<   2010年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 

写真作品のタイトルの意味

b0141773_23374256.jpg
富士フイルムの「第49回フォトコンテスト入賞作品発表展」に
行ってきた。(3月26日~4月1日、富士フイルムフォトサロン・六本木)
今回、自分が応募した作品は優秀賞止まり、ようやく入賞というところ。
グランプリ、金賞、銀賞、銅賞のあとに優秀賞となる。
金賞、銀賞入賞経験者にとしては、狙うはグランプリ。

応募総数31,787点とのこと。
1991年に「イシダイ幼魚のこんにちわ」で金賞を受賞したときは
63,726点の応募があったというから、19年間で応募点数は半減したことになる。
b0141773_23381032.jpg

量より質の世界だから、半減したことにはさほどの問題を感じない。
高いレベルの写真が多かったことから推測するに、
腕のある人だけが応募したのかもしれない。
フォトコン好きが減ったことを、関係者は気にしているかもしれないが。

今回は、だれが見てもよい作品が上位を占めているから、
先を越されたことに対する敗北感や無念さは
まったくない(そういう感情は、とっくに捨てている)。
だから、悔しさを秘めていうわけでは、けっしてないが、
受賞作品のネーミングの平凡さには嘆息した。
b0141773_23383165.jpg

サケが産卵のために河川をのぼるとき、急流や滝を越えなければならない。
その滝の上でカメラを構え、サケが滝を蹴上がる瞬間を撮った写真のタイトルは
「ジャンプ」
ああ、なんと無意味なネーミングだろうか。
写真で表現できていることはあえてコトバにしなくてよい。
せめて「最後のジャンプ」「振り絞る力」「旅路の果てに」くらいのことを言ってほしい。

そのサケは、川の上流で産卵し、そこで一生を終える。
浅い川底にサケの亡骸(なきがら)がたまる。
それをタカだろうか、鳥たちが食らいにくる。
そのシーンを半水面で撮った作品があった。
この写真のすごさには、同じ半水面写真、わが「フエダイ、夏模様」は完敗である。
タイトルは「餌場」(金賞)。   
b0141773_2339104.jpg

ああ! 
なんという味けのないネーミング。
鳥たちにとっては餌場になっているのだろうが、
人間が与えたのではない、自然の営みなのだ。
そうした一種の食物連鎖に、俗っぽい「餌場」はないだろう。
クジラがイワシを補食する、ライオンが小動物を襲う……。
そういう場所となる洋上やブッシュ(茂み)を「餌場」などとはいわないでほしい。

「カメラマンに言語センスを求めるほうがムリ」と
簡単に許容してしまっては進歩がない。
50年1日のごとく、いつまでもこんなネーミングを許していて、いいのか。
主催者、および選考委員、そしてカメラ雑誌の編集部に責任の一端がある。
写真の質は、タイトルとはまったく無関係だが、
メディアで紹介され、人々の鑑賞対象となる以上、
それはコミュニケーションの質の問題として改善する余地がある。
b0141773_2340778.jpg

昔々、カメラ雑誌で、この問題に触れた例もあるが、
いまはほとんど話題にもならなくなった。
怠慢や不勉強を黙認するのはよくない。
少なくとも主催者は、しかるべき社会教育をすべきである。

そこまで言った以上、この文章を主催者や関係者に
届ける義務が生じたようだ。
b0141773_23402893.jpg

★上記発表展は以下の場所でも開かれる。
 ①富士フォトサロン  名古屋  052-204-0830 4月16~22日
 ②富士フォトサロン 大阪 06-6205-8000 4月30~5月6日
   (ただし、銀賞、優秀賞は展示なし)
★コンテストの入賞作品は、インターネットでも見られる。
www.fujifilm.co.jp/fpc/

by rocky-road | 2010-03-30 23:41  

『思考の整理学』の整理学

b0141773_055898.jpg
以前、このブログで、
外山滋比古氏(とやましげひこ)の
『思考の整理学』という本のことを書いた。
それをきっかけにして、この本を読んだという人が何人かいた。
いまもって推薦したい本に違いないが、
記述のすべてを是認しているわけではないことは、
言っておいたほうがよいかもしれない。

