情報を遠くに飛ばす。

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先日、NHKテレビの「趣味どき」という番組で、

カラオケレッスンをやっていた。

磯野貴理子さんが、音楽プロデューサーと、

2人の歌手からレッスンを受ける内容。

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このとき、プロデューサーが

「声がのびない」という指摘をし、

その理由として、

貴理子さんの目線より、

やや下にある歌詞ボードを見るために、

声がすぼまってしまう、と。

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この場面をたまたま見ていて、

これは人との話し合いにおいてもいえることだと、

大いに納得した。

ミーティングやスピーチで発言するとき、

声が小さくて聞きとりにくい人がいる。

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自分が難聴になったがために、

改めてそういう人の存在を意識するようになった。

しかし、彼らに「難聴者にもわかるように」と

注文するつもりはない。

そうではなくて、

内容のしっかりした話なら、

わかりやすい発音で、

コトバを1ミリでも遠くに飛ばすほうがいい。

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カラオケと同様、

目線が下に行っていると、

声がのびない。

コトバは、姿勢や表情、視線によって、

より遠くにまで達する、

そういうことを言いたい。

野球のピッチャーに対して、

「よく腕が振れている」

という解説者の指摘があるが、

こういうピッチャーのボールは

速いだけでなくのびがある。

変化球も大きくて効果的。

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コトバも、姿勢や表情、視線を使って投げると、

よくのびる。

相手に届きやすくなるだけでなく、

内容もよくなる。

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声が小さい人の話は、

とかく内容がうすい場合がある。

これを科学的に分析することができるのか。

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仮説としては、

声が小さいと、

相手への音響的刺激が小さく、

相手の反応も小さくなりやすい。

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同意にしろ反論にしろ、

音響刺激の大小に比例して、

内容の深まり方が違ってくる。

はっきり聞こえる声に対しては、

相手も気合を入れて反応する。

意見交換や議論が熱を帯び、

深まる度合いは高い。

本人も、その反応に満足するので、

表情に活気が出るし、声にハリやツヤも出る。

もちろん、話題の展開の仕方も慣れてくる。

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この仮説に一理があるなら、

声の小さい人は、

カラオケボックスか山の奥で

発声練習、発話練習をして、

発話力を鍛えるのもいい。

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人間関係がよくなるのは当然として、

思考力も深まる。

モノを書く人と、書かない人とでは

論理性に違いが出るのと同様、

声の大きい人(つまりはフツ―の人)は

自分の発言内容への認知度も上がるので、

やはり認知能力アップにプラスになる。

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さて、

ここから本題。

恒例のパルマローザ・ブラッシュアップセミナーでは、

「社会的ポジションを左右する文章表現力、

どこを、どう見直せばよいのか。」

サブタイトル「メール、ハガキから原稿まで」

をお話しした。

201818日 横浜市技能文化会館)

