<   2010年 10月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 

秋を撮る。

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先日、青森旅行のとき、平川市にある「盛美園」(せいびえん)という名跡で
アカトンボを撮っていたら、そのトンボがいきなり手に止まった。
写真の嫌いなトンボらしく、いちばん安全な、カメラを持つ手に着地したのである。
同行していた甲斐和恵さんに頼んで、その様子を撮ってもらった。
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こんな場合の撮り方をマニュアル撮影を前提にして書いておこう。
まずISO(露光感度)を200か400にする。
ホワイトバランスをその日の天候に合わせ(この日は晴天)、
マクロモード(チューリップマーク)にして、トンボに寄れるだけ寄る。
フォーカス(ピント)は目に合わせる。
シャッターを切るとき、人はやや前に出る可能性があるので、
やや後ろにのけぞる気持ち(実際に引いてはダメ)でシャッターを切る。
トンボのアップは大橋撮影。逆光なので、少しプラス補正をした。
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マクロと風景の組み合わせ例をもう1点。上の柿、鎌倉の寺の秋である。
この場合も、柿に最短まで寄る。柿からレンズまでは4~5センチ。
シャッターを半押ししてピントと、その地点の露出をロックする(フォーカスロックという)。
半押ししたまま(ロックしたまま)、構図を決める。
つまり、レンズの先と被写体との距離を保ったまま、
好みの構図を決めてシャッターを深押しする。
自分らしい写真を撮りたいと思う人は、なんとしてもこの技術を覚える必要がある。
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コスモスとペンションの写真も同様。
コスモスに寄れるだけ寄って、その向こうに風景を配置する。

花畑などで写真を撮るとき、花畑の前に人がしゃがんだポーズをするが、
きわめて平凡でつまらない。
こんなときは、下のリンゴ園のように、花やリンゴを前にして、
その向こうに人がいるようにすると花やリンゴが強調され、
記念写真としても意味を持つ。
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このリンゴ園のときは、リンゴに光を当てて熟成させるためか、
根のあたりにアルミファイルのようなシートが敷きつめてあった。
これがカメラマンには、モデルに当てる銀レフにしか見えない。
「やったぁ!」ということで、みなさんに後ろに並んでもらった。
銀レフを見せないために、足は切った。本来はこれは好ましくない。
普通ならリンゴは逆光で暗くなるが、ここでは赤みが出ている、
そのほうを優先した。
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秋は夕日がきれいな季節。
近所の川で撮った夕日。東京にもこういうのどかなところがある。
夕日は、マイナス補正(この説明は説明書を読むか、
写真教室に出た人に聞いてほしい)をし、
レンズを空の比較的明るいところに向けてフォーカスロックをし、
構図を決めてシャッターを切る。

この際、露出補正とフォーカスロックを覚えよう。
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by rocky-road | 2010-10-28 00:06  

遠距離クラス満2年に思うこと。

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2008年9月からスタートした「ロッコム文章・編集塾/遠距離クラス」は、
この10月17日で満2年、8回を数えた。
遠方に住んでいて、毎月の教室には通えないという人のために
3か月に1回、1日をかける集中講義形式として開講した。
福岡、広島、大阪、高知、山口、岡山、青森、岩手、京都からの「通学」は、ナミのことではない。
途中で退塾された人も少なくないが、初回から無欠席で通っている人もおられる。
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このところは、毎回、入塾する人もいて、出入りはあるが、人数に大きな変化はない。
関東圏に住んでいる人の中には、月々の教室に参加するうえに、
遠距離クラスにも通う人が増えつつあり、実はこれが講師を悩ませている。
というのは、遠距離クラスは1日に数回分の講義をするため、
いずれは月々のクラスの授業内容に追いつく日がくる。
1人に同じ内容の講義をするのは、講師としては辛い。
二番煎じのお茶を飲ませたくない、と思うから……。
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しかし、「それでもいい」という。「2回聞くことで、また違った学習ができるから」と。
こちらにもプライドがあるから、少しずつ別バージョンを考えることになり、
「二番煎じプレッシャー」からは少しは解放されつつある。

