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十文字の真ん中で考える。

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『読売新聞』の人生案内は、
開始以来100年も続くという
読者からの人気の相談コーナーだが、
わがロッコム文章・編集塾にとっては、
読者からの相談に、
回答者がどう答えているのか、
自分なら、どう回答するかを考えてもらう
格好の教材になっている。
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現在の回答者陣には哲学者が入っており、
私的には、この点におおいに興味をそそられる。
というのは、
わずかながら読んだ「哲学者」を名乗る人の著作や記事に
教えられるもの、共感するものがあまりにも少なく、
期待をそがれることがしばしばだからである。
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「よい哲学書を読んでいないからだ」
といわれればそれまでだが、
こちらにいわせれば、
哲学とは、
そんなにも、よい論述に出会うことが
むずかしい分野なのか、
そうだとすれば、
やはり平均的に大したことはない、
ということにはならないか。

哲学者の論述がおもしろくない理由には、
コトバの定義に無関心または消極的であること、
哲学の歴史や哲学者の論述紹介に多くを割き、
「で、結局、なんなのか」について
はっきり説明できていないものが多い。
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そして、ここが問題だが、
読者を想定する洞察力と
読者と対話をするだけの文章力、
そして、常識的な社会性などに不足がある、
ということなのだと思う。

「哲学は、知ることではなくて考えることだ」
という割には、
よい考え方を提示するほどの説明力、
比喩のスキル、噛んで含める表現スキルに不備がある。
要するに人間力に不足がある、ということになる。
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とかくするうちに、
私なりの法則ができた。
それは、
「脳科学を研究テーマに選んだ者、
哲学を専攻した者にも、
一定の割合でバカがいることは
一般人となんら変わることはない」と。

その哲学者が、
俗事に満ち満ちている人生案内の回答者とあれば、
それに興味を感じないわけはない。
これぞ哲学が現代に生きていることを示す絶好のチャンス。
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一主婦が、自分は「ある仕事」で起業したいが、
迷っている、どうすればよいか、と
相談のための投稿をした。
それに対する回答は、
ひとことでいえば、
「やらないで後悔するよりも、
やって後悔したほうがよい」とのこと。

この格言はユダヤ由来とのことだが、
ゲーテや宮本武蔵も残しているという。
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哲学は、
目の前の問題を
自分の頭で考えることではなかったのか。
みんなが使い古したコトバを使って、
「いま」の問題を解こうとするのが
まさか哲学ではないよね。

当塾では、塾生に対して、
宿題として課している問題だが、
哲学者よりははるかにマシな回答が提出されている。
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「人生案内」欄とはいえ、
このケースは、ビジネス相談である。
文字どおりの人生相談ではないし、
心理カウンセリングでもない。

気分で「どうしようか」と迷っている程度の人には、
相談の前に、
やるべきことの多くがあることを
示してあげることが優先されよう。
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そんなことは、
バカ脳学者にだってわかる状況である。
なのに、ビジネスの基本もわきまえず、
コンサートに行こうか行くまいかと
迷っているレベルの人に対して
準備もなく走り出すことをすすめる、
なんと危険、なんと不親切な考え方だろう。

こういう事例を見ていると、
宿泊先で、寝る前の数時間、
みんなでテーマを決めて語り合う
「夜通しトーク」のほうが
よほど哲学的に思えてくる。
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この9月14日、
ロッコム文章・編集塾/能登教室終了後、
宿泊先の多田屋での夜通しトークでは、
「数えてみれば私の居場所」
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人生の質を測る目安の1つは
自分の居場所の質と量ではないかと思う。
それは健康度、社会貢献度、充実感、
そして幸福度を測るバロメーターになり得る。

それを予告なしで、十数人の参加者に
その場で考えてもらった。
職場、家庭、グループ活動などをあげる人が多いが、
なかには、
1年に何回か会う程度の友達をあげる人もいる。
果たして、それを「居場所」といえるのか。
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聞いた範囲の印象では、
「場」はそう多くはない。
「場」は一般的には、年齢とともにふえてくる。
が、その関わり方の強弱は、個人差が大きい。
また、独居老人や孤立死が問題になるところを見ると、
右肩上がりにふえるものでもない。
やはり「場」づくりに無関心ではいられない。

