間か持たない、という面もあるのだろう。

しかし、栄養士さんの回答は温かい。
「一緒に歩くようにしては?」
「本人の習慣や意識を変えていくことが必要」
「明るい朝のあいさつから始めては?」
などなど。
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性善説ならぬ「夫婦円満説」に立つせいか、
どこまでも楽天的。
それがプロ意識なのだろうか。
「とても奥さん思いのご主人ですね」
「女性として奥様をうらやましく思います」
「奥様思いのご主人と、
やせたい気持ちがおありの奥さまなら
(医師などの相談を受ければ)、
減量は可能であると思います」
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質問者の夫を「妻思い」「やさしい」と見ようとする、
栄養士自身の「やさしさ」または「甘さ」は、
職業的良心ともいえる。
「やさしい夫」を前提にするために、
20年間も減量支援を続けたにもかかわらず、
期待する効果が得られなかった、
という事実と意味には目を向けようとしない。
この傾向を、
私は「リアリティ不足」と指摘した。
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やさしさは、
かならずしも「よい」結果を生むとは限らない。
やさしさを装うと、さらに結果は悪くなる。
やさしさを自己アピール術として使ってはいけない。
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「別れましょう」と、
高らかに提案した人でさえ、
「妻に運動してもらいたいのであれば、
自分が進んで運動し、運動することを楽しんでください」と
妻へのウエートコントロール支援に
肯定的な結論に落着する。
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妻をやせさせるために、
夫が自ら運動を始める、
という献身を、過去20年間、
一度も試みなかった意味をどう理解すればよいのか。
そういうアイディが浮かばなかったのだろうか。
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行動療法であれば、
やせる動機の弱い妻に対しては、
「準備性」を高めることから始めるだろう。
その前提として、
夫婦へのカウンセリングから始めることだろう。
いずれにしろ、この場合、
サポーター役は夫がもっとも不適任だろう。

妻の肥満で訴えられる夫はないだろうが、
妻に減量を迫って虐待扱いされる夫は
どこかにありそうだし、
いずれ、あるかもしれない。
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栄養士に性悪説を勧める気はないが、
人間考察に
もう少しリアリティがほしいと思う。
ウエートコントロールは
メルヘンチックにはいかないものである。

さて、
講義の1つは、「戦場としての会議。」
ここには充分に時間をかけられた。
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日本では、
多くの場合、会議は男性主導、
上長主導で進められる。
男女参画社会を希求するのであれば、
女性、および会議に消極的な人は、
平和的、合法的戦いの場である会議を
あえて「戦場」と位置づけ、
真正面から取り組むことをすすめる講義であった。

この程度の戦いに積極的に参加できないようでは、
人生という長期戦に耐えるための
最低限の気力も体力も
養うことができないだろう。
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ところで、
能登教室も5回目を数え、
質疑の多い双方向性のある授業が
進められるようになった。
講義中にも手があがり、
問いかけがある。

受講者が参加してくれるので、
立体感のある講義ができるようになった。
聞くところによると、
アメリカの学生は、
そんな受講姿勢をとるという。
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1つには、「食ジム」参加者が
学びをおもしろくする進行法を
採り入れてくれているからだろう。
今後は、タイムスケジュールとして、
質疑や討論を想定したものにしていきたい。
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by rocky-road | 2015-03-03 22:57