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粋な出会い。

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ロッコム文章・編集塾では、
1~2月の授業で、
「健康支援者の〝野暮〟と〝粋〟。」
というテーマを取りあげた。

「粋」はともかく、
「野暮」は、いまも死語にはなっておらず、
「野暮ったい」「野暮くさい」などとして使われている。
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現代語の「ダサい」も、
意味において同じだろう。
ちなみに「ダサい」は、
「田舎」(いなか)を音読みすると、
「タシャ」となり、それに「い」をつけて
形容詞化した(たしゃい→ださい)、
という説があるが、さてさて?
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かつて病院中心で行なっていた食事相談も、
生活習慣病を予防するという戦略上の理由から、
社会の中、
つまり健常者の生活圏で行なわれるようになった。
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現役の人たちと対面するとなると、
相手は病室の、寝間着姿の患者とは違って、
こちらも白衣で武装(?)することはできず、
「血圧、下がったかなぁ~?」式の
上から目線の話し方ではすまなくなる。

こういう場面に置かれたとき、
健康支援者は、果たして世間に通用する
言語センス、対人センスを持ち合わせているのか、
という問いかけをする必要を感じて、
上記のような、
「野暮とはなにか」「粋とはなにか」を考える
授業を行なった。
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「粋」などは、
ほとんど死語になっていると思っていたが、
予想以上によく理解していることがわかった。
コトバは違っても、
人間の文化的価値観には、
粋や野暮に当たる概念はあるはずである。
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洋風化のおかげで、
「ハイカラ」や「ジェントルマン」
「エレガント」や「ナウい」などに
押しまくられる時代もあったが、
粋と野暮は、
なんとか生きながらえてきたようである。

粋と野暮について述べるエッセイを宿題にしたら、
予想以上におもしろいものが提出された。
その中から、2つを紹介しておこう。
原文は縦書きで手書き。
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◆粋な「イクメン」、野暮な「イクメン」
              米澤須美
 「イクメン」ということばが流行語大賞で
トップ10に入って5年になる。ここ数年、
結婚してこどもがいる男性は、「イクメン」
度を計られるようになった。育児に参加して
いるか、家事を手伝っているか、ママのフォ
ローはできているか、など。
 こどもの健診にパパがついてくることも珍
しくなくなった。しかし、まだまだ少ないパ
パの参加は目にとまりやすい。健診について
きて、ただボーッと待っている姿、荷物持ち
として、ひたすらママの後を追う姿、ママよ
りも手出し、口出しをしている姿を見ると
「イクメン」の姿としてはちょっと違う気が
する。「イクメン」は、けっしてママのお手
伝いさんではないし、どこにでもついてくる
ことが良いというわけでもないだろう。特に、
ママからあれこれ指示を受けて動いているパ
パの姿は、かなり野暮ったい印象である。
 外出時など、ママの目や手が回りきらない
部分をパパがさりげなくフォローし、こども
の面倒を見ている姿や、自分のこどもだけで
なく、まわりの人にも気遣いができる姿を見
ると、これぞ「イクメン」と思う。
 ママとコミュニケーションをとることで、
パパとしての役割を意識し、行動する姿には
好意が持てる。ママもこどもも、パパといる
ことで、安心感を持ったり、楽しい時間を過
ごせたりするように配慮できる「イクメン」
のほうが、主夫・お手伝いさんと見まごうパ
パより、だんぜん粋であろう。
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◆江戸前寿司の粋と野暮