というよりも、
自分の人生に目的意識や使命を持つこと、
そういう言い方がカタイとすれば、
人にやさしく、人を支援する心構えを維持すること、
それが場づくりにほかならない。
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おもしろい「場」の提示もあった。
「自家用車の中」だという。
そう、場には、いつも人がいるとは限らない。
ウォーキングの場、読書の場、瞑想の場、
そういうものがあってもいいわけだ。
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もっとも、「男の隠れ家」「男の城」
という言い方に関しては、
私は大嫌いである。
戦わないヤツに限って隠れ家や城にこもりだがるし、
男女差がないことに
「男の」と強調するところが弱々しい
(「女々しい」はそろそろ差別表現か)。
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話が飛んで、
能登から帰った次の日曜日は「食ジム」だった。
(「食コーチング・ディスカッションジム」の略称)
テーマは、
「先輩から学ぶ、健康支援者としての『生き方』」
(くわしくは影山なお子さんのブログで)
http://www.palmarosa.jp
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偶然だが、
「居場所」は人生における水平的世界。
それに対して「先輩」は、
人間関係の直線的、縦の世界。
テーマが十文字に結ばれた気がした。
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哲学者の日常生活は知らないが、
サイドワークにせよ、
一般主婦に「やらない後悔よりやって後悔」
などとノンキなことをいっている間に、
健康支援者はそこそこ哲学しているじゃないか、
そんなことを実感する1週間であった。
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by rocky-road | 2014-09-29 01:06  

穏やか前線・日本海

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ロッコム文章・編集塾/能登教室
第3回の授業が終わった。
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このクラスは3か月に1回ということもあって、
早くから企画が進み、
会場の確保、受講者への呼びかけ、
実行委員長をはじめ、各委員の選定、
教室内の展示物の準備、
司会進行役のリハーサル、
空港への出迎え組、
終了後の見送り組などと、
準備万端、怠りない。
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人口、政治、経済、文化、活力などの
一極集中の弊害が指摘される昨今、
ささやかであっても、
文章力のように、
思考力、人生観、コミュニケーション力に
効果が現われる学習を続けるコミュニティが
地域に存在することはうれしく、頼もしい。
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一極集中については、
集中させるほう、
つまり都市のほうに問題や
その責任があるかのようにいわれるが、
果たしてそうだろうか。
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自分の人生を
自分の住む地域、自分が行動する範囲でとらえ、
そこに安住しようとする地域住民にも、
責任がないとはいえない。
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東アジアの小さな4島に
ひっそり暮らしていた日本人が、
世界でも知らない人の少ない大国(?)にまで
発展したのは、
先人たちのモチベーションと行動力があればこそ。
人間はカゴの鳥ではない。
自分の描いた世界で生きることができるのである。
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「自分の描いた世界」とは、
「描く」(えがく)とはいっても、
それは映像表現ではなく、言語表現である。
文章力強化は、究極的には自分の人生を描くための
主要な表現手段を得るためである。
そのことの意味を、すでにわかっている人もいるが、
だだ単に「情報発信のため」と、
どこかで聞いたようなコトバで想定するのが精一杯、
という人も少なくない。
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能登教室は、
横浜で開講しているロッコム文章・編集塾に
長年通っている人によって企画・運営されている。
「最初にコトバありき」ではないが、
まさしく文章力の効用を理解した人の
着眼と実行力による実践のカタチそのものであろう。
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今回の教室は、
1.宿題の発表。前回の講義、
  「『なじんだコトバを見直す。』を受けて、
  感じたこと、考えたことを
  約600字にまとめなさい」
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2.前回宿題のお返しと講評。
  「『私はこのように文章力を活用したい』
  というテーマで、私的・公的な目標や夢を
  示してください。ボールペン使用。600字以内」
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3.講義「文章力強化のための『自主トレ』メニュー」
「1」の講義の感想として、
大きく分けると
文字どおり、感想を順序どおりに示すもの、
受講内容をふまえて自説を展開するもの、
などがあった。
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あたりまえの「感想」にとどまらず、
受講内容を自分の今後の思考法に
組み込んでゆこうとする意欲が
感じられるものが多かった。
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講義で触れた「健康の6大要素」、
コトバの定義を見直すこと、
自分で定義するの意義などに対する
気づきや共感を示す文章がいくつかあった。
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原稿用紙を使って手書きをする経験は、
だいぶ遠くのことになっている人が
ほとんどと思われるが、
その割にはしっかりと書いていた。
パソコンによる文章と違って、
1字1字、自分の筆圧で綴る文字の持つ
パワーが感じられて快かった。
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文字を手書きする機会は、
いかにデジタルコミュニケーションが
盛んになっても、ゼロになることはない。
むしろ、隠し技的な、
つまりは教養評価基準として
ますます意味を持つものになるだろう。
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「3」の「自主トレ」講義では、
ひと口に「文章」といっても、
事務文書から手紙、論文、解説的文章まで、
どんな数え方をしても数百にもなること、
したがって、「文才」などというコトバは
軽々しく使うものではないことを話した。
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事務文書の名人が、
エッセイの名人である可能性は低く、
大ヒット中の小説家が
事務文書の名人である可能性も
ますます低いことをお伝えした。
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文章は才能で書くものではなく、
自分が習熟したい文章を
トレーニングによって熟練してゆくしかない。
もし1つだけ「才能」を求めるなら、
それは「持続性」であろう。
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繰り返すが、
文章は
コミュニケーションのメディアにとどまるものではなく、
思考を深めるための手かがりであり、
よりよい成果を生むための
プロセスということである。
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会場には、遠距離クラスの方々にも
各地から来ていただいたが、
12月からは広島でも
コミュニケーションセミナーが開催される。
その説明に、長谷 泉さんが
広島からおいでになってごあいさつされた。
詳細は『栄養と料理』や『食生活』で紹介されるという。
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さて、9月14日は、
以上の講義のために午前5時に起床、
9時5分に羽田空港を離陸し、
43分間で能登空港に着地した。
そして、午後1時30分~5時30分までの講義。
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翌日と、翌々日は、
能登島・七尾の里海でスノーケリングと
ダイビングを楽しんだ。
文章論の講義とダイビングを
1度の旅で試みたのは、
わがダイビング歴50年にして初めてである。
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講義用の荷物と、
ダイビング用に荷物を送ったり
持ったりするのも初めてだから、
何度も荷物チェックをしなければならなかった。
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日本海での海中散歩は
若狭湾、粟島、天橋立、佐渡などについで5~6回目だが、
「日本海」などとひとくくりにはできない、
またまた味わい深い海であった。
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繁茂するホンダワラなどの海藻、
太平洋に比べて
はるかに穏やかな動きをする魚たち、
「ベタなぎ」というより「盆水」といいたいほどの凪(なぎ)。
「海に抱かれる」心地よさを味わう海の旅であった。
錯覚ではなく、ガイドをしてくれた人までが、
盆水を思わせるほどの静けさと落ち着きを保っていた。
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佐渡ダイビングリゾートのお世話になったが、
なんと東京での水中映像仲間であった阿部秀樹氏に
数十年ぶりで出会った。
ここの常連ビジターだという。
海洋写真家となって活動中という。
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そして、栄養士との海中散歩、
数十年前の体験を、
いままた、
2014年にも続けている幸運を
心から味わった。
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見送り組のみなさんのお・も・て・な・しを受けて、
17日まで、いくつかの観光や日常的コースを見学し、
楽しむことができた。
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by rocky-road | 2014-09-19 23:06  

