模倣はクリエイトである。

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今年、2016年6月5日の誕生日のプレゼントとして、
パルマローザのみなさん、
ロッコム文章・編集塾の塾生、
その関係者の方々から、
「韓国旅行」をいただいた。
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事前に作っていただいたパンフレットには、
「大橋先生と行くワクワク・ウキウキ韓国2泊3日」
とあったが、
私にとっては2008年の初回訪問以来2度目。
まったくの不案内の行先であって、
みなさんをワクワク・ドキドキさせるのはムリ。
みなさんに着いてゆくだけの気楽な旅……のつもり。
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メインテーマは、
ファッショングッズの物色と食べ歩き。
このテーマは、わがレパートリーの1つでもあるので、
充分に楽しむことができた。
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日本の女性の衣服の多くは
メイドイン・アジアだが、
メイドイン・コリアの一部は
デザインそのものをクリエイトしている様子。
つまり日本の下請けではなく、
オリジナリティを発揮している。
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専門家から見ると、
世界のファッションの動向から、
「いいとこどり」をしている
といわれるのかもしれないが、
むしろ世界の動向をヒントにして、
より大胆なファッションをクリエイトしているように思える。
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それは、わが日本の「いつか来た道」でもある。
昔は「模倣が得意なジャパン」といわれたが、
実際には、そこから新しいものを生み出してきた。
今日の模倣、というよりコピー大国は中国だが、
このほうは、完全無欠な「ニセ物」である。
こういうルートをたどって、
センスもマナーも近代化してゆくものである。
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これを不快と感じてはいけない。
Jポップスの歌詞は、
すでに数十年にわたって、
「完全無欠」なニセモノ外国語を使って、
国籍不明のソングスを生産し続けている。
いとしのエリ―さんや
五番街のマリーさんは、
何県何街何番地に住んでいるのか。
欧米風の虚構の世界である。
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それを非難しているのではない。
文明・文化の流れとは、そういうものである。
かくして、
アメリカ生まれのジャズの一部はJポップスとなり、
ラーメンやカレーライスは
天下晴れて日本料理となったのである。
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いまや(といってもかなり前から)
韓国の女性服の一部デザインやアイテムは、
先進国の下請けから脱して、
少なくともアジアをリードしつつある。
生地の色のバリエーション、
デザインのバリエーションの多様性には、
昔の「アメ横」体験者といえども圧倒された。
もっとも、
これらのファッションは観光客向けなのか、
自国民向けなのか、
その判断は、いまは情報不足でできない。
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とにかく、妙にカッコをつけず、
思いつきをどんどんカタチにしている。
日本人には、ここまでの勇気はなかった。
フランスのシックに憧れるような、
遠回り(?)をすることなく、
テレビファッションでもなんでも、
どんどん商品化してゆく。
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見落としているのかもしれないが、
日本で見かける「国防色」(こくぼうしょく=オリーブ色)が
あまり目につかなかったのは、
この旅の収穫の1つといえる。
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メンズジャケットの店には
黄色や赤、ロイヤルブルーが飾られていた。
日本にも、ダンス系やホスト系の店には、
こんな衣服が展示してあるが、
これを日常使いする例は、あまりない。
むしろ、私がそのごく一部の実践者かもしれない。
徴兵制のある国で、
だれがこれを着るのか、首をかしげた。
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街は深夜を過ぎでもにぎわっているが、
さっき見たような服を着ている女性はいない。
夜中の街歩きに、あのファッションはありえない。
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では、昼間は? 働く人たちは? オフィスでは?
全部を「視察」する時間も機会もなかったが、
帰りの空港で見た地元のテレビに、
あの恰好をした女性アナウンサーやキャスターが
映し出されていた。
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ファッションビル、日本風にいえば雑居ビルに
ひしめいているミニサイズのショップに、
倉庫としか思えないほど積み込まれた衣服の需要は
どこにあるのか。
日本から業者が買いつけに来るとは聞いたが、
それにしても、その量が多すぎる。
この需要を上回る過剰生産力が、
デザインのバリエーションと価格の安さを生んでいるのか。
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転業の余地が少ない地域の事情が
この活力を生んでいるのだとすれば、
ハングリー精神は、
やはり人間に強いモチベーションを与えると
改めて実感した。
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ところで、5階まであるビルのショップ群。
日本と同じように、
「メンズ」は4階、5階へと追いやられている。
のぞいてみると、客は1人2人。
こわいくらいのフロアの静かな空気。
秘密アジトに迷い込んだかと緊張したが、
売っているものは、
1か所のホスト系(?)を除いては
日本のメンズコーナーと変わらない。
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よほど客が来ないのか、
エレベーターホールや階段近くのスペースに
不要になった商品のゴミ袋入りが
放り投げられていた。
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この光景を見て、あることを思った。
日本では、かつて有給休暇の消化率がきわめて低く、
「日本人は働き過ぎ」と欧米諸国から非難された。
趣味がないから働く、
「余暇」ではなく、「与暇」(与えられ暇)に甘んじていた
日本人の閉塞的人生を緩和したのは女性だった。
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休暇をとったあとの月曜日、
「疲れたのでもう1日休みたい」と
追加申告をする女性の勇気に、
内心、「敵ながらあっぱれ!」と思った。
今日、男にも育休や産休が与えられるという休暇事情は、
堂々と(ぬけぬけと)休暇を求めた女性の功績によるところが大きい。
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いま、女性たちは、
山と積まれた衣服を買い求めた以上、
午前と午後に1回ずつお色直しをしたくなるほどの
ライフスタイルへとシフトすることだろう。
それこそ、平和運動そのものである。
それは「戦前」の期間を延ばすことにもなり、
もし、男たちがこれに倣うことができれば、
健康寿命を延ばすことにプラスに働くことだろう。
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以上が、徴兵制のある国で感じたことの1つ。
次回の韓国行きがあるとすれば、
軍事基地などをコースに入れて、
軍服姿の男たちにインタビュ―したいと思う。
そのときはもちろん、
イエローかレッドのジャケットを着て。
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# by rocky-road | 2016-09-29 21:13  

