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マニュアル アニマル

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私の「文章・編集塾」では、毎月宿題を出しているが、
7月に出した宿題「好きなコトバ 嫌いなコトバ」が、
この8月、各クラスごとに提出されつつある。
その中に、こんなエピソードが紹介されていた。

病院で順番待ちの番号カードを渡されたお年寄りが、
「4番という番号は縁起が悪いから嫌いだ」と、駄々をこねた。
それに対応した保健師が「ヨン様の4でしょ」と一言。
これでそのお年寄りは収まったとか。

この対応法は、たぶん日本中で採用されるだろう。
世界のナベアツではないが、
4のつく数字のときには「ヨン様」が登場する。
かくして「死に番回避マニュアル」ができあがる。
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               ↑アニマル大橋が手がけたマニュアルの一部

何を隠そう、私は天下のマニュアルアニマルである。
人に何かを教えるとき、行動や手順を定型化したがる。
箇条書きを多用し、その序列を重視する。
長年手がけてきた料理書や雑誌のレシピは、
正真正銘のマニュアルである。
フライパンに、にんじんを先に入れるか、
卵を先に入れるかは重要な問題である。

よい人間関係の保ち方、UFOの信じ方、
破局が近い恋の修復法まで、
世にマニュアル化できないことはないと思っている。
影山 なお子さんの『食コーチング』
(食事相談が変わるコミュニケーションスキル)
(医歯薬出版(株)刊)も、
もちろん食事相談のマニュアルである。
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               ↑『ニコノスⅤフルガイド』の中の大橋担当ページ

しかし、どんなにすぐれたマニュアルでも、
活用する人の熱意と創意工夫の余地は残している。
楽器の教則本をいくら読んでも、
ピアノやウクレレは弾けるようにはならない。
「3の倍数のときアホな顔をし、5の倍数のとき人を探す」と、
ナベアツさんがいうとき、
そのマニュアルに従う人は、
独創的なアホ顔ができなければならないし、
人を探す振りをリアルに演じられなければならない。

すべてはマニュアルどおりにはいかない。
それは百も承知、
だからこそ、マニュアルアニマルの生存動機は
永遠に尽きないのだ。
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by rocky-road | 2008-08-20 23:31  

生き物から食品へ

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珍しく、魚屋にタカベが出ていた。
日本列島の太平洋側では、夏から秋にかけて、
どこの海でも見られる魚だが、
漁獲量が少ないせいか、最近、東京ではあまり見かけない。

海の中で見ると、背から尾にかけて黄色いスジが走っていて
観賞魚といいたいほど美しい。
海の中をタカベが泳ぐのを見て「おいしそう!」と
叫んだ女性がいる。1度ならず2度までも。
偶然か必然か、2人ともミセスであった。

生きている魚を食品と見る、そのオバサン感覚が許せない。
「動物園でウシを見ておいしそういうのか!!」と、
憤然と詰問した。
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日本列島では、生物としての魚が、
食品となる瞬間が日常風景として見られる。
すし屋でいきなり手振りの鐘が鳴り出して、
「いま、アジをおろしています。ご注文をどうぞ!」
と、板さんが叫ぶ。
水槽に泳いでいる魚をとり出して、
その場で調理をする。

が、半分生きている魚をうまいと思うのは、
自分の舌に忠実でない人の言である。
本当のうまさを知っているのかね?
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石毛直道氏は、英語の「cook」というコトバは
火熱(ママ)を含むので、日本料理を代表する刺身は、
cookのカテゴリーに含まれない、
と不満げに書いている(『食卓文明論』中公叢書)。

刺身のうま味を知っている日本人は、
まだ身が生きていて、コリコリした歯ごたえのものを
「うまい」なんぞと、それをいっちゃぁ、おしまいよ。

生き物が食品に変わる瞬間を見ないのが
人間の品格であり、食物連鎖の一端を担う
生物たちへの思いやりである。
ウシやブタが食品に変わる瞬間を
見たいという人は少なかろう。

遊びとしての魚のつかみ獲り、
活き作り、躍り食い、ハンティング……、
そういうことは密室でやってほしいと思うのだが、
いかがなものだろう。

1.写真はタカサゴというサンゴ礁の魚。
  タカベはデジタル化していないためご紹介できず、失礼。
2.撮影中の大橋
3.ミナミイスズミとスノーケラー
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by rocky-road | 2008-08-17 09:10  

いざ、鎌倉!!

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けさ、ゆうパックで新刊本が届いた。
『野菜の達人 レシピ』
日本文芸社編、B5変型のハンディな料理書。
構成はフレンチ、イタリアン、
中国、日本、ベトナムの料理人が
担当する30ページ、
後半の90ページは高橋幸乃さんが
受け持っている。

この春、わがロッコム文章・編集塾の塾生の1人、
高橋さんから「書籍の料理制作の依頼があったけれど、
どう対処しようか迷っている」と相談を受けた。
フードコーディネーターで、
ネットで食関係の情報提供の仕事をしている人だから、
この程度のことに対応できないはずはない。
「なにも迷うことはない。イージス艦に乗ったつもりで
やりなさい。いくらでも応援するから」と励ました。

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出版プロデュースとは、
企画からプロジェクトチームの編成までを請け負う仕事だが、
今回のケースは、後方からの援護射撃にとどまる。
とはいえ、いつ援軍出撃の命が下るかわからない。
が、案ずることもなく、
彼女は仲間の援助を得て、2か月足らずで
128ページ本をさらりとやり遂げた。
突貫作業で銭ハゲができたといっていたが、
申し分のないできばえである。

b0141773_222208.jpg実用書専門の出版社だけあって、
社内にしっかりした編集者がいるらしく、
初登場の料理研究家をうまいこと使いこなした。
著者名が出ないのは残念だが、
実績には違いない。

