ネットワークをどう温めるか。

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サークルにしろ学会にしろ、NPOにしろ、

ホームページを見ると、

記事が更新されていないものが少なくない。

「箱もの」と同じで、

作るときはがんばるのだが、

それを維持するのはむずかしく、

空洞化してくる。

イベントなどの活動もそれに比例する。

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そうなる理由の上位は、

役員を順番制にするからである。

創設期の役員は、

ゼロから出発しただけに、

意欲もエネルギーも十二分にある。

しかし、3年、4年とたつと、

役員の交代を考えるようになる。

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このあたりから、

創設メンバーのコンセプトがあいまいになり、

パワーも下がってくる。

情熱も経験もトレーニングもない

押しつけられ役員としては、

組織を活性化するどころか

持続することさえおぼつかない。

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ビジネスの場合には、

それを保持しないことには

自分たちの生活が成り立たないから、

創設者が退いたとしても、

手を抜くことはできず、残った者ががんばって、

組織をなんとか維持することにる。

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ほんとうは、学会だって、サークルだって

「情報」という、

金銭には代えられない貴重な「価値」が

得られる場だから、

人々の関心をもっと集めてよいはずだが、

そうはならず、すぐに「開店休業」状態になる。

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その理由は、

提供する情報には鮮度と、

香辛料の数倍という刺激が必要だからである。

なにしろ、フツ―の人は、

情報の値踏みが不得手だ。

情報が、心理的エネルギー源であり、

生存に不可欠なものであることを

ホモサピエンスとして数十万年たっていながら、

人類の98%は気がついていない。

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同時にまた、

「情報ステーション」(情報を提供する場)

というものも、

商品と同じようにパッケージが大事。

商品のクオリティが第一条件だが、

その価値を高めるのは、パッケージ。

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情報ステーションのパッケージに当たるものは

会場となる建物のルックスではなく、

主催者の求心力。

つまり情熱であり、人間性であり、

コミュニケーション力であり、企画力であり、

ファッションセンスであり、

コーディネート力であり、持続力でありと、

あまりにも多くのパッケージが必要となる。

いま、パッケージとはいったが、

実は、それら自体が情報でもある。

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情報ステーションをの活性し続けるには、

数年で交代する役員方式ではなく、

少なくとも5年、

欲をいえば10年以上を任期とするか、

1人のリーダーが

命ある限り、ずっとリーダーを続けるかである。

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私の経験でいえば、

私が立ち上げたサークルは、

20年間運営を続け、

そこで後輩にバトンタッチした。

バトンタッチの技術というよりも、

あとを引き継いだ人たちががんばったために、

33年間、いまも活動を続けている。

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結果論でいえば、創設者時代を経験し、

それを引き継ぐ準備性があったからこそ、

持続できた、ということもできる。

数日前に、今年のイベントの案内が届いた。

「第34回 水中映像祭 水中のスライド&ビデオショー」

415日(土)と。34年間、継続している。

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一方、石川県能登では、

20143月に開講した

「ロッコム文章・編集塾 能登教室」が

4回のペースで続き、

この3月で12回目になる。

このケースでは、

能登の経験のあるリーダーが、

優れた企画力と推進力で立ち上げ、

いまに至っている。

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すでに別のネットワークの運営経験もあって

そのコーディネート力は一級品。

自己流のワンマン運営ではなく、

メンバーを引き立てるし、

各地に出かけて行って情報を仕込んでいる。

そのフットワークとパワーが

持続性のあるネットワークを支えている。

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広島では、

能登のネットワークを参考にして、

有志で「コミュニケーション研究会 ひろしま」を

201412月に発足させ、

こちらも3年目、

3クールに入っている。

ここでも文章、編集を学ぶことを中心に、

栄養士のコミュニケーション力や

食コーチングなどを学び続けている。

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日本の、または各地の地域のネットワークでは

会員不足やイベントへの参加者数が減り続けていて、

それが大きな問題点になっていると聞く。

その理由は、以上に述べたとおり。

ということは、

現状では改善は望みにくい。

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これを一部の役員のせいにするのは当たらない。

企画が平凡で、

役員の求心力不足が一因であることは確かだが、

ほかに替わる人がいないのだから仕方がない。

大きな労働組合では、

報酬を払って「専従」の役員を置いている。

それでも組合員の参加意識はあがらないというから、

救いようがない。

それはつまり、

日本人というものが、

とことん自発的な組織プレーが苦手であり、

したがって、システムづくりに進歩がない、

ということである。

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なにしろ、

衣服を選ぶのに「一生着られる」という、

ケチと更新嫌いが合わさった価値観を持つ国民である。

72年もの」のビンテージ憲法を

床の間に飾ったまま

ハタキさえかけないくらいのことは

当然といえば当然である。

ちなみに、スイスでは、

1892年に制定された憲法が、

2016年までの124年間に

「国民イニシアティブ」という制度によって

318件について改正が発議され、

203件について国民投票が行なわれ、

22件が改正されたという。

(『世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン』

 川口マーン恵美著による。 講談社)

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文化というものは、

人を真似てすぐ身につくものではない。

が、近くの県でがんばっている人がおり、

活性化しているネットワークがあることを

知っていながらジッとしているとしたら、

それは怠慢か、人生の放棄というもの。

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健康支援者とは、

究極的には、食や健康をベースにして

人のモチベーションを高める仕事。

そういう職業の人が、

自分のモチベーションさえあげられないとなると、

果たして健康支援者という職業を

この先、続けることができるのか。


# by rocky-road | 2017-02-12 23:35  

「四群点数法」人口はどれくらい?