30食品~四群点数法~10食品。

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去る9月14日の夜、
「NHKジャーナル」というラジオ番組を
たまたま耳にした。
『老化を遅らせる食事法』という番組。
人間総合科学大学教授の熊谷 修氏が、
その内容を説明していた。
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年齢が高くなるとコレステロール値や血糖値、
血圧を気にする人が多いが、
それ以上に気にしなければならないのは
たんぱく質の不足やエネルギー不足だという。
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氏による、
番組以外の説を参考にすると、
近年、血液中に含まれる血清アルブミンの低下が
老化や認知症、その他の生活習慣病のリスクを
増大させることが
外国の研究者などの間でも
明らかになってきたという。
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血清アルブミンは
摂取した良質たんぱく質を材料にして
肝臓で合成されるという。
この成分は、血中の60%を占めるといい、
これより下回ると抗酸化機能が落ちたり、
放熱作用が落ちたりするという。
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高齢者の熱中症の一因は、
血清アルブミン量の不足から
つまりは摂取たんぱく質不足から
外気温で上昇した体温を、
放熱することができなくなるため、とする。
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結論は、「粗食」や、1日2食などではダメで、
毎日80㌘ほどの肉をとる必要がある、と。
近年の高齢者研究者には、
肉をすすめ、
「ちょっと太め」をすすめる人が多い。
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数年前から
「肉など脂っこいものをたくさんとると
生活習慣病をふやし、『食の堕落』を進め、
それは民族の危機」との珍説を展開し続けている
農学系の某発酵学者がいるが、
このセンセイの意見を聞いてみたいものである。
この発酵学者は、昭和30年代まで続いてきた
海藻、根菜、魚、豆、米を基本とする和食は
栄養バランスが理想的、と公言し続けている。
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NHKジャーナルの話に戻って、
熊谷氏は、老化を遅らせる食事の大切さを述べ、
その事例を「いまからいう10の食品を
リスナーのみなさんは書き取っていただきたい」と
ことわって、以下の食品をあげた。
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①肉、②卵、③牛乳、④油、⑤魚介類、
⑥大豆製品、⑦緑黄色野菜、⑧芋、⑨くだもの、⑩海藻
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これらの食品を1日3回の食事によって
均等にとることをすすめていた。
この中で、量を示したのは肉の80㌘。
食品の品目で見れば、
食事摂取基準に近いものになっている。
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しかし、量の目安がないうえに、
適正エネルギーについての説明もないので、
この放送を聞いただけでは、
実行しにくいし、実行したとしても、
長続きはしないだろ。
漫然と10食品をマークして、
それを毎日とるには、食品が散らばりすぎている。
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文明や文化もまた、
つねに右肩上がりではないことは承知しているが、
分野が違うと、
これまでの歴史が生かされず、
およそ50年くらい後戻りしてしまうものかと
またまた慨嘆した。

つまり、1958年には、
いろいろの経過を経て、「四つの食品群」が
香川 綾先生によって提唱されていた。
(女子栄養大学創立者、医学博士)
この食事の目安は、
当時の「栄養所要量」に基づいて
1日にとりたい食品を4つのグループに分け、
性、年齢、労働量などに応じて、
その摂取概量を示したものである。
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第1群として、卵は1個、牛乳をコップ多めに1杯。
第2群は、肉と魚、その加工品を1日2皿。
第3群は、緑黄色野菜と淡色野菜を合わせて300㌘。
     (今日では350㌘)
     芋1個、
くだもの1個(リンゴ、みかんなら2個)
海藻、きのこは任意の量。
第4群は、穀類(米、パン、麺など)を
     1日3食。ご飯は茶わん軽く1杯程度。
     パンは食パンなら2枚、
     麺なら1わんを1食分とする。
     油脂は、1日、計量スプーン1杯
     菓子や砂糖、嗜好飲料は
     毎日とるべき食品ではないが、
     とる場合は、この群の食品として扱う。
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「四つの食品群」の食品は、
「老化を遅らせる食事」と大差はないが、
それらを4つの引き出しに入れて覚えるので、
整理はしやすくなる。
卵と牛乳は第1群だから、
朝食で、真っ先にとるようにする、
などの原則を作ってしまえば、
あとは3つの群のコントロールである。
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この「四つの食品群」はとるべき量を
1個とか2皿とか、概量を示すほか、
それぞれに重量を示している。
上記のものは家事を専業とする
主婦の必要エネルギーをベースにしたものである。
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のちに、食品の重量を、80キロカロリーを1点として、
1日20点(1600キロカロリー)を基本量とする、
「四群点数法」へと発展し、
中学、高校の一部の教科書にも採用された。
『食品成分表』に収載されている食品を
1点80キロカロリー当たりの重量に置き換え、
冊子にした。
『1点80キロカロリー成分表』という。
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エネルギー単位に食品の重量を示したのは、
当時、1960年代前半ころから、
肥満や「成人病」(当時)が顕著になってきたためである。
「卵は1個がほぼ1点(80キロカロリー)、
魚は、アジなら1匹が1点」というように把握する。

栄養学はここまで前進してきた。
食品栄養学、食品化学、栄養生理学、
ビタミン学などの研究実績をもとに
「食事摂取基準」というガイドラインが
省庁から数十年にわたって示され、
さらに、毎年行なわれる国民健康栄養調査などの
成績も加味して、ゼロ歳から高齢期の人までの、
労働量別の適正摂取栄養量の
ガイドラインが示されている。
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医学の分野では、
ここ30~10年くらいのあいだに
治療から予防へと急速にシフトしてきた。
この過程で、栄養学に関心が向くようになる。
が、栄養学の基礎知識を学んでいないから、
とかく部分対応になる。

アンチエージング分野では、
こんな微量成分がいい、
こんな食品がいい、と、
単品をすすめる学者が多かった。
「多かった」と表現するのは、
「アンチエージング」説の流行が
ほぼ終わったと見るからである。

ドクターや、栄養学以外の学者には、
国民健康栄養調査や日本の栄養学史を
チェックしている人の割合は低かろう。
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かれらには「三色食品群」や「1日30食品」
のことを知っている人は少ないと思われる。
つまり、食品に含まれる栄養素の特徴別に
食品を分類するだけでは、
量のコントロールができないことを
調理経験や食生活運営経験のない者には、
なかなか理解できないのである。

