魅力的なスピーチと、魅力的な食事。

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オリンピックの女子レスリングの金メダル優勝者が、
判定直後、喜んで近寄るコーチを
2回、一本背負いで投げ倒す、
というパフォーマンスがあった。
しっかり準備をしたうえでの喜び表現だった。
そのユーモア感覚に感心した。
しゃべりを得意としないスポーツ選手は、
コトバ足らずのコメントをするくらいなら、
こういうパフォーマンスのほうがすがすがしい。
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これと反対に、
女子マラソンで、
10位にも入れなかった日本の選手が、
まるで一位でゴールしているような、
いけシャーシャーとした
フィニッシュポーズをしたのにはあきれた。
おまけに、インタビュアーに
「オリンピックには出るもんだねぇ、楽しいよ」だと。
書き留めなかったが、ガラの悪い仲間コトバで
あっけらかんとしたコメントをしていた。
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入賞するにしろ予選落ちするにしろ、
コメントを求められたときの対策くらい立てておくのが
世界クラスの選手と、
その養成関係者の責務だろう。
わが家の近くには「トレセン通り」(トレーニングセンター)や
「アスリート通り」がある。
ロッコム文章・編集塾も近いことだから、
「コメント トレセン通り」を
引き受けてもよいと思っている。
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プロのトーク力もたいしたことはなく、
あの超人的短距離ランナー、ボルトに、
「プレッシャーをどう克服しましたか」と
インタビューをするNHKの女子アナがいた。
当然、彼の答えは「いや、プレッシャーは感じなかった」
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ハナからプレッシャーがあると
決めつけのある問いかけは、
プロ、アマにかかわらず厳に慎みたい。
ダントツ世界1のトップランナーに
「プレッシャーをどう克服した?」とは、
失礼だし、相手の偉大さをわかっていない、
なんたるおバカだろう。
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さて、8月13日の「講話力セミナー」では、
受講者から有効な質問や問いかけがあった。
その1つが、「魅力的スピーチ、魅力的な講話とはどういうものか」
というものであった。
だれもが、そういうものがあれば知りたいと思う。
が、「魅力的な話し方」というものはあるにしても、
「魅力的なスピーチや講話の内容」は一期一会のものだから
「定番」を決めることは、むしろ避けたい。
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スピーチや講話は、
その都度、目的もテーマも違う。
聞き手の属性も違うし、人数も時間帯も違う。
食事になぞって考えればよくわかる。
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日本人の食事には季節感が求められるし、
朝は朝らしく、昼は昼らしく、
夕は夕らしくありたいと思う。
そのうえ、外食してきた家族の外食メニューとも、
バッティングしないように気をつけなければならない。
だから食事のことを「瞬間芸術」などともいう。
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「芸術」とまではいわないが、
スピーチも講話も、クリエイティブな行動である。
充分な準備と、その場、その場での対応、
まさしく「空気を読む」能力。
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ボルトに「プレッシャーは?」と
愚問を発するようなのは、
空気が読めないタイプだから、
「魅力的なスピーチも講話」もできない。
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毎度のことだが、
アナウンサーは「読む人」であって「語る人」ではない。
それを誤解すると、相手にプレッシャーをかけることになる。
「語れるアナウンサー」は、100人に1人、
500人に1人というくらいに
見積もっておいてあげたほうが親切。
そのことは、アナウンサー養成機関や
アナウンス部の上層部こそ、
わきまえておいてほしい。
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スタートした講話シリーズでは、
幅の広い「専門性」を持つ、
「魅力的なスピーチや講話」をこなせる
健康支援者を目指してサポートをしたい。
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# by rocky-road | 2016-08-20 22:33  

あなたは10人の前で講話ができますか。

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いよいよ「講話シリーズ」の第1回が始まった。
≪食コーチング プログラムス≫主催で、
第1回が2016年8月13日(土)、
以降、第2回は10月22日(土)、
第3回は12月17日(土)を予定している。
いずれも横浜市内。
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食生活雑誌編集者時代、
「栄養士のための講演の仕方」
という企画をしたが、
大学教授を含む企画会議で却下された経験は
仲間内で話したことがある。
企画が必要なくらい、
当時も(?!)
栄養学関係の教員の話はつまらなかった。
それを今回、
影山なお子さんが、
セミナーとして取り上げてくださった。
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30年ぶりに、昔の企画を復活できたことは
それ自体は格段うれしいことではないが、
この企画がいまも通用すること、
いや、ますます必要度が増していること、
それがわかる人が存在することが
日本の「健康界」(初使用、そういう「界」が
そろそろあってもよさそう)にとって
うれしいことではないかと思う。
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もう1つうれしいのは、
わが恩師の旧著
『日本人はこう話した 言論100年』
(芳賀 綏<やすし> 著 実業の日本社刊 1976年)
の一部を、
テキストとして使うことができたこと。
福沢諭吉が英語の「スピーチ」を
「演舌」「演説」などと訳したとされる
通説の裏事情が書かれた部分を
今回、みなさんに紹介できた。
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といって、裏話のおもしろさの紹介ではない。
日本人の習慣にはなかった
人前での「1人語り」の必要を
明治維新後、福沢諭吉が強く説き、
それを実践してきた、
にもかかわらず、
今日の教員、代議士、弁護士に見るように、
日本人のスピーチ力にいかに進歩がないか、
それを知っていただき、
少し気合を入れていただくためだった。
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ところで、「講話」とは、
日本人の感覚では、スピーチよりは長く、
講演よりは短めで、
内容的には、スピーチよりはテーマや起承転結がしっかりしていて、
講演よりは軽めのもの(とも限らないが)
という認識でよいだろう。
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今回のセミナーでは、
極力講師のしゃべりは少なくし、
みなさんの実演、みなさんとのディスカッションに
時間を割くことをコンセプトにしている。
みなさんの活動報告などに、
「講師の講義の中で……」などという
フレーズがあったら、
それは「コメント」のことだと
理解していただきたい。
「コメント」を「講義」と誤訳されるようでは、
講師のメンボクはつぶれる。
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このセミナーのご案内に
一生の財産としてのスピーチ力、司会力
としたが、これはけっして誇張ではない。
人が3人以上集まれば、
スピーチ力も司会力も必要になる。
幼稚園でも老人ホームでも、
その能力は個人の存在感、求心力、
その結果としての幸福感の質と量に関係してくる。
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今回は、全員(29人)に
3分間スピーチをしていただいた。
内容については、以後のセミナーで、
より詳細に論評してゆくが、
それ以前の問題として、
まだ表情、声量が複数の人対応にまで
できあがっていない人が少なくなかった。

