能登から広島まで。
うれしい知らせがあった。
5月末、ロッコム文章・編集塾/能登教室に際して、
金沢経由で能登入りをした。
金沢の街を見物していたら、
寛政元年(1987年)創業という古書店で、
『國文學』という月刊誌のバックナンバーを見つけた。
この雑誌には、昔、恩師の指示で原稿を書いた記憶がある。
30歳代半ばのころと記憶している。
忙しい恩師のために、
いわば下書き的に原稿を書いた。
昔の恩師と弟子の関係は、
そんなものであった。
1年間の予定の連載記事は、
「好評につき」あと半年、
延びたあたりまでの記憶はある。
しかし、文章の内容については、まったく記憶がない。
1回1回、内容に目を通す立場でもなかった。
恩師に、その誌名や、執筆年代を尋ねたこともあるが、
すでに廃刊の雑誌、
最終的には、国立国会図書館で調べるしかない。
そんなことを考えつつ、年月が過ぎた。
それを確かめる機会が、予期せぬ金沢でできた。
古書店《近八書房》に
その『國文學』のバックナンバーが何冊かあった。
が、年号の覚えがなく、見つけようもなかった。
後日、改めて連載期間を尋ね、
金沢在住の人に知らせた。
再度、書店に足を運び、
該当する雑誌を3冊見つけてくれた。
それは、私にとっては大吉報。
後日、自分の書いた文章に、
およそ40年後に出会うことになる。
さて、その2週間後は、
《コミュニケーション研究会 ひろしま》による
定例の勉強会。
前述の書店で見つけた雑誌のうち、
「志賀直哉と日本人」という特集の号を
求めておいた。
講義前日に、
尾道を再度訪ねることになっていたので、
志賀直哉旧宅前で、
記念写真を撮るつもりでいた。
さらに、
これも予想外だが、
尾道の街なかに、著名人の足型(素足)の
プレートが地に埋め込む状態で飾ってあった。
ポツン、ポツンとある程度で、
1つ1つ見る気はないし、
知らない人ばかりなので、
関心も持たなかった。
なのに、「岸 朝子さん」のプレートが
目に留まった。
『栄養と料理』の元編集長。
私の前任者である。
不思議な偶然である。
交通量のある中、
素足にもなれなかったが、
足を並べて撮っておいた。
旅は、これだから楽しい。
そして、私の旅好きは、
志賀直哉に啓発されたところがかなりある。
広島での講義、
「ていねい表現、敬語表現はどう磨けばよいのか。」
「栄養士・健康支援者が知っておきたい『用字用語』の基本。」
については、別の機会に書くことにしたい。
by rocky-road | 2015-06-18 22:35