昔(1980年代)、厚生省が提案した
「1日30食品を」運動などは、
「七色とうがらし」をとれば7品はとれる、
というようなお笑いネタにまでなった。
毎日、とりたい食品を30品だ、10品だと
並べただけでは、
ルートを示したことにはならないので、
食生活の地図にはならないことに
大半のドクターや専門外の学者の思いは至らない。
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悲しいが、それが現実である。
しかし、彼らの無知や浅学を嘆くだけでは
問題は解決しない。
その原因は、むしろ栄養士の怠慢にある。
「四群点数法」を学んだ栄養士が、
それを普及することを怠ったか、
それに全力を注がなかったことが
遠因としてある。

それをさらに掘り下げると、
栄養士のコミュニケーション能力の低さにある。
話す力、書く力の強化を怠ったために、
情報を遠くに飛ばすことができなかった。
「1日に何をどれだけ食べるか」という
食の地図を人に示し、
実践してもらうところにまでもっていくには、
論理も、情緒も、さらには哲学も必要になる。
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相手は専門家ではなく、一般市民である。
よけいに情報発信力が必要になる。
学ぼうと思っていない人たちの関心を引くには、
よほど魅力的な話し方、書き方が求められる。

というところまできて、
「だったら、アンタだって、一端の責任がある」
という声が聞こえてきた。
「栄養士、健康支援者のコミュニケーション力、
表現力の強化を目的に授業を行なっているのに、
なぜ、栄養学の分野にすぐれた論者が出てこないのだ」と。
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指導法の問題なのか、
目標設定があいまいなのか、
珠玉(「じゅず」ではなく、「しゅぎょく」)の
人材に不足があるのか、
かれらもモチベーションの低い世代なのか、
さらに熟考してみたい。

と同時に、
一時、研究分野でしきりにいわれたように、
「学際的」な人的交流も必要だろう。
ドクターや、栄養学に弱い学者と栄養士とが、
コラボレートすれば、
いくらか状況が変わるだろう。
だがだが、
果たして、そういう連中、
つまり、ナイーブで、視野狭窄気味のドクターや栄養士が、
放っておいたままで
自主的に交流ができるのか。
ここにもコミュニケーションの
ハードルがあるのが現実である。
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# by rocky-road | 2016-09-21 17:05  

企画会議、いまは昔――にあらず。

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いま放送中のNHKの連続テレビ小説に
しばしば編集部の室内シーンが出てくる。
仕事中のシーンや同僚との会話、
上役とのやりとりなど。
編集会議らしきシーンもある。
が、なぜかみんなトゲトゲしている。
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終戦直後の、モノのない時代だから、
と考えるのは間違いで、
実際には、もっと明るく、のびのびしていた。
あんなに深刻な顔ばかりはしていなかった。
演出の過剰なのか、演技力の問題なのか。
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現実の『暮しの手帖』は
やがて100万部を超える大ヒット出版企画である。
なのに、あの暗さ、あのトゲトゲしさはないだろう。
私自身も長いあいだ購読し、
おもに文章力を学んだ。
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番組の編集会議シーンでは、
長方形に並べた机の頂点に
社長および編集長が座り、
かつ、編集長(?)は
立って演説調で発言しているのだった。
柔らかな会議では、立ってはいけない。
演説をしてはいけない。
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過日、≪コミ研 ひろしま≫のセミナーで、
戦後まもなくアメリカから伝わった
「ブレーンストーミング」
という話し合いの形式が、
今日に至るまで、
日本中に行きわたったとは言いがたい、
という話をしたが、
『あなたの暮し』(番組中の誌名)の編集会議は、
古き良かざる時代の形式である。
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リアルな時代考証によるシーンなのか
(実際、スタッフの少なからずは生存している)、
テレビ制作者の創造的(想像的)シーンなのか、
定かではないが、
あの形式では、
打打発止(ちょうちょうはっし=刀で撃ち合う状態)
といえるような「ブレスト」はしにくい。
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創設者の花森安治(はなもり やすし)氏が
よほどのワンマンだったことを言いたいのか、
実際、ああいう形式で会議を行なっていたのか
番組からは推測できない。
花森氏が亡くなったのは1978年というから、
私が食生活雑誌の編集長になった年である。
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私はオーナー編集長ではないし、
そして労働組合全盛期でもあったから、
あんなワンマンは通らなかった。
それに、そこまでワンマンでありたいとも
思わなかったので、私の場合は
もう少し「ブレスト志向」があったと思う。
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つまり、司会進行によって
きっちり進められるような
四角四面の「会議風」ではなく、
前の発言者のアイディアに
別のアイディアを上乗せしていくような
聞き覚えのブレスト風を
目指したつもりである。
1日かけて、飲食つきで行なったこともしばしば。
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ブレーンストーミングのルールはそういうものだが、
そこは発言が控えめな日本人のこと、
とても談論風発というわけにはいかない。
「参加型」というのは簡単だが、
ミーティングでも講義でも、
参加者はなかなかしゃべってはくれない。
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そこで、
どうしても『あなたの暮し』編集部風になる会議が
2016年の日本中にはゴマンと、
いや数百万とあることだろう。
『あなたの暮し』社は、
戦後、すぐにスタートした版元だから、
そういうワンマンスタイルが続いたのかもしれない。
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アメリカ人の行なうブレーンストーミングを
間近で見る機会はなかなかないが、
2014年11月29日、
その機会が突然やってきた。
映画『ベイマックス』や
『アナと雪の女王』のプロデューサー、
ジョン・ラセター氏の伝記的レポートを
NHKテレビが放送した。
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3Dアニメ映画の『ベイマックス』の制作過程に
「ストーリールーム」とか
「ノートセッション」とかといった場で、
30人は超えると思われるスタッフが、
映画の主人公たちの心理描写、
表情の描き方などについて、
司会者らしい役も置かず、
意見交換をしているのだった。
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これぞまさにブレーンストーミングである。
総指揮者のラセター氏は、
端のほうで黙って見ているくらい。
この番組を見て、
アメリカ人のディスカッション力に完全脱帽。
日本人との差は100年どころではない、
と感じた。
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そうではあるが、
いや、だからこそ、
ブレーンストーミングやディスカッションの
スキルアップを続けなければならない。
こういう話し合いができること、
言い換えれば企画力を養うことは、
商品や記事をヒットさせる、という程度の話ではなく、
地域の、国の、地球人の生存にかかわる問題である
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そう思うと、
一部の健康支援者が5年間続けている
「食ジム」は、そうとうに意味があることと思う。
テレビ小説『とと姉ちゃん』を観ている人は、
会議シーンや、上役の登場シーンのときには
企画力を高めるための反面教師とするのも
一法かもしれない。
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# by rocky-road | 2016-09-12 00:02  