野球でいうと、「遠投」が足りない。
野球選手の基礎能力の1つは肩のよさ。
イチロー選手のように、
外野フライからタッチアップで
ホームを狙うランナーを
スピード返球で刺すことができるのは、
遠投で肩を鍛えたからにほかならない。
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声が2メートル先の人に届かないのは、
声の遠投トレーニング不足以外の
なにものでもない。
声のボリューム調整力の不具合は、
もって生まれた声量の問題ではさらさらなく、
聞き手となる人々の
表情や反応を読み解こうとしない
不注意か怠慢かにある。
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それと、耳が遠くなってわかるのは、
人はいかに表情でしゃべっているか、
ということである。
声が不鮮明でも、表情を見ていると
なにをいおうとしているかが、ある程度はわかる。
聴覚障害の人の会話を見ていてもわかるが、
いかに表情をつけて会話をしているか、である。
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声が小さく、
表情に「遠投」モーション、
言い換えれば表情で話さない人の話は、
たいていの場合、
話の内容が聞こえなくてもさほど損失はない。
聞こえたとしてもつまらない話である場合が多い。
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声が小さく、表情がないから話がつまらなくなるのか、
つまらない話しかできないから
声や表情がウサギの肩(イチローの肩に対して)になるのか、
1人1人について考察してみたい。
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だいたいのことはわかっているが、
学会発表のためには、
もう少し
エビデンスを固めておく必要があるだろう。
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# by rocky-road | 2016-08-15 18:42  

文章・編集をなぜ学ぶのか。

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ロッコム文章・編集塾/能登教室が
開講してから10回目を数えた。
2014年3月から始まったから、
2年4か月たったことになる。
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文章や編集を学ぶことにどういう意味があるのか。
昔、「16年間、文章教室に通っている」
という人に出会ったことがある。
その人は「朝日新聞」の
「天声人語」を学んでいると言っていた。
NHKのカルチャーセンターに通っている人にも
出会ったことがある。
この人はエッセイを学んでいる、と言っていた。
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ロッコム文章・編集塾についていえば、
「モノの見方、考え方を深める」
「思考力を深めること」ということになる。
サンテグジュペリが、
「ほんとうにたいせつなものは、
目では見えないのだよ。心で見るのだよ」
というときの、「心」の多くはコトバである。
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サッカー選手が
アイコンタクトでパスを促す場合は、
コトバが介在する時間はないが、
「アイデンティティ」や
「愛」や「幸福」「未来」となると、
非言語的なイメージだけでは
深く考えられないし、
継続的に考えることもできない。
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もっとも、
いきなりだれかに、
「なぜ文章や編集を学び続けているのですか」
と聞かれたとき、
「思考力を深めるために」では
いかにも硬直していて日常会話にはなりにくい。
そこで、
「筋道立った考え方、話し方、
書き方を強化するため」くらいに意訳する。
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あるオッチョコチョイが、
そう聞かれて、
「句読点の打ち方などを学ぶんです」
と答えたという。
そのオッチョコチョイとは、
不肖、この大橋禄郎である。
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兄の危篤の枕もとで、
姪から「文章教室では
どういうことを教えているのですか」
と聞かれて、そう答えてしまった。
場所が場所、時が時ではあったが、
これはいくらなんでも意訳のし過ぎ。
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こういう人間が、
「栄養士になぜなったのですか」と聞かれたとき、
「食べることが好きだから」では、
あまりにも脳がない、などと、
人を批判できるのか。
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こういう時と場合に備えるためにも、
表現力のバリエーションを何十回となく、
トレーニングしておく必要がある。

今回の能登教室で、
こんなエピソードを聞いた。
ある栄養士さんが、
食事相談が終わるころ、
「人生相談みたいですね」と
クライアントから指摘されたとか。
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これは、栄養士の表現力を問われる大きな問題である。
食事相談は、
まさに相手のライフスタイルを前提にして行なうもの。
だから、相手が人生相談と感じたのは当然。
それは、
好ましい食事相談を行なっている証拠のようなものだが、
しかし、「人生相談」をやすやす肯定してはいけない。
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その理由は、「人生」といった重いコトバを使うと、
無用に慎重、神妙になりがちであるし、
実際、守備範囲以上の泥沼に
引きずりこまれる可能性もある。
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若い栄養士が人生相談に乗る、
というのはおこがましい。
困るのは、こういうとき、
栄養士が君臨しがちになること。
「栄養指導」とか「行動変容」とか、
自分のバックグランドを支えるコトバを得ると、
ロクなことはない。
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ということで、
ここは「人生相談」をひた隠しにするほうがよい。
「食事相談って、人生相談みたいですね」
と言われたら、どう切り返すか、
準備を始めなければならなくなってきた。
いくつかのフレーズを考えてみた。
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*「あらそうかしら。
でも、日常茶飯事の繰り返しが人生ですものね」
*「それは困りましたわ。
栄養士の専門は、よりよい健康づくりなのに」
*「人生相談? おそれ多いわ。
 わたしは一介の楽しい食生活ガイドです」
*「あらうれしい。私は食の哲学者になれるかしら?」
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「能ある鷹は爪隠す」のはむずかしい。
「食の窓から侵入する哲学者」としての栄養士は、
分をわきまえず、
他の職業のエリアに足を踏み入れ始めてしまった。
ほかに適任者がいないのだから、やるっきゃない!
もう、後戻りはできない。
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食はもちろん、
人生にも地図は欠かせない。
コトバは5年後、10年後の地図を
描くことができる。
文章を学ぶ意味はそこにもある。
能登教室で新たなヒントをいただいた。
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# by rocky-road | 2016-07-29 15:44  