               酒井 真
 十数年前のこと、ある寿司屋の職人が「最
近のお客さんはすっかり野暮になりましてね
ぇ、ア行のネタばかり注文されるんですよ」
と語っていた。ア行のネタとは、アナゴ、イ
クラ、ウニ、エビ、大トロだそうである。エ
ビは車エビではなく甘エビだとのこと。
 確かにこれらは、テレビ番組や自分の周り
でも人気のネタである。ただ、このア行のネ
タは、おいしいが味に深みと繊細さが欠けて
いるように思う。
 しかし寿司に関して言えば、客だけでなく、
店の側も野暮になっている。本来、江戸前寿
司のシャリは、酢と塩が主体の、実にすっき
りした粋なものである。ところが今のシャリ
は、酢を抑えて砂糖を増やしているので、甘
すぎるのだ。言い方は悪いが、女子供に迎合
した野暮なシャリといってもいいだろう。
 味に繊細さと深みが欠けているネタ、ベタ
甘くて、ネタの持ち味を殺すようなシャリ。
それで握られる寿司は、粋な江戸前寿司とは
ほど遠いのではないだろうか。「こんな野暮
な寿司が食えるけぇ」今の寿司に向かっ腹を
立てた江戸っ子が、啖呵を切るのが聞こえて
くるようである。
 それでも東京には、白身や光り物の良いネ
タと、すっきりした昔流のシャリを使う店も、
数こそ少ないがいまだに健在である。そうい
う店を大切にして、江戸っ子の粋を守ってい
きたいものである。
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こういう文章が書ける人なら、
ダメ出しばかりで
建設的でない健康支援をすることはないだろう。
病院の中に限ることなく、
シャバのどこへ行ってでも、
人情の機微に通じたコミュニケーションができるはず。
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シャバで思い出したが、
先日、人通りの多い飲食店街で
野鳥のハクセキレイを見かけた。
河原などで見かける鳥である。
歩く速さが機敏で、
なかなか近づくことができない。
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その鳥が、人が行き交う店の前で
落ちた何かを拾っている。
ときどき見かけるので、
ここを餌場と定めたのかもしれない。
道行く人は、スズメくらいにしか思わないのか、
まったく気づかず行き過ぎる。
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しばらくウォッチングをして写真に撮った。
野鳥が街なかにノコノコ出てきたりして、
「それをやっちゃぁ、おしまいよ」なのか、
これも適応のカタチなのか。
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一部の(かな?)健康支援者が
生活者とテンポのよい会話ができず、
「ダメ出し型」に逃げ込み、
そうしたマンネリから抜け出せない
現状と比較したとき、
赤羽の飲食店街に出没するハクセキレイは、
人間とのさらなる共存を模索する
粋なパイオニアなのかもしれない。
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by rocky-road | 2015-02-27 18:22  

あなたの意見を聞きたい!!!!