ときには、自分に不正直に。

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2人の海仲間から
うれしい情報が入った。
 
その1人は、自然保護協会が発行する
自然保護』という雑誌の
昨年の「表紙写真コンテスト」に応募し、
それが入選して、
この10~11月号(隔月刊)の表紙に使われた、というもの。
その雑誌が、
撮影者(井出哲哉)から送られてきた。
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去年、沖縄の座間味島(ざまみじま)で撮ったという
ハマフエフキ、約60センチの大きな魚の真正面写真。
ダイビング雑誌でも、
ここまで魚のド・アップ写真を使うことは多くはない。 

もう1人は、
昨年、出版した『評伝 増田萬吉 潜水の祖)』
という本が、
岩手県にある、種市(たねいち)高等学校の教科書として
採用されることになったため、増刷されたという。
この高校は、日本で唯一の、
プロの潜水士などを養成する学校である。
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彼(鷲尾絖一郎)には、
すでに『海で死なないための安全マニュアル
もし、サメに襲われたら
十姉妹の謎を追う!』など、
海ものと、飼育小鳥のルーツをたどる著書などがある。
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私がスノーケリングのクラブの創設にかかわり、
同時に海と島への旅を始めたのは1964年。
クラブには20年間で600人くらいの人が
通過していったが、
活動の中心になるのは、最大で70人くらいだった。
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スノーケリングやスクーバダイビングを
地の果てから始めるもう1つの旅ととらえ、
国内のいろいろの海におもむいた。
私がダイビング雑誌の編集にかかわっていたこともあって、
ダイビング界の動向について話題にすることがあった。
それの結果なのか、
編集や著述業を希望の人が何人か出てきた。
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といって、スノーケリングのクラブは、
著述家や編集者の養成機関ではないから、
とくにその道をすすめるような野暮は避けてきた。
しかし、その道を目指す人には、
ある程度の口利きをして、
あと押しくらいはした。
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そんな日々から40~50年、
本格的な出版プロデューサー兼著述家になったり、
ゼロ戦ライターとして
独立したりした人が何人か出た。
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最初にあげた「ハマフエフキ氏」は公務員として定年を迎え、
以後、俄然、写真や著述に目覚め、
あちこちへアクションを起こしている。
スタートに遅すぎることはない。
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いま、ロッコム文章・編集塾を主宰したり、
能登や広島でコミュニケーションについて講義する目的は、
プロフェッショナルのスキルアップであるが、
心の底で、さらにその先を目指す人が出てくるのを
期待しているところがないとはいえない。
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しかし、それを前面に出すと
無用なプレッシャーをかけることになるので、
そういう(どういう?)話題やアクションは
控えるようにしている。
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栄養士の中には、
なぜこんなに有能な人が
情報発信者にならないのだろうか、と、
思わせる人も少なくなかったが、
本人の描く人生設計図は意外に小さくて、
いまの仕事で充分と、引き下がってしまうのだった。
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また一方で、
なかなかのノリでその道を選びながら、
不勉強と、人脈づくりや人脈維持の不得手から、
いつの間にか消えてしまった人もいる。
そういう人のほうがはるかに多い。
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人生は、確かに「マイペース」や
「自分に正直に」「自分らしく生きる」のほうが楽である。
マイペースや「自分に正直に」は、
シッチャキになって努力をしない人間の、
自分をごまかす言であり、生き方である。
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人間は楽なほうを選びがちだから、
「自分に正直」や「自分らしく」は、
楽な生活に逃げることを意味する。
大事なのは、ときに、自分に不正直に生きる根性である。
この場合の「不正直」とは、自分の感性に対してである。
眠くなった自分に「それはヤバいよ」と言ってやることである。
知力は、眠気や怠惰を防ぎ、
あしたの「快適」「爽快」をイメージすることができる。
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「アリだってゴキブリだって、自分に正直に生きている」
と、言ったことがあるが、
考えてみれば、アリやゴキブリに失礼な発言である。
≪ゴキブリホイホイ≫をはじめ
駆除薬剤の攻撃から逃れて生存してゆく苦労は
人間なんぞにはわからない、
「倍々ペース」の人生であろう。
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この8月28日、
≪コミュニケーション研究会 ひろしま≫主催の
セミナーが終わった。
年4回のペースで1年目が終わり、
次のクールに入るところである。
この日は、「企画力、アイディア力は文章をこう使えば
強化できる」という演題で1日講義をした。
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ここのメンバーからも、
次の目標を定めつつある人が
現われることになるだろう。
その日までの時間はたっぷりある。
人生は、最後の最後まで、登り坂である。 
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# by rocky-road | 2016-09-02 00:51  