診断 あら探し新聞。

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『朝日新聞』が、32年間にわたって
確信的に、あるいは多分に意図的に
不正確情報を売り続けてきたことについて
ようやく「誤報」と認めた。
(食品の表示偽装と酷似)
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その後、他のメディア(一部の新聞と雑誌)、
さらには社員のツイートや
読者からの攻撃に耐えきれず、
おまけのように、おっかけ「お詫び」をした。

そのお詫びの仕方のぎこちなさ、
心のこもらない、上から目線の語り口に、
たいていの日本人は違和感を持っただろう。
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人を攻撃することに長け、
それをもって独自の商品づくりをしてきた会社が
自分の不始末を認めること、反省することが
いかに不得手であるかをあらわにした。
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皮肉なことに、
謝罪演技のぎこちのないリアリティを
正確に伝えられるのは、
印刷媒体ではなく、
映像媒体なのである。
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朝日新聞は、
かつては、ある雑誌から、
「ソビエト共産党の機関誌『プラウダ』か」
と再三再四、指摘されてきた。
かつては「左翼的」「社会主義的」といわれ、
最近では「反日的」といわれる新聞だが、
商品は、買い手があって売り手があるわけだから、
読者でない者が
あれこれいう必要もないだろう。
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しかし、
私が、長年、抱き続けているのは、
こういう商品の売り手と買い手の
病理的な精神構造のほうである。

