<   2009年 08月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 

野生動物とのコミュニケーション

b0141773_2251830.jpg
1964年からダイビングを始めた。
正確にいうとダイビングよりも
「スノーケリング」に軸足を置いた45年間である。
当時はスノーケリングとはいわず、「素潜り」といった。
素潜りは、スキューバダイビングの準備段階、
基礎泳力づくりの期間と位置づけられていた。

ところがしばらく続けると、素潜りは、これはこれで楽しい。
というよりも、「海を歩く旅」というイメージで、
旅派の私にとっては、このほうが性に合っていた。
ただし、「素潜り」はいかにも漁業的で語感がよくない。
b0141773_22514237.jpg

そこで、アメリカ語の「スノーケリング」を借りることにした。
いまは「シュノーケリング」という人が多いが、
「スノーケリング」導入者にとっては耳障りだし、
ダイビング雑誌で統一した用語とも違っていて、
「シュノーケリング」は部外者、素人というイメージか。

そこで、スノーケリング中心の東京潜泳会を作り、
次にスノーケリングピープルというクラブを作った。
東京潜泳会時代には、規約を作り、何回も改定し、
その経験をダイビング雑誌にクラブ運営論として書いたりした。
b0141773_225231100.jpg

海の旅のおもしろさに加えて、クラブ運営のノウハウを学んだ。
いま、社会の第一線で活躍している人たちに、
クラブの幹事やリーダー経験者が多いのは、
クラブ運営時代の経験が、もちろん生きているからである。

遊びにしろ余暇活動にしろ、「ホンキ」で取り組んだ知識やスキルは、
どんな社会活動でも活用できる。
これは、栄養士サークルにしろ、ほかのどんな余暇活動にも共通する。
いや、「どんな余暇活動にも」は言い過ぎで、
「ちゃんとした運営方針がある組織であれば」ということを
条件の1つにしておく必要があるだろう。
b0141773_22531560.jpg

さて、海の楽しさはなにかと聞かれたら、
1つは「地の果てから始まるもう1つの旅」であり、
もう1つは、野生生物とのコミュニケーションである。
人間の言語社会に住む生物が、非人間言語を持つ野生動物と接し、
なんらかのコミュニケーションを図ることの喜びは格別である。

野生動物とのコミュニケーション経験は、
植物とのコミュニケーションにも適応できそうだし、
もちろん異星人とのコミュニケーションなど、
おちゃのこさいさいである。
そんな場面が生じたら、もちろん通訳を買って出るつもりである。
b0141773_22541283.jpg

さて、しばらく沖縄の座間味島の海の生物や、
海で泳ぐのが大好きな犬たちと海を楽しんでくる。
b0141773_22544275.jpg

[PR]

by rocky-road | 2009-08-30 22:54  

講習会プログラムと雑誌の関係

 
b0141773_0493511.jpg

かねがね思っているのは、学校のカリキュラムは、
雑誌や書籍の目次・構成と基本的には同じだということである。
それが頭にあるから、教育機関のカリキュラムを見ると、
編集者や編集長の力量やセンスを疑うように、
この学校は大丈夫かね、と思ってしまう。

雑誌に例をとれば、特集があって、やや小さな第2特集、第3特集などがある。
それから連載やら単発やら、トピックスやらがある。
大学だって、その大学のいちばんの売り(特集)には人材(スタッフ)を揃え、
勝負に出る。このとき、編集長としての学長なり学部長なりは、
教員にこの特集のコンセプトを徹底しなければならない。
b0141773_0501534.jpg

が、大学にしろ専門学校にしろ、一度決めたカリキュラムは、
滅多なことではいじらないし、教員連にカリキュラムコンセプトを徹底したり、
チェックをしたり……ということをほとんどやらない。
これで、時代を乗り切ろうなんて、ちゃんちゃらおかしい。
ある大学の理事は、なにかよいヒントがあったら教えてよ、と
年賀状に書いてきた。ノーテンキ、ここに至り。
出版界だったら、そんな雑誌は1、2か月で廃刊になる。

さて、話が変わるが、広島県栄養士会が主催する生涯学習研修会に、
ほんの少し参加した。
影山 なお子さんが講師を担当する
「ワークショップ形式による 栄養士のコミュニケーション力アップ 
聞くこと、着ること、話すこと」の一部、
「コミュニケーションについて押さえておきたいこと」を
ファッション力の総論としてお話しさせていただいた。
b0141773_050541.jpg

1つの講義を2人が担当するというのは、
予算的にぜいたくだから、主催者側が企画することはまずなく、
今回は、影山さんの提案で、部分的に追認していただく格好になった。
いきさつはともあれ、コラボレーションの意味は多少はあるはずで、
受講者が、各々のテーマについて立体的に考えることに役立つはずである。