魅力的なスピーチと、魅力的な食事。

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オリンピックの女子レスリングの金メダル優勝者が、
判定直後、喜んで近寄るコーチを
2回、一本背負いで投げ倒す、
というパフォーマンスがあった。
しっかり準備をしたうえでの喜び表現だった。
そのユーモア感覚に感心した。
しゃべりを得意としないスポーツ選手は、
コトバ足らずのコメントをするくらいなら、
こういうパフォーマンスのほうがすがすがしい。
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これと反対に、
女子マラソンで、
10位にも入れなかった日本の選手が、
まるで一位でゴールしているような、
いけシャーシャーとした
フィニッシュポーズをしたのにはあきれた。
おまけに、インタビュアーに
「オリンピックには出るもんだねぇ、楽しいよ」だと。
書き留めなかったが、ガラの悪い仲間コトバで
あっけらかんとしたコメントをしていた。
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入賞するにしろ予選落ちするにしろ、
コメントを求められたときの対策くらい立てておくのが
世界クラスの選手と、
その養成関係者の責務だろう。
わが家の近くには「トレセン通り」(トレーニングセンター)や
「アスリート通り」がある。
ロッコム文章・編集塾も近いことだから、
「コメント トレセン通り」を
引き受けてもよいと思っている。
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プロのトーク力もたいしたことはなく、
あの超人的短距離ランナー、ボルトに、
「プレッシャーをどう克服しましたか」と
インタビューをするNHKの女子アナがいた。
当然、彼の答えは「いや、プレッシャーは感じなかった」
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ハナからプレッシャーがあると
決めつけのある問いかけは、
プロ、アマにかかわらず厳に慎みたい。
ダントツ世界1のトップランナーに
「プレッシャーをどう克服した?」とは、
失礼だし、相手の偉大さをわかっていない、
なんたるおバカだろう。
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さて、8月13日の「講話力セミナー」では、
受講者から有効な質問や問いかけがあった。
その1つが、「魅力的スピーチ、魅力的な講話とはどういうものか」
というものであった。
だれもが、そういうものがあれば知りたいと思う。
が、「魅力的な話し方」というものはあるにしても、
「魅力的なスピーチや講話の内容」は一期一会のものだから
「定番」を決めることは、むしろ避けたい。
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スピーチや講話は、
その都度、目的もテーマも違う。
聞き手の属性も違うし、人数も時間帯も違う。
食事になぞって考えればよくわかる。
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日本人の食事には季節感が求められるし、
朝は朝らしく、昼は昼らしく、
夕は夕らしくありたいと思う。
そのうえ、外食してきた家族の外食メニューとも、
バッティングしないように気をつけなければならない。
だから食事のことを「瞬間芸術」などともいう。
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「芸術」とまではいわないが、
スピーチも講話も、クリエイティブな行動である。
充分な準備と、その場、その場での対応、
まさしく「空気を読む」能力。
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ボルトに「プレッシャーは?」と
愚問を発するようなのは、
空気が読めないタイプだから、
「魅力的なスピーチも講話」もできない。
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毎度のことだが、
アナウンサーは「読む人」であって「語る人」ではない。
それを誤解すると、相手にプレッシャーをかけることになる。
「語れるアナウンサー」は、100人に1人、
500人に1人というくらいに
見積もっておいてあげたほうが親切。
そのことは、アナウンサー養成機関や
アナウンス部の上層部こそ、
わきまえておいてほしい。
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スタートした講話シリーズでは、
幅の広い「専門性」を持つ、
「魅力的なスピーチや講話」をこなせる
健康支援者を目指してサポートをしたい。
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# by rocky-road | 2016-08-20 22:33  

あなたは10人の前で講話ができますか。

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いよいよ「講話シリーズ」の第1回が始まった。
≪食コーチング プログラムス≫主催で、
第1回が2016年8月13日(土)、
以降、第2回は10月22日(土)、
第3回は12月17日(土)を予定している。
いずれも横浜市内。
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食生活雑誌編集者時代、
「栄養士のための講演の仕方」
という企画をしたが、
大学教授を含む企画会議で却下された経験は
仲間内で話したことがある。
企画が必要なくらい、
当時も(?!)
栄養学関係の教員の話はつまらなかった。
それを今回、
影山なお子さんが、
セミナーとして取り上げてくださった。
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30年ぶりに、昔の企画を復活できたことは
それ自体は格段うれしいことではないが、
この企画がいまも通用すること、
いや、ますます必要度が増していること、
それがわかる人が存在することが
日本の「健康界」(初使用、そういう「界」が
そろそろあってもよさそう)にとって
うれしいことではないかと思う。
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もう1つうれしいのは、
わが恩師の旧著
『日本人はこう話した 言論100年』
(芳賀 綏<やすし> 著 実業の日本社刊 1976年)
の一部を、
テキストとして使うことができたこと。
福沢諭吉が英語の「スピーチ」を
「演舌」「演説」などと訳したとされる
通説の裏事情が書かれた部分を
今回、みなさんに紹介できた。
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といって、裏話のおもしろさの紹介ではない。
日本人の習慣にはなかった
人前での「1人語り」の必要を
明治維新後、福沢諭吉が強く説き、
それを実践してきた、
にもかかわらず、
今日の教員、代議士、弁護士に見るように、
日本人のスピーチ力にいかに進歩がないか、
それを知っていただき、
少し気合を入れていただくためだった。
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ところで、「講話」とは、
日本人の感覚では、スピーチよりは長く、
講演よりは短めで、
内容的には、スピーチよりはテーマや起承転結がしっかりしていて、
講演よりは軽めのもの(とも限らないが)
という認識でよいだろう。
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今回のセミナーでは、
極力講師のしゃべりは少なくし、
みなさんの実演、みなさんとのディスカッションに
時間を割くことをコンセプトにしている。
みなさんの活動報告などに、
「講師の講義の中で……」などという
フレーズがあったら、
それは「コメント」のことだと
理解していただきたい。
「コメント」を「講義」と誤訳されるようでは、
講師のメンボクはつぶれる。
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このセミナーのご案内に
一生の財産としてのスピーチ力、司会力
としたが、これはけっして誇張ではない。
人が3人以上集まれば、
スピーチ力も司会力も必要になる。
幼稚園でも老人ホームでも、
その能力は個人の存在感、求心力、
その結果としての幸福感の質と量に関係してくる。
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今回は、全員(29人)に
3分間スピーチをしていただいた。
内容については、以後のセミナーで、
より詳細に論評してゆくが、
それ以前の問題として、
まだ表情、声量が複数の人対応にまで
できあがっていない人が少なくなかった。