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文章力は、

声よりもさらに遠くへ情報を飛ばすスキルである。

空間的な「遠く」だけではなく、

時間的な「遠く」をも含む。

つまり、1年後、10年後にまで飛ばすことができる。

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さらにまた、

頭脳空間における「遠く」にまでも

情報を飛ばすことができる。

脳は、自分の目の上にあるではないか。

どこが「遠いのか」。

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いやいや

脳の世界は時空を超える。

そこには祖先以来の記憶があり、

5年後、10年後の未来がある。

トランプ政権のアメリカが見えるし

朝鮮半島の政治情勢が見える。

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いま、書いていなくても、

日記を書く習慣を持っている人には、

書かない人が見落としているものも見える。

取材モードのスイッチが入っているからである。

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健康支援者、栄養士は、

ますます情報を遠くに飛ばす機会が増えてくる。

11のカウンセリングにとどまらず、

複数の人に対しての講話や講演、

イベントの司会などのほか、

Eメールやメールマガジン、

そして印刷媒体による情報発信などによって

健康情報、食生活情報を

遠くに飛ばす必要に迫られている。

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つまり健康・食生活情報を

遠くに飛ばす基本スキルを強化しないと、

はるかに後発のドクターに、

この分野を奪われる可能性がある。

彼らは、

栄養士よりも情報を遠くに飛ばすトレーニングが

できている、ということである。

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もっとも、

中身の食や栄養情報はうすいので、

投げるボールがすぐになくなるはず。

したがって、社会への影響力は一過的で済むだろう。

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ところで、

以上のセミナーの前日、

食コーチングプログラムス主催の

「食ジム」(第63回)では、

会議の議長、進行になったら」というテーマで

終日、話し合った。

201817日 横浜開港記念会館

座長、奥村花子)

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これもまた、

情報を練りあげ、

それを複数の人たちに

投げかけるスキルのトレーニングである。

健康支援者、栄養士の「遠投力」強化は、

継続的に続ける必要があるだろう。

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# by rocky-road | 2018-01-15 23:14  

健康って「病」なの?

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健康支援者、栄養士にとって、

なかなか刺激的な本が出たようである。

といって、この本のすすめではないから、

そこをしっかり頭に入れて、

以下を読んでいただきたい。

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この本を読んではいないので、

内容について紹介も論評もできない。

が、広告によると、

「健康」という「病」があるという。

こういう言い回しは

昔からあるから、さほど驚くことでもない。

「健康のためなら死んでもいい」

というジョークはおなじみだ。

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新聞広告によれば、

「健康を過度に気遣うことは、

深刻な病気である」という。

「病気」の定義はむずかしいが、

この文脈からすると、

いわば「依存症」の指摘だろう。

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スマホやギャンブル、

ショッピングもおしゃれも、

読書も学問も創作も、

旅行も友情も信仰も、

断捨離も孤独愛好も、

頻度や熱意によっては「ビョーキ」と見られる。

よくある視点である。

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しかし、

ここでいう「ビョーキ」は、

モチベーションというコトバに

置き換えることもできる。

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ベストセラー作家でもなく、

著名人でもないフツ―の人は、

著名人から見れば

ちっぽけなことに

こだわって生きているように見える。

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が、そういう「ちっぽけ」なことが、

本人にとってはモチベーションになる。

11万歩、歩くこと、

朝起きたら神棚に向けて手を合わすこと、

朝起きたら、蒸留水をコップ1杯飲むこと、

13回、定刻に食事をすること、

月に1度、自転車で神社巡りをすること、

などなどが生きがいとなって、

その人の人生を支え、

前からは引っ張っている。

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黙っていても原稿依頼が来たり、

電波媒体から出演依頼が来たりする人とは、

モチベーションはおおいに違う。

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この作家は、

「孤独」や「ただ生きていくだけ」

「なにかにとらわれない生き方」

などをテーマにするのが好きな人だが、

実際には、退屈したり、

孤独を楽しんだりしているヒマは

ないはずであり、

あまたの依頼に応じることができているがゆえに、

きわめて健康である。


健康法などを実践するヒマは、

もちろん、ない!!!

