<   2014年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

 

「光」の速さは、東京都内を1か月!!!

b0141773_2316224.jpg

久々に、
少し離れたところにあるスーパーをのぞいてみたら、
カワハギの尾頭つきが売っていた。
1匹ずつパックしてあるのだが、
大きめの1匹が入ったパックには
2,600円の値がついていた。

私の知る範囲では、
東京の家庭では、カワハギは食べない。
そういう食文化はないように思う。
海への旅では、
しばしば食するが、
2,600円を出して
食べるほどの魚かね、と内心は思う。
b0141773_23174454.jpg

この一件から、
9月のロッコム文章・編集塾
能登教室のとき、
初めて入る能登の海で、
カワハギと出会ったことを思い出した。
b0141773_23181456.jpg

彼は、岩に巻きついた廃棄漁網にかかって
もがいているのだった。
この段階では、
東京なら、2,600円でも売れる
上物であることなど思いもよらず、
いや、そんなことはどうあれ、
このピンチを見捨ててはおけなかった。
b0141773_23182985.jpg

彼にまきついている細い漁網の糸を、
「暴れるな、いま外してやるから」と
何度も言い聞かせて、
背にある棘(トゲ)にからまっている糸を
なんとか外した。
彼は、礼をいう余裕もなく、
脱兎のごとく、脱カワハギのごとく
泳ぎ去った。
b0141773_23184711.jpg

写真だけは撮っておいた。

昔、同じように、
岩にからみついている釣り糸に
かかったままのウツボを
海の底で見つけたことがある。
釣糸にかかったが、
切って逃れたらしい。
b0141773_23191665.jpg

が、糸を引きずっていたので、
その糸が岩にからまってしまい、
ニッチモサッチモいかなくなっていた。

なんとか救助を試みたが、
歯をむいて、
のたうちまわっているので、
手の出しようがない。
あきらめざるを得ないときの
切ない思いは忘れられない。
b0141773_23194444.jpg

同じ海つながりでいえば、
昔、神奈川県江の島海岸の岩場で
海を見ている父と子を見かけた。

ときどき、波は岩場を越えて
彼らが立っている近くにまで迫ってくる。
波の見方を知らないと見て、
「危ないから、もっと下がったほうがいいですよ」
と警告した。
父親は、それを薄笑いで受けて、
しかし、無視した。
b0141773_232018100.jpg

そこで懸念が当たった。
彼が連れていた男の子をさらって、
大きな波が海に戻っていった。
万事休す、と思った瞬間、
次の波が男の子を岸に運んできた。
岩と岩の間に、波しぶきに巻かれて
男の子が流れ込んできった。

一瞬のタイミングで、
私が男の子を手をつかんで引っ張りあげた。
「だから言ったでしょう!!」
とは、こういうときは、言えないものである。
その救出場面は淡々と展開した。
父親は、私に「どうも」くらいのことを言って
去っていった。
b0141773_23204437.jpg

以上は、
私が助けたほうの話だが、
以下は、私が助けられた、
というよりも、とんだ被害を受けたが、
なんとか復元してもらったという話。
b0141773_23211916.jpg

電話とパソコン時代にありがちなトラブル、
いつか、あるかも知れないので、
心にとめておいたほうがいいかも知れない。

10月のある日、
電話がかかってきて、
電話やパソコンの回線を
NTTからKDDIに変えないか、
というセールスがあった。
月々の料金が安くなる、
という話に乗ったのが大誤算。
b0141773_23215169.jpg

接続業者に
回線取り換えの工事をしてもらった直後から、
パソコンが不通になった。
その原因を調べてもらおうと思ったら、
「かけつけ設定サポート」なる
有料の業者が派遣されてきて、
すぐに原因をつきとめた。
b0141773_23223641.jpg

なんと、最初の接続業者が、
ルーターのつけ間違いをした、
そういう単純ミスだった。

それでヤレヤレとはいかない。
それをつきとめた「かけつけサポーター」は、
そのあと、パソコンをチェックし、
無駄な「アプリ」(と、いうのかな?)が多いと、
整理をしていってくれた。
b0141773_23242161.jpg

親切なサービスと感謝したが、
そのあと、
アドレス帳が消えてしまったり、
写真のプリントサービスのための
ソフトが消えてしまい、
プリントの注文ができなくなったりした。

接続業者、かけつけサポートと、
2人の人間がやってきたが、
彼らの残していった書類には、
住所が書いていない。
もちろん、本人は
ネームプレートをつけてはいないし、
名刺を置いていくわけでもない。
b0141773_2327792.jpg