高校時代の同級生にも、
社会主義思想の教育を受けたらしく、
「ソ連は国民がみんな平等で、すばらしい国だ」
「中国にはハエがいない」
などと言い続ける男がいた。
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ちょっと考えれば、
そんなことはありえないことはわかるが、
「ちょっと考えること」ができなくなる心理状態は
どういう仕掛けで生じるのか。
オカルト集団に惹かれる心理と同じだろうか。

ある雑誌に、
精神科医を動員して、
「日本人になぜ反日家が多いのか」
というような記事を組んでほしいと
2回ほど投書したことがあるが、
その意味を解せないのか、
精神科医を動員できなかったのか、
今日に至るまで、それらしい記事を見たことがない。
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自分の住んでいる国が嫌いで嫌いでしょうがない。
ある反日系雑誌(元朝日の記者が発行人)の
編集後記を読んでいたら、
つくづく日本がいやになったから、
どこかの国へ逃げて行きたいよ、
A「オレはパラオかな」
B「オレはモナコだよ」
などと会話形式で綴っていた。

ここに「反日系」の尊大さ、脳天気さがよく出ていた。
自分のことしか考えない幼児性が如実に出ている。
パラオやモナコの国民の身になって考えることが
できないのである。
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いわば「反日難民」を受け入れる国が
どこにあろうか。
みんな自分の国をよくしようと
がんばっているのである。
そこへ、自分の国がいやになったという人間が、
ドヤドヤ入って来られたら困るに決まっている。

そんな連中は、
第二の祖国に住んで、しばらくすると、
また「反自国気質」が出てきて、
「この国はいやな国だ」
「次はどこにしようか」と言い出すに決まっている。

こういう甘ったれが、
どうして育つのか、これぞ精神医学の分野ではないか。
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「社会で起こっていることをいち早く知らせる」
「社会の公僕として、あるべき姿を希求する」
「時の政治のチェック機能を果たす」
そういう動機で始めた新聞事業も、
時を重ね、経験を積むにつれて、
チェックだけ、というより
文句だけ、あら探しだけが
仕事であるかのように考える組織に変容してしまう。

人のやっていることにケチをつけるだけで
仕事になるのだから、こんな楽なことはない。
自分の周囲を見渡せば、
人の悪口ばかりを言っている奴に
碌な奴はいない。
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人の悪口は、努力などせずに言えるから、
いちばん安上がりのマイナス・モチベーションである。
「努力しないでエラくなる方法」とは、人の悪口である。
周囲は、自分も悪口を言われたくないから、
めったなことでは反論をしない。

新聞記者の多くは(とくに政治部や社会部かな?)
政治家や著名人を「安倍」「小泉」などと
呼び捨てにする。
まるで自分が国を動かしているかのように錯覚する。

日本人は職場の色に染まりやすい国民であって、
新聞社とて例外ではない、どころか、
普通なら、成人するにしたがって抑制される
甘ったれ根性、幼児性が
むしろ全開されるために、
おかしな「大人子ども」が芽を吹きだす。
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この幼児性は読者の一部にもある。
どんなに社会的成功を収めた者にも、
ときには鬱屈が生まれる。
プラスのモチベーションが見つからない人は、
責任をとらなくていい(代案のいらない)批判を
ずっと続けてくれるメディアによって
日々のストレスを緩和しようとするのである。

ありもしない「従軍慰安婦」というコトバを造語し、
32年間も使い続けてこられたのは、
社会が「お子様集団」「悪口暴力団」の
駄々っ子造反、非論理的反論を
放置または回避してきたからである。
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「甘ったれ」を定義すれば、
「自分のやったことに責任を持たない感受性」
ということになるだろう。
国の不名誉を社会正義と混同して
長年言いふらしてきた行為は、
人の家のガラスを割って、
「逃げろ!!」と言って走り去る悪ガキと
変わるところがない。(古典的過ぎる??)