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こういう本は、

あくまでも文系のエッセイであって、

Howe-to本」(実用書)ではないし、

エビデンスをベースにした論文でもない。

以前、この作家は、

『人生の目的』という本を出したことがあるが、

その中では、

いろいろなエピソードの紹介ののち、

巻末間際になって

「人生の目的とは、人生の目的を探ることである」

というようなことが書いていた。

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「ダァー」とコケてはいけない。

結論がない、と訴えてもいけない。

この本も、マニュアルではないし、

梅干しの漬け方の解説書でもない。

それが文学というものである。

筆者の語り口を楽しむのがおもな目的、

文学的エッセイの1パターンである。

したがって、

『健康という病』という本も、

軽~く、流して読めばいい。

本人も、流して書いているのだから。

この本を読んで、自分の健康法を疑ったり、

健康法をやめてしまったりする人が

いくらかは出るかもしれないが、

いずれ別のモチベーションを見つけるだろう。

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これまでの健康法をやめたことで、

寿命を縮めたり、

病気を発症したりすることがないように

祈るしかない。

とばっちりを受けるであろう

栄養士や健康支援者としては、

こういう本が、

またしても出たことは知っておく意味はある。

その新聞広告には、

目次の一部が紹介されていて、

そこには「医学界も栄養学界もぜひ論争を」

などとある。

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少なくとも栄養学界の一部は、

健康が人生の目的ではないことを前提にして

対象者の支援を行なっているはずだし、

そもそも「健康とは何か」について、

それなりの定義を持っている。

その定義によれば、

ヘレンケラーも、

「五体不満足」と自ら宣言した人も、

ぴったり健康であり、

幸福である。

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目次には

「完全な健康などない」という項目もあるが、

このあたりも、

一部の健康支援者はクリアしている。

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が、食事相談などの場面では、

「ある作家が食事は13回と決めることはない」とか、

「私は運動量が減っているので

11回でもお腹がすかない」とかと

言っているけれど、本当ですか、

などと問われる可能性がある。

そんな場面を想定して、

この本を読んでおいたほうがいいのか。

いやいや、

その答えをこの本に求めるのはお門違いである。

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やはりここは、

食コーチング的に問いかけてみよう。

「その本を、どうしてお求めになったのですか」

「あなた自身は、お食事は1日何回ですか」

「なぜ、そのようになさるのですか」

個人との対面セッションでは、

健康も幸福も、

一般論では論じられない。

それらは、個々人のライフスタイルの中にある。

それをクライアントといっしょに

その糸口を見つけ出すことが、

健康を支える第1歩である。

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まさかその本には、

「健康は求めてはいけない」とか、

「人のサポートを受けてはいけない」とかとは、

書いてはいないだろう。

(書きたいだろうが)

教訓として、

次のことを学んでおこう。

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1.仕事に恵まれていたり、

 仕事で実績をあげていたりした人が、

 健康を気にするな、

 自分は不健康だ、

 友だちは減らせ、持ち物を減らせ、

 などと論ずる場合、

 それは一般論ではない、ということを

 認識しておくこと。

 あくまでも成功者のパフォーマンスである。

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2.自分が偉くなったとき、

 そういう姿勢で論じることがないように自戒しよう。

 かつて、大学教授が

 「管理栄養士の資格なんかとらなくてもいい」

 と講義中に言ったり、

 ウーマンリブのリーダーが

 「女は結婚だけが人生の選び方ではない」

 といったりしたために、

 それに従った人が、

 のちにずいぶん苦労した例をいくつか見ている。

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最後に、この本の広告の名誉のために

次のことは指摘しておこう。

広告面の一部に、

次の1行があった。

「ヘルスリテラシーのすすめ」

「リテラシー」を、

「適切な理解力」とでも訳すか。

そのリテラシーによって、

この広告から本の内容を洞察することは

さっそくにヘルスリテラシーアップの

トレーニングになる。

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# by rocky-road | 2018-01-01 20:17  