六から禄への贈り物。

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永六輔氏が他界された。(2016年7月7日)。83歳。
私より3歳年長である。男は、82歳~83歳あたりのハードルで
倒れるケースが多いように思う。
兄も83歳で昨年末に他界した。
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この3月、工藤昌男さん
――かつての放送作家であり、
海のテーマに強い科学ジャーナリストである
工藤さんの85歳の誕生日をみんなで祝ったが、
永さんとの交流の歴史を少しうかがった。
そのとき、工藤さんは、
「ああ、あいつはねぇ……」と話していた。
放送作家として親しい仲間だったようである。
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1940年代末から1960年代にかけて、
NHKラジオの人気番組、「日曜娯楽版」は、
長寿番組であったことから、
たくさんのコメディアンやミュージシャン、
そして、放送作家などを輩出した。
コメディ系では、三木のり平、
中村メイ子らであり、
放送作家では、永六輔、
野坂昭如らがその代表である。
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永氏は、「上を向いて歩こう」や「いい湯だな」
「黄昏(たそがれ)のビギン」などの作詞で知られ、
音楽家の中村八大との「六八コンビ」は有名だが、
のちに坂本九が加わって、
「六八九トリオ」などといわれた。
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このうち、最近、
カラオケで自分のレパートリーに加えた
「黄昏のビギン」が、
永六輔作詞であることは忘れていた。
作詞家としての存在価値の高さは不動であるが、
私がいまも共感が衰えないのは、
「知らない横丁を曲がってみよう、それが旅です」
というフレーズである。
番組で聞いたのか、なにかで読んだのか、
確かな記憶はないが、
自称「旅派」に属する私にとっては、
忘れられないフレーズである。
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旅、あるいは旅心は、
遠くに行くことだけではなく、
日常生活の中にも「あってしかるべし」、
そういう着想を与えてくれる。
(そういえば「遠くへ行きたい」も永六輔作詞)
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建設中の現場に立って掲示を読んでみたり、
「ここになにが建つのですか」と尋ねてみたり、
夕食の食材を買いに行く程度の外出でも、
あえて「よそ行き」の衣服を身につけたり、
次の旅行に
「おろす」予定の靴の試し歩きをしたり、
といったスタンスは、
人生を「旅」としてとらえる、
楽しみ追求の姿勢である。
「知らない横丁を曲がってみよう、それが旅です」
いいコトバである。
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コトバつながりで、新しい話題を。
このたびの参議院選挙では、
野党が選挙協力をして共闘したが、
このとき、ある党が提唱した、
「安倍政権の暴走」を
共闘他党が、そっくりいただいて反復していた。
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言語心理学的に見たとき、
人の造語を鵜呑みにして繁用することは、
造語した人物に従うという側面を持つ。
議員数では大きく上回る政党が、
少数党の造語を能天気に使っているのを見て、
「頭が悪い」とは、こういうことだな、と思った。
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たとえば、「肉食系女子」とか
「婚活」とかの流行語を
公の場所で使うときは、
アタマに「いわゆる」をつけて、
「いわゆる肉食系女子のようなタイプは……」
としたり、「 」で囲んだりする。
これは、100%、そのコトバに従っていない、
という意思表明を含んでいる。
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しかし、そういう言語心理学に無頓着な政党人は、
自分より党員数において「下位」の政党の造語を
無条件に受け入れてしまう。
プライドを捨てるとは、こういうことである。
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ところで、「暴走」がなぜ「造語」なのか。
自動車が歩道を突っ走ったり、
他の思惑や周囲の状況を考えないで
物事をむやみにおし進めること、
といった国語辞典などの定義から離れて、
自分の考えに反する総理大臣を
「暴走」と定義することは、
「曲解」または「造語」ということになる。
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少数政党の悲しさ、または怖さは、
コトバで戦う戦術をとらざるを得ない、という現実である。
安全保障に関する法案を「戦争法案」とし、
防衛予算を「人を殺すための法案」と造語する。
ドギツイ用語を使うのは、
党内にコピーライターがいないからではなく、
デマに近い情報を流すことで、
自分の優位性、存在感を示す以外に、
国民の同意を得られる論理を持てないからである。
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人の集団には、人の悪口や批判をすることで
恐れられている困った存在は、どこにもいる。
政党とて同じである。
「弱い犬はよく吠える」は、ここにも使える。
「ヘルスコミュニケーション論」的にみれば、
かれらには大きな内的ストレスがあることになる。
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エビデンスとして、
政党人別の健康寿命一覧表のようなものを、
いずれだれかが作ってくれることを願う。
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さて、
「知らない横丁を曲がってみよう、それが旅です」
という永六輔氏のフレーズ、
これは、脱帽して受け入れ、使い続けたい。
「六」が「禄」に贈ってくれた思想である。
喜んで従属し、さらに、
これからも「♪ 黄昏のビギン」や
「♪ 帰ろかな」を歌い続けたい。
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# by rocky-road | 2016-07-13 14:44  

切手文化は輝き続ける。

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切手については、
郵政省時代には、いろいろともの申してきた。
デザインが悪い、絵が下手、
お子さま向きの絵が多い、
「なになに記念日」の切手ではなく、
花とか風景とか、
常時使える切手も出してほしい、とか。
こういう利用者からの回答は、
判で押したように「今後の参考にしていただきます」だった。
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しかし、郵便会社になって以来、
なかなかいい切手が多くなった。
「和の食文化」などは、郵便史に残るヒットではないかと思う。
しかも、「第1集 一汁三菜」と銘打っているから、
第2集も考えているのだろう。
こういう企画は、思いつきや一朝一夕にはできない。
そうとうのプランナーがいると見た。
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さらに、「これでも文句があるか」といわんばかりに、
「GREETING SUMMER」というのを出しおった。
世界の切手で、プルメリアやハイビスカスの花を
デザインした切手はきっとあるだろうが、
波紋が揺れる砂地、雲、
清涼飲料水の入ったコップをデザインした切手は
たぶんないはず。
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かつて、沖縄海洋博のとき、
世界初の水中写真の切手が出た。
撮影者は、故・舘石 昭氏。
この切手はご本人からいただいたうえに、
その原画写真を額装していただいたことがある。
大型写真と切手とを玄関に飾っておいたが、
写真は劣化して、いまはない。
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かねがね欧米の切手文化のレベルの高さに感服し、
「それに比べてわが国は……」と嘆いてきたが、
ここへきて、一気に間を詰めてきた感じ。
ひょっとしたら、郵便の利用者が減っていることと
関係があるかもしれない。
「だれにも向くような」路線から、
真に手紙、ハガキ文化を愛好する人向けに、
まじめに考えるようになったのかもしれない。