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去る1月28日、
元の勤務先である女子栄養大学で、
食と健康情報の鮮度を高めるための
7つのポイント
」と題して
4時間弱の講義をさせていただいた。
経過は、
影山なお子さんのブログにくわしい。
http://palmarosa.exblog.jp/
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この講義の7つのポイントの中には、
「栄養バランス」の基準の1つとしての
四群点数法」について私見を述べた。
この大学は「四群点数法」の発祥地であり、
いま、その講義を担当する先生もおられるので、
いわば「釈迦に説法」にはなるが、
むしろ、だからこそ、
通り一遍ではない普及と
そのための熱意の増強を願いたかった。
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世の中には、いろいろの計器が普及している。
体重計は、いまやヘルスメーター、
体組成計などと呼称を変え、
体脂肪率からBMI、骨格筋率、基礎代謝などが
測れるようになった。歩数計もしかり。
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ところが、1日に、なにを、どれだけ食べるか、
という指針は、世界はもちろん、
日本国内にも普及していない。
ヘルスメーターで「結果」を測るのに、
その「原因」となる食品のほうは測るどころか、
指針さえ持たない人が多い。
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当日のアンケートの中には、
四群点数法」が普及しない理由を
説明してくれている記述がいくつかあった。
1つには、「女子栄養大学のもの」
というイメージが強いこと、
そして、教育現場では
「三色食品群」や「6つの基礎食品」が主流であること、
などをあげてくれていた。
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「三色」や「6つの基礎食品」のように、
量の単位が示されていないものを
食生活でどう活用するのか、
これを普及している人は、
まちがいなく、それを実行していない人であろう。
魚や肉、卵が必要とあっても、
どれくらいとればよいのかがわからなければ、
実行できるわけがない。
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少し話題を変えてみよう。
カメラに「オートフォーカス」機能がついてから久しい。
被写体にレンズを向ければ、
自動的にピントが合うシステムである。
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しかし、この機能も万能ではない。
走っている人や、飛んでいる鳥、
泳いでいる魚は、
その場にとどまるのは一瞬だから、
オートフォーカス機能を使っても、
数千分の1秒の瞬間にピントを合わせることはできない。
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こんなとき、置きピンというテクニックを使う。
ランナーが通るであろう地点に
あらかじめピントを合わせておいて、
ランナーがそこを通過する瞬間、
厳密にいえば、
その「瞬間」の数百分の1秒前にシャッターを切る。
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しかし、鳥や魚の場合は、
「通るであろう地点」は予測できないから、
たとえば1メートル目前に来たときにシャッターを切る、
と決めておく。
この場合、約1メートルという目測を瞬時に行ない、
そこに仮のピントを合わせておいて(半押し)、
そのまま被写体に向けてシャッターを切る。
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こういうトレーニングは、
水中カメラで何万回とくり返した。
当時、水中カメラには
オートフォーカス機能がついていなかったから、
水中で40㎝、60㎝を目測する必要があった。
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目測40㎝をからだに覚え込ませるには、
被写体ごとに目測するのではなく、
40㎝先のものだけを撮ることに徹する。
カメラは、いつもピント40㎝に固定しておく。
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これを座標軸にしておくと、
それより近いか遠いかが、すぐにわかる。

四群点数法」とは、
食生活における座標軸である。
スタンダードといってもよい。
これを元にしていると、
卵を2個食べた日は、その日に限って、
それ以上は食べないようにする、という方針が立つ。
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計器類がこれだけ発達、普及した時代に、
日々の食生活をコントロールする
基準のスタンダートが普及しないというのは、
人間の悲しい性(さが)というしかない。
食を情緒的な対象としておきたいという
深層心理によるところがあり、
一方に、「三色だ」「6つの基礎食品だ」という
セクショナリズムがある。
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以前、『話を聞かない男、地図が読めない女』
という本がヒットしたことがあるが、
食に関しては、『地図を持ちたがらないヒト』
と言い切ってもよいのかもしれない。
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前述のセミナーでは、
そうではあっても、
それを普及させ得なかった関係者にも責任がある、と述べた。
私もその1人から逃れようとは思わない。
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女子栄養大学の非常勤講師をしていたころ、
学生に、「四群点数法」を解説するパンフレットを、
成人男性向き、小学生向きに作りなさい、
という宿題を出したことがある。
彼女たちは、もう30歳代、
四群点数法」を実践している人の割合は、
どれくらいのものだろう。
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その予測は、悲観的である。
しかし、現実には、
実践している人が数万、数十万、数百万(?)は
存在しているはず。
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ボブ・デュランのように、
「その答えは、風に吹かれて、風に吹かれていんだよ」
などと、風任せにしてはいけない。
計画的な旅をするのであれば、
地図を持って旅立つほうが、
目的に対する達成率は高いはず。
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地図は、
計画性、論理、知性などを強化するもの。
だとすれば、
四群点数法」の普及度の停滞は、
論理や知性のバックアップ不足によるところが
あるのかもしれない。
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# by rocky-road | 2017-02-04 23:37  

建築家のコミュニケーション力に注目。

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NHKテレビの「プロフェショナル」、
1月16日、放送の「建物を変える、街が変わる」には、
興味を引かれるところがあった。
大島芳彦という、建築家の仕事の紹介である。

大島氏は建造物の「リノベーション」(修復、再生)の
第一人者だそうで、
築50年以上という、廃墟同然だった団地を再生し、
かつ、それをきっかけに、
街の活性化を図って成功させたりしている。
この建築家のコンセプトは、
「物語をデザインする」だという。
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家は、人間が使う道具だから、
まずは人があり、次に建物がある、
当たり前の話だが、
素人は、そのことを忘れる。
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つまり、建築家とは、
自分のアイディアをいかに美しく、
いかに機能的なものとして具現化するか、
ということに強いモチベーションを
抱く職業だと思ってしまう。
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しかし、大島氏は、
最初にその家を建てた人の意図や、
その建物が街の一部として
どういう役割を果たすか、などを重視する。
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古くなった家を単純にリフォームするのではなく、
その家や、その地域を、
以前よりも活性化することを目指す。
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古くなった家を再生してほしいと、
家主から依頼されれば、
建築家としては「よし、任せろ」と
思いたくなるところだが、
大島氏は、それは家主の当事者意識の放棄だとする。