コーディネート力は生物の「適応力」。

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12月は、毎月のクラスのほかに、

10日には「栄養バランス 四群点数法」シリーズ

3回目の講義、

16日は、食コーチング入門コース第22期修了日での講話、

17日は、第62回 食ジム「講話力--私の場合。」に出席、

23日は、第37回、遠距離クラスでの講義、

そしてクリスマスイブの24日は、

「ぶらパルマ」のガイドとしてのお台場~銀座歩きなど、

セミナーやイベントが続いた。

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これらのイベントの意義を

1つのキーワードで説明すれば、

「ヘルスプロモーション」のための

感性磨きと、スキルアップということになるだろう。

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「人々が自らの健康をコントロールし、

改善できるようにするプロセスである」という

WHOのオタワ宣言に従うならば、

その基本スキルとして

コミュニケーション力強化は欠かせない。

どんなにすぐれた知識や技術も、

それを運ぶコミュニケーション力がなければ、

プロモートしようがない。

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ときあたかも、

NHKラジオでは、

「冬休み 子ども科学電話相談」放送シーズン。

小学生低学年生からの質問に、

その道の専門家がタジタジとなっている。

まさしく、1つの情報をうまく伝えられない。

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「水槽の中で、金魚は死ぬと沈むのに、

メダカは浮いてしまう、それはなぜか」

を説明するのに「比重」や「機能」

というコトバが出てきて、

回答者自身がもがいている。

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「キリンには、ほかの動物には見られない

2本の角があるのはなぜか」

を説明するのに、

うまくコトバが出てこない。

少なくとも研究者はここでは「先生」なのだが、

「おじさんは、おじさんは」と

繰り返す。

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子どもと対話する国語を持っていない。

子育て時期が終わって久しいので

子どもとのコミュニケーション法を

忘れてしまったというのではなく、

もともと、そういうトレーニングを

してこなかったことがわかる。

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こういう実状に直面すると、

健康支援者、栄養士の場合はどうだろうか

と思わざるを得ない。

「栄養バランスってなんですか」と、

子どもではなく、

街行く大人に尋ねられると、

立ちすくむ専門家が多いのではないか。

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しかし、10日の「食ジム」での

座長の見事な司会・進行ぶりを見ると、

一部ではあるが、専門的な知識を、

専門外の人に伝えるコミュニケーション力が、

ついているのを実感して安堵する。

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健康支援者の講話や講演のあり方について

話し合ったのだが、

座長(米澤須美さん)の司会ぶりを見て、

日本中の健康支援者が

こんな司会・進行ができるようになったら、

国民の健康意識は、

数段階は駆けあがることになるだろう、

と思った。

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人工頭脳が人間の領分を侵す可能性が

しばしば話題になるようになったが、

集団思考の方式や、

そこから生まれるアイディアは、

永遠に人間の領分であり続けるだろう。

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遠距離クラスでは、

「コーディネート力 強化のための方向性。」

をとりあげた。

「文章教室」としては

「思えば遠くへ来たもの」だが、

文章も表現も

人とのコミュニケーションのためにあり、

モノを考える手段として存在するものだから、

「コーディネート」をテーマにするのは、

当然の成り行きである。

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たとえば、

クリスマスイブに、

家族とではなく、

恋人や仲間と過ごすことが多い「日本型」では、

お台場からスタートする「ぶら歩き」「ぶらパルマ」も、

コーディネートの1パターン。

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冬のお台場、都会のアウトドアは

人が少ない。

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ユリカモメとの野生コミュニケーションは、

退屈なスポーツ試合よりもエキサイティング。

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みなさんの予定を聞かぬまま、

お台場から銀座へ、

そして有楽町イルミネーション通りへ。

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正午から21時の解散まで、

アドリブの「ぶらパルマ」まで、

12月の健康支援者関係のイベントは終わった。

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# by rocky-road | 2017-12-26 16:25  

恩師、芳賀 綏先生のご逝去。

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大学時代の恩師、芳賀 綏(やすし)先生が逝去された。

すでに103日に亡くなっていたと、

夫人からの「喪中のごあいさつ」で知った。

体調を崩しておられるご様子は知っていたので、

ご機嫌うかがいのおハガキはしばしばお出ししていた。

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先生は1928年、熊本市生まれ。

東京大学文学部を卒業されたのち、

28歳で助教授として

東洋大学文学部(国語国文学科)に赴任された。

わが大学は国文学、

それも古典文学を専攻する者が多かったが、

私は国語学に関心があり、

その関連講義を中心に受講した。

芳賀先生のご担当は「国語表現法」であった。

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以後、4年間、いくつかの講義を受け、

卒業論文の審査に関して副査をお願いした。

(主査と副査、2人の教員に論文を

読んでいただいて評価を受ける制度)