野球でいうと、「遠投」が足りない。
野球選手の基礎能力の1つは肩のよさ。
イチロー選手のように、
外野フライからタッチアップで
ホームを狙うランナーを
スピード返球で刺すことができるのは、
遠投で肩を鍛えたからにほかならない。
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声が2メートル先の人に届かないのは、
声の遠投トレーニング不足以外の
なにものでもない。
声のボリューム調整力の不具合は、
もって生まれた声量の問題ではさらさらなく、
聞き手となる人々の
表情や反応を読み解こうとしない
不注意か怠慢かにある。
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それと、耳が遠くなってわかるのは、
人はいかに表情でしゃべっているか、
ということである。
声が不鮮明でも、表情を見ていると
なにをいおうとしているかが、ある程度はわかる。
聴覚障害の人の会話を見ていてもわかるが、
いかに表情をつけて会話をしているか、である。
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声が小さく、
表情に「遠投」モーション、
言い換えれば表情で話さない人の話は、
たいていの場合、
話の内容が聞こえなくてもさほど損失はない。
聞こえたとしてもつまらない話である場合が多い。
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声が小さく、表情がないから話がつまらなくなるのか、
つまらない話しかできないから
声や表情がウサギの肩(イチローの肩に対して)になるのか、
1人1人について考察してみたい。
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だいたいのことはわかっているが、
学会発表のためには、
もう少し
エビデンスを固めておく必要があるだろう。
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# by rocky-road | 2016-08-15 18:42  

文章・編集をなぜ学ぶのか。

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ロッコム文章・編集塾/能登教室が
開講してから10回目を数えた。
2014年3月から始まったから、
2年4か月たったことになる。
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文章や編集を学ぶことにどういう意味があるのか。
昔、「16年間、文章教室に通っている」
という人に出会ったことがある。
その人は「朝日新聞」の
「天声人語」を学んでいると言っていた。
NHKのカルチャーセンターに通っている人にも
出会ったことがある。
この人はエッセイを学んでいる、と言っていた。
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ロッコム文章・編集塾についていえば、
「モノの見方、考え方を深める」
「思考力を深めること」ということになる。
サンテグジュペリが、
「ほんとうにたいせつなものは、
目では見えないのだよ。心で見るのだよ」
というときの、「心」の多くはコトバである。
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サッカー選手が
アイコンタクトでパスを促す場合は、
コトバが介在する時間はないが、
「アイデンティティ」や
「愛」や「幸福」「未来」となると、
非言語的なイメージだけでは
深く考えられないし、
継続的に考えることもできない。
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もっとも、
いきなりだれかに、
「なぜ文章や編集を学び続けているのですか」
と聞かれたとき、
「思考力を深めるために」では
いかにも硬直していて日常会話にはなりにくい。
そこで、
「筋道立った考え方、話し方、
書き方を強化するため」くらいに意訳する。
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あるオッチョコチョイが、
そう聞かれて、
「句読点の打ち方などを学ぶんです」
と答えたという。
そのオッチョコチョイとは、
不肖、この大橋禄郎である。
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兄の危篤の枕もとで、
姪から「文章教室では
どういうことを教えているのですか」
と聞かれて、そう答えてしまった。
場所が場所、時が時ではあったが、
これはいくらなんでも意訳のし過ぎ。
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こういう人間が、
「栄養士になぜなったのですか」と聞かれたとき、
「食べることが好きだから」では、
あまりにも脳がない、などと、
人を批判できるのか。
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こういう時と場合に備えるためにも、
表現力のバリエーションを何十回となく、
トレーニングしておく必要がある。

今回の能登教室で、
こんなエピソードを聞いた。
ある栄養士さんが、
食事相談が終わるころ、
「人生相談みたいですね」と
クライアントから指摘されたとか。
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これは、栄養士の表現力を問われる大きな問題である。
食事相談は、
まさに相手のライフスタイルを前提にして行なうもの。
だから、相手が人生相談と感じたのは当然。
それは、
好ましい食事相談を行なっている証拠のようなものだが、
しかし、「人生相談」をやすやす肯定してはいけない。
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その理由は、「人生」といった重いコトバを使うと、
無用に慎重、神妙になりがちであるし、
実際、守備範囲以上の泥沼に
引きずりこまれる可能性もある。
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若い栄養士が人生相談に乗る、
というのはおこがましい。
困るのは、こういうとき、
栄養士が君臨しがちになること。
「栄養指導」とか「行動変容」とか、
自分のバックグランドを支えるコトバを得ると、
ロクなことはない。
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ということで、
ここは「人生相談」をひた隠しにするほうがよい。
「食事相談って、人生相談みたいですね」
と言われたら、どう切り返すか、
準備を始めなければならなくなってきた。
いくつかのフレーズを考えてみた。
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*「あらそうかしら。
でも、日常茶飯事の繰り返しが人生ですものね」
*「それは困りましたわ。
栄養士の専門は、よりよい健康づくりなのに」
*「人生相談? おそれ多いわ。
 わたしは一介の楽しい食生活ガイドです」
*「あらうれしい。私は食の哲学者になれるかしら?」
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「能ある鷹は爪隠す」のはむずかしい。
「食の窓から侵入する哲学者」としての栄養士は、
分をわきまえず、
他の職業のエリアに足を踏み入れ始めてしまった。
ほかに適任者がいないのだから、やるっきゃない!
もう、後戻りはできない。
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食はもちろん、
人生にも地図は欠かせない。
コトバは5年後、10年後の地図を
描くことができる。
文章を学ぶ意味はそこにもある。
能登教室で新たなヒントをいただいた。
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# by rocky-road | 2016-07-29 15:44  