最初に電話で勧誘をしてきたDTIについては、
住所を言ってもらい、
ファックスで書類も送ってもらった。

が、回線工事を行なった者は、
DTIの社員ではなく、
新しく開通した《auひかり》通信の
会社《KDDI》の社員でもなく、
それを専門に行なう業者らしい。
b0141773_23273428.jpg

つまり、DTI、KDDI、
回線接続業者、
かけつけ設定サポート業者の4社が
別々に動いているのである。
1か所に電話すると「それはうちではない」と言い、
別のところに電話すると、
「それは有料のサポート会社です」と言う。

そもそも、初回の回線接続が不備だったのに、
割引料金ながら請求書が手渡された。
それのクレーム先がわからない。
《かけつけサポート》は
DTI経由で依頼したので、そこなのか、
接続をしたKDDIなのか。
b0141773_23274991.jpg

細かいことは省くが、
要するにコンピューター関連ビジネスは、
住所を示さず、所在を思いきり不透明にしてある。
責任の所在を初めからボカそうとしてある。

従来は「ああ、交差点の近くの白いビルね」
などといって、生物的な、
またはアナログ的な認知をするが、
相手は電話機の向こう。
出る相手はその都度違う。
「念のために録音させていただきます」などと
もっともらしい音声を流すが、
社内のコミュニケーションはきわめて不完全。
b0141773_2328810.jpg

電話をかけるたびに、同じことを繰り返す。
申し送りができていないのである。
人と人のコミュニケーションが
社内でも行なえないらしい。
ましてや、
クライアントとのコミュニケーションなど、
まともにできるわけがない。

ここに現代の悲喜劇がある。
コンピューターという、
最先端のコミュニケーションツールを扱いながら、
対面コミュニケーションが不成立。
「ひかり通信」だと自称するが、
このトラブルの修復にかかった日数は10日あまり。
光どころか、通常のオフィス事務よりも遅い
処理能力、「ひかり」とはちゃんちゃらおかしい。
b0141773_23283444.jpg

ビジネス形態としては、
明治維新後、
初めてカンパニーなるものができたころを
彷彿とさせる。
社員教育はゼロ、
会社の信用性は最低。
なにしろ住所不定だから
どこに逃げられても捕まえようがない。

オレオレ詐欺同様、
電話勧誘は、ほとんどの例外はなく、
その場で断ったほうがよい。
次善の先として、
業種や商品アイテムのパンフレットを
送ってもらってから対応開始するくらいがよい。
b0141773_2328516.jpg

もっとも、
いきなり玄関にピンポンとやってくる、
生物としての人間とて、
あまり信用しないほうがよい時代ではあるが。
[PR]

by rocky-road | 2014-11-26 23:29  

句読点が勝った。  !!!!

b0141773_22401033.jpg

塾生Sさんの旦那さんが急逝した。
まだ若いし、結婚してわずか数年という死。
そのショックは測り知れない。
そんなパニック状況の中でも、
通夜や葬儀、諸届、住居のこと、
親戚縁者との話し合いなど、
いろいろの事後処理がある。

あれこれに忙殺される中の1つには、
小さなことだが避けられない会葬礼状の作成がある。
そんなことまで手が回らない遺族がほとんどなので、
葬儀関係のことは専門業者が
一手に引き受けることになる。
b0141773_22403576.jpg

冠婚葬祭に関する文章もその1つだが、
所詮は文章表現に関しては素人。
そのためなのか、
どこかで怪しい玄人のアドバイスがあったためなのか、
句読点を打たない、という慣習が
業者主導で定着した。

インターネットで検索すると、
喪中のあいさつ、年賀状の文例、
印刷引き受けのサイトなどが次々に出てくる。
そのほとんどの文例には
句読点が打ってない。
b0141773_2241149.jpg

塾生のSさんは、
会葬礼状を発注するとき、
「句読点は入れてください」と指示した。
が、悲しいかな、時代は変わっていて、
この種の文章の専門家は、
発注者ではなく、請負業者へと移っていた。
当然、「そういう例はない。入れないのが一般」
と異論を説かれた。
b0141773_22414093.jpg

夫の死後の半パニック状態であったこともあって、
「とにかく入れてください」と
Sさんは、叫ぶように言った。
その剣幕に押されたのか、
「私たちはお客様のご意向に沿うのが当たり前」
と受け入れてくれた。
b0141773_2242222.jpg

