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『半漁人伝』に想うこと。

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出版社から1冊の本が送られてきた。
『半魚人伝』 藤崎童士著  三五館刊
知人の水中写真家、中村征夫さんの伝記で、400㌻を超える大作である。
著者は未知の人だが、ダイビング業界を経たのち、写真業界に入り、
いまは劇作家として活躍中という。1968年生まれ。

「半魚人」は異星人みたいなネーミングで、
ダイバー以外の人のセンスのように思える。が、くわしくは知らない。
普通、ダイバーは、自分自身を「半魚人」なんて形容しない。
しかし、文章自体は骨太の、しっかりした文体である。
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ダイバーの伝記が書かれたという点で、
また、ダイバーでもある著者がこういう大作を書いたという点で
注目すべき出来事である。

昔、偏屈なダイビング仲間がいて、「ダイバーはバカばかりだ」としきりにいう。
そこで、ダイビングがバカを引き寄せるのか、
ダイビングをするとバカになるのかと、こちらもしばしば問いただした。
彼によると、「その両方だ」という。
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バカがダイビングを好む医学的根拠はない。
バカでは、海の中を歩く技術を身につけられない。
クストー(水中呼吸方式の発明者)や、石原慎太郎氏や、
その他、おおぜいの知識人や有能な人たちにもダイバーは少なくないから、
偏屈人の説は当たらない。
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もっとも、なんでも夢中になると「バカみたい」になるから、
少しは当たっているが、それはダイビングに限ったことではない。
ともあれ、ダイバー作家が、ダイバーのことを
かくも格調高く書けるではないか、例の偏屈人に伝えてやりたい。
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伝記作家は日本人には多くない。
欧米には「伝記もの」が多く、キュリー夫人、エジソン、チャップリなどなど
おなじみのものをあげたらキリがないし、歴史上の人物ばかりではなく、
現役の人も対象になる。

日本に同国人の伝記ものが多くないのは
日本人の悲観主義、適正な評価が苦手な性向と関係があるかもしれない。
中村征夫氏も現役パリパリ、その人の伝記を400㌻も使って書いたところがスゴイ。
版元の三五館は、不肖わたくしの『「予暇」で自分を組みかえる』を出してくれた会社。
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伝記には、対象となる人にやや距離を置いて書くことが求められる。
業績をあげた人が、ライターを雇って書かせる伝記は、
ベタベタと対象者にくっつき過ぎるために、読むに耐えないものになってしまう。
『半魚人伝』は、もちろん、作家自身に「書きたい」という動機がある。
その熱意が、この緊張感のある文章を生み出しているのだろう。

少し話を広げるが、
自分の仕事、人の仕事を適切な表現で説明する必要に迫られることは多い。
これがクリアできない人は、二流、三流で人生を終わる。
ダイバーについていえば、「ダイビングってなんですか」と聞かれたとき、
「水族館の世界を見ることです」などと答える者は四流。
脇差しかピストルを手渡して、「これで自分を始末せよ!」と言ってやってもいい。
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「竜宮城へ行くことです」や「半漁人になることです」が三流くらい。
これらは、町内引き回しくらいで許してやってはどうか。

「地の果てから始めるもう1つの旅です」
「野生動物と非言語コミュニケーションをすることです」
くらいになると、一流にランクアップする。
(こういうフレーズは、文京、板橋、赤羽くらいに居住した者に、稀に浮かぶことがある)
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「健康支援者ってどういう人?」
「栄養士の仕事の魅力ってなんですか」
「あなたの病院のカラーって、何色?」
「あなたのお料理教室の特徴は?」
「あなたに講演をお願いしたら、どんなテーマでやってくれる?」
玄関を出たら7人の敵がいると思え、だそうである。
一流を目指すあなたのこと、半魚人・デンキウナギのように、
私をシビレさせてくれるだろう。
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by rocky-road | 2010-11-26 23:05  

現代の哲学者は栄養士か……?!?!?