いままで、文句ばかりをいってきたが、
「GREETING SUMMER」の企画については、
利用者の選ぶ切手コンテストには推薦したい。
そういうコンテストがあれば、の話。
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その一方で、
フリーマーケットには、
昔の名作切手が額面どおりか、
ほんのわずかのプレミアムがついた程度の値段で
売りに出されている。
事情を聞いてみると、
昔は日本橋三越デパートあたりでも、
「切手市」なるものが催され、プレミアムがついて
販売されていたという。
そういえば、見かけた記憶がある。

いまは、切手に骨董的価値が失われ、
往年のコレクターたちは、
フリーマーケットあたりで、それを処分しつつある。
切手や記念コインを買い集めて、
いまに高く売れる、などと言っていた時代を
「セコイ時代のセコイ趣味だった」
といえる自分を、少しは大人になったと思う。
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フリーマーケットで見つけた、
雨傘を差す、浮世絵の美人画も、
梅雨時にこそ使おうと、せっせと使っているうちに、
あっという間に残りが数枚になった。
惜しい気もするが、
切手もコミュニケーションメディアだから、
自分の切手ファイルの中にあるよりも、
ずっと生きがいを見つけたことになる。
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# by rocky-road | 2016-06-29 21:15  

「健康ってなんだ」街道を行く。

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6月4日、
第45回食ジム「栄養士・健康支援者は、
食器とどうかかわるか
」(アドバイザー参加)

5日、パルマローザ、ブラッシュアップセミナー
「『ヘルスコミュニケーション力』を
どう強化するか」

(横浜)
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6月11日、
コミュニケーション研究会 ひろしま主催
「『対話力』をつける。――専門性と日常性への対応」
(講師/影山なお子氏)受講
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12日、
「『栄養士』『健康支援者』という職業の
リーダーのカタチ。――『引っぱり型』と『あと押し型』の活用法」


6月13日、
ロッコム文章・編集塾、
月曜クラスの授業。

6月5日の80歳誕生日をはさんで、
いろいろの角度から思考を深める機会を得た。
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食ジム「食器とどうかかわるか」では、
食器の記号性について、
改めて考えることができた。
丸皿、楕円皿、角皿の意味、
銘々茶わん、銘々箸の意味。
日本食文化の重要な着眼点だが、
「和食」世界文化遺産ニュースの中では、
軽視されているように思う。
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日本においては、
食器は、料理の安定性保持、引き立て役などにとどまらず、
家族の位置づけ、季節感、持ち物のとしての存在意義、
思い出を内包する記号としての意味が大きいことを
さらに掘り下げて話し合うことができた。
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「ヘルスコミュニケーション力」では、
あえて「自分とのコミュニケーション」における健康性について、
みなさんに提示した。
昔、同僚に「でも」という「逆接の接続詞」で発話する男がいた。
ほかの同僚との調和も悪く、
ほかのセクションに行っては、同僚の悪口を言っていた。
あげくの果て、小さな部屋に自ら引きこもって
普及し始めたパソコンとにらめっこの仕事を好んだ。
同僚と結婚すると報告されたので、
喜んでこの吉報を課員に伝えようとしたら、
「やめてください。ヤツラ、なにをいうからわからないから」
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話しぶりに病的傾向が出ることは周知されているが、
使う用語から病性を感じたのはこのときだった。
調べてみると「分裂気質」とやらであった。
この傾向は時代を経ても継承されている。
「……っていうか」「……逆に」で始まる発話傾向である。
肯定より、なんとなくの否定。
内的ストレスの気配を感ずる。
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ともあれ、大橋型「ヘルスコミュニケーション論」では、
「健康」は心身や社会性の「快調度」を示す概念から
自分、人々、社会の方向性を探る心的バロメーターであり、
自分を支え、目標を設定するうえでのモチベーションであり、
つまるところ思想である、と位置づける。
パルマローザのセミナーでは、
思考や理論を半歩か3分の1歩か、
自分の思想史の中では前進できた。
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広島のセミナー、影山なお子さんの講義から、
対話は、対人ヘルスコミュニケーションにおける
最小単位であることを再認識した。
好ましい食事相談は、好ましい対話から生まれる。
対話の不得手な者が、好ましい食事相談、
好ましい健康相談を行なうことは不可能、という論点には
深く同意するところがあった。
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私が担当した「リーダーシップ論」では、
辞書の定義には、「率先垂範型」(オレについて来い型)の説明しかないが、
「あと押し型」のリーダーという概念を説明した。
栄養士とは、人々の健康を支援するリーダー、
つまりあと押し型のリーダーであることを説いた。
「栄養士はこの職業を選んだ時点で、
好むと好まざるとにかかわらず、
リーダーの道を選んだのである」と。
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ベビーカーを押すとき、
子どもに何を見せたいか、どこへ連れて行きたいか、
それを最終決定するのは押す者である。
公園を希望する子に、途中でチューリップ園を見せて、
別の興味を引き出すのも、あと押し型リーダーのワザである、と。
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おもしろい偶然は、
13日のロッコム文章・編集塾の授業で、
論理性の話が出たとき、
栄養学あるいは栄養士は論理的職業である、
という話になったことである。
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もともと「理系的」タイプだから栄養士の道を選んだのか、
栄養士という職業が理系性を強化したのか、
一律にはいえないが、
栄養学がなんとなく「理系」に分類されるのは当然で、
「20歳代の事務系仕事をする女性の1日の摂取エネルギー量はこれくらい」
という目安は、まさしく論理的説明だからである。
そういう意味では、
「ポリフェノールは目にいいのよ」
「かぼちゃはお芋よ」(食品を糖質量でのみ分類する専門バカ)
といった「栄養素士」は、その限りにおいて論理的である。
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しかし、人間には感性があり、ライフスタイルがあり、
時と場合がある。
それらを見ることなく、一律にポリフェノールを話題にしたり、
栄養バランスを説いたりするのは、
時と場合をわきまえない、という点で、非論理的となる。
論理にもTPOがあり、「人を見て法を説け」という原則がある。
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横浜、広島、東京と移動しつつ、いろいろの思考的刺激を受けた。
「人間に自主性はあるのか」と問うた脳科学者がいたが、
確かに、地球上の生物は、この天体からの無数の刺激を受けて、
それに反応しているとしか思えない。
旅は、脳および全身を活性化する好ましいシステムであると、
改めて実感した。
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こうして79歳から80歳へとまたぎ渡った。
80歳代をどう生きるか、
身近なところには充分なモデルがあるとはいえない。
おもしろいもので、
反面教師はなんとも多い。
90歳、100歳で「戦争は絶対にいけない」
「あの悲惨な災害を語り継ぎたい」と繰り返している高齢者である。
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対策を考えることなく、
「いけない、いけない」を念仏として唱えて思考を停止させてしまう、
あの能天気人生だけはモデルにしたくない。
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以下は、広島でのスナップ。