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11月19日の読売新聞「論点」欄に

国連事務次官を経験された方の見解が載っていた。

その趣意は、日本人が世界で活躍するには

もっとスピーチ技術を磨かなければならない、

というものだった。

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日本人の場合、英語力に加えて、

自分の意見を発表する訓練が足りない。

それにしても、

日本人の美徳(?)である謙虚や謙遜は

コミュニケーション力を強化するのに

マイナスに働く、としている。

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この指摘は、日本人なら、

耳にタコができるくらいに聞いていることだろう。

欧米人と交わるようになって140年以上、

戦後から数えても70年。

そんなにいつまでも「謙虚」で「謙遜」でいられるのか。

芳賀 綏先生が造語された、

「凹文化圏」に属するわれわれは、

未来永劫に、謙虚や謙遜から抜け出せないのか。

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そうなると、謙虚や謙遜は

日本人にとって宿命的な弱点になってしまう。

その結果として、

「謙虚でないほうがいい」

「謙虚さなんか必要ない」なんていう価値観が

はびこったら、たまったものではない。

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英語下手や謙虚さ、シャイであることが

コミュニケーション力不足に

それほどまでに影響しているのか。

だとすると、

日本人は永遠に無能な人種

ということになってしまう。

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そう考えていたら、

別の観点が生まれた。

コミュニケーション力不足のポイントは

日本人の謙虚さや英語力にあるのではなく、

別のところにある、と。

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それは、そもそも意見を持つことの必要性、

それも、国際的に通用する意見を持つことの必要性に

日本人は、あまり気づかなかったのではないか。

なにかといえば、

すぐに英語力の問題、

国民性の問題にしてきてしまったので、

「意見力」不足のほうに目が向かなかったのではないか。

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コミュニケーションは、

伝えるべき材料、

つまり話題や見解、持論、主張がなければ、

展開しようがない。

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いかにタフで、図太くて、

または無神経で恥知らずでも、

「意見」を持っていなければ

だれかに話しかける気にはならないし、

みんなが話していても、

それに参加しようとは思わない。

あるいは、その場の流れとは無関係に

あまり深みのない小さな「意見」を述べて

それで終わったり、周囲をシラケさせたりするだけ。

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自尊心があり、

恥に敏感な日本人は

自分たちの意見の小ささに直感的に気づいていて、

それで無口になっていた。

悪いことに、それを語学力のせいにしてきた。

あるいは国民的性格のせいにしてきた。

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コミュニケーション力強化のための

トレーニングは今後も続けなければならないが、

同時進行で、

「意見」を持つことのトレーニングを

行なう必要があるだろう。

ここでいう「意見」とは、

「和食文化が世界の人に注目されている」

「日本のGDPがゆるやかに回復した」

といった、地域限定の小さな知識や解釈ではない。

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「人間とはなにか」

「戦争や紛争は人間のオスの本能なのか」

「がんや認知症との遭遇をどう受け止めるのか」

などなどの、普遍的、地球的問題でありながら、

根源的な問題、

そういう問題意識を持つためのトレーニングこそ

必要なのではないか。

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そんなふうに考えて、

昨年末に、ロッコム文章・編集塾の教材として

「『自分の意見を持つ』とはどういうことか。」

というテキストを作った。

2月14日の遠距離クラスで、

最初にこのテキストを使った。

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「文章・編集塾」は、

文字どおり文章や編集を学ぶところと思われるが、

その目的は、思考力の強化であり、

快適な人生を送るための適応力の強化にある。

ロッコム文章・編集塾を開講してから10年がたったが、

こういうテーマを扱えるところまできたことに

充足感と感謝とを感じている。

「教えることは学ぶことだ」とはいうけれど、

文章教室が意見の持ち方を講ずるまでになったのは、

塾生のみなさんが、

ついてきてくれたからこそのことである。

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先日、日本テレビの「なんでもランキング

ネプとイモトの世界番付」という番組を見ていたら、

大人が学ぶ割合のランキングを示していた。

レギュラーメンバーの予想に反して、

日本人の大人のランキングは、

30~40か国中、下位に近かった。

日本では、

子どもの塾通いのほうにばかり目がゆくが、

大人は驚くほど「お稽古事」をしない。

そう思って塾を開いた者としては

わが意を得たりの内容だった。

そのことのリスクの1つは、

日本人の平均寿命と健康寿命の差となって

現われているような気がする。

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「お稽古事」は、

モチベーションの連続である。

脳活ドリルによる脳への刺激は、

いっとき脳を活性化するが、

すぐに「効率化」する、

というのが脳学者の見解である。

つまり、すぐに慣れて、

惰性運転を始める。

人間にとって

いちばん刺激的なのは、

自然界からの刺激であり、

自然の一部であるヒトからの

予想もつかないような働きかけである。

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ロッコム文章・編集塾に

刺激的な点があるとすれば、

それはテキストそのものではなくて、

それに反応する人々の諸相である。

意見に関する講義をしつつ、

そんな「意見」をもったしだいでございます。


by rocky-road | 2015-02-17 23:14  

ライフスタイルを納めるバッグ。

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テレビのスイッチを入れたら、
4、5人の「女子会」で
バッグの品評談義をする、
という設定の番組をやっていた。
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2月15日の「食ジム」でバッグ論をやるので、
しばらく目を留めた。
(食ジム=「ライフスタイルを納めるバッグ術」)

が、予想どおりというべきか、
2つ3つのバッグの大きさとか
デザインとかを論ずることに終始していた。
おもしろいと思ったのは、
小さいけれどいっぱい入る、
というところに出演者が強く反応していた点。
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テレビのバッグ論は、そこ止まりであろう。
ファッション雑誌のことは知らないが、
バッグ評論家とか、
バッグとライフスタイル論とかは
存在しないのだろうか。
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有名ブランドのパブ番組なのか、
バッグの多様性についてまで
論じられることはなかった。
(パブ番組=企業が広告ではなく、
協力という形で番組制作にかかわるもの。
パブはパブリシティの略)

見ながら、
ちょっと考えただけでも、
バッグには大別して3つの要素がある。
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1つは機能性。
収納物に合ったサイズとか、
使いやすさとか、耐久性とか。

第2に、記号性。
デザイン、色柄、ブランド、
服装とのコーディネートなど。
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第3に、T.P.O。
季節、時刻、公私、
日常、カジュアル、旅行、
スポーツなど。

バッグは、いうまでもなく、
単なるモノ入れ、モノ運び道具ではない。
どんな服装であっても、
社会活動中の人の
いちばん外側に置かれるグッズである。
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さっきのテレビ女子会の人たちが、
小さいバッグに憧れるのは、
社会的ポジションと関係があるのだろう。
若いうちは、自分のからだや
服装のほうに大半の関心が行っているから、
バッグの存在は小さい。

身軽、軽装、スピーディなどに
価値が置かれる世代では、
バッグは小さいほどいいのかもしれない。
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昔は、男性が旅行に行くときなど、
集合場所に来た1人のバッグが
大きかったりすると、
「世界一周でもするンかい?」
などと冷やかしたものである。

一時、
男性に「セカンドバッグ」
なるものがはやったのも、
手ぶら感が重んじられた時代の反映だろう。
昔の男には、「旅行ごときウキウキするな」という
スカすというか、やせ我慢というか、
粋がるというか、
そういう気分があった。
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まさしくそれがライフスタイルである。
確かに、バッグにはライフスタイルが納まる。
中に何を入れようとしているのか、
外見によって
どんなメッセージを伝えようとしているのか、
他者以前に、自分自身に。

「食ジム」というリングには
どんなトークが納まるのか、
楽しみがふくらんできた。
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by rocky-road | 2015-02-04 23:54