主査は、音声学の大御所、佐久間 鼎(かなえ)先生、

副査は芳賀 綏先生。

卒論の評価では、

佐久間先生が満点をつけてくれたが、

芳賀先生は97点。

おかげで、卒業論文のランキングでは

270人中3位。

上の2人は古典文学と近代文学。

ともに200点満点だった。

国語学からも満点を出せばいいのに、

とは、当時は思わなかった。

芳賀先生の評価基準があったのだろう。

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卒業後も、

芳賀先生にはお世話になった。

卒業間際に、

「将来、なにをしたいのか」と聞かれて、

「文章を書く仕事」と答えた。

そのこともあって、

先生の原稿のお手伝いをさせていただいたりした。

ホテルに缶詰めになって、

原稿を書いたこともある。

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東京のお茶の水にある《山の上ホテル》では

夜中に夜食のルームサービスもしてくれた。

宿泊者を「先生」と呼ぶのであった。

作家や著述家の利用が多いためだろう。

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そういう仕事をしていた縁で、

かかわった版元から、

弟子の私にも書物の執筆依頼があった。

『実用文の書き方』(1970年 池田書店)

という本は、そんな経過で生まれた。

2年間で9版まで増刷した。

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芳賀先生の著書は多く、

ここにはあげきれないが、

手元にある何冊かを

年代不問であげておこう。

*自己表現術 (光文社)

*国語表現教室(東京堂)

*上手な自己表現 文章法入門 (池田書店)

*話せばわかる 日本人の意識と構造 (講談社)

*男優女優の昭和誌 (人間の科学社)

*売りことば買いことば (日本経済新聞社)

*日本人はこう話した 言論100年 (実業之日本社)

*現代政治の潮流 (人間の科学社)

*日本人らしさの発見 (大修館書店)

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これらのうち、

初期のころの何冊かについては

お手伝いをさせていただいたので、

私の文章の中には、

芳賀風の文体が少なからず溶け込んでいることだろう。

先生の多くの著書のうち、

もっとも話題になった1冊は、

『日本人らしさの発見』ではなかろうか。

2013年刊行だから、ほんの4年前である。

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従来の東洋人、西洋人という区分は、

地域的区分に過ぎず、

生活の基本、食文化の視点で見ると、

牧畜を中心とする地域と

農耕を中心とする地域とでは、

気質やものの考え方はかなり違う、

という指摘をされた。

東洋、西洋ではなく、

「凹文化」と「凸文化」という対比である。

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国語学からはだいぶ離れた先生に、

「いまのお仕事は?」とうかがったら、

「比較文化論」とのお答えでうあった。

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凹(「おう」 日本など農耕文化圏)と

凸(「とつ」 ヨーロッパや中央アジアなど牧畜文化圏)とでは、

神の居所が違い、人間関係や自然との接し方が違う。

中国や朝鮮と、日本とは、

同じアジア地域に存在しているが、

牧畜人の影響を受けている中国や韓国と日本とでは、

気質がずいぶん違う、という着眼である。

この視点で世界を見ると、

いままで見えていなかったものが見えてくる。

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この本は、パルマローザの輪読会でもテキストにした。

そのときの写真は先生にもお送りしてある。

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弟子のほうから見ると、

恩師というものは、

いつまでも存在していてくれるように思える。

ほんの数が月前、

いま話題の赤羽をご案内したい、と

お誘いしていた先生が、

あっという間に逝去された。

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先生の著書を読み返しつつ、

しばらくは

先生と語り続けるつもりでいる。

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# by rocky-road | 2017-12-14 22:45  

「心の栄養」足りていますか。

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以下の、2つのセミナーに関連して、

2つの話題をとりあげてみたい。

1.「栄養バランス」をどう学び、

  どう伝えればよいか。

  (第1群と第2群の食品の考え方)