雑誌編集をしていた当時、長期購読をやめる人の言い分に
「いつも内容が同じだから」というのが少なくなかった。
編集者からすると、同じ(ような)内容の雑誌を作ることはできないし、
そうしろといわれたら、こんなに苦しいことはない。
しかし、その後、そういう人たちを観察していて、こんなことがわかった。
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「いつも同じ」というのは、かならずしも雑誌の内容に変化がないことをいっているのではなく、
むしろ、自分の生活に変化が起こった結果、
定期購読していた雑誌への関心が薄れた、という場合が多い。
転職した、収入が減った、お金の使い道が変わった、新しい趣味ができた……など、
つまりライススタイルが変わって、関心がほかに移ったのである。

こういう体験から学んだことは、食生活雑誌のライバルは、
同系統の雑誌とは限らない、ということである。
テニス雑誌であったりランニングの雑誌であったり、
テニスやランニングそのものだったりする。
そしてもちろん、恋人も食生活雑誌メディアにとってのライバルになりうる。
いや、恋人は、あらゆるメディア--というようも、森羅万象のライバルたりうる。
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勉強のために遠距離を通う人の場合も同様で、
3年もすれば、生活環境にいろいろの変化が起こる。
それは当然のことで、それゆえに、学習期間を設けず、いつ、どこかに入っても、
学ぶことができる、ということにした。当然、卒業もない。
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内容的にいうと、自分では意識していなかったが、
その後にスタートした「健康支援者のための リーダーシップ トレーニングゼミ」の
講義方法などを採用したり、各地の研修会での経験を採り入れたり、
地域や他業種の方々の現状を反映させたりしているので、
おのずと講義内容にも変化が出てきている……と、
初回からアシスタントを買って出てくださっている影山 なお子さんから指摘を受けた。
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確かに、講義内容も、講義の進め方も変わりつつある。
受講者の1人がこう指摘してくれた。
「先日、ある先生の講演を聞きにいっておおいに刺激を受けたが、
遠距離クラスでは発言する機会が多いので、飽きないし、身につく感じがする」
先日は、埼玉県坂戸市にある女子栄養大学香友会館を使わせていただいたが、
静かな環境であったので、よりいっそう、1人1人の話に耳を傾けることができた。
以前イメージしていた「サロン風」を思い出した。この雰囲気づくりを忘れていた。
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「以前」とは、1970年代である。
勤め人の生活をしながら文章教室を開講した。
2年続けたが、雑誌編集長になったため、閉塾せざるを得なかった。
このころも、開塾の動機は「大人こそ、もっと勉強すべき」だった。
「塾」といえば子ども向きの学習塾と決まっていた時代だったが、
当時から、大人の勉強の必要性を強く感じていた。
教室をサロン風に進めることを目指していた。
サロン風とは、懇談場面の多い授業である。
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いままた話題の多い吉田松陰や、
この人による「松下村塾」(しょうかそんじゅく 1856年)についての知識も関心も
ないころだが、
いまにして思えば、お恐れながら、松下村塾のように、
使命を強化し、人生を学ぶためにも、大人こそ、学び続けるべき、という発想の萌芽はあった。

第一線で活躍している著名な論者やメディア関係者の論説やトーク、
インタビュー技術、そして彼らの感性や思想の弱点を見るたびに、
「もっと、勉強すればいいのにな」と思ってしまう。
「ロッコム文章・編集塾に通ってみませんか」と、つぶやく私だが、
松陰のように、禁を犯してまで、宇宙船に乗って
ほかの天体に目指して密出航を図ったり、
メディアに乗り込んで彼らに接触を試みるほどの気概と爛漫(らんまん)さは
いまのところはない。
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by rocky-road | 2010-10-20 23:16  

メインかサブか。

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9月、10月と、講義やイベント、旅行などが続いたため、
このブログの執筆や、急がれている図書の執筆にかける時間が少なかった。
ややタイミングを逸したが、9月5日におこなった
「リーダーシップ トレーニングゼミ」に関して、書いておきたい。

このゼミでは、3段階に分けて座談会を行なった。
トレーニングだから、司会進行を受講者がおこなうこととした。
23人の受講者に対して、メインとサブの司会が各1時間の座談会を司る。
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パート1 いままでに、どんなネットワーク、グループ、クラブに所属したか(高校時代以降)、
       現在も所属しているか。そこで果たした役割(果たしている役割)、 または感じたこと。
     