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『文藝春秋』 「SPECIAL」 季刊秋号は、
第1特集で「ゼロからはじめる 幸福論」を組んでいる。
大いに気になる特集なので目を通した。
なかなかタイムリーな企画ではないかと思う。

とはいえ、著名な論者が原稿を寄せているものの、
普段、こんな問題を深く考えているとは思えず、
それぞれサイズの小さな幸福論にとどまっていて、
いまのところ(閲覧中)、脱帽ものの論には出会っていない。
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それは別として、ある哲学者が、座談会形式で
「哲学者たちの幸福論」を試みている。
生きた時代も地域も違う3人の哲学者……ヘーゲル(1770~1831年 ドイツ)、
ニーチェ(1844~1900年 ドイツ)、アラン(1868~1951年 フランス)の
座談会である、ドキドキしないわけにはいかないアイディアである。
一部をご紹介しよう。
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  (前略)
《司会》(日本のある哲学者) 今日は、『本当の幸福とは何か?』というテーマで、
三人の偉大な哲学者のみなさんに集まっていただきました。
ヘーゲルさん、ニーチェさん、アランさん、よろしくお願いします。
 まずは生につきまとう不安についてお尋ねしたいのですが、これに関連して
私の大好きな映画チャップリンの『ライムライト』から話を始めたいと思います。
死にたいという女性を励ますために、「人生を恐れててはいけない。人生に必要なものは、
勇気と想像力と少々のお金だ」という年老いた道化師の名ゼリフが出てきます。

 《ヘーゲル》 それはよくわかるなぁ。私は三十七歳の時、主著『精神現象学』を
書くまでフリーター同然の生活でしたから。そりゃ不安でしたよ。でも物事は
必ず発展していくというのが私の持論なので、とにかく信じて前に進み続けました。
まさに勇気と想像力と少々のお金だけをもってね。

 《ニーチェ》 長い人生、誰でも心が乱れて不安な時期ってものはあるもんなんだよ。
どんな偉大な人間だって不安を抱く。むしろそれが当たり前だと思ったほうが
気が楽になるんじゃない?

 《アラン》 そういう時はたいがい過去を振り返っているんですよ、私たち。
過去を嘆いていても何のいいこともない。いや、有害ですらあります。
だって過去はどうすることもできないんですから。
早く未来に向かって前向きな気持ちになることでしょうね。
その意味では勇気というものはたしかに必要かもしれません。

 《司会》 それは不安を抱いたところで仕方がないっていうことですか?

 《アラン》 ええ。病気でいうなら、痛い部分を触るからますます痛くなるのと同じ理屈です。
苦しみについてあれこれ思いをめぐらすべきではないってことですよ。

 《ヘーゲル》 私は苦しみも克服できるんじゃないかと思っています。
『精神現象学』で論じましたが、意識というもの成長していくものです。
苦しみだって意識しだいでしょ。

 《ニーチェ》 そうじゃなくて、不安とともに生きるべきだろう。
例えばあなたが孤独だとすると、その孤独から逃げるのではなく、
孤独を抱きしめて生きればいいんだよ。

 《司会》 いずれにしても自分次第ということですね。たしかに不安は
個々人の意識の問題ですが、それは社会の状態がよくないことに
起因している場合もあると思うんです。ここで社会との関係も考えてみたいと思います。
(以下、略) 
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読み始めてすぐに、関心の潮がさっと消えていくのだった。
哲学者たちが、もともと自著の中で大したことをいっていないのか、
まとめ方が悪いのか、予備知識のない者には判断しかねるが、
引用部分のなんと平凡で抽象的なこと。

まだ、心理学も精神医学も、動物行動学も、
ましてや行動科学や脳科学は未熟な時代だから、
簡単に「意識の問題」で片づけてしまう。

気の毒なのは、現代に生きる司会者兼筆者が、
個々人の不安を、社会状態と結びつけようとしている点。
不安は、よくも悪くもモチベーションだから、
社会がよかろうが悪かろうが、人はいろいろの事情で不安を手づくりする。
私はこれを「手づくりストレス」と呼んでいる。
動物にはモチベーションが必要なのである。
プラスのモチベーション、マイナスのモチベーションを
あれこれつくって、怠惰や無為の自分をけしかける。
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不安や孤独の緩和法なら、現代の栄養士または健康支援者のほうが、
まともな気づきを促してくれるはず。
哲学すること(智を愛すること)は必要だが、
シチュエーションの違う時代に論じられた哲学論は
そのまま現代に使うことはむずかしい。

同様に、「食」という字は「人」を「良く」すると書く、
などと、漢字の構成から現代を説くのもナンセンス。

「食や健康を窓から人の人生に侵入する栄養士」の出番は
ここにもある、ということを実感する記事であった。
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蛇足ながら、座談会記事を作るには、高度の編集技術を要する。
みんながしゃべったことを時系列的に並べていくだけでは
読ませる座談会記事にはならない。
哲学者には、この仕事はムリだったかもしれない。
もし、現代に通用するようにまとめるなら、もっと司会者が介入していかないと、
おもしろい座談会にはならない。