健康支援者なら異論を呈するだろうが、
午前中に仕事に集中するためには、
朝食をとらず、胃に回す血液を思考に使ったほうがよい、
という考え方には「待った」をかけたい(「朝飯前」という項目)。
b0141773_062084.jpg

「朝飯前」に仕事を片づけるには、起きたらすぐ仕事にかかり、
昼まで仕事を続け、昼食を朝食ということにすればよい、
という論法はおもしろいが、つまりはこれは1日2食主義、
または、夕から夜にウエートがかかる3食主義ということである。
著者の流儀であるとしても、万人に勧めるものではない。
読者は、著者の流儀を100パーセント受け入れる必要はない。

「つんどく法」という項では、メモを取ることのマイナス面を指摘している。
本を読んだり講演を聞いたりするとき、メモをとらなくても、
一定の記憶は頭に残るという。
メモをとることに気をとられていると頭がお留守になる、と。
これは昔からある指摘である。
b0141773_065251.jpg

しかしこれも、外山流であって、だれにも奨めているわけではない。
私は、メモは記録のためにだけとるとは考えない。
第1に、メモをとろうと考えること、そのことに意味がある。
それなりのメモ用紙(またはノート)を用意するだけで、
読書や講演に集中しよう、というモチベーションが高まる(一次目的と呼ぶ)。
その次に、これは従来の記録。あとで役に立てるという効果(二次目的)。

なまじメモをとると、かえって忘れやすいというのは、
情報発信の機会が少ない人の場合である。
メモをとろうがとるまいが、使い道のない情報は、すぐに忘れられる。
外山氏のように、執筆や講演、講義の機会が多い人は(当時)、
メモなどとっているヒマもないほどに、
きょう得た情報は、あしたにでも使うことになる。
この立場の違いを見落とすと、アブ、ハチとらずになる。
b0141773_073847.jpg

著者の思い違いもある。
「情報の〝メタ〟化」という項に、
「『抽象のハシゴをおりろ』と命じたのは一般意味論である」
と書いているが、これは違う。
一般意味論のリーダー的存在だったS.I.ハヤカワ(日系二世)は、
おもしろい著述家や話し手は、具体的な話と抽象的な話をうまく混ぜて語る
(抽象のハシゴを上ったり降りたりする)といっているのであって、
「抽象のハシゴをおりろ」(具体的な話こそ有効)などとは言っていない。
大きな誤りである。

どんな著述にも思い違いや誤りはある。
また、ある人には適切でも、ある人には不適切ということもある。
著者は、そこまで考えて書かねばならないが、
それにしてもパーフェクトなどありえない。
したがって、いまも『思考の整理学』は優れた著作であることに変わりはない。
そして、ますます優れた読者に読まれることを願いたい。 
b0141773_08325.jpg

by rocky-road | 2010-03-22 00:08  

 願わくは花の下にて春死なん……

 
b0141773_10521226.jpg


 花の季節である。
 開花の時季になると、夜桜見物のために
 場所取り係が活躍するようになる。
 昼のうちに、場合によっては朝から、
 仲間のために花の下にシートを敷き、
 からだを平らにしてくつろぎを表現し、
 その実、陣地を侵略されないように
 沿岸警備隊の緊張感をもって事に当たる。

 アメリカの心理学の実験報告に、
 図書館の空席に場所取りのために置いたモノによって、
 その場所が乗っ取られる時間が異なる、というものがあった。
 雑誌は1時間足らず、ブックエンドでくくった教科書の場合はそれより長く、
 カーディガンでは1日中、空席が保たれたという。
b0141773_10525345.jpg

 これを参考にすれば、場所取りに使うシートは、
 ブルーよりも赤か黄色、ひょっとしたらド・ピンクなんかが
 いいかもしれない。
 そしてもちろん、場所取り主の名を大書する。
 「鳩山新撰組」「小沢組黒幕組戦略局上野支部」
 「モナコ共和国日本大使館」
b0141773_10533973.jpg

 日々の衣服もまた、生活環境における場所取りのようなものである。
 家庭、買い物、職場、ランニング、デート……、
 その場にふさわしい場所を取った者が、しかるべき花見を楽しめる。
b0141773_10543159.jpg

 さらにまた、資格も人生における場所取りである。
 もっとも、せっかく場所を取って置きながら、
 期待したほど宴会が盛りあがらないこともある。
 いや盛りあげられないことがある。
 夜桜に花冷えは付き物。なんか、しらーっとして日々を過ごす。
 「みんなが場所取りに熱中するので、アタシもなんとなく取っただけ」
 こういうのを「花冷え資格」という。
b0141773_10544778.jpg