自分で売り込まないかぎり、
めったなことでは本の依頼などない。
一生に2度とないチャンスを逃す手はない。
少なからずの慎重派の彼女だが、
どうやらそれは、世をはばかる仮の姿らしく、
なんということもなく100点ほどのレシピから
料理づくりまでを受け持った。
見返しにサインを頼んでおいたら、
何回か練習をしたのち、「恵存」と毛筆の書を書き込んで、
ようやく送ってくれたのである。

こうしたケースは、だれにもあるとはいえない。
それならば、自分で企画して売り込めばいい。
版元には優秀なプランナーがいると思うのは錯覚である。
近年、編集者教育が不十分で、
どこの版元にも、そうそう優秀なプランナーなどいない。
未来の著作者には、「専門分野は自分こそ最高のプランナー」
という自負が必要。
よい企画は、自分で売り込まないと、向こうからはやっては来ない。

いずれにしろ、「いざ鎌倉!!」(わかるかな?)に備えて、
適応力やファイトという「槍」(やり)を
いつも枕元に置いておきたい。
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by rocky-road | 2008-08-13 21:51  

耳で見る、倉敷

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岡山での講演後、少し時間をつくって、
地元の人に案内をしていただき、
市内で行なわれていた「うらじゃ踊り」と、
倉敷見物をしてきた。

「うらじゃ」とは、「鬼だぁ!」という意味の方言とのこと。
各地の夏祭りのつきものとなりつつある、
よさこい型の踊りである。
アップテンポの民謡(?)とチームごとの衣装が特徴。
そして踊り手は若者から少年・少女まで。

夜中まで踊り続ける、エキサイティングな祭だが、
踊り手が進行方向ではなく、
見物人のほうに向いて踊る、
という方式に温かさを感じた。
観客も音楽に合わせて手拍子を打つ。
ローカルな風景というべきか、
祭の先進的なスタイルというべきか、
教えられることが多かった。
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倉敷では、
たまたま写真を撮らせてもらった男性の話術に、
無抵抗に引きづられた。
町並み研究所のようなものを
考えているという人なのだが、
「あのお店は何屋さんかご存じですか」
「伊豆の松崎は知っていますか」と、
まずは問いかける。

ザルや熊手を売っている店なので、
「荒物屋さんでしょ?」と答えると、
「そう。それを知っている人は少ない。
若い人は雑貨屋さん、さらに若い人は
ホームセンターといいます」

問いかけコミュニケーションの威力を
再認識させられるガイドぶりであった。
けっしてガイドを頼んだわけではなく、
むしろ急いで写真を撮って、
帰りの新幹線に間に合う見込みだった。
が、この「行きづりガイド」から離れられなくなり、
2筋分の道を一緒に歩くことになった。

その土地の知識だけではなく、
各地の古い街並みについての知識、
倉敷を訪れる人の県民性など、
矢継ぎ早に話題が続く。
それはそれは、ただ者ではない見識なのだが、
適度に問いかけてくるので、会話が成立し、
けっして知識を押しつけられているとは感じない。

コミュニケーションの達人は、
どこにでもいるものである。
私の倉敷初体験は、
「問いかけコミュニケーションの街」と
いう印象を残しそうだ
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by rocky-road | 2008-08-08 08:06  

テールライト(尾灯)で前方を照らす。

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岡山県栄養士会のお招きで、
同栄養士会「生涯学習研修会」の1コマを担当させていただいた(8月3日)。
演題は、「栄養士のQOLを高める表現力  ≪文章力・写真力を中心に≫ 」

地域の栄養士会がこういう企画をすることは
栄養士の社会的進出への意欲の一端を示すものであろう。

『栄養と料理』編集長時代、「栄養士のための講演術入門」
という企画を提案したことがあったが、
上層部との会議の席で
「まだ早い」と却下させられたことを思い出した。
それからおよそ25年。

時代の流れを早いと感ずるよりも、
むしろ時代は「大河のようにゆったりと流れる」と
感じることが多い私にとって
25年後に関連テーマの再現を見たとしても、
さほど驚くことでもないが、それでも
「ようやくそんな時代がきた」という感慨はある。

もっとも、時代背景は異なっていて、
いまは、特定保健健診に見られるように、
「未病」の人をサポートするとなると、
「治療」とか「予防」とかというキーワードにあまりインパクトがないため、
「心身の健康」とか「人生」「幸福」「自己実現」とかの
抽象語の使用頻度が増えてくる。

「たんぱく質は1日に70グラム」「一汁三菜」といった、
数値化できる概念ばかりでは、
人のモチべーションを高め続けることはむずかしい、
ということだろう。

健康、人生、幸福などは、
「いま」よりも、もう少し先の方向でピントが合うコトバである。
これらの概念は、目で見たり、手で触れたりすることができない、
つまり、コトバがあってこそ存在する情報群である。

栄養士が文章表現力、つまりはコトバ表現力を学ぶということは、
人を後押ししながら、車のテールランプによって、
なんとかその人の半歩先の足元を、
うっすらと照らしてあげるようなものである。

この研修会の進行をしてくださった
冨田加代子氏(岡山県立大学保健福祉学部 栄養学科准教授)が、
まとめのごあいさつの中で、
「岡山からも情報発信をしていきたい」と述べておられたことが
印象に残った。
この着眼点もまた、将来的に、クライアントの半歩先の足元を
照らすことになるのだろう。
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by rocky-road | 2008-08-05 01:14