さすがの文春編集部も、筆者が自作した座談会には、
参加したり編集したりすることはできなかったのだろう。
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by rocky-road | 2010-11-19 00:06  

「シラ~ッ人」の存在理由

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講演会やセミナー、イベント、月々の教室のあとに、
学んだことやその感想、共感点などをフィードバックしてくれる人がいる。
いまはインターネットのお陰でその日のうちに第一報が入る。

私の場合、交流した人に対するお礼や感想の伝達を
昔はハガキや手紙でやっていたので、タイミングが少なからずズレることがあった。
写真を同封する場合も多かったので、
写真屋から写真が上がってくる日数を待つ必要もあった。
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食事相談などで、その日のセッションが終わったとき、
「フィードバック」といって、話し合いの内容を確認し合うことは基本スキルの1つ。
ここまでは「技法」として定型化している。
講義や講演、ミーティングの場合には、これまでの内容の締めくくりを行ない、
多くの場合、質疑応答を行なう。

これは料理でいえば盛りつけみたいな瞬間で、
この段階でそれ以前のプロセスが完成し、みんなで眺め、鑑賞する。
脳科学的にいえば、部分的に認識したことを全体像として再認識し、
エネルギーを付加して脳のホルダーに保存する。
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「認識」とは、単に知ることではなく、それを人に説明できることだと、という説もあるから、
話を聞いた数時間後、数日後に講師に対してフィードバックする人は、
自分の認識を深める手順を無意識的に行なっていることになる。

出雲市長であったころの岩國哲人氏(いわくに てつんど)は、
公務のほかに講演依頼が年に260回だったか、それくらいあったため、
女性の依頼者からの講演を優先した、といっていた。
その理由は、女性は、自分の聞いた話を夫や子ども、友だちなど、
数人の人に伝える可能性があるからだ、という。
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それに対して、男性は、聞いた話を自分の頭の中だけに入れて、
人に伝えることがないから、話の内容が増幅しない、ということだった。
少ない講演会の効果をあげるためには、
1回の講演が複数の人に伝わる可能性があるほうに期待した、というのは理にかなっている。
もっとも、人に伝えた瞬間、話した内容を忘れてしまうタイプもあるから、
人に伝えたほうがいい、とばかりはいえないケースもあろう。

講演会などで会場が妙にシラ~ッとしていることがある。
こちらの話がつまらないということもあるが、
集まった人たちが反応の仕方を知らないということもある。
なぜそういうことになるのか。それは、互いに情報交換をしないからである。
隣の人に「きょうは、どちらからお出でになりました?」といった声かけさえしないから、
コミュニケーション環境が生まれない。感想を披露するタイミングが生まれない。
コミュニケーション環境には、自分自身の内的環境も含まれる。
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よい情報を提供してもシラ~ッ、笑い話をしてもシラ~ァ、つまり表情をつくれない。
感情を表情に表せない。それで一生を送るのかと思うと、その影響はあまりにも大きい。
その人の周囲に「シラ~ッ人」がたくさん生まれる可能性がある。
現に、その集会をまとめているリーダーが「シラッ~人」だったり専制的な人物で
あったりするために、
会場全体が一過性の「シラ~ッ人」になってしまうケースは少なからずある。

感動は脳内に突然起こる感情ではなく、
脳細胞の末端から脳内にプログラムをアウトプットする「表現」である。
つまり感動もまたコミュニケーションなのであり、情報の発信なのである。
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いろいろの体験を、仲間や関係者に伝える習慣を持っている人は、
表情も豊かになるし、人生も豊かになる。
フィードバックは、言語能力を強化し、人脈を強化する基本技術といえる。
もっとも、講演会や研修会のあと、みんながフィードバックしたら、
講師はその返信に追われ、以後、講演依頼に応じなくなるだろう。
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とすると、世の中には一定の割合で「シラッ~人」が存在する意味はあるのかもしれない。
アリの世界にもハチの世界にも、そしてもちろん人間の世界にも、
働かないことをもって、そのグループに貢献している個体群があるように。
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by rocky-road | 2010-11-09 23:36  

赤羽ツアーもエキサイティング

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11月3日に開催された「健康支援者のための身だしなみツアー ショッピング編」に
ガイド兼講師役で参加させていただいた。
当初は「十条ツアー」を予定していたが、
対象店の質と量を考えて「赤羽ツアー」に変更した。
いずれにしても、下町で衣服を調達するツアーである。