ここで雑誌の話に戻るが、雑誌とは「雑」「誌」で、
「雑多な」(よくいえばバラエティに富んだ)
「書きつけ」(記録)である。
バラエティはよいことだが、よいモノも相殺(そうさい・互いを打ち消す)することは
テレビ番組やテレビコマーシャルのことを考えればわかる。
「いまやっているビールのコマーシャルの前のコマーシャルはなんだった?」
そう聞かれて、即答できる人はそうそういない。
数秒前の情報は、次の情報でかき消される。
b0141773_185091.jpg

雑誌では、それを連載がカバーする。
1人の感性や思想や考え方、文章などになじんでいるうちに、
その雑誌とのよい関係ができてくる。
雑誌は(新聞や書籍も)アイデンティティを下支えする。

カリキュラムも講習会のプログラムも同様である。
なんでもありで、「雑」またはバラエティを求めていると、
いわば「講習会かじり」が増えることはあっても、
それでは、みんなのレベルが上がるとは言えない。
どこの講習会にも顔を出すけれど、
ほとんど社会的活動をしない、「講習会ショッピング連」なんぞは、
何千人生産しても、その世界の充実・発展にはなんの役にも立たない。
b0141773_192088.jpg

一部のセミナー主催者は、連続もの、シリーズもの、
コラボものの利点に気がつき始めている様子。
そうなんだ、講習会、研修会主催者のための、
企画力、編集力講習会を行なう時代が、もうすぐそこまで来ているのだ。
そうだとすれば、栄養士、健康支援者の世界には、一条の光が感じられる。
[PR]

by rocky-road | 2009-08-24 00:55  

あなたは「あなた」ですか「貴女」ですか。

b0141773_104386.jpg

わがロッコム文章・編集塾が開塾してから6年がたった。
5年間通っていただいた方から、感謝の記念品をいただいた。
彼女の現在の仕事(編集者)や人生に、
ほんのちょっぴり貢献できたと聞いて、深い感慨を覚えている。

当塾の指導方針の1つ、「人は文章で考える」については、
しばらく通った塾生はおおむね理解し、論理的思考を高めつつある。
細かい決まり事、原稿用紙の綴じ方、
「である」調の文体の安定度(ですますの混用がない)、
タイトルのつけ方、句読点の使い方などについては、
大きな失敗が少なくなった。
b0141773_1204864.jpg

しかし、なかなかマスターできないのは用字用語である。
「更に」と書くか「さらに」と書くか、「早速」と書くか「さっそく」と書くか、
「好きな所」と書くか「好きなところ」と書くか、
「あの時」と書くか「あのとき」と書くか、
「鯵」と書くか「アジ」と書くか「あじ」と書くか……
そういう点では指導効果がなかなか現われず、困惑している。

その理由は、正書法というべきスターンダートがなく、
なにを基準に書いたらよいかがわからないからである。
多くは新聞を頼りにするが、
新聞は自由民権運動の伝統を引きずる硬派のメディアだから、
「だれにもわかりやすく、親しみやすい用字用語をしよう」という発想が育ちにくい。
b0141773_127196.jpg

そのうえ、たいていの人に実践の場が多いとはいえない。
自分の文章が、自分の組織、
自分の作る商品の存続や売れ行きを左右する、
というようなせっぱ詰まった立場にはないから仕方がないのだが。
いや、そういう立場にいながら、気づいていない可能性もある。

さて、用字用語の不統一は、表音文字を使う欧米の文章表現にもあるが、
漢字とひらがなとカタカナと、さらにはアルファベットを併用する日本語は、
よけいに用字用語の不統一が生じやすい。
いま、上に書いた「カタカナ」だって、
人により、時と場合によって「かたかな」または「片仮名」と書く。
b0141773_122274.jpg

そういう事情は百も承知しているが、
それでも、自分なりの、そして読み手に負担をかけない用字用語を
わがものにしてほしいと思う。
それもまた、社会進出の足がかりの1つだからである。

自分の小さな世界だけで文章を書いているうちは、
用字用語など、気にはならない。
そんなことよりも、文章の論理性やオリジナリティに留意するのが先、
と思うなかかれ。
b0141773_1224946.jpg

人物ができていれば服装などどうでもよい、ということにはならないように、
「てにをは」(助詞、助動詞などの使い方や話のつじつま)や
句読点、用字用語などが不適切であっても、
論点さえしっかりしていれば、それでよい……、
そうはいえないのである。

栄養士をはじめ、健康支援者に限らず、だれに対しても、
文章における用字用語のあり方を説く意味は十二分にある。
健康支援者についていえば、ヘルスプロモーション、
いわば「健康の社会教育」のためにいろいろの文章を書くだろう。
そのとき、どんな用字用語をするかまでを考えることは、
その文章のアピール度を高めることにつながる。
b0141773_1232377.jpg

相手に合わせた表現をすることくらい、対話のときには子どもでもできる。
なのに、文章となると、とたんに紋切り型(ステレオタイプ、画一的)になる。
たぶん、これは世界中の人にいえることである。
文化財としての文章は、ひどく後発のものなので、
そう簡単には身につかない、ということだろう。