つまり、家主のマインドが定まっていないと、
ハコとしての建物をどんなに美しく再生しても、
人は居つかないという。
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確かに、使い勝手のよい家でも、
家主がいやな奴だと、
長く住みたいとは思わない。
家主ばかりでなく、
商店やご近所に温かみがないと、
なじみにくい。
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そこで大島氏は、
リノベーションを依頼してくる家主、
行政、会社などのマインドを引き出すために、
じっくり話し合うという。
また、「リノベーションスクール」とネーミングする活動を、
空き店舗などのある現地で行なうという。
それは、コンセプトを固めるための
ブレーンストーミングのようなものらしい。
それを3日間、続けることもあるという。
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ここに関心を持ったのである。
建築家といえば、鉄筋だのコンクリートだの
ハードな仕事が中心だと思っていたら、
大島氏のスタンスは、
まず感性と知性を駆使しての
コミュニケーションから始まるのである。
建築には基礎工事がつきものだが、
地面を均す(ならす)前に、
大島氏の場合、人の心をならすというわけだ。
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話は変わるが、
食コーチングプログラムスが主催する
食ジム」は、
2010年10月に始まってから50回を超えた。
ずっと思ってきたことは、
こうした1日をかけた話し合いが、
地球の、どういうところで、
どのように行なわれているのか、
知りたい、ということ。
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内閣の閣議は、
たぶん、そんなに時間はかけられないだろう。
それにしても、
閣議の司会進行はだれが行なうのか、
インターネットで調べてはみたが、
そこまでの記述は見つからなかった。
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ちなみに、国会や各種委員会などは、
会議とか討論とか議論とか、
そういうものとは、似て非なるもの。
なぜなら、逆質問や、
反論が許されない話し合いは、
討論や議論とはほど遠い。
国会議員が
これほどまでに空虚な議論を行なっている現状を見ると、
日本は、とても先進国とはいえないことを認めざるを得ない。
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建築家が、
前述のような
コミュニケーション環境を「構築」しているのだから、
きっと、世界各地で、いろいろのテーマで、
じっくり議論していることだろう。
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かつて、アメリカのケネディ大統領は、
ソビエトの支援でミサイル基地を作ろうとしているキューバを
どう攻めるかを議論したという。
その閣議の様子を、
側近であったシオドア・C・ソレンセンが書いた
『ケネディの道』という本で読んだが、
アメリカ人の閣議の一端を知って、
これはかなわん、と思った。
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確か、7つくらいのプランを並べ、
それを1つずつ検討するのであった。
その中には、失敗のシナリオもあった。
このあたりが日本人と違うところである。
日本だと、そういう案を出すこと自体が憚られる。
「そんな弱気でどうする!」という指摘が
ほかの出席者から出るに決まっているから、
弱気の発言はできないことになっている。
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ともあれ、
建築家が、
ここまでコミュニケーションをたいせつにする事実は、
人間の可能性に夢を描かせてくれる。
60回に向けて進み続ける「食ジム」型トークセッションも、
さらに磨きをかける必要がある。
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人の健康を支援する健康支援者、栄養士は、
「建築家以上にコミュニケーションの
機会が多い職業だから」という認識は、
危ない認識かもしれない。
毎日、食事相談を続ける栄養士よりも、
建築家のほうが、
よほど質のよいコミュニケーションを
行なっている可能性がある。
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大島氏に、こんな発言があった。
「古い建物を壊して、新しく立て直すと、
過去はリセットされてしまう。
先代が何を考えていたかを理解したうえで、
それを解釈しなおして価値をつなげる。
それは、ほかの人にはできないことを
生み出す力になるはずなんですよね」
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野暮なことだが、
これを食事相談に置き換えれば、
ある人が、長く続けてきた食生活の中から
弱点を指摘して、リセットさせようとすることは、
その人の生き方を否定することにもなる。
その人がなにを考え、
どこへ向かっているかを知ることで、
新しい価値、新しい力を引き出すことができる、
のではないか。
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# by rocky-road | 2017-01-22 23:20  

栄養士、健康支援者の社会的使命とは。

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恒例の、パルマローザ新春セミナー」が終わった。
(2017年1月8日(日) 神奈川県横浜市立技能文化会館)
今年のテーマは
『栄養士・健康支援者の社会的使命 
いま求められるバージョンアップ』
--健康の6大要素を中心に--

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どんな国家資格も、
設定したときから年月を重ねるうちに、
資格が証明するその技能に過不足が出てくるものである。
つまり、社会がどんどん変化するので、
資格を得るために求められた技能では
追いつかないところが出てくる。
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もちろん、資格審査をする側も、
それに応じた履修内容に更新するが、
大きな組織ゆえに小回りはきかず、
対応するのに早くて5年、
一般には10年か、それ以上はかかる。
もちろん、時代は止まっていてはくれないから、
追いつきかかったときには、
さらに先へと逃げている。
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もう1つの大きな問題は、
時代を読み、人間の行動傾向を読むリテラシーは、
国家試験の内容よりもはるかに高いものだから、
一部の役人や学者のレベルでは、
フレッシュなカリキュラムを「創造」することはできない、
ということ。
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仮にできたとしても、
その内容を伝える教員の養成にまでは手が及ばない。
したがって、世界中の資格というものは、
時代に追いつくことなく、
追っかけ追っかけの宿命を担っている。
それでも、ないよりは、はるかにマシで、
ないことのリスクを大きく軽減していることは確か。
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そうした不都合を緩和しているのが、
次々に生まれる新しい資格だろう。
フードコーディネーター、フードスペシャリスト、
野菜ソムリエなどなどは、
新しいものを追いかけすぎているように見えるが、
大型車に対する小型車の役割を担って、
小回りして時代を追いかけていることになる。
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これが栄養士、管理栄養士の置かれている
社会背景だと思うが、
スキルアップ、バージョンアップのもう1つの対策として、
栄養士個人がセミナーを企画して、
さらにスピーディに時代を追いかける、
という方法もある。
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その1つが、
毎年、1月と6月に定期的に開いている
栄養士による非営利ネットワーク
≪パルマローザ≫による
ブラッシュアップセミナーである。
毎年これを担当させていただいて、
かなり時代を急追してきた、という
実感と自負がある。
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今回は、栄養士の、現時点での社会的使命とは何か、
そして、栄養面から人々の健康を支える、
という役割が、かなりマンネリ化し、
現代人のニーズに応えられていない点を
いくつか指摘した。
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「使命」とは、いかにも四角張ったコトバだが、
早い話が社会のニーズであり、
栄養士側から見れば、
必要とされる職業としての魅力を
持ち続けるためのチャームアップ策であり、
ビジネスチャンスを得る手順である。
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健康を支える3大要素として、
「栄養」「運動」「休養」が
長いあいだ唱えられてきたが、
振り返ってみれば、
「栄養」というから、栄養素の話に偏り過ぎていたし、
「運動」についても、
「スポーツ栄養士」という資格をつくったりしてきたが、
「栄養と運動は車の両輪」などという割には、
運動の意義についての説明力は充分とはいえないし、
スポーツと運動との違いや、
それぞれの食事面でのあり方などについて、
社会をリードしてきたとも思えない。
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ましてや「休養」となると、
栄養士に限らず、いろいろの分野のリーダーたちが、
休養のとり方について、
その思想や方法について充分に提示してこなかった。
手前みそながら、
私は『予暇で自分を組みかえる』という本で
「あらかじめのヒマづくり」について
具体的に示した。(1995年)
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その影響は軽微だったとても、
日本は「予暇」(積極的休養、参加型)時代へと向かい、
その人口は多少は増えたといえるが、
まだまだ「だれかに遊んでもらう余暇」が
中心であることに大きな変化はない。
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以上の3大要素、栄養、運動、休養は、
人生50年時代に生まれた指針である。
人生100年時代には、
これに「ストレスコントロール」「よい人間関係」
「生きがい」を加え、6大要素としてはどうか、
というのが、この10年来の大橋の提案である。
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新春セミナーでは、
これを栄養士、健康支援者が
実行することをすすめるのではなく、
人々の健康を支えるには、
栄養素の知識を伝えるだけではなく、
少なくとも6つの要素を頭に入れて
アプローチすることの必要性について述べた。
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つまり、健康は食事だけで支えるものではなく、
人生の「質」そのものを高めること、
総合的なアプローチのほうが、
支援にバラエティが生まれるし、
飽きがこないので効果は大きい。
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人はそれぞれのライフスタイルを持っている。
それを見極める下図として
「健康の6大要素」を使うと、
対象者のライフスタイルの特徴が見えやすくなる。
栄養士が、
「四群点数法」や「食品交換表」を頭に置いていると
クライアントの食事の特徴が見えてくるのと同じである。
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セミナー受講者は、
受講によって時代に追いつける、
とまではいえないが、
ことしのアクションポイントがどのあたりにあるのかを
意識することはできるように思う。
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# by rocky-road | 2017-01-10 22:56  

