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文章力をつけるということ。

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2008年9月に開講したロッコム文章・編集塾・遠距離クラスは、
この7月18日(日)で8回を数えるところまできた。
遠方の人に、毎月のクラスに通っていただくのは負担が多いので、
3か月に1回、集中講義形式で終日の授業を行なっている。

毎月のクラスに通う人の中にも、遠距離クラスでも学びたいという人も出てきて、
講師としては、重複講義を避けてあげたい気持ちもあって、
少なからず悩まされている。
月1回、2時間の講義を1年に12回受講する場合と、
3か月に1回、終日コースを学ぶ場合とでは、
どういう違いがあるのか、講師の側からは論評できない。
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両方を受講している人からは、遠距離クラスには緊張感がある、
ほかの人のいろいろの文章に接することができ、
自分のレベルがどのあたりにあるのかを
より広い対照群との比較で理解することができる、などの声がある。
その優劣は、人により、状況にもよるので、客観的に結論することはできない。
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文章力や思考力の進歩、強化という点で見れば、
どちらのクラスにも実力をつけた人が少なくない。
編集者養成機関ではないし、就職先を推薦する立場でもないが、
先日、文章力の進歩を見せてくれた人に、
つい「『栄養と料理』の編集部で採りたいくらい」と言ってしまった。
実力を最大限に評価するための比喩のつもりだった。
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しかし、自分のスタッフとして編集者を育てるのと、
日本を代表する健康支援者を支援するのとでは、
難易度にだいぶ差がある。
前者は指導や教育によってどしどしシゴいていけるが、
それぞれのフィールドで活躍する健康支援者の場合は、
遠方からの後方支援だから、
内視鏡の扱いどころではないむずかしさがある。

日々の生活の中では、しばしば「この道は左か右か」と迷うことがある。
こんなとき、自分の迷いをちょっとでも聞いてもらえると決断がだいぶ楽になる。
文章力は、こんなときにも役に立つ。
質問事項を要約して、うまく問いかければ、瞬時に返事が返ってくる。
一見、単純な作業に見えるが、文章力が身についていないと、
問いかける表現ができないし、そもそも「聞いてみよう」という発想さえ起こらない。
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文章は、人間が獲得したスキルとしては新しく、しかも人為的なものだから、
ひたすら学習によって身につけなければならない。
つまり、話しコトバは10歳くらいまでのうちに、本能によって
自然にその文法を獲得するが、
書きコトバの場合は、その年齢以降、残念ながら本能の力が切れたあたりから
本格的な学習を始めるので、どうしてもトレーニング不足のまま、
社会的言語として使うことになってしまう。

しかも、書きコトバは、社会的コミュニケーションスキルとして開発されたものなので、
社会的体験と一緒に身についていくところもある。

ロッコム文章・編集塾の目指すのは、塾生が社会的発言力を高め、
日本に、世界に貢献する健康支援者の育成や支援である。
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by rocky-road | 2010-07-25 23:10  

「波の手」

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海や川で遊んでいて、溺れて死ぬ人が多い。
いまに始まったことではなく、50年ほど前にも、
そのことがひどく気になっていたので、
夏が来る前に、もっと予防対策を示したほうがよいと、
新聞の投書欄に投書した。
以後20年間に4、5回は投書したが、
ただの一度も記事にはならなかった。

それから察したことは、新聞というのは、
「事前」を好まないメディアで、「事後」を騒ぐメディアだということだった。
新聞に限らず、「ニュース」というものは、そういうものである。
まだ起こっていないことのほうがずっと新しいと思うのだが、
ニュース屋さんにとっては、それは未熟の果実に等しく、
商品にはならない、ということなのだろう。
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少しひねくれて、「あ、そうか、事故を起こしてくれないと
ニュースのネタがなくなるからなのだな」と考えたりもした。

さて、どんなことを投書したかだが、
記憶に残っている範囲の何回分かを要約すれば、
おおむねこんなことだった。
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1.まず、「海や川は泳ぐところではない」ということを認識する。
  「海水浴」というように、水浴をする場所だということ。
  泳ぎたい人は、プールへいけばよろしい。

2.ということは、海は浮くか、潜るかするところ、ということになる。
  海や川に入る人は、泳げる・泳げないに関係なく、
  かならず浮き輪を用意し、ヒモで結んで引っぱって泳ぐか、
  そばに浮き輪を持った人がついてゆく。
  遠泳大会のようなときは、万全の安全対策を講ずる。
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3.とくに子どもは、浮き輪の中に入れて水に浮かせる。
  大人も浮き輪を持って30センチ以内のところに待機する。
  このとき、「子どもはかならず溺れる」という前提で対処する。