 けっきょく、花見は、シートの大きさや色ではなく、
 その上に集う人たちの楽しみ方で決まる。
 つまり、大事なのは記号ではなく、
 その人たち、つまり実体のほうであろう。

by rocky-road | 2010-03-17 10:55  

世界に「企画家」がふえますように!!!

b0141773_22375811.jpg
「世界が平和になりますように!!」と書いた
標語プレートが、街のあちこちに貼ってある時代があった。
どういう団体が進めていたのかは知らないが、
目にするたびに「不思議な運動だ」と思った。

標語を掲げることで平和がくると、
本気で考えている団体があったらしいこと、
ここまで無意味に金を使う人間が存在することなどが
不思議でしようがなかった。
あまりに大きくて、それゆえにちっぽけな、
1人よがりの企画力には、
何回見ても苦笑と怒りとがこみあげてきた。
b0141773_22384635.jpg

企画力といえば、このところ、栄養士のいろいろの組織が、
文章表現やデザイン表現、リーダーシップなどの
セミナーを企画するようになった。
パルマローザがこれらのセミナーを実施し始めてから7年たつが、
栄養士界のコミュニケーション力強化トレンドは
これと関係があるのだろうか、偶然の一致なのだろうか、
それとも、同時多発的に、みんなのニーズが高まったのだろうか。


正確にいうと、社会やコミュニティ全体の企画力が
急に高まるなんていうことはまずなく、
1人か数人の企画力が徐々に伝播してゆくのが通例である。
日本にも、企画会社や広告代理店があり、
ここでビジネスモデルやビジネス戦略などが考えられる。
オリンピックや食育運動、食事バランスガイドの運営などにも、
こういう組織が深くかかわっていることは知る人ぞ知る。
b0141773_2239326.jpg

しかし、大きな組織の企画は、アイディアはよいにしても、
運営にきめ細かさや持続性、つまり情熱が不足するのが通例で、
「流行」は生んでも「文化」を生み出すところまでは至らない。

もう1つ、「組織企画」の弱点は、
すぐに「マンネリコンプレックス」になることである。
少しすると内部から「マンネリじゃない?」という声が出る。
あるスキルを年月かけて育てよう、普及しよう、学ぼう、
なんていう根気はなく、「マンネリじゃない?」という指摘を恐れて、
いつのまにか「スキルショッピング」「セミナーショッピング」が始まる。
b0141773_22393741.jpg

「あの栄養士会でやったから……」「いま、○○が話題になっているから」などと、
人の庭を見て、それを真似たがり、本来の目的のほうへは関心が向かない。
かと思うと、すぐに資格制度にしてラベルを貼りたがる。
こういう感覚は政治家と同じで、
内容よりもいっときの実績にウエートをかける。
動機が横着から出ているので定着するはずもなく、
けっきょくは一時の流行で終わる。

それでも被害者は確実に出る。
「◎△先生の話は聞いた」「行動療法は勉強した」
「コーチングはやった」「○○の資格は取った」などと
実績は語るが、なにひとつ身についていない。
その不安が、次のラベルを求め、全身、ラベルで覆い尽くす。
b0141773_22395815.jpg

職業の名称に「カメラマン」と「写真家」があり、
「歌手」と「歌唄い」と「アーティスト」があり、
同じく「アーチスト」と「画家」がある。
「プランニング」や「プランナー」はあるが、「企画家」はない。
「家」がつくと、個人業的なニュアンスが強くなり、
専門性が強くなり、かつ生涯の仕事っぽくなる。
「書家」「茶道家」「武術家」「料理研究家」「評論家」
b0141773_22404146.jpg

健康支援者の組織に関わる人(個人も含む)のうち、
考えることが嫌いでない人は、自分のことを「企画家」と、
ひそかに呼ぶようにすることには意味がある。
それだけでも、「にわか企画」「物まね企画」「ハート不足企画」
「一過性企画」をどれだけ抑止するかわからない。
b0141773_22405244.jpg

写真は、岡山県栄養士会による写真教室で。
(2010年3月6日)

by rocky-road | 2010-03-07 22:41