「シラ~ッ人」の存在理由
学んだことやその感想、共感点などをフィードバックしてくれる人がいる。
いまはインターネットのお陰でその日のうちに第一報が入る。
私の場合、交流した人に対するお礼や感想の伝達を
昔はハガキや手紙でやっていたので、タイミングが少なからずズレることがあった。
写真を同封する場合も多かったので、
写真屋から写真が上がってくる日数を待つ必要もあった。
食事相談などで、その日のセッションが終わったとき、
「フィードバック」といって、話し合いの内容を確認し合うことは基本スキルの1つ。
ここまでは「技法」として定型化している。
講義や講演、ミーティングの場合には、これまでの内容の締めくくりを行ない、
多くの場合、質疑応答を行なう。
これは料理でいえば盛りつけみたいな瞬間で、
この段階でそれ以前のプロセスが完成し、みんなで眺め、鑑賞する。
脳科学的にいえば、部分的に認識したことを全体像として再認識し、
エネルギーを付加して脳のホルダーに保存する。
「認識」とは、単に知ることではなく、それを人に説明できることだと、という説もあるから、
話を聞いた数時間後、数日後に講師に対してフィードバックする人は、
自分の認識を深める手順を無意識的に行なっていることになる。
出雲市長であったころの岩國哲人氏(いわくに てつんど)は、
公務のほかに講演依頼が年に260回だったか、それくらいあったため、
女性の依頼者からの講演を優先した、といっていた。
その理由は、女性は、自分の聞いた話を夫や子ども、友だちなど、
数人の人に伝える可能性があるからだ、という。
それに対して、男性は、聞いた話を自分の頭の中だけに入れて、
人に伝えることがないから、話の内容が増幅しない、ということだった。
少ない講演会の効果をあげるためには、
1回の講演が複数の人に伝わる可能性があるほうに期待した、というのは理にかなっている。
もっとも、人に伝えた瞬間、話した内容を忘れてしまうタイプもあるから、
人に伝えたほうがいい、とばかりはいえないケースもあろう。
講演会などで会場が妙にシラ~ッとしていることがある。
こちらの話がつまらないということもあるが、
集まった人たちが反応の仕方を知らないということもある。
なぜそういうことになるのか。それは、互いに情報交換をしないからである。
隣の人に「きょうは、どちらからお出でになりました?」といった声かけさえしないから、
コミュニケーション環境が生まれない。感想を披露するタイミングが生まれない。
コミュニケーション環境には、自分自身の内的環境も含まれる。
よい情報を提供してもシラ~ッ、笑い話をしてもシラ~ァ、つまり表情をつくれない。
感情を表情に表せない。それで一生を送るのかと思うと、その影響はあまりにも大きい。
その人の周囲に「シラ~ッ人」がたくさん生まれる可能性がある。
現に、その集会をまとめているリーダーが「シラッ~人」だったり専制的な人物で
あったりするために、
会場全体が一過性の「シラ~ッ人」になってしまうケースは少なからずある。
感動は脳内に突然起こる感情ではなく、
脳細胞の末端から脳内にプログラムをアウトプットする「表現」である。
つまり感動もまたコミュニケーションなのであり、情報の発信なのである。
いろいろの体験を、仲間や関係者に伝える習慣を持っている人は、
表情も豊かになるし、人生も豊かになる。
フィードバックは、言語能力を強化し、人脈を強化する基本技術といえる。
もっとも、講演会や研修会のあと、みんながフィードバックしたら、
講師はその返信に追われ、以後、講演依頼に応じなくなるだろう。
とすると、世の中には一定の割合で「シラッ~人」が存在する意味はあるのかもしれない。
アリの世界にもハチの世界にも、そしてもちろん人間の世界にも、
働かないことをもって、そのグループに貢献している個体群があるように。
by rocky-road | 2010-11-09 23:36