「エビデンス」のハイジャンプ。

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1月2日、ことしも「ぶらパルマ in 横浜」から
2017年のネットワーク活動が始まった。
確率的に、この日は晴天が多いが、
今回は格別に穏やかな1日だった。
寒さはまったく感じず、
むしろコートを脱ぐことが多かった。
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桜木町の「みなとみらい」から、
山下公園までのシーサイド歩きは
毎度おなじみだが、
快適さにおいて
5月の晴天日にも劣らないほどであった。
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正月の街歩き、シーサイド歩きは、
おそらく50年くらい続いていると思う。
もっとも、その半分は、
内外のシーサイドにいた。
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さらにそのうちの何回かは
海の中からご来光を迎えた。
冬の海の午前6時台、
震えながら日の出を待つダイバーには、
実は寒さは感じられなかった。
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1960年代からの30年くらいまでは、
東京の正月は静かだった。
三が日はどこの店も休みで、
人が出歩くことは少なかった。
デパートの福袋売りが始まるのは
三が日が明けてからだった。
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銀座の交通量のあまりも少なさに気づき、
それが妙にうれしかった。
ならば、このあたりを自転車で自由に走りたいと、
文京区の家から「ママチャリ」で出かけ、
銀座、京橋、青山、原宿などを走り回った。
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のちにディズニーランドやお台場へと
足を延ばすことになっていった。
もちろん、横浜へも自転車で出かけ、
そこでは1泊したこともあった。
メンバーは、家族、海の仲間たち。
多いときは、10人くらいの自転車メンバーになった。
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それが生活習慣になった。
これらの習慣が「健康行動」といえるならば、
80歳の健康を支える一助にはなっている、とは思う。
とはいえ、1人の事例で、
それをもって「エビデンス」がある、とまではいえない。
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「エビデンス」(証拠、証明)といえば、
この、科学的論説の基礎となる専門用語が、
いまや週刊誌にも使われるようになったから、
日本の知的レベルも
そこそこ高いところに来つつある、と思う。
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そう思いたいが、
「エビデンス健康食献立」などとして、
がん予防には、朝食の主菜として「たまご焼き 大根おろし添え」
副菜に「キャベツとわかめのみそ汁」副々菜に「いちご」
昼には「サケのムニエル」……などと
1日の食事を一覧表にして見せられると、
「エビデンス」というコトバの拡大解釈、
もっといえば「誤用」に
笑いと不安が同時にみ上げる。
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さらに、栄養士がついていながら、
献立で示してしまう。
これは、かの「食事バランスガイド」の失敗と同じ。
つまり、英語を教えるのに、
「a」「pen」「アッポー」「have」の意味を教えずに、
「I have a pen」「I have an apple」
「I have a pineapple」というフレーズの
和訳を教えているようなもの。
単語の意味を教えずに構文を教えても
使いものにはならない。
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毎日、サケのムニエルを食べていても、
がん予防にはなりえない、
アッタリマエダのクラッカー。
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「エビデンス」というからには、
医師が情報を提供しており、
栄養士が献立例を作っているのだが、
最近の「にわか栄養学かじり」の医師は
健康やアンチエージングを
単純に食事と結びつけたがる。
そもそも「アンチエージング」などというコトバは
なんとも尊大、なんとも無知な者の用語である。
医師の習性として、
食事を医薬品のイメージで語りたがる。
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これを医師のレベルダウンと見るか、
レベルアップと見るか、
ここはむずかしいところ。
簡単に結論づけるという点では、
先輩医師から研究の奥深さや慎重さを
きちんと学んでこなかった結果であろうから、
明らかにレベルダウンである。
「最近の一部の医師は軽い」といえる。
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しかし、先輩医師たちは
栄養学を学ぶ機会も時間もなかった。
それ以前に、
本性の深いところでは食をバカにするところがあった。
それがいまは、
食事で老化が防げると思うようになった。
1ミリくらいの前進と見るならば、
この傾向を評価してもいい。
コトの始まりの段階では、
少なからずの浅さ、未熟さを伴うものである。
それでも、何かが始まった。
ゆっくり進歩を待つ根気も必要だろう。
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以前、ある某学会の会長が、
自分の学会誌に「日本の栄養士は論文が書けない」
「エビデンスが不確か」と、
まるで他人事みたいに書いているのを見て、
ひどく腹が立った。
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そういう傾向があるならば、
さっそく、論文の書き方、
エビデンスのあり方についての研修会を開くべきである。
それも10年、20年と続けるつもりで。
内部にいて、内部をけなす、
こういう品性の者が、栄養士会の会長だった、
というのは、日本の栄養士にとって、
なんとも悲しい現実であった。
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学会に発表するような研究の「エビデンス」は、
質と量において、
いや、それ以前のデータのとり方において、
高度に洗練されたものでないと困ると思うが、
「にわか栄養学医師」には、
このあたりのマジメさやセンスが欠けている。
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センスについていえば、
たとえば正月に仲間と海風に吹かれながら、
空に向かってジャンプをくり返すような経験を積んでいれば、
「健康」というものが、
いかに複合的な要素によって支えられているかが
容易にわかるはずである。
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学問であれ芸術であれ、
スポーツであれ仕事であれ、遊びであれ、
その基本はセンスである。
「センス」とは何か。
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それは資質(動物性まで遡れ!)に加え、
いろいろの経験(エビデンスに通じる熟語)、
遊び心、ユーモア精神、
よい人間関係、時代を歩く平衡感覚、
それやこれやの複合した感覚である。
それはまた、健康を支えるエビデンスにほかならない。
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こういうセンスは、
机上では学びきれない。
来年の正月は、「にわか栄養学医師」100人くらいを引率して、
横浜の大桟橋あたりでジャンプトレーニングでも
してみようか、と本気で思う初夢であった。
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# by rocky-road | 2017-01-03 15:07  

