水を、どう流すか。
しばらくすると、風化して、みんなの関心からフェードアウトしてしまう。
「安心安全」も「食育」も、「地産地消」も「スローフード」も、
私には先が見えてきたように思える。
では、「特定健診」とそれに伴う「保健指導」はどうか。
「相談」とか「支援」とかの用語を呼称に含めることなく、
「指導」としてしまった関係者の思考程度が垣間見えるので、
今後について、あまり明るい予想はしにくい。
しかし、始まってしまったら、行けるところまでいかねばならぬ、
というのが、運命というものである。
明治維新も太平洋戦争も、東京オリンピックも万国博も、
とにかく始まってしまい、始まってしまった以上、「どうにも止まらない」
食コーチングプログラムス主催の「文章力シリーズ①」全3回を
担当させていただくことになったが、
このシリーズは健康支援者が出会うであろう文章シーンを想定して
いろいろのスキルを学んでいただこうと思っている。
2月13日の第1回は「文章の基本と、文章によるヘルスサポート」であった。
ここで問題になるのは、栄養士の文章力でヘルスサポートができるのか、
というところである。
幸い受講者は、食コーチングを受講した人ばかりだから、
コトバは「保健指導」を使っても、心は「サポート」だろうから、
「あなたは、体重をあと2キロ減らせば、ここに来なくていいのですよ」などと
うしろ向きのフレーズを使って相手の自発性を刺激することはないだろう。
全国的に見ると、「保健指導」を担当する人が
越えなければならないハードルはあまりにも多い。
社会人としての会話術、カウンセリングマインド、
行動科学的な動機づけのスキル、
そしてもちろん、医学的・栄養学的知識……。
これに文章が入ってくるというのだから、絶望的にも見える。
どれくらいの人たちがスキルアップをしているのか、
どれくらいのトレーナーが全国でスタンバイしているのか、
明るく展望するには、たぐいまれな楽天家になる必要がある。
文章によるヘルスサポート論を講じていて心にひっかかるのは、
そこで学んだ考え方やスキルを否定するトレーナーのほうが、
たぶん多いことだろう、という懸念である。
「さっそく」と書けば「早速と書くのが常識だろう」といい、
「第一目標達成、クリアしましたね。それいけゴーゴーゴーですね」と書けば、
「慣れ慣れしずぎる」「ふざけちゃいけない」と待ったがかかるだろう。
いやいや、そうではなく、そういうチェック役もいないのが現状。
いわば闇の中で、自己流のヘルスサポートが行なわれているのだろう。
日常生活ではほとんど手紙やハガキを書く習慣がない人が……である。
しかし、自然はよくできていて、水は上から下へと流れる。
情報も同じで、ヘルスサポートのスキルや、その表現法を学んだ人は、
それぞれの現場で、それを周囲の人に伝えているとも聞く。
ある人は、最近、上役から頼まれて、
その上役の文章添削をするようになったとも聞く。
こういうのは軟着陸というべきか。
現実はもう少し厳しくて、部下や後輩が進化するのを嫌う先輩が多いから、
水を上に流さざるを得ない、と思う人も多かろう。
が、水は上には流れないのが科学的原理。
地殻変動が起こって高低差ができるまで待つか、
染みこんで吸い上げさせるか、
現場現場で、どういう対処をするか、見極める必要がある。
そういう適応力を発揮することができれば、
「保健指導」も、もう少し人々に歓迎されるようになるだろうし、
当のヘルスサポーターも、よりハッピーになれるだろう。
それくらいの適応力がなくて、人のサポートなど、できるものか。
by rocky-road | 2011-02-16 00:57