尾道城
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到着直後に出会った尾道商店街の火事。
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しまなみ海道から耕三寺へ。
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# by rocky-road | 2016-06-14 17:56  

栄養士の話と国語辞典の関係。

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『文藝春秋』6月号のエッセイ欄に
国語辞典編纂者が、
国語辞典が売れなくなった事情と、
その対策を書いている。
売れなくなっている理由は、
いわずとしれたネットの影響。
タダで情報が手に入るのだから、
有料の国語辞書を買うまでもない、と。

とはいえ、
同じ辞書でも、英語の辞書をはじめ、
多くの辞典(辞書と同じ)や
事典(業界では「ことてん」といって区別)は
書店にたくさん並んでいる。
にもかかわらず、
国語辞典のほうは、
日に日に売り場面積を狭めているとか。
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その編纂者の分析は、
理由の1つとして、
利用者の相談相手になるような
書き方をしないから、
ということがあるという。
こんなエピソードから、
その対策を示している。

ある学生に、こんな質問を受けたことがあるという。
路上で出会った近所の人から「お帰りなさい」と
声をかけられたことがある。
「ただいま」と応じたくなったが、
その人の家に帰るわけではないから、
ヘンだと思った、
こんな場合、なんと答えればいいのですか。
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こういう質問を受けた経験から、
今後の国語辞典の書き方として、
たとえば、こんな書き方が考えられる、と編纂者。

 「【お帰りなさい】 
 帰ってきた人をむかえるあいさつ。
 返事は、身内には『ただいま』。
 近所の人には『あっ、こんにちは』などと言う。
 『――ませ』は、ていねいな言い方」
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(ここから大橋の論)
こういう書き方は、
「定義」を基本とする
国語辞典のスタイルではなく、
傾向と対策を示す「実用事典」の記述法である。
ここで「辞典」(辞書と同じ)と「事典」の違いを
「解説」しておく必要があろう。
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「事典」(ことてん)は、
字句を50音順ではなく、
用件別に配列するケースが多い。
仮に『栄養士のライフデザイン事典』
というものがあるとすれば、
項目は、「栄養士養成校の選び方」
「病院での仕事の進め方」
「行政機関での仕事の進め方」
「福祉施設での仕事の進め方」
「スポーツ栄養士の仕事の進め方」
という構成になる。

これに対して『栄養・食糧用語辞典』
(実在。建帛社刊)では、
「アーモンドバター」「R=アルギン」(中略)
「アイスクリーム」「アイスミルク」のように、
「ア行」のコトバから順に説明する。
「辞典」の説明は、普遍性のある定義を基調とし、
用例は示すことはあっても、
あまりくわしいアクションプランは示さない。
国語辞典もこの系統に属する。
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もっとも、
「事典」がすべて実用というわけではない。
たとえば、
『スポーツ心理学事典』(大修館書店)では、
「1.総論」「2.スポーツ運動の発達」
「3.スポーツの運動学習」などの項目の中に
歴史や研究法などの項目が解説されていて、
「辞典」的な(基礎的な)
知識を伝える要素が大きい。
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(「実用」にもいろいろの解釈があって、
私の場合は、思想や考え方、
さらには感性さえも「実用」と思っている)

ところで、国語辞典など、
コトバの定義を中心に記述する場合、
だれもが納得する平均的定義、
つまり「普遍性」を大事にする。
「普遍性」とは、言い換えれば、
相手を特定しないこと。
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「栄養士」の定義として、
「食の窓から侵入する人生の哲学者」では、
「普遍的」な定義とはならない。
ここはしっかりと
「栄養士法に定める教育を受けるか、
国家試験を経て……」
というようなマジメな定義が求められる。
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「普遍性」とは、
料理でいえば幕の内弁当や五目料理、
チャンプル、混ぜご飯……など、
いろいろの具材を混ぜ込んだもの。
うまいとしても、
食材の1つ1つについては味わえない。
「うまさ」が分散してしまう。
毎日、こういうものを食べていると、
いや、毎日、こういうものを食べていても
ストレスを感じない人は、
食への好奇心に凹凸がない傾向がある。
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国語辞典の需要低下と
新聞の発行部数の減少とは、
一部、通じるところがある。
全国紙や、それに類する新聞もまた
「普遍性」を重視する。数百万の読者がある、
ということは、
あらゆる属性の人が存在する、ということである。
当然、新聞社も、女性や年少者、高齢者、
ビジネス関係、家事・育児関係、
スポーツ関係者を想定して、
それぞれのページや欄を設けてはいる。
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が、匿名で書く文章のもどかしさは、
「I think……」という表現ができないこと。
その結果、「……と考えられる」
「……といえなくもない」などと、
奥歯にモノが挟まる。
それは、
全方向的な「チャンプル表現」になることを意味する。
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その実例は、しばしば批判の対象になる「社説」。
それらの文章がおもしろくないのは、
自分の氏名で文章が書けず、
職場の「みんな」を代表して書くようになるから、
キメ細かな表現もできなくなる。
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「私の責任において」書いていない文章は、
読み手に迫っていく迫力もリアリティもない。
それに、ニュースというものは、
過去の出来事を情報化するものだから、
さしあたって筆者名はいらない、と思ってしまう。
新聞が部数を減らしているのは、
過去の情報ならば、
テレビやインターネットでも間に合うからである。
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こういう状況に対応する方法として、
ニュースに評価を加えて伝える手がある。
これがテレビの報道番組である。
キャスターの色をあえて出す。
(裏で制作者がコントロールしているが)
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それに対して、新聞記者は、
自分の名で評論する能力を磨いていない。
「それなら、外部の論客に執筆依頼をすればいいじゃないか」
ということになるが、
そこがまた、うまくはいかない。
というのは、
「あんな読者」「こんな読者」がいるから、
「快刀乱麻」といえるような筆は振るえない。
(快刀乱麻=切れ味がよい。手際のよい処理)
ホンネの意見や、強い主張を書こうとすると、
「この内容だと、ウチの紙面ではちょっと……」
となる。
したがって、日本では(日本でも)、
マスメディアでの言論は、
自由闊達とは言えないのが現状。