写真年賀状の鑑賞力。

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年賀状に自分の写真を使い始めてから何年たつだろう。
自分のダイビング歴と重なるとすれば、
53年ということになるが、
年賀状をカラー印刷にしたのは
それよりだいぶあとだから、
40年くらいかもしれない。
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そのあたりがあいまいなのは、
ファイルはあるものの、
製作年月を記録しておかなかったためである。
反対に、人からもらった年賀状のファイルには、
当然、文面があるから、年代もすぐわかる。
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モノクロ印刷の時代は、
手描きの魚のイラストを使っていた。
一にも二にも予算の関係である。
最初から干支にちなんだ絵を使う考えはなく、
そのせいか、いまも、新しい年が十二支のどれに当たるのか、
無関心に過ごしている。
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いまは、カラー写真を使っても
かなり安く仕上がるようになった。
が、それだけに、
写真のポストカードの希少価値が
下がったことは否めない。
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いまからでは遅いだろうが、
受け取った写真年賀状の鑑賞法の一助になればと、
以下のことをあげておこう。
ここでは、わが子の写真、
家族写真、ペットの写真は除外する。
あくまでも「作品」についての論である。
ただし、家族でもペットでも、
「作品」ということは大いにありうる。
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1.自信のある写真を使う以上、
  写真面には「謹賀新年」とか
  住所とかは書かない。
  書くとすればタイトルか撮影者名を小さく。
  通信記事は切手面にのみ書くこととする。
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2.自作する場合、グレードを保つ。
  弱々しい印刷、薄すぎる用紙、
  何点もの写真使用などは避ける。
  作品にはオプションなし。1点で勝負。
  使えば使うほど相殺して効果は減退。

3.写真が横位置なら、切手面も横位置に。
  縦位置なら、切手面も縦位置に。
  この関係に無関心な人が多い。
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  市販のポストカードでさえ、
  横位置の写真に対して、
  切手面が縦位置になっているものが多い。
  そういうのは、写真または絵に対して失礼である。
  宛名を見て、そのまま裏返すと、
  同じ位置と方向の写真や絵がある、
  それが作品に対する敬意だと思う。
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  過日、ある県立美術館で絵画展をやっていた。
  たまたま居合わせた作者と話ができた。
  ハガキを求めたいと申し込んだら、
  「販売用はないので」といって、
  1枚だけプレゼントしてくれた。
  が、これが横位置の絵なのに、
  切手面は縦になっているのである。
  作者にそれを指摘したら、
  「知らなかった」と。
  残念なことである。
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  業者のせいなのだろうが、
  ポストカード文化が低いレベルに位置づけられている
  日本の現状である。

4.以下は個人的好みだが、
  写真は全面使用、フチなしよりも
  額縁のほうが写真が引き立つように思う。
  額縁とは、写真の周囲を白地にして残すこと。
  この白地部分の面積にも主張があって、
  これまで、ヨーロッパやアメリカのみやげ物店で
  多くのポストカードを見てきたが、
  余白部分が5ミリというのがいちばん多かったように思う。
  いや、個人の好みで、そう感じた可能性もある。
  自分としては、これが国際版だと思っている。
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ポストカードに無頓着の人には、
まったくどうでもいいような話だろうが、
1枚のハガキから人生が変わった話なら、
おそらく世界中に億単位であることだろう。

Happy new year !
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# by rocky-road | 2016-12-29 21:28  

年賀状を書く健康。

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12月18日、「食ジム」第51回のテーマは、
「栄養士・健康支援者としての私が健康な理由」
として話し合った。(座長/岩田博美)
身近な人の「健康」理由から始まって、
そもそも健康とは何か、について論じ合った。
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詳細はここでは省くが、
「健康」を思想としていかに深めていくべきかを
考えつつある者にとっては、
いろいろのアプローチを考えるうえで、
大いに意義を感じる話し合いであった。
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その1つは、個人の健康と、
社会のいろいろの環境とには
どんな相関があるのか、というような問題。
たとえば、ここ何年か、
「断捨離」がブームになっている。
ヨガからきているというコトバに代表される、
身辺整理の流行である。
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衣服の所有を最小限にとどめるというのから
人づき合いを縮小していくという風潮。
そんなものは、一過的な流行と思っていたら、
イギリスがEUから離脱したり、
アメリカのトランプさんは、
自国の国益を最優先するといったりする。
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どうやら縮小トレンドは
地球規模で進んでいるかのようにも思えてくる。
それは日本の断捨離ブームの影響というよりも、
足元を見つめるというモードに、
人類がはまりつつあるようにも錯覚する。
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日本についていえば、
若者は旅行をしたがらない、
車を持ちたがらない、
本を読まない、
外出をしたがらない、
そして繁殖行動をしたがらない。
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性欲は動物の本能ということになっているが、
自分の作った環境の影響をあっさり受けて、
それさえも失ってしまう。
スマホは生物的性欲を
バーチャル欲求に変換する器具のようなところがある。
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少子化は、健康行動といえるのか。
その集団の動物的・民族的・経済的・政治的活力を
低下させるのだから、
いまのところ、健康行動とは思えない。