4.泳げると思っている大人が海や川で泳ぐ場合、
  準備体操後、まず5メートル以内を泳ぎ、
  いったん水からあがり、次は10メートルを泳ぐ、
  というように、からだの準備性を高めていく。
  平泳ぎにしろクロールにしろ、全身運動なので、
  その年、最初に泳ぐときは、かなりからだに負担がかかる。
  この急激な全身運動によって、水泳中に脱力感がくることがある。
  もちろんこの場合も浮き輪を引っぱることは常識。
  「カッコ悪い?」
  いいや、「海は浮くところ」と認識しているあなたは、
  海をわかっている「海大人」そのものである。
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5.もし、だれかが溺れたときは、絶対に泳いでは助けない。
  棒を差し出すか、浮き輪か、カラのペットボトル数個を投げて、
  それにつかまらせる。(投書の初期の段階ではペットボトルはなかった)
  溺れている人がそれにつかまらなかったときは、
  あきらめる。人命救助ができなかった自分を責めない。
  2人死ぬところを1人に食い止めたことで満足すべきである。
  警視総監賞はもらえないが、人の命は勲章よりも重い。

少し話は変わるが、
以前、江ノ島海岸の岩場で釣りをしている人がいた。
彼は、5~6歳の子を連れていた。
ときどき大きな波が来るので、「ここにはいないほうがよい」と警告した。
が、彼は無視して釣りを続けていた。
と、大きな波。
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「ほら見たことか!!」
男の子は、波にさらわれ、海に持っていかれた。
次の波がきたとき、なぜか男の子が岩場に打ち寄せられた。
私が手を出して、その子を拾いあげた。
一瞬のタイミングだった。

男は、自分の不注意を恥じ、涙で命の恩人に感謝した、
なんということはなく、「どうも」程度のあいさつさえせず、
子どもを叱り続けるのだった。
そいつを海に放り込んでやりたかったが、
大学生の私は、黙ってそこを立ち去った。

生と死のわずかな隙間を見た、何回目かの体験だった。 
この体験を、自分が編集していた学年誌に、小説として発表した。
「波の手」というタイトルだった。 

by rocky-road | 2010-07-20 22:23  

ダイアモンドの運び人

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食コーチングプログラムスの第7期研修の最終回に
エールメッセージを贈る機会をいただいた。

食コーチング型の食事相談や、その根本となる考え方が、
なぜいまにして実績をあげているのか、
それについてお話をした。
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問いかけコミュニケーションは、いうまでもなく
人類が言語を獲得して以来、進化を続けてきたスキルのはずである。
だとすれば、栄養士の世界、食事相談の世界において
ことさら新しいスキルとして役割を果たす必要はなかったはずである。

しかし実際には、クライアントに対して知識を与え、
好ましい行動を促す「指導」を中心にしてスキルアップをしてきた。
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「水でも太る」「白米を食べ続けるとバカになる」といった
無知の時代が長かったこともあって、
栄養関係者は教えることに慣れっこになり、ギアチェンジのタイミングを見失った。

人類の歴史には相談がつき物だった。
私的な相談ごとは、親が、長兄が、親戚が、あるときは地域の長が、
ときにシャマン(「シャーマン」は間違い。巫女などのこと)が、
古代ギリシャではソフィストが、そうした相談に応じてきた。
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心理カウンセリングと食事相談とは、思っていた以上に違うものらしい。
心理カウンセリングでは、受容や共感を大事にする。
その点はよいが、受容し過ぎて相手を引きこもりにさせてしまう可能性もある。
カウンセリングの考案者、C・R・ロジャース氏が、哲学者のマルチン・プーバー氏に
その点を突っ込まれた、という話が、
斉藤 環氏著の『心理学化する社会』(PHP)に紹介されている。

食コーチング型食事相談では、
「生きがいづくり」や「人生を支える」ことを標榜している関係上、途中下車はしにくい。
医療は治療~治癒(または病死)というストーリーを描くが、
食コーチングは「人生を支える」といってしまったがゆえに、
対象者を生涯支えなくてはならない。
受容し過ぎて相手がアリ地獄に落ちてしまっては元も子もなくなってしまう。
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したがって、食コーチという仕事もまた、生涯、相手のニーズに応える必要に迫られ、
その点において生涯リーダーとして職責を果たす必要がある。
「それがシンドイ、うっとうしいと思う人は、いまのうちに逃げ出したほうがよい」と、
冗談ではなく、お話しした。
私的な『笑辞典』で、栄養士をこう定義した。
「栄養士は、食の窓から人の人生に侵入するサポーター」

生きがいを支え、人生を支えるためには、
対象者のモチベーションを維持する、いろいろの動因(強化子)を用意する必要がある。
相手の自発性を刺激すると、いままで、宝の持ち腐れにしてきた
いろいろの健康情報や食情報が、おもしろいくらい相手にしみこんでゆく。
砂漠の雨のごとくに。
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先人たちがたくさん残した健康・食に関する業績を
いま、ダイヤモンドの原石のように見ているのは、
世界の栄養士、世界のヘルスプロモーターの中でもごくわずかだろう。
そのごくわずかの中に、影山 なお子さんは入るかもしれない。
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by rocky-road | 2010-07-13 00:37