「その点、
デジタルコミュニケーションなら自由に発言が……」
という話になりがちだが、
社会的発言をするための
トレーニングを受けていない者の言説には
こちらの品位や知性を低下させることはあっても、
気づきや思考を深めるものは、
現時点では多くはない。
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さて、国語辞典の話に戻ろう。
国語辞典や新聞の文章が魅力的でなくなっている、
という話は、
講話や食事相談、その他、多くの場面で
おもしろい話ができない健康支援者と
共通点がある。
その場その場の相手に沿った話ができていない、
という点で。

スリム志向の若い女性に
骨粗しょう症の警告をしたり、
40代、50代の現役に、
「寝たきりにならない食事」を説いたり、
いつでも、どこでも、
「栄養バランス」の話題しか、しなかったりなどは、
目の前にいる現実のニーズに無頓着な証拠。
コミュニケーションは、
相手との双方向のキャッチボール。
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書棚にある国語辞典、
書店に展示されている国語辞典に
目が止まったときは、
自分の語り口が画一的、
ワンパターンになってはいないか、
自省してみてはいかがだろうか。

# by rocky-road | 2016-06-02 21:04  

名がつくと、そこにモノはある。

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「突然ですが」クイズから入ろう。
この写真にどういうタイトルをつけるか。
いくつかのたたき台をあげておこう。

*「マリーゴールドとスカイツリー」
*「ゴールドツリー」
*「負けないぞぉ~」
*「仰視」
*「天高く」 
*「もう1つの観光スポット」
*「もっと高く」
*「初夏の背比べ」

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クイズとはいったが、
これらのネーミングには正解はない。
4月29日の写真教室での作品のコンテストをやったが、
作品は一定のレベルを保つところまできているものの
タイトルのネーミングのほうはガタンと落ちる。
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これは、わが写真教室に限ったことではない。
全国の、あるいは世界のフォトコンテストのネーミングは、
似たようなものではないかと思う。
映像表現と言語表現とは異質なものだから、
映像表現に軸足を置いているときには、
言語表現の思考は休眠してしまうか、
スムースに回転しないか、なのだろう。
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才能の違いというほどのことはないだろう。
その証拠に、だれもが自分の子やペットには、
しかるべきネーミングをしていて、傑作も多い。
さらには屋号、社名、組織名。
自動掃除機にも名をつけている人もいるという。
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要するに習慣または関心の問題。
いろいろのフォトコンテストがあるが、
タイトルに注文をつける審査員はめったにいない。
自分の経験でいえば、
水中写真コンテストへの応募作品のネーミングがあまりにもひどいので、
審査員でもないのに、
何回か、スキルアップのための記事を書いたことがある。
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水中写真は、ジャンルとしては「ネイチャーフォト」に属するが、
そういう意識がまったくない応募者が多い。
「お稚児衆を引き連れて」「ガマ口」「オバケのQ太郎」
といったネーミングに我慢がならなかった。
写真界には文学性を求めるネーミングの流れがあって、
それが水中写真では「天空のワルツ」
「水の風景」「銀河のロマンス」などとなる。
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水中は一見、宇宙を連想するところがあるので、
宇宙をなぞるネーミングが多い。
それにしても、海の中で「水の風景」はなかろう。
ネイチャーフォトであるからには、
そこに写っている生物の名前くらいはしっかりとつけたい、
そう提唱し続けた。
ちなみに、第13回水中写真コンテストの
わがグランプリ受賞作品は「イワシの春」
第29回「よみうり写真大賞」
第1席受賞作品のタイトルは「わんマンショー」
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少し話がそれるが、
ダイバーには海にちなんだ名をわが子につける流れがあった。
2人の娘に「南海子」(なみこ)、「輝海子」(きみこ)とつけた母。
しかし、2人の娘はダイバーとはならなかった。
なのに南海子さんの子は「海音」(かのん)、
輝海子さんの子は「海聖」(かいせい)というからお見事。
ダイバーの子には、
ほかに「友海」(ともみ)、「七海」(ななみ)、
「夏海」(なつみ)などがある。
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ネーミングにも、ジャンルや時代の風潮があって、
かつて文学作品には「波」「鼻」「心」「蒲団」
「歯車」「和解」「明暗」「三四郎」「暗夜行路」など、
短いタイトルが多かった。ピシッと、しまっていた。
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それがいまは、
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
(ともに村上春樹氏)の時代である。
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ラジオでは、
「有馬隼人とらじおと山瀬まみと」
「伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!」
「すっぴん」
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平和ボケというのか、
肩にも腰にも心にも力が抜けた、
うたた寝のような姿勢で
人前に出ることが許される時代である。
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ネーミングは、
森羅万象、見聞や体験を端的に認識する能力である。
五感で感知したものを体系化すること、
言い換えればフォルダーに入れて
記憶することにほかならない。
表現する前に、自分の中でブログラム化する必要がある。
ダラダラと長いコトバで認識するか、
一言で認識するか。
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フォルダーやインデックスは、
短いほうが便利だが、
それでも、人生には長々と説明する時と場合とがある。
両方の能力を兼ね備えていたほうが有利だろう。
スピーチや講話、講演は長めに属するネーミングだろう。

認識とは、最終的には言語化に行きつく。
狙ったとしか思えないホールインワン、
ワンチャンスしかないときのシュート、
形勢逆転のホームラン、
みんなから称賛されたパーティファッション。
それらは言語行動ではないが、
あとで言語化を求められたりする。
「あのシュートを決めたときのご感想は?」
「あのときのファッション、いつから準備したの?」
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写真のネーミングセミナーをやってほしいと言われたが、
効果を出すにはかなりの回数やトレーニングがいる。
しばらくは自主トレに励んでもらうしかない。
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その1つは、1日10~20個、
なんでもいいからタイトルをタイトルノートに書き写す。
これを1か月くらい続ける。
あるいは、
毎日の食事をネーミングする。
「粘力朝食」
「腹黒男の黒酢ランチ」
「子持ちシシャモの2人っきりミニディナー」
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さて、この回のまとめとして、
世界を17文字で表現する俳句名人の句を5句、
紹介しておこう。いずれも池田澄子さんの作である。
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  やどかりや地球だんだんあたたかく