ヒトは、その棲息環境を広げ、
数を増やし続けて今日まできたのである。
縮小よりも拡大が発展だった。
個人のエネルギーや好奇心こそが
拡大のモチベーションとなった。
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健康寿命を健康の尺度にするならば、
21世紀は、歴史的に見て、
もっとも健康な世紀ということになる。
戦争で多くの人命を失い、
いまも失いつつあるものの、
地球規模で見れば、
途上国がその欠落部分を埋めて、
人口は増え続けてきた。
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「数の増加は質の低下」とはならない、
と言いたいところだが、
世界の長寿国は、人口過密ではあっても、
けっして人口の大きい国ではない。
日本は、その点では例外的な長寿国ではある。
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そうではあるが、
それは、地球規模で進む下剋上の一過程に過ぎない。
これまで、世界をけん引してきた先進国が疲れ、
パワーを失いつつあるとき、
人口は多いけれど短命の国々が台頭してきて、
次の地球上での繁栄を担うことになるのかもしれない。
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いまも、平均寿命が50歳未満なんていう国はいっぱいあるが、
それこそが、地球の未来の可能性である。
そういう国々の平均寿命が70歳代になるには、
50年や100年はかかるだろう。
地球は、主役がだれであれ、
健康度アップの方向へつねに前進している。
「平均寿命」を尺度にする限りにおいて。
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平均寿命の長さ、
さらには健康寿命の長さは、
とりあえずの客観的データに過ぎない。
津波の到来を町内放送で伝え続けて亡くなった人、
高齢者を避難に導こうと説得し続けて亡くなった人の
動機と行為は、生存年齢とは無関係に健康であった。
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こうした、客観的に把握できない健康度を
どう評価するのか、
健康支援者は、好むと好まざるとにかかよわらず、
思想的解釈、哲学的解釈を求められる日が
「もうすぐ」ではなく、
すでに来ているのである。
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そのことは、
健康支援者に抽象語を含む表現能力、
コミュニケーション能力を問わずにはおかない。

と同時に、世俗的な、時評的解釈も……。
モノを減らすこと、
人脈を整理すること、
それは健康度を下げる可能性がある。
とすれば、
疎遠になりつつある知人、友人に
「ことし」も、年賀状は出しておこう
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# by rocky-road | 2016-12-19 21:26  

日本人の壊れ方、滅ぼされ方。

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悲観論というのにも、
それ相当の意味がある。
それは、人に強いモチベーションを与える。
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昔、ある生理学者は、
白米を食べている日本人はバカになると警告した。
やや時代が下がって、
ある生態学者は、環境汚染を深刻にとらえ、
日本人の「寿命41歳」説を唱えて物議をかもした。
また『壊れゆく日本へ』という終末論的書物を著わした。
ご本人は89歳まで生きたというから、
自ら自説の倍は生きて、
あっさり自説を覆した。
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近いところでは、
ケイタイやネット(当時)依存症によって、
日本人が「壊れる」と警告した人がいる。
「壊れる」とはどういうことか、
その定義は、むずかしい。

新しいところでは、
ことしの1月、
医学博士で栄養士が、
「塩分が日本人を滅ぼす」という本を書いて
滅びゆく日本人に警告した。
新聞広告には、「和食は体に悪い」とある。
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以上あげた1例を除いて、
どの説も、提起したその瞬間に、
「それはないだろう」と、
少しは予備知識のある人を疑わせた。
あとになって「あの説は誤っていた」
ではなくて、瞬間的に眉にツバをつけた。
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例外は、ケイタイ・ネット依存症。
いまでいえばスマホ・ネット依存症への
予測と警告は的中した。
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すでに「壊れて」いる人は多い。
プラットホームから落ちたり、
自動車に轢かれたり、
自分の運転する車で対向車にぶつかったり、
人を轢いたりして、
自ら壊れていく者があとを絶たない。
この場合は「日本人」に限らず、
依存するすべてのヒトを「壊す」
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壊れゆく「地球人」ということになろうか。
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ここで゛いう「壊す」「壊れる」とはなにか。
1人では正常な日常生活ができなくなる
もっといえば、
人生の計画や目標、社会参加ができなくなる状態。
人格破壊を指すものだろう。
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悲観論や誇張、思い込み発言の利点は、
なによりも人の注意を引くし、
実際、それによって一時的にせよ、
行動修正をする人がいることはいるだろう。
スマホによって壊れる、
塩分によって滅びる、といわれて、
一瞬でも、ドキッとする人はいるだろう。
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しかし、ネーミングとしては、
「日本人」と、対象を広げてしまうより、
「あなた」としたほうが「迫り度」は高くなる。
「あなたはスマホで壊れる」
「あなたは塩分のとり過ぎで滅びる」
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いずれにしろ、
こういう悲観論がはやるのは、
平和ボケが下地にあるからだろう。
「杞憂」(きゆう)の故事に従えば、
「杞の国」の人は、
「いまに空が落ちてくるかもしれない」と心配した。
外圧があり、飢餓があり、地震や雷があり、
戦乱があるときには、
空が落ちてくる心配など、していられない。
一時的にせよ、そのときの「杞の国」は
平和ボケしていたとしか思えない。
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現実には、
日本人は大気汚染を緩和し、
その技術を途上国に輸出するようになったし、
白米を食べ続け、一汁三菜を基本とする献立で
健康度を支え、世界的な長寿国になった。
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「バカ」になったかどうかは、
白米否定の亡き生理学者に聞くしかない。
スマホ依存症を指して、
「ほら見ろ」というかもしれないが、
スマホ依存は白米を常食したこととは
関係がないだろう。
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国民の塩分摂取もそれなりに減ってはきているが、
欧米人に比べると多いといわれる。
正確な摂取量の把握はきわめてむずかしく、
正確なデータがほんとうにあるとは思えない。
ともあれ、日本人は
塩分で滅びるどころか、
長寿国街道をトップ集団に入って走り続ける。
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悲観ついでに、
私の分野からの悲観論。
「うれしいというか、感動というか……」
「迷惑というか、災難というか」
「恐怖というんじゃないけれど、かなり怖かったです」
「満足というんじゃないんですが、私の中では満点です」
という発言を、テレビインタビューで聞いていると
こういう壊れ方もあるのかと思う。
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ある表現をするのに、2語を使う。
言い切らない、言い切れない。
インデックス的に1語を示し、
それを否定するかのような振りをして
実はインデックスと同様の話をする。
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こういうあいまい表現、
偽装表現を少なからずの人がする。
若者から始まって年長者にも伝染している。
これは単なる流行表現とは思えない。
もう少し深い心理がある。
逃げ道をつくる、
1文を長くして、いかにも内容がありそうに装う、
コトバの扱いが雑になっている。