ほんの数年前、
結婚式の報告ハガキを注文するときには
「句読点を入れると縁が切れると言われています」
とかなんとか言われて、
引き下がるしかなかった。

ロッコム文章・編集塾に通っていて、
補助符号の元研究者から講義を受けてはいても、
句読点省きが一般化しきった現状では、
いかに注文主の意向を通すのが大変か、
そのことを、私は事あるごとに話題にした。
b0141773_22422776.jpg

それを何回も聞かされてきたSさんは、
「今度ばかりは……!!!」と、
一歩も引き下がらなかった。

「強調の心理」「小説での補助符号」
「新体詩の補助符号」「広告の補助符号」など、
補助符号に関する研究をしてきた者からすると、
Sさんの一件は歴史的事件であり、
心情を加えれば、歴史的快挙である。
(補助符号=句読点、!、?、「」などの総称)
b0141773_22424310.jpg

日本人は漢文輸入の時代はもちろん、
カタカナ、ひらがなを使い始めてからも、
およそ千年近くも、
文章表現に補助符号を使うことはなかった。
木版から西洋式の印刷機へと複製技術が発達し、
マスメディア化が進んでも、
句読点は使わなかった。
b0141773_2243157.jpg

補助符号のうちでも傍点(ぼうてん)、
縦書きなら文字の脇に打つ○や●、△は、
明治時代から頻繁に使われてきた。
それに対して、
小説や一部の詩には句読点が意識的に使われた。
b0141773_22432732.jpg

『金色夜叉』の文例を。
 (尾崎紅葉 作。明治30年から5年間、読売新聞に連載)

  「金剛石!」(原文は縦書き。「ダイヤモンド」とルビ)
  「うむ、金剛石だ。」
  「金剛石??」
  「成程 金剛石!」

  (別の部分で)
  「貫一さん、貴方は私を見殺しになさるのですか。
  奈何でも此女の手に掛けて殺すのですか!
  私は命は惜しくはないが、此女に殺されるのは悔しい!
  悔しい!! 私は悔しい!!!」
b0141773_22435351.jpg

句読点そのものは、
漢文を読みやすくするために考案したものだが、
漢字まじりのひらがな文に使われ始めるのは
明治43年の国定教科書に使う基準として
「句読法」が定められてから。

しかし、一般人は、
手紙などにはほとんど句読点を使わず、
新聞も、一般的な記事は
ほとんど句読点なして文章を書いてきた。

終戦によって、
コミュニケーション活動をするときに
貧富や教養の差が出るのは好ましくない、
というアメリカ型の民主主義的発想から、
積極的に使われるようになった。
b0141773_2245869.jpg

その第1の目的は、
読みやすさに配慮し、誤読の防止にあった。
「家にはいらない」は
「家に、はいらない」と
「家には、いらない」とでは意味が異なる。

大橋説ではさらに、
「人間が使ったコトバ」というニュアンスが増す、とする。
辞書にあるコトバには句読点はない。
が、人が書いた文章には、句読点が入る。
そうすると人間味が出る。

それを知ってか知らずか、
書名、グループ名などに
「。」を入れる例も少なくない。
『CLASSY.』『桜沢如一。一〇〇年の夢。』
「モーニング娘。」
b0141773_22463291.jpg
b0141773_22465476.jpg

最近は新聞・雑誌広告などに
半欠けの句点をよく見るようになった。
〇を半分隠すことによって、
かえって「。」を意識するようになる。
「月に雲」、満月とはまた違う風情、
余韻に訴える心理効果である。
b0141773_22471851.jpg

句読点も進化している。
オカルトの世界ではあるまいし、
「縁が切れます」ではないだろう。
b0141773_22484599.jpg

Sさんの結婚のご案内状の句読点を
「縁が切れる」と言って削除した業者よ、
いま言おう。
彼は急逝してしまった。
句読点を省いた意味はなんだったのか。
縁が切れたではないか。どうしてくれるの?」

国語教育を
普通程度にしか受けてこなかった印刷業者、
冠婚葬祭業者、パソコンの文例作成者、
手紙の書き方本の著者たちから
句読法を教えてもらう必要はない。

表現の自由はどこへ行ったのか。

句読点のない喪中のハガキ、
句読点のない年賀状、
句読点のない案内状、
句読点のない賞状などを見ると、
私には、
彼らの国語的センスの低さ、
教養の低さが、はっきりと見えてくる。
それが日本人の、日本語力の現状である