  永遠に泣いていたいの心太  (ところてん)

  刺した蚊と痒い私とうすら寒

  少しなら要らぬよ情けも散る花も

  二人して春から夏へ野を駆ける
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# by rocky-road | 2016-05-17 17:49  

第390回 パルマローザ 写真教室 選外作品講評

選外作品講評

銀賞、銅賞、入選作については、
栄養士・健康支援者のための写真教室≫主催者、
影山なお子さんのブログ、
スタンバイ・スマイル」で発表しているので、
ここでは、選に漏れた応募作品について、
選評してみた。今回は金賞は「なし」とした。
http://palmarosa.exblog.jp/

写真は映像表現ではあるが、
森羅万象を認識し、記号化するという脳の作業という点では
言語表現と大差はない。
18歳から成人とする、消費税を10㌫にする、
そういうことをどう考えるか、
みなとみらいの風景をどうとらえるか、
それもこれも、
認識力、思考力という点で共通性がある。大橋禄郎

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エントリー 2
タイトル
真昼のひととき
撮影 さいとうはる子さん
(東京都 行政 管理栄養士)
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【評】
スケッチをする姿をうしろからそっと撮った。
「そっと感」は作品にも出ていて、
インパクトに不足がある。
もっと寄って描いている絵を見せるか、
モチーフのレンガ倉庫を美しく撮るか、
あるいはその両方を示すか、
強い表現力がほしい。
タイトルもマイルドな遠景をほんわかと示している。

エントリー 6
タイトル
YOKOHAMA CITY
撮影 塚本はつねちゃん
(長崎県 佐世保市 小学校4年生)
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【評】
のどかな公園の風景を
しっかりした構図で切り取っている。
人物をやや左に配したのも、観覧車との対比でグッド。
観覧車は、もう少し空の部部まで入れておきたい。
旅のスナップとして撮っておきたい1品。

エントリー 7
タイトル
ピンクのトリオ
撮影 塚本ゆみ子さん
(長崎県 佐世保市総合医療センター 管理栄養士)
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【評】
ピンクのトリオに着眼したのはよいが、
縦位置の写真を横にしたようで、
安定感がとても悪い。
縦位置にして見てみたが、やはり落ち着かない。
カメラアングルに問題がありそうだ。
構図力をつけよう。

エントリー 8
タイトル
春の日差しを満喫
撮影 田澤 梓さん
(神奈川県 シダックス株式会社 管理栄養士)
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【評】
構図としてはおもしろいが、
子どもの動作が説明できていない。
近景の向こうの遠景を撮るとき、
両方に目配りをして、
ジャストタイミングでシャッターを切りたい。
左端の大人の姿が、竹割り式に一刀両断、
その半身が残っているというのも、
構図への配慮不足のアカシ。
タイトルの「満喫感」が感じられない。

エントリー 9
タイトル
ツツジ@みなとみらい
撮影 渥美智佳子さん
(静岡県 病院 管理栄養士)
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【評】
初夏の港の風景を手慣れた構図で撮っている。
ツツジと遠景のバランスもよい。
残念なのは、右の壁のような影。
これを外して撮ることができなかったのだろうか。
むしろ縦位置に構えて、
みなとみらいの空をもっと入れれば、
はるかに印象的な作品になっただろう。
応募のとき、縦位置にトリミングすることは許される。

エントリー 10
タイトル
日本丸の船首から
撮影 三奈木麻弓さん
(東京都 行政 管理栄養士)
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【評】
大胆な構図で、キャリアを感じさせるが、
説明不足は否めない。
カメラポジションが選べず、
こう撮るのが精いっぱいだったと思うが、
帆船の舳先に船員が整列していることを
写真を見て理解できる人は少ないだろう。
マイナス補正のし過ぎで、
船員の服が重くなったのも残念。
これも、応募のとき、
パソコン上で修正ができるはず。

エントリー 11
タイトル
屋根より高く
撮影 三奈木博文さん
(東京都 株式会社ミナキ)
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【評】
入選作と同じく、トランポリン遊具で遊ぶ子を撮っている。
しかし、楽しさよりも、なぜかシラッとした印象。
遠くから望遠で撮ったのか、
現場のにぎわいが消えている。
遠くにいる「われ関せず」という人の動き、
頭の一部だけが出ている人たちの存在感のなさ。
戦場カメラマンではないが、
やはり熱い現場に身を置いてこそ撮れる写真もありそうだ。
タイトルは、季節柄、どんぴしゃり。

エントリー 12
タイトル
こいのぼり日和
撮影 奥村 花子さん
(東京都 Hanaヨガ&食スタジオ主宰 管理栄養士)
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【評】
青空、高層ビル、帆船、いくつかの家、鯉のぼり。
なんとも盛りだくさんな作品。
あんまり欲張ると、
けっきょくなにを表現したかったのかがわからなくなる。
「風景チャンプルだ」との反論があるかもしれないが、
ならば、これをどう味わうか。
幕の内弁当の食後感と同じで、
「なにを食べたかわからない」となる。
「こいのぼり日和」なら、
鯉のぼりの撮り方を考えよう。

エントリー 13
タイトル
カメラを構えて
撮影 山本恵美子さん
(東京都 企業 )
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【評】
タイトルどおりの作品だが、
これといった情報が伝わってこない。
味に自信のる飲食店なのかもしれないが、
写真で見る限り廃屋にしか思えない。
これを撮ろうとする少年カメラマンの撮影意図も伝わらない。
シャッターチャンスは不可欠だが、
そこには鑑賞者を納得させる情報がほしい。
少年の足元までしっかり収めよう。

エントリー 14
タイトル
グリーンロード
撮影 甲斐 和恵さん
(神奈川県 船員保険健康管理センター 管理栄養士)
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【評】
人の配列、雲の様子、広い緑地、
記念写真としておもしろい。
しかし、作品としての新しさ、ユニークさは感じられない。
記念写真は作品にはならない、
ということではなく、
いろいろの演出ができる以上、
「こうきたか!」という独創性がほしい。