パート2 現在の職場または仕事の場面での運営方法、リーダーのあり方などについて、
     感じていることを語り合いましょう。

パート3 健康支援者として、または1個人として、こんなネットワークをつくってみたい。
     (新設、現在の職場を含むネットワークの改善案なども含む)
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司会進行役は「自薦」ということにしたが、さすがは意欲のある人たちのこと、
事前に立候補した人で早々と各パートは埋まった。
このゼミの前後に、「メインの司会とサブとはどういう役割分担なのか」と、立候補
した人から質問を受けた。
「メイン司会」はわかるとして「サブ司会」とはなにか。
実際に体験した人でも、その意味がわからないとしたら、トレーニングとしてはまずい。

もちろん、こちらに役割分担の設計図があるわけではない。
1人では行き届かないこともあろうから、
サブは、メインをアシストまたはサポートしてはどうか、という程度の発案だった。
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テレビ番組の司会やキャスターも2人(多くは男女)のことが多い。
この場合、メインが中心となって番組を進めてゆく。
メインの経験や業界での地位などによって、メインとサブの力関係に大きな差が出る。
人気者の司会者ともなると、サブ(多くは女性)の存在など無視するがごとく、
マイペースで進めてゆく。

リーダーゼミの場合、そうした差はないはずだから、
サブだからといって、終始黙っていては困る。
サブ司会者は、アシスタントとは違う。発言者にマイクを回す係ではない。
「そういうことは早く言ってほしい」と、サブ司会体験者はいうかもしれない。
が、これは応用問題だと思う。
サブがメインを差し置いてしゃべり続けては困るが、
発言をフォローしたり、別の視点を提案したり、ときにはメインにアドバイスしたり、
そんなことがあってもかまわない。
一種の主導権争いになったほうがおもしろいくらいだ。
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当日も少し講じたが、「課長にすると課長らしくなるヤツはダメだ」と、
かつて上役から何度もいわれた。「課長になるヤツは辞令などもらわなくても、
それなりの仕事をちゃんとしているものだ」と。
この説には、納得させられることが以後、しばしばあった。

「実力」とか「リーダーシップ」とは、そういうものだと思う。
辞令やルールがあるときは、それを尊重しなければならないが、
そういうものがないときは、自己判断で、リーダーシップをとったり、
ほかのリーダーシップを支えたり……。
そのグループ、そのときどきの判断で、役割を演じ分ける。
そういう判断力こそがリーダーの基本ではないか。
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忘年会がちょっとしめっぽくなったら、
幹事ではなくても、「このへんで、イチロー課長の安来節を鑑賞しようじゃありませんか、
みなさんいかがでございますか」と提案する。これがサブの役割だろう。

私自身、リーダーとしての資質があるかどうかは怪しいが、
サブリーダーとしての自信はある。
会長を支え、社長を支え、編集長を支え、課長を支え、
フリーランスを支えてきた実績はある、と思う。

人生は応用問題の連続である。
「サブってなにをするのですか」などと、尋ねているようではダメ。
「ノー」といわれないことは全部「イエスだ」と考えて、
時々刻々変化する局面に対処する、それがリーダーというものである。
「空気を読め」とは、こんなケースにもいえること。
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by rocky-road | 2010-10-15 23:24  

真剣な遊びゴコロ

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                                          井出哲哉氏 撮影
久しぶりで千葉の海で潜ってきた。40年ぶりくらいになるか。
1964年から始めたスノーケリング&ダイビングも、
今年で46年目を数える(28歳でスタートした)。
当初は三浦半島や千葉、伊豆半島、伊豆七島など、比較的近場で潜っていた。
千葉県の海は、そのころ何度か行った程度。