日本人の言語感覚に異変が起こっているのか、
いろいろの分析ができる。
一言でいえば「信念の喪失」だろう。

自分を甘やかし、人に甘えるなど、
セルフコントロールができなくなっている。
もともと「セルフ」には限界があって、
外から箍(たが)で絞めつけないと、
自分がどこにいるかがわからなくなる。
昔の人はこれを「タガゆるむ」とか
「タガがはずれる」とかといった。

こういう言語現象を警告して
「『……っていうか』が日本を滅ぼす」
「あいまい表現によって日本人が壊れる」
といいたいところだが、
中から壊れるのには、それなりに時間がかかる。
一方、外から滅ぼされる可能性をあげ、
「日本戦前説」ともいうべき悲観論が、
一部のメディアには続出している。
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日本は太平洋戦争後、
「戦争はいけない」信仰を持ち続け、
その信仰ゆえに戦争から免れてきたと
本心から思っている日本人が
少なく見積もっても1000万人くらいはいる。

そういう信仰を持ちさえすれば戦争から免れるのなら、
世界中の国々は
膨大な軍事費を捻出するようなバカなことをせず、
「平和憲法」を作って、
ひたすら祈ればいいだろう。
戦争の定義の1つに
「よりよい平和の維持」というのもある。
人類は有史以来、よりよい平和を求めて戦ってきた。
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生物には、「増殖」という習性がある。
ハチも蚊も、ゴキブリもミミズも、
チョウチョウウオもクマノミも、
杉もカエデも、桜も梅も
棲息環境を広げるために、
必死に環境に挑戦し、適応を図っている。

人間とて例外ではなく、
国外に出稼ぎに出る、
他国の国籍をとりたくて、その国で子を産む、
留学をする、現地で結婚をする、
そこへ家族を呼び寄せる、
他国との境界付近を意図的にウロウロする、
ときに領空・領海を侵犯する……。
その動機の根底には「人口圧」がある。
気圧と同じことで、
高低差を埋めようとする物理がある。
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人口圧が高くなっている国にとって、
「平和憲法を守ろう」
「戦争をする国になるな」と叫ぶ国は、
「わが家にはカギはかかっていません」
「防犯ブザーは作動しません」と
往来に向かって叫ぶ家と同じで、
これほど侵入しやすいところはない。

なにしろ「専守防衛」を謳う国だから、
海岸に上陸するまでは、手出しはしてこない。
当然、戦場は相手国の海岸や都市となるから、
攻める側の国民には被害はない。
さらにさらに、
「戦争をしない国」だとすれば、
全国民は武器など持たず、
完全に服従し、侵略者を出迎えることだろう。
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この状態こそ「日本人は滅びた」と呼ぶ。
前述の生理学者、生態学者、栄養士に
聞いてみたい。
白米や大気汚染、塩分で壊れるか、滅びるか、
さらには、あいまい表現によって壊れるか、
人口圧に圧迫されて滅ぼされるか、
考えるまでもなく、
人口圧によって滅ぼされる可能性のほうが
はるかに高く、しかもその日は早く来る。

これは悲観論ではなく、論理的帰結である。
が、悲観論は、
楽観論に入れ替わることはないにしても、
現実論にはシフトしやすい。
悲しみの末に、
そこから脱出したいから、
もう一度、冷徹に現状を見つめよう、
というときにリアリティを取り戻す。
危機を回避しようという欲求は、
いろいろのアイディアを生み出す。
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アイディアは可能性への筋道になるから、
理念的、いわば理想論に近づく。

「日本は、内部からは壊れない、というか、
自己崩壊はありえないじゃないかな、
なんか、そんな気がしてくるんです」
などと、あいまい表現ではなく、
「日本人の中には、
あいまい表現を多用することから、
意思決定に時間がかかるとか、
意思決定ができないととかいう者の比率が
増えることが予想できる。
が、正確にいうと、コトバの癖はあとから来る」
と言い切ろう。

軟弱な気風が先にあり、
それからあいまいな言語表現の比率が増える。

対策としては、
子どものうちに体育やスポーツになじませ、
できれば人と組み合う運動(格闘、ダンス、手つなぎ、歩行)を
いまよりずっと増やす。
それは動物性を取り戻すため。

そして、仲間との議論の機会を増やし、
かつ、おかしな表現については突っ込むことを許す。
これは人間性の向上を目指すのが目的。
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これだけでも、
日本人が内部から壊れるのを抑止する。
確かに、塩分を減らすよりは手間がかかる。
が、個々人の充足感は増す。

ただし、それより先に、
日本人が滅ぼされる可能性のほうがはるかに大きい。
それをもう1度、言っておこう。

# by rocky-road | 2016-12-04 23:53  

おにぎりを読み解くチカラ。

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おにぎりの早食い競争で
参加者が亡くなったというニュースの悲しさは、
こういうイベントが
何百年という長い年月、
世界中で毎年繰り返されている、という現状にもある。
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秋の収穫を祝う気持ち、
互いの健康を確かめ合う心が動機となっているとしても、
飲食物をたくさん食べる、飲む、
早く食べる、早く飲むというゲームが
なぜ、おもしろいのか。
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命の危険が伴うということ以前に、
貴重な飲食物を味わうことなく、
無理やりに胃に押し込む、という行為には
飲食物への感謝どころか、
冒涜以外の理由は感じられない。
これが、なぜおもしろいのか、
おかしいのか、どうしてもわからない。
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以前、新聞の折り込みに、
地域の行政機関が主催する「健康フェア」のチラシが入っていた。
ここでも、どんぶりに盛ったご飯の早食い競争が
プログラムされていた。
主催者に電話をして、
「健康フェア」に早食い競争を入れることの意味を問うた。
電話に出た人は「責任者に替わる」といって、
判断を上役に譲った。
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たいした議論もなく、
課長は、健康フェアとご飯の早食い競争とは趣旨が合わないことを
あっさりと認めた。
「ただ、今年は協賛していただいている農協との関係もあるので」
という理由で黙認してほしいといわれた。
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以後、この区では早食い競争はやめた、らしい。
翌年の新聞チラシにもフェアのプログラムが挟まれていたが、
早食い競争というイベントは消えていた。
こんな話は、話せばすぐわかること。
が、それに気づく人は少ない。
伝統とは、そういうものだろう。
今度の事故は、
早食い、早飲み、大食い、大飲みの愚を
日本中に知らしめたという点では、
不幸中の不幸、それにプラスαの意味は
あるかもしれない。
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いま、私の文章教室では、
「非言語情報をどう読み解くか」という講義を続けている。
この宇宙は、非言語情報のほうがはるかに多い。
わずか500年前には、
人類は、太陽が地球を回っていると思っていた。
しかしコペルニクスは、回っているのは地球のほうだと読み解いた。
さらにおよそ400年前まで、
リンゴがなぜ木の枝から落ちるのか、
説明することができる人はいなかった。
ところがニュートンは、万有引力の存在を読み解いた。
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こうして、いまは理解できないことも、
読み解かれていく。
言い換えれば、コトバで説明できるようになる。
草食系男子の存在、肉食系女子の存在も、
そうネーミングしたことで存在を認識できるようになった。
それはあたかも、
糖質をインスリンというホルモンが、
からだに取り込むシステムのようである。
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インスリンが正常に機能する人は
糖質を栄養源としてからだに取り込みことができるように、
活性化したコトバを持つ人は、
森羅万象を読み解くことができる。
コトバによって事物や現象を説明することができる。
コトバは、人体におけるインスリンである。
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もし、早食い・早飲み競争の方向性を
読み解くことができる人がもう少し多ければ、
世界中で、こういう無意味な、いや有害な遊びを
否定し、やめることができるはずである。
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2016年11月16日の
コミュニケーション研究会 ひろしま≫主催の文章教室では、
非言語情報の意味について講じたが、
宿題に、「いま、私だけが気づいていること」を
書くように求めた。
さあ、どんな発見があるか。
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世の中は非言語的に存在しているが、
それを認識するのは言語。
コミュニケーションは、
コトバでないものをコトバにすることで
活性化する。
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宿題の回答には、
コペルニクスやニュートンに勝るとも劣らない発見が
あるかもしれない。
それを期待するのもコトバである。
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# by rocky-road | 2016-11-25 21:12  