エントリー 15
タイトル
ハナくらべ
撮影 植村 寿香さん
(千葉県 高齢者福祉施設 管理栄養士)
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【評】
狙いはわかるが、タイトルの表現ができていない。
致命的なのは、子どもの表情が見えないこと、
顔がアンダーで、楽しさが伝わってこないこと。
普通にまたがっただけでも、
笑顔でピースサインでもしているほうが明るさは出る。
これはたぶん、怖くてへばりついているのだろう。
それならそれで撮り方はある。
心配そうなママの姿を入れるとか。

エントリー 16
タイトル
ちょっと、ひとやすみ
撮影 岩田 博美さん
(神奈川県 企業 栄養士)
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【評】

暗い。露出的な暗さだけでなく、絵全体が暗い。
海が見えるとか、芝生が広がるとか、青空とか、
そういうさわやかさがなく、
建物の裏手のように見える写真からは、
あたかも人目を避けて逃避行する2人のような連想が浮かぶ。
ロケ地として不適。
カップルの明るい表情もほしい。

# by rocky-road | 2016-05-12 13:30  

自己表現としての写真。

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2016年4月29日は恒例の「写真教室」で、
終日、横浜のシーサイドを歩き回り、
翌30日は「食ジム」において、
コミュニケーションスキルとしての
写真について話し合うという、
写真づくしの2日間を送った。
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写真教室はパルマローザの年中イベント。
食ジム」は食コーチングプログラムス主催の
ディスカッションセッション。
第44回 「栄養士・健康支援者の情報発信に
写真をどう使うか

(会場/横浜市技能文化会館)
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写真教室のほうは、経験者が増えたこともあって、
レクチャーは簡略にして、いきなり撮影開始。
大桟橋には「飛鳥 Ⅱ」が入港していて
ジャストタイミングであったが、
冷たい強風に見舞われたため、
撮影場所を赤レンガ倉庫付近に移した。
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写真撮影は
きわめて臨機応変が求められるジャンル。
戦場カメラマンや災害現場取材者のように
命がけで撮影をする一方、
代案があるときは、さっさとそちらにポイントを移す。
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プロの水中カメラマンの言だが、
ボートダイビングのとき、
ボートの真下に着地した時点で、
素早く撮影プランを想定しなければいけない、と。
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「なにかいい被写体はないか」
「もっとおもしろい被写体があるはずだ」と
探し回っているうちに、エアをいたずらに消費し、
あるいは潮流が速くなったり、
濁りが出てきたりして、
ロクな撮影もできないままに
その回のダイビングが終わる。
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こういうことがないように、
撮影体制ができるやいなや、
その地形、そこの海底景観の特徴を把握し、
そこで可能な撮影テーマを決めて撮影を開始する。
「見切りをつける」
「相手に期待しないでチャンスは自分でつくる」
などと表現する。
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ウロついたダイバーのほうが
おもしろいものに出会う可能性がないでもないが、
ボートの下の、かならずしもベストではないポイントで
自分の被写体を見つける、
あるいは、そこにあるものを自分の被写体として作品化する、
そういう判断をしたほうが、
結果として、手堅く、自分らしい写真が多く撮れる。
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プロやベテランほど、高望みや大ヒットを夢想しない。
できることから確実にモノにする。
そのあたりの見極めがベテランの
ベテランらしさというものだろう。
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自分に与えられた条件の中から
出来得る限り最上のコトやモノを獲得する、
この図式は、人生にも、仕事にも、
人間関係にも、趣味にも、買い物にも当てはめられる。
つまり、
水中写真にも、陸上写真にも、
いいや、きょうのゴミ捨てにも、
石にケッつまずいてぶっ倒れるときにも、
「哲学」がある。
そういう哲学は、哲学教員からは学べない。
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ともあれ、この日の撮影作品はコンテスト対象とし、
後日、賞をもって評価する。

30日の食ジム、
「栄養士・健康支援者の情報発信に
写真をどう使うか。」では、
こんな話し合いをした。
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1.手持ちの写真のうち、いちばん気に入っている、
  または大事な1点をあげるとしたら。
2.私の写真歴、いつから、どんなきっかけで。
3.「私のベストポートレート」披露。
4.フォトコミュニケーション、私の流儀。
5.健康支援者は、写真をどう活用すべきか。


「1」について、私の場合は、
  昔、アラスカ州のアンカレッジ空港内で出会った、
  オードリー・ヘップバーンの写真が
  その1点だろう。
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「3」について、みなさんの公開した写真の多くは、
  旅先や街中のスナップ、記念写真。
  メディアに公表するときには周辺や背景がじゃま。
  無地のバックで、上半身の「肖像写真」の準備は
  すみやかに始めるべきである。

  パルマローザの場合、これとは別に
  ファッション写真も用意しておく必要がありそうだ。
  オピニオン紙「エンパル」(同会の定期刊行物)に
  ファッション事例として紹介される可能性、
  その結果として、専門誌からの掲載依頼の可能性が
  あるからである。
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「5」については、私なりにまとめておこう。

1.写真とは、宇宙の森羅万象を視覚認識することである。
  連続的な、ひとときも静止することのない世界を
  何百分の1秒というタイミングで記録することである。
  食材の鮮度、食材の切り方、盛りつけのデザイン、
  それらを視覚的にコミニケートすることである
  (自分と、人とに)。
  写真技術のメリットは健康支援者に限らず万人に共通する。
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2.料理や食事写真は、
  料理教室の教材、食事相談の資料として活用できる。
  「食事相談」とはいえ、コトバ以外のメディアを
  もっと活用できる場面がある。
  埃っぽいフードモデルよりも、
  両手に持った野菜350グラムの写真、
  ハカリに乗せた350グラムの写真、
  料理に展開した350グラムの写真のほうが、
  アピールするところが大きいはずである。
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  写真を適材適所に使うためには、
  パソコンのフォルダーを
  バージョンアップする必要がある。
  「肉」「魚」「緑黄野菜」「単色野菜」
  (または第1群、第2群、第3群、第4群)
 「盛りつけ」「単品」「外食」
 「ウォーキング」「ジョギング」
 くらいのフォルダーを、
 すでに作っている人が存在していることを心から祈りつつ、
 このページを終える。
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# by rocky-road | 2016-05-01 22:10