日本列島は南北に広がっているので、
海の景色も多様である。
夏を中心にしていえば、太平洋側も千葉以南は、透明度もよく、
魚たちの活動も活発である。
千葉から北海道にかけては、寒流の影響を受けて、水温は低くなり、
魚たちは穏やかな動きをする種が多くなる。
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写真の館山の海底は、まだ南の海の色が濃く、小魚も多い。
ウミトサカ(写真の白い生物)と呼ばれる柔らかいサンゴも見られる。
いっぽう、日本海に初めて潜ったとき、「裏日本とはよくいったものだ」と思った。
シーンという音が聞こえるくらいに水中が静かである。
沖縄や小笠原列島については、知る人も多い。サンゴの海である。
私は、明るい、光の通る海が好きで、だから沖縄やモルディブに憧れる。

ダイビングを始めて2年後あたりから、
ダイビング雑誌の編集にかかわるようになった。
その雑誌に投稿したり、別のダイビング雑誌に投稿したりしていたことも
きっかけの1つだった。
ダイバーの集まりで発言したり、ちょっとした意見を投書をしたりしたことによって
ダイビング雑誌のオーナーとの接点ができた。
以来、ダイビング雑誌の編集には30年近くかかわることになる。
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現在、ダイビングは「海への旅」という考え方が定着しているが、
かつては、魚を突いたり、魚介類を採取したり、水中ナビゲーションをやったりと、
方向性が定まらなかった。
ダイビングは「マリンスポーツ」と位置づけられていた。
もしそうなら、「館石 昭氏(日本のダイビング普及における最大の功労者)は
スポーツマンか」と問いかけて、ダイビング=スポーツ説を否定し続けた。

連載記事を持たせてもらったことで、ダイビングの将来性について
いろいろの議論を提示することができた。
「スノーケリング」というか「シュノーケリング」というか、
「スクーバ」というか「スキューバ」というか、そういう用語の問題から、
漁業者とのトラブルの回避法、クラブの運営法、ダイビングのテーマとは何かなど、
いろいろの問題を考えることができた。
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こういう思考の中から「ダイビングは地の果てから始まるもう1つの旅」という発想が生まれた。
サンゴ礁の海に漂うのも、魚や、その他の海洋生物を観察するのも、
それらの写真を撮るのも、旅の一環である、と。
「フィッシュウォチング」や「スノーケリング」というコトバを提案し、
『海と島の旅』や『マリンフォト』といった雑誌の創刊を提案したりした。
こういう方向は、偶然ではなく、人々の意志によるものである。

近代ダイビングの歴史はせいぜい50年あまりだが、
栄養士の歴史はその倍近くはあるはず。
なのに、ネットワークが活性化していなかったり、
個々人の方向性がいまひとつ定まらないのは、
みんなが「仕事」と割り切ってかかわっているからだろう。
どこか、かかわり方が浅いか、距離を置いているか、冷たいか。
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これに対して、遊びがパワフルなのは、24時間勤務、365日、
いつもそのことで頭がいっぱいになっているから--そういう面がある。
取り組み方が真剣である。遊びとは、本来そういうものである。

食や健康に関する専門誌がおもしろくない。
作り手が、仕事としてやっているからだろう。
編集者が、自分の仕事や、自分のかかわる業界に示す愛情が不足している。
そういう弱みを埋めようとして、ムリに専門的であろうとする。
軸足が専門家、情報源のほうにあって、栄養士の側にはない。
雑誌は、そのほとんどが職場の応接室や談話室に置いてあって、
みんなが「自分の雑誌」とは思っていない。
そういうメディアから心の奥底に入ってくる情報というのは、そんなに多くはない。
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「あまり真剣に読まない雑誌」または「楽しんで読まない雑誌」が共通認識として定着し、
それに疑問を持つ人も少なくなったらしい。
編集者が、出版物が伸び悩んでいるのは「パソコンが普及したから……」
という弁解をするようになったら、そのメディアは終わりである。
読者への関心が深ければ、そういう言い訳は出ないはず。

栄養士の世界の、なんともいえないさめた景色は、
遊びのない寂しさから来ている、と見ている。
もっと楽しさやおかしさを求めたらいい。
公私混同は困るから、仕事の中で遊べばいい。
遊びに夢中になり、遊び続ければよい、一生でも……。

館山の海で、ウミトサカと向き合いながら、
そんなことを思っていた。
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by rocky-road | 2010-10-07 00:21