甘ったれ大人は、年月かけて育ってきたから、
32年間くらいでは叩き直せない。
いや、永遠にムリかもしれない。
朝日の全社員に、
「食コーチング」セミナーの10回コースを受けさせ、
「肯定的指摘」の100本ノックをするには
50年や100年はかかる。
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もう1つの対策は、
朝日のコラム「新聞ななめ読み」よりは
もっと分量の多い
「朝日新聞、真正面読み」
または「診断 朝日新聞」
という新聞か雑誌を発行し、
32年間は廃刊しないようにすることである。

編集顧問には
精神科医や動物行動学者など、
人間や動物の病気や異常行動を分析する専門家を配し、
「否定的指摘」の心理分析などを試みることである。
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そういう社会的対策が整えまで、
朝日の病状は快癒しない。
慢性病あるいは不治の病と覚悟しておく必要がある。
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by rocky-road | 2014-09-13 19:44  

文章は「手」で書くもの。

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ロッコム文章・編集塾/能登教室が近づき、
講義の準備を進めている。
(9月14日1時30分~5時)

能登教室は人数が多いので、
宿題として提出された
手書き原稿の添削には時間がかかる。
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といって、
人の原稿を読むことは少しも負担にならない。
というより、楽しみに近い。

小説や論文、手紙などを読む楽しみとは違って、
筆者の言語センス、視点のバラエティ、
誤字、文脈の乱れ、用字用語の不統一
などとの出会いは、
よくも悪くも想定外のことが多く、
エキサイティングであり、
発見や気づきの連続である。
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そこから見えてくるのは、
日本語とは、日本人とは、
言語とは……といったことである。

それは、「現代に生きている」
ということを実感する瞬間でもある。
それにしても、
このパソコンの時代に
なぜ原稿用紙を使って
手書きの文章を求めるのか。
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アナログ的すぎて
時代に逆行しているように思われるかもしれない。

が、日本の文字や文章は
手書きすることによって育ち、成熟してきた。
漢字、ひらがな、カタカナ、
楷書、行書、草書、速記文字……。
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そのデザイン、筆順、筆圧、サイズなどは、
手の機能性、手のサイズなど、
「手」という部位と、
用紙や筆記具といった、手の周辺の事物が主導して
進歩、進化してきた。
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動物の行動は
すべて脳が主導しているかのように
錯覚する人が多いが、
個々の体型、目の色、肌の色、
クセのあれこれは、
脳の命令で定まるものではない。
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脳を持たない生物にも、
生物的な意志があり、指向性がある。
当然、文字や文章の発達には、
「手の意志」が少なからず寄与している
と考えていいだろう。
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この論を疑う人は、
次の場合を考えてみればよい。

マッサージ器が普及しているのに、
子や孫、アロマ施術者やマッサージ師による
メンテナンスを好む人が多いのはなぜか。
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走る・歩く健康法を考える人のうち
少なからずの人が
近くにあるスポーツ施設を使わず、
ロード走行を続けるのはなぜか。
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スポーツの試合をテレビ観戦すればいいのに、
遠路、時間と労力をかけて
わざわざ競技場へ赴くのはなぜか。

スマホへの依存度が高い子と、
そうでない子との学力、思考力に
差が出た、という調査は、
なにを意味するのか。
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人は、脳だけで感じたり考えたりするのではなく、
全身で、つまり、髪、爪、
かかと、ホクロ、イボも含め、
全身で考えるのである。

脳だけ、手だけ、足だけを使った人と、
全身を使った人とでは、
思考の幅も深さも違ってくる。
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よい思考を得るには、
いろいろの環境に身を置き、
全身の各部位に多様な刺激を与え、
多様なひらめきのを起こすことである。
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ということで、
わがロッコム文章・編集塾では、
手書きの文章トレーニングを前提とする。
それは、パソコンを軽視するものではない。
むしろ、パソコンに使われるのではなく、
パソコンを使いこなすための基礎づくりである。
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ところで、
過日、ある塾生から、
自主的に文章力をつけるにはどうしたらよいか、
と尋ねられた。
いままでにも、類似の質問を受けてはいたが、
この際、真正面から応えてみよう、
と考えて、作りかけのテキストをストップして、
文章トレーニングの「自主トレ」メニューを
テキストとしてまとめた。
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能登教室では、
このテスキトを封切りする予定。
開塾したばかりのクラスには適した内容だろう。
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蛇足ながら、教室終了後、
初めて能登の海に潜ることを予定している。
受講者のうち有志も、
同行してくれる。
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舳倉島(へくらじま)は海女の海。
能登の女性には潜りの素質があるかもしれない。
いや、潜ることによって、
文章がますますうまくなるだろう。
ちょっとムリがあるかな?
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さて、
能登教室の次回は11月30日と決まっているが、
広島でも、
定期的にコミュニケーション強化セミナーを
開くことが決まった。
主催《コミュニケーション研究会 ひろしま》
第1回は12月6日。
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各地の健康支援者の社会性強化に
貢献できる幸せを感じるこの頃である。
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by rocky-road | 2014-09-03 23:31