私が編集者であったころ、コレステロールは「コレステリン」といい、
食事療法を「食餌療法」といった。
コトバは変わる。コトバが変わるということは、感性や知性も変わることでもある。

源氏物語から1000年たっても、
文章はまだ万人が使いこなすところにはいっていない。
しかしその事実は、絶望にはつながらない。
むしろ、多くの人にチャンスがあることを意味している。
用字用語を改善するだけでも、その人の社会進出のチャンスは広がる。

世界広しといえども、
自分の文章の用字用語を見直そうと考えている健康支援者は、
多く見積もっても100人はいないだろう。
さあ、どうする、あたなはその100人に入りたい?
な~んも感じない?
あっそう。
[PR]

by rocky-road | 2009-08-17 01:04  

 問いかけ鏡を持つ人

b0141773_23433885.jpg

 NHKテレビの「SONGS」に矢沢永吉氏が出演した。
 ロックファンでもないし、もともとテレビ出演を避けてきた人らしいので、
 私にはなじみの薄い歌手である。
 番組の中で、観客からの質問に答えるコーナーがあった。
 20代の女性が、やや突っ張って生きてきたが(永ちゃんのように)、
 最近は、それでどうする、だからなんだという迷いが生じた、
 これから先、どう燃えたらよいのか(要約)と問いかけた。
b0141773_23442125.jpg

 さあ、どう応じるか、注目していたら、
 永ちゃんは、その女性に問いかけた。
 「入社したときには張り切っていたのでしょ?」
 「ハイ」

 即答をしなかった永ちゃんに、「おぬし、できるな!!」を感じた。
 彼は、問いかけの軽いジャブを当てておいて、
 それから、おもむろに自分のことを語り出す。
b0141773_2346405.jpg

 人生も、1週間も、ずっとハッピーであるわけはない。
 自分も、ずっと歌ってきて、これしかできないのか、って自分に思った。
 が、50代を過ぎて、人間はそんなに器用ではないことを悟った。
 1週間、ずっとアンハッピーであっても、土曜日に突然、いいことがある、
 そういうことじゃないか……(要約)

 質問した女性の目に涙がにじんだ。
 著名人にありがちな、経験則を振り回すだけの、
 思い上がった得意顔ではない永ちゃんに、彼女は共感した。
 最初の短い問いかけで、彼女の心をつかんだ。
 そして、しっかりと彼女の質問に答えた。
b0141773_23481883.jpg

 パルマローザのセミナーで、以下のようなことを話した。
 食事相談で、「食べたいものをがまんしてまで
 長生きをしたいと思わない」というクライアントに出会うはずだ。
 こんなとき、「そんなことを言っちゃあダメですよ」と、
 押さえにかからないほうがよい場合もある。
 平然と同意して見せて、
 「そうですか。で、何歳で亡くなることになりそうですか」
 「もちろん保険には入っていらっしゃるのですね?」

 これを自分の食事相談のときに、やっちまった人がいる。
 問いかけとしては鋭いから、取り扱い注意なのだが、
 もう使ってしまったという。怪我はなかったか、大いに案じた。
 が、そのフレーズにまで持っていく手順がよかったのだろう、
 相手は、素直に応じ、自分の死亡推定年齢を70歳だといったとか。
 平均寿命のデータなどを示すと、
 70歳では若すぎることに気がついたという。
b0141773_23483449.jpg

 栄養士は、延命治療(?)にも貢献できることを証明する事例であろう。
 寿命の目標値をあげることは(しかも自発的に!!!)、
 健康寿命のレベルをあげる第1歩である。
 そして、「適切な」問いかけコミュニケーションは、
 人と人との距離を縮めたり、相手のモチベーションを高めたりする、
 伝家の宝刀的なコミュニケーションスキルである。

 「短命でもよい」という意見を否定するのは人道的である。
 が、その否定をいいことに、甘えたり悪ぶったりする人間もいる。
 そうやって甘えて生きてきたがゆえに、ますます余命を減らしてきた。
 この場合、否定は結果的に当人の寿命を縮める効果をあげる。

 そこで、こう問いかける。
 「そういうからには、何歳くらいで死ぬというイメージがおありで?」
 ここで、相手をリアルな世界に引き戻す。
 永ちゃんは聞いた。「入社当時は燃えていたんでしょ?」
 彼女は、自分にも輝いていた時代があったことに気づく。

 問いかけには、危険物も多いが、スムースな、
 スムースを装うコミュニケーションに「待った!」をかける効果もある。
 冷静な思考のきっかけを与える場合もある。

 昔、専売公社は「タバコは暮らしの句読点」というフレーズを
 コマーシャルに使った。
 そこで、名食事相談担当者にもコマーシャルを。
 「食事相談担当者は、希望を映し出す、問いかけ鏡を持つ心の美容師」

 再度いうが、「問いかけ」にも、キレル問いかけと、ダサイ問いかけがある。
 問いかけは万能ではない。
 適切な問いかけだけが、〝ときに〟心を映し出す。
[PR]

by rocky-road | 2009-08-06 23:48