それにしても、
利口な人は、
バカから学ぶことは少ないはず。
b0141773_2253571.jpg

[PR]

by rocky-road | 2014-11-16 22:49  

子どもはホントに味オンチに?

b0141773_22453335.jpg

先日、NHKのテレビニュースで
いまどきの子どもには、
味覚オンチの割合が多いという
研究結果を伝えていた。
 
b0141773_22485335.jpg

その調査とは、
東京医科歯科大学の研究グループが
一昨年行なったもので、
小学1年生から中学3年までの349人に
「甘味」「苦味」「塩味」「酸味」を識別させるもの。
映像を見ると、
スポイトで舌に4つの味を順に落とし、
その味を言わせるという方法らしい。
b0141773_22501654.jpg

結果は、21%が酸味を認識できず、
14%が塩味を、
6%が甘味と苦味を認識できなかったという。

ニュースの始まりから、
この話の展開を予想していたが、
ドンぴしゃりのまとめ方になった。
b0141773_22504419.jpg

いわく、加工食品などの濃い味の料理や
人工甘味料を使った飲み物などを
頻繁に口にする子に、
味覚を感じることができない子が多かった、
というのである。
b0141773_22521248.jpg

メディア側の解釈ではなくて、
調査を行なった研究者のコメントである。
さらに被験者となった子の主治医の1人は、
「味覚は健康と深い関係がある。
幼いころから味覚を育てるためには、
バランスのよい食事を取ることが必要」
と語っていた。

まるで、漏斗(じょうご)に
液体が吸い込まれるように
「近ごろの子ども調査」の結論は
かならずそこへ流れ込んでゆく。
悪いのは、加工食品やインスタント食品だと。
b0141773_22524098.jpg

が、ちょっと考えればわかるが、
人間の味覚は、100年や200年、
いや1000年や1万年で、
そんなに変わるものではない。
生物的味覚は、
そのような短期間で退化や進化はしない。
変わるのは、
味を指すコトバである。

世界中で「えぐい」に当たる味を指すコトバを
持っている民族はどれくらいいるだろう。
「えぐい」味を持つ食品がなければ、
「えぐい」というコトバは生まれない。
b0141773_22531021.jpg

「うまみ」は日本語から世界語になりつつあるコトバ。
カツオ節やコンブだしの「うまみ」に
出会ってしびれる西洋人が増えている。

コトバがあれば、味は感じられる。
「認知言語学」や「記号論」の専門家は、
「近ごろの子は味覚が鈍くなっている」などの、
時評的な解釈はしないだろう。
(時評的=限定的な時代現象だけで結論すること)
b0141773_22534361.jpg

食卓で、家族が活発にコミュニケーションを
行なっているかどうかまでを、
調査対象にすべきである。
家族が、「きょうのおみそ汁、しょっぱくない?」
「このみかん、酸っぱくて食べられない」
などという会話が、
普通に行なわれていれば、
味覚を表わすコトバは失われることはない。
b0141773_22543447.jpg

味覚が感じられなくなったのではなく、
それを指すコトバが使われなくなったのである。
感じられなかった子どもの家では……。

スポイトで4味の液を舌にたらす、
という調査も、リアリティに難がありそうだし、
350人という調査対象も、
「いまどきの子ども」を語るには少なすぎないか。
b0141773_22551029.jpg

そりよりもなによりも、
食関係者は、
こういう知見をみだりに振り回さないほうがいい。
母親たちに、「うす味」をすすめるのはよいが、
「でないと、味オンチになりますよ」は言い過ぎだろう。
b0141773_22554246.jpg

加工食品やインスタント食品を敵視するのは自由だが、
「味覚が鈍くなるから」とまではいわないほうがいい。
子どもの味覚を鍛えるのなら、
団らんや食卓コミュニケーションを活性化することである。
b0141773_22563737.jpg

「A社のカップめんより、
B社のカップめんのほうが、
スパイシーだし、塩分は控えめ、
ママはこっちが好き」

なにを食べるかではなく、
どう食べるかである。
b0141773_22583861.jpg

いまどきの子どもを嘆いたり、
食品会社の悪口を言ったりと、
文句の多い論者やコメンテーターは、
だいたいにおいてオリジナリティがなく、
これといった提案のない人物である。
b0141773_2257947.jpg

(写真は、東京・新宿区神楽坂で行なわれた
『まち飛びファスタ』11月3日)
[PR]

by rocky-road | 2014-11-05 22:59