六から禄への贈り物。

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永六輔氏が他界された。(2016年7月7日)。83歳。
私より3歳年長である。男は、82歳~83歳あたりのハードルで
倒れるケースが多いように思う。
兄も83歳で昨年末に他界した。
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この3月、工藤昌男さん
――かつての放送作家であり、
海のテーマに強い科学ジャーナリストである
工藤さんの85歳の誕生日をみんなで祝ったが、
永さんとの交流の歴史を少しうかがった。
そのとき、工藤さんは、
「ああ、あいつはねぇ……」と話していた。
放送作家として親しい仲間だったようである。
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1940年代末から1960年代にかけて、
NHKラジオの人気番組、「日曜娯楽版」は、
長寿番組であったことから、
たくさんのコメディアンやミュージシャン、
そして、放送作家などを輩出した。
コメディ系では、三木のり平、
中村メイ子らであり、
放送作家では、永六輔、
野坂昭如らがその代表である。
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永氏は、「上を向いて歩こう」や「いい湯だな」
「黄昏(たそがれ)のビギン」などの作詞で知られ、
音楽家の中村八大との「六八コンビ」は有名だが、
のちに坂本九が加わって、
「六八九トリオ」などといわれた。
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このうち、最近、
カラオケで自分のレパートリーに加えた
「黄昏のビギン」が、
永六輔作詞であることは忘れていた。
作詞家としての存在価値の高さは不動であるが、
私がいまも共感が衰えないのは、
「知らない横丁を曲がってみよう、それが旅です」
というフレーズである。
番組で聞いたのか、なにかで読んだのか、
確かな記憶はないが、
自称「旅派」に属する私にとっては、
忘れられないフレーズである。
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旅、あるいは旅心は、
遠くに行くことだけではなく、
日常生活の中にも「あってしかるべし」、
そういう着想を与えてくれる。
(そういえば「遠くへ行きたい」も永六輔作詞)
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建設中の現場に立って掲示を読んでみたり、
「ここになにが建つのですか」と尋ねてみたり、
夕食の食材を買いに行く程度の外出でも、
あえて「よそ行き」の衣服を身につけたり、
次の旅行に
「おろす」予定の靴の試し歩きをしたり、
といったスタンスは、
人生を「旅」としてとらえる、
楽しみ追求の姿勢である。
「知らない横丁を曲がってみよう、それが旅です」
いいコトバである。
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コトバつながりで、新しい話題を。
このたびの参議院選挙では、
野党が選挙協力をして共闘したが、
このとき、ある党が提唱した、
「安倍政権の暴走」を
共闘他党が、そっくりいただいて反復していた。
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言語心理学的に見たとき、
人の造語を鵜呑みにして繁用することは、
造語した人物に従うという側面を持つ。
議員数では大きく上回る政党が、
少数党の造語を能天気に使っているのを見て、
「頭が悪い」とは、こういうことだな、と思った。
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たとえば、「肉食系女子」とか
「婚活」とかの流行語を
公の場所で使うときは、
アタマに「いわゆる」をつけて、
「いわゆる肉食系女子のようなタイプは……」
としたり、「 」で囲んだりする。
これは、100%、そのコトバに従っていない、
という意思表明を含んでいる。
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しかし、そういう言語心理学に無頓着な政党人は、
自分より党員数において「下位」の政党の造語を
無条件に受け入れてしまう。
プライドを捨てるとは、こういうことである。
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ところで、「暴走」がなぜ「造語」なのか。
自動車が歩道を突っ走ったり、
他の思惑や周囲の状況を考えないで
物事をむやみにおし進めること、
といった国語辞典などの定義から離れて、
自分の考えに反する総理大臣を
「暴走」と定義することは、
「曲解」または「造語」ということになる。
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少数政党の悲しさ、または怖さは、
コトバで戦う戦術をとらざるを得ない、という現実である。
安全保障に関する法案を「戦争法案」とし、
防衛予算を「人を殺すための法案」と造語する。
ドギツイ用語を使うのは、
党内にコピーライターがいないからではなく、
デマに近い情報を流すことで、
自分の優位性、存在感を示す以外に、
国民の同意を得られる論理を持てないからである。
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人の集団には、人の悪口や批判をすることで
恐れられている困った存在は、どこにもいる。
政党とて同じである。
「弱い犬はよく吠える」は、ここにも使える。
「ヘルスコミュニケーション論」的にみれば、
かれらには大きな内的ストレスがあることになる。
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エビデンスとして、
政党人別の健康寿命一覧表のようなものを、
いずれだれかが作ってくれることを願う。
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さて、
「知らない横丁を曲がってみよう、それが旅です」
という永六輔氏のフレーズ、
これは、脱帽して受け入れ、使い続けたい。
「六」が「禄」に贈ってくれた思想である。
喜んで従属し、さらに、
これからも「♪ 黄昏のビギン」や
「♪ 帰ろかな」を歌い続けたい。
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# by rocky-road | 2016-07-13 14:44  

切手文化は輝き続ける。

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切手については、
郵政省時代には、いろいろともの申してきた。
デザインが悪い、絵が下手、
お子さま向きの絵が多い、
「なになに記念日」の切手ではなく、
花とか風景とか、
常時使える切手も出してほしい、とか。
こういう利用者からの回答は、
判で押したように「今後の参考にしていただきます」だった。
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しかし、郵便会社になって以来、
なかなかいい切手が多くなった。
「和の食文化」などは、郵便史に残るヒットではないかと思う。
しかも、「第1集 一汁三菜」と銘打っているから、
第2集も考えているのだろう。
こういう企画は、思いつきや一朝一夕にはできない。
そうとうのプランナーがいると見た。
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さらに、「これでも文句があるか」といわんばかりに、
「GREETING SUMMER」というのを出しおった。
世界の切手で、プルメリアやハイビスカスの花を
デザインした切手はきっとあるだろうが、
波紋が揺れる砂地、雲、
清涼飲料水の入ったコップをデザインした切手は
たぶんないはず。
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かつて、沖縄海洋博のとき、
世界初の水中写真の切手が出た。
撮影者は、故・舘石 昭氏。
この切手はご本人からいただいたうえに、
その原画写真を額装していただいたことがある。
大型写真と切手とを玄関に飾っておいたが、
写真は劣化して、いまはない。
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かねがね欧米の切手文化のレベルの高さに感服し、
「それに比べてわが国は……」と嘆いてきたが、
ここへきて、一気に間を詰めてきた感じ。
ひょっとしたら、郵便の利用者が減っていることと
関係があるかもしれない。
「だれにも向くような」路線から、
真に手紙、ハガキ文化を愛好する人向けに、
まじめに考えるようになったのかもしれない。

いままで、文句ばかりをいってきたが、
「GREETING SUMMER」の企画については、
利用者の選ぶ切手コンテストには推薦したい。
そういうコンテストがあれば、の話。
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その一方で、
フリーマーケットには、
昔の名作切手が額面どおりか、
ほんのわずかのプレミアムがついた程度の値段で
売りに出されている。
事情を聞いてみると、
昔は日本橋三越デパートあたりでも、
「切手市」なるものが催され、プレミアムがついて
販売されていたという。
そういえば、見かけた記憶がある。

