若者と若者でない人の将来性
「食コーディネート論」を数人の講師が担当する。
私は後期のトップバッターなので、
4回の講義と実習を終えて、早ばやとオフになった。
私の講義は、料理レシピや食関係の文章の評価の仕方、
インタビューの仕方、発想力・企画力のつけ方、
食ビジネスにおける情報発信の方法など。
どんな分野に就職しても役立つように配慮しているつもり。
履歴書には、最終学歴として「大学」を書くことが多いが、
私は、大学は社会人の入門講座であると、
最初に学生に伝えている。
実際、大学生活にはアルバイトがあり、
社会人との交流もあって、
社会との接点が多いのが普通である。
「社会人としての第一歩」といえば、
少しは気合が入るかと思って、
そう言い続けてきたが、
さて、その効果は如何?
大学のカリキュラムは、社会の動きに対して、
どうしても遅れがちになる。
いま、社会ではどんな知識や技術、
考え方が必要とされているか、
そういうことを察知し、適応する力は、大学にはあまりない。
ただし、それゆえに、いかがわしい学説、
流行の珍説に惑わされないという利点もある。
非常勤講師には、大学の外の動きが見えているので、
大学のカリキュラムの長短、強弱がよくわかる。
おまけに、当方は元編集者。
大学のカリキュラムは、雑誌や書籍の目次、
つまり企画、構成そのものに思える。
いま、どんなカリキュラムが求められているかを論ずる、
カリキュラム編成会議に編集者を出席させてくれたら、
専任教員の弱点を補って余りあるだろう。
もっとも、4年間の大学生活で知的生活の基礎ができる、
などと考えるほうが、ムシがよすぎるだろう。
私の持論では、「若者に将来がある」は誤り。
真実は、「努力を続ける若者、よほど運のよい若者にだけに
将来がある」ではないか。
若者ではない人には、こんなことがいえる。
「学び続ける人には、将来への可能性がある。
その意欲と思考力は、若さと美しさのベースにもなる」と……。
by rocky-road | 2008-10-23 16:07