「時代の最先端を行きたいと思っているレディに
東京北端の下町で身だしなみツアーはないだろう!」と思う人があるかもしれないが、
それは素人の浅はかさというものである。
もちろん、銀座や原宿、横浜などとは仕入れ先も仕入れ値段も違うから、
デザイン性、品質も、売り値も大違い……と考えがちだが、
それでは時代を見ていることにはならない。
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よくも悪くも、横並びニッポン、世界中の一流店のデザイン服は
その類似品、バージョンアップ品が数か月のうちに
下町のブティックにも陳列される、
そういうシステムが日本中にできあがっている。
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「安物」に違いないが、高級と非高級との違いは、
思っているほと大きなものではない。
よりひどいデザイン、破れやすい素材、切れやすい糸を
意図的に作るメーカーはない。
とくに繊維(とりわけ化学繊維)については、
その高品質素材の生産力において、
日本は、おそらく世界一の座を占めているだろう。
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こうした市場性を知っている買い手の楽しみは、
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)、いや、「石」は少ないから、
「大玉小玉混交」(だいぎょく しょうぎょくこんこう)の中から、
自分の審美眼に従って良品を見直す楽しみは、
よい仲間、よい仕事、よい書物、よい人生を選択するのと同じくらい、
危険もはらんでいて、それゆえにエキサイティングである。
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よりよいものを、より安く、より正確に求めようと思うときのドキドキ感は、
ブランドを愛好する人のそれと大差はない。
仮に、1着30万円のモノにするか、
50万円のモノにするかで迷うときのドキドキ感が、
1着3,000円のモノにするか、
5,000円のモノにするかで迷う人の100倍だったとしたら、
ブランド愛好家はみんな短命になってしまう。
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さてこのツアーでは、
女性服の店数軒、スポーツ用品・ウエア店1軒を予定していたが、
1店に2時間以上かかったので、2店でタイムオーバーになった。
お1人さまのお買いあげ点数は、2店合計で平均10点を超えただろうか。
講師の役割といえば、これといったアドバイスをするでもなく(できはしないし)、
多少は顔が知られている店の中で、
「支払いは全部私が……」という顔で立っているだけ、という役回りである。
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なにしろ7人が数十点の試着をするので、
2~3箇所の試着室は、パルマローザチームにほぼ占領された。
「どこかの生徒さんですか」「きょうは、パーティかなにかがあるのですか」
「ブティック関係の人ですか」などと、いろいろの声かけを受けた。
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私のファッションライフは、必要なものを買い足していくパターンだが、
ショッピングツアーでは、よいデザインのものが見つければ「お買いあげ」という順序。
見ているたけけでも気持ちがよい。
今回に限らず、男1人、おおぜいの女性の衣類選びに5時間もつき合って、
少しも飽きないどころか、充分に楽しいと感じてしまうわが身について
「なにか病気の前兆かな?」と自己診断をしたことさえないのは、
人のモチベーションを強化し、
人生の一部を支えているという自負と充足があるからである。
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行動療法では、人のモチベーションを強化する因子を
①「物質的強化子」 ②「金銭的強化子」
③「心理的強化子」 ④「社会的強化子」などと分類する。
これに従うと、衣服は、「物質的強化子」「心理的強化子」「社会的強化子」として
個人のモチベーションを内外から強化することになる。
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私は、「衣服とは自分でコントロールできる社会環境である」とする。
その環境は、自分にとっての環境であり、周囲の人にとっての環境である。
その環境は、自分を変え、人を変え、それがまた自分を変える。
合わせ鏡のような反射を繰り返す環境である。
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従って、ショッピングツアーとは、
その環境(それは健康的環境でもあるのだが)を
構築するためのエネルギッシュなアクションである。
だから楽しい、飽きない、エキサイティング。
みなさんの表情が高揚してくる、それにまたシビれる。
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地方の人は、適当な店が地元にはないという。
それは大玉、小玉の中から、自分の環境を見いだす経験と努力とが
たまたまない、というだけの話である。
奥尻島であれ小豆島であれ、石だらけということはまずなく、
かならず大玉、中玉、小玉を見つけられるはずである。
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遠からず、現地密着型の身だしなみツアーの要請が
影山 なお子さんにありそうな気がする。
それは、その地域の人に限らず、日本人の環境を若く、
アクティブに、そして、よりヘルシーに改変する
楽しい環境問題だと思う。
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by rocky-road | 2010-11-04 23:04