いまは、切手に骨董的価値が失われ、
往年のコレクターたちは、
フリーマーケットあたりで、それを処分しつつある。
切手や記念コインを買い集めて、
いまに高く売れる、などと言っていた時代を
「セコイ時代のセコイ趣味だった」
といえる自分を、少しは大人になったと思う。
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フリーマーケットで見つけた、
雨傘を差す、浮世絵の美人画も、
梅雨時にこそ使おうと、せっせと使っているうちに、
あっという間に残りが数枚になった。
惜しい気もするが、
切手もコミュニケーションメディアだから、
自分の切手ファイルの中にあるよりも、
ずっと生きがいを見つけたことになる。
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# by rocky-road | 2016-06-29 21:15  

「健康ってなんだ」街道を行く。

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6月4日、
第45回食ジム「栄養士・健康支援者は、
食器とどうかかわるか
」(アドバイザー参加)

5日、パルマローザ、ブラッシュアップセミナー
「『ヘルスコミュニケーション力』を
どう強化するか」

(横浜)
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6月11日、
コミュニケーション研究会 ひろしま主催
「『対話力』をつける。――専門性と日常性への対応」
(講師/影山なお子氏)受講
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12日、
「『栄養士』『健康支援者』という職業の
リーダーのカタチ。――『引っぱり型』と『あと押し型』の活用法」


6月13日、
ロッコム文章・編集塾、
月曜クラスの授業。

6月5日の80歳誕生日をはさんで、
いろいろの角度から思考を深める機会を得た。
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食ジム「食器とどうかかわるか」では、
食器の記号性について、
改めて考えることができた。
丸皿、楕円皿、角皿の意味、
銘々茶わん、銘々箸の意味。
日本食文化の重要な着眼点だが、
「和食」世界文化遺産ニュースの中では、
軽視されているように思う。
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日本においては、
食器は、料理の安定性保持、引き立て役などにとどまらず、
家族の位置づけ、季節感、持ち物のとしての存在意義、
思い出を内包する記号としての意味が大きいことを
さらに掘り下げて話し合うことができた。
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「ヘルスコミュニケーション力」では、
あえて「自分とのコミュニケーション」における健康性について、
みなさんに提示した。
昔、同僚に「でも」という「逆接の接続詞」で発話する男がいた。
ほかの同僚との調和も悪く、
ほかのセクションに行っては、同僚の悪口を言っていた。
あげくの果て、小さな部屋に自ら引きこもって
普及し始めたパソコンとにらめっこの仕事を好んだ。
同僚と結婚すると報告されたので、
喜んでこの吉報を課員に伝えようとしたら、
「やめてください。ヤツラ、なにをいうからわからないから」
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話しぶりに病的傾向が出ることは周知されているが、
使う用語から病性を感じたのはこのときだった。
調べてみると「分裂気質」とやらであった。
この傾向は時代を経ても継承されている。
「……っていうか」「……逆に」で始まる発話傾向である。
肯定より、なんとなくの否定。
内的ストレスの気配を感ずる。
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ともあれ、大橋型「ヘルスコミュニケーション論」では、
「健康」は心身や社会性の「快調度」を示す概念から
自分、人々、社会の方向性を探る心的バロメーターであり、
自分を支え、目標を設定するうえでのモチベーションであり、
つまるところ思想である、と位置づける。
パルマローザのセミナーでは、
思考や理論を半歩か3分の1歩か、
自分の思想史の中では前進できた。
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広島のセミナー、影山なお子さんの講義から、
対話は、対人ヘルスコミュニケーションにおける
最小単位であることを再認識した。
好ましい食事相談は、好ましい対話から生まれる。
対話の不得手な者が、好ましい食事相談、
好ましい健康相談を行なうことは不可能、という論点には
深く同意するところがあった。
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私が担当した「リーダーシップ論」では、
辞書の定義には、「率先垂範型」(オレについて来い型)の説明しかないが、
「あと押し型」のリーダーという概念を説明した。
栄養士とは、人々の健康を支援するリーダー、
つまりあと押し型のリーダーであることを説いた。
「栄養士はこの職業を選んだ時点で、
好むと好まざるとにかかわらず、
リーダーの道を選んだのである」と。
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ベビーカーを押すとき、
子どもに何を見せたいか、どこへ連れて行きたいか、
それを最終決定するのは押す者である。
公園を希望する子に、途中でチューリップ園を見せて、
別の興味を引き出すのも、あと押し型リーダーのワザである、と。
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おもしろい偶然は、
13日のロッコム文章・編集塾の授業で、
論理性の話が出たとき、
栄養学あるいは栄養士は論理的職業である、
という話になったことである。
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もともと「理系的」タイプだから栄養士の道を選んだのか、
栄養士という職業が理系性を強化したのか、
一律にはいえないが、
栄養学がなんとなく「理系」に分類されるのは当然で、
「20歳代の事務系仕事をする女性の1日の摂取エネルギー量はこれくらい」
という目安は、まさしく論理的説明だからである。
そういう意味では、
「ポリフェノールは目にいいのよ」
「かぼちゃはお芋よ」(食品を糖質量でのみ分類する専門バカ)
といった「栄養素士」は、その限りにおいて論理的である。
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しかし、人間には感性があり、ライフスタイルがあり、
時と場合がある。
それらを見ることなく、一律にポリフェノールを話題にしたり、
栄養バランスを説いたりするのは、
時と場合をわきまえない、という点で、非論理的となる。
論理にもTPOがあり、「人を見て法を説け」という原則がある。
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横浜、広島、東京と移動しつつ、いろいろの思考的刺激を受けた。
「人間に自主性はあるのか」と問うた脳科学者がいたが、
確かに、地球上の生物は、この天体からの無数の刺激を受けて、
それに反応しているとしか思えない。
旅は、脳および全身を活性化する好ましいシステムであると、
改めて実感した。
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こうして79歳から80歳へとまたぎ渡った。
80歳代をどう生きるか、
身近なところには充分なモデルがあるとはいえない。
おもしろいもので、
反面教師はなんとも多い。
90歳、100歳で「戦争は絶対にいけない」
「あの悲惨な災害を語り継ぎたい」と繰り返している高齢者である。
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対策を考えることなく、
「いけない、いけない」を念仏として唱えて思考を停止させてしまう、
あの能天気人生だけはモデルにしたくない。
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以下は、広島でのスナップ。

尾道城
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到着直後に出会った尾道商店街の火事。
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しまなみ海道から耕三寺へ。
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# by rocky-road | 2016-06-14 17:56