外国人に日本の見どころを紹介するとしたら。

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わがロッコム文章・編集塾では、
相手によって話し方、書き方を変えるという
トレーニングを続けている。
たとえば、「外国人に日本の見どころをアピールする」
「外国人に、日本が世界一の長寿国である理由を
文章で説明する」といった宿題を出して、
相手に沿った文体、説明の仕方を求める。
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この場合、相手の国籍、性別、年齢などは
書く人に任せている。
が、そんな属性の特定にまで及ぶことなどなく、
ほとんど日本人向けの文章になってしまう。
外国語ではなく、日本語で書くからそうなる、
といわれそうだが、
そういう問題ではなく、
実在しない相手にピントを合わせるという経験がないから、
どうしても、実在する日本人向けの文章になってしまう。
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しかし、不特定の人に文章を書く機会は、
少し社会性のある仕事に就いたら、
かならずある。
イベントのポスターやチラシを作る、
掲示を書く、招待状を書く、
新聞や雑誌に寄稿する、
テレビやラジオに出演するなど、など。
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そういう場面を想定して、
トレーニングをすることは、
「そのとき」に備えるというよりも、
「そのとき」を求める姿勢、
ライフスタイルをステップアップさせる動機づけになる。
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7月23日の能登教室(石川県)では、
「ステップアップの行動学」という講義をしたので、
「その内容を、友人・知人に説明しなさい」
という宿題を出した。
その提出は11月13日の第11回の教室。
16名の発表があったが、
予想どおり、
講義の内容を、相手を特定せずに説明している。
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その証拠は、相手の「友人・知人」が
すぐに理解できるはずのないコトバを並べてしまう、
というところに現われる。
「アブラハム・マズローの五段階欲求説」
「利他行為」「人間の社会生活は、下りのエスカレーターを
逆に昇っているいるようなもの」
などと、講義のときに出た話をいきなりしてしまう。
これでは、普通の人は何を言っているかわからない。
宿題の文字数は600字以内。
この分量ではくわしい説明はできない。
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なぜ、そうなるか、
それは、講義内容の振り返りに精いっぱいになるため。
その結果、小・中学生の感想文になってしまう。
どの発表者も、「知人・友人」のことなど、
かまっていられなくなる。
ここでも「想定力」の難儀さを実感した。
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さんざん、その不備を指摘したあとに、
図らずも、ドンピシャリの発表があった。
それを全文、あげてみよう。
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幼なじみのあや子さんへ。』
              花崎智恵美

 私たち、これまで、もう何十年も、
 年末に会うたびに、
 「来年こそは、お互いステップアップしようね」って
 言っているよね。でもそれって、
 具体的にどうしたいと思ってるのかな。

  今年7月に、ロッコム文章・編集塾の能登教室で、
 「ステップアップの行動学」という
 講義を受講したの。
 そしたら、いかに今まで、あいまいな励まし合いを
 してきたかということに気づいたの。
 そこで学んだことは、
 ステップアップにどんな意味があるのか
 ということから、
 ステップアップするためにはどんな行動をすべきかという内容。

  ワンステップ目としては日常生活を見直す、
 たとえば、日記をつける、衣服の管理、住環境のチェック、
 おつきあいの仕方、雑誌の定期購読、読書の習慣、
 手書きの習慣など、行動のチェック。

  さらにツーステップ目として、
 人脈、専門性の強化、事業計画の作成、投稿、
 ホームページの作成、アドバイスを受ける態勢づくり、
 セミナーや講演会の参加率を高めるなど、
 仕事に結びつく内容を具体的に教えてくださったの。

  よい人生を送りたい。よいお仕事をしたい。
 そう思っているだけではダメ。
 具体的な行動を起こさないといけない。
 そう思わない?
 講師の先生は「清く、正しく生きているだけではダメ。
 誰かに借りをつくったものを返していかないと」
 っておっしゃるの。
 そのとおりだと思う。そのコトバは、
 今も胸にジーンと響いている。
  ステップアップするのは、来年からじゃなくて、
 今からだよね。行動リストを作ってみない?
 
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この文章には、講義に出てきたマズローも、
「下りのエスカレーター」も出てこない。
要約とはそういうもの。
それに、内容のすべてを伝える必要もスペースもない。
相手を想定して、相手に伝わる内容に仕立てればよい。
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相手が日本人であれ、外国人であれ、
相手の想定はむずかしい。
だから、親しくない人に向けて文章を書くときは、
想定する人の名、または写真を近くに置いて
作文するとよい、と説いている。
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年賀状はいいとして、
「喪中につき年末・年始のごあいさつは……」という
年末のハガキを書くときも、
こちらの事情というより、
受け取る相手を想定して作文をしたい。
「だれの喪中なのか」
「母とは、実母なのか義母なのか」
受け取る人の迷いを想定して書状を作りたい。
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