  20171125

  女子栄養大学 香友会館

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2.「食ジム」第61

 ユーモア感覚を

 どう身につけ、どう生かすか。

  20171126

  かながわ労働プラザ

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まず、「食事の摂取基準」について。

20万年以上前といわれる

ホモ・サピエンスの誕生以来、

ヒトは、今日まで終始一貫して

日々の食事を感覚的に選んで生きてきた。

それでも、20万年もたてば、

13回に分けて食事をすること、

一定のメニュー(一汁三菜など)に従っていること、

米食文化圏の一部では

「主食」と「おかず」とを分けること、

動物性食品と植物性食品とを組み合わせること、

などについて、

ある程度、習慣にすることを覚え、

意識する人も出てきてはいる。

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ところが、

1日に、何を、どれだけ食べるか、ということになると、

地球上の90%の以上(?)の人は関心を持っていない。

そもそも、「何を、どれだけ」などといって

選んでいる余裕などない人が大半である。

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一方、いくらか余裕のある国では、

日々、何を、どれだけ食べるか

ということに関心があっても、

そして、その指針が示されていたとしても、

「テキトウ」に食事をしている人がほとんどである。

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人によっては、

「人間はからだに必要な栄養素を、

自然に欲するようにできている」などと、

都合のよい珍説を述べたりする。

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テキトウでは済まされない例外は、

3度の食事が提供される施設などである。

福祉施設、病院、全寮制の施設などである。

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つまり、現役として活動中の社会人は

まあ、テキトウに食事を選んで、

それでも世界一の長寿国になっちゃったりする。

「だったら、この路線でいけばいいじゃん?」

長生きだけが人生の目的なら、

それも「いいじゃん!」

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しかし、

「ヒトは情報を心の糧として生きている」という、

私論をベースに論じるならば、

きょう食べるもの、あした食べるものを

予定すること、イメージすることは、

心の栄養素の1つにもなりうる。

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つまり、「生理的栄養」と、

「心の栄養」の相乗効果で、

健康度はプラスに働く。

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もっとも、

食べることだけを考えているのは

健康状態が良好とはいえない。

病気療養中の人や寝たきりの人などは、

そうなる可能性があるが、

それでも、あしたの楽しみは

心の栄養となって、

あしたに生きる動機を与える。

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「生理的栄養」と「心の栄養」との相乗効果とは、

*次の美容院、理髪店に行く予定をすること、

*クローゼットの整理を来週にすること、

*きょう、朝食に卵を食べ、牛乳を飲むこと、

*きょうは雨だけどウォーキングは休まないこと、

*ブロッコリーのサラダにアボカドを2個使うこと

*北朝鮮からのミサイル攻撃を想定した

 避難訓練に、今週末に参加すること、

*喪中のハガキに対する返事をあした中に出すこと、

*スーパーに行くとき、

 郵便局で年賀切手を買うこと……、

などという、雑多な、「あした」がある日常生活を

くり返すことである。

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最近の健康に関する研究では、

生活の多様性に着目するようになってきた。

栄養、運動、休養以外の生活行動が、

健康を左右する要素が大きい、

ということである。

「大橋予暇研究所」としては、

20年以上前から指摘していることだが、

研究者たちの視線が

ようやくその方向に向けられるようになってきている。

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食の地図を持って人生の旅をすることは、

まさしく多様性のある人生を旅する

基本中の基本となる。

さて次は「ユーモア」について。

これも心の多様性、心の栄養の問題である。

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栄養士、そして健康支援者にユーモアは必要か。

「あったり前田のクラッカー」(当たり前である)

笑いは健康であり、健康は笑いである。

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あるケアマネージャーが、

クライアントの高齢者を訪問して声をかけた。

「なにかお困りのことがありましたら、おっしゃってください」

高齢者は言った。

「お金に困っているのよ」

「……」

このクライアントはまだ当分は元気。

沈黙したケアマネは、

ちょっとユーモア貧血。

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この治療例は、

*「そう、ゴミの日だけでは捨てきれないのね」

*「お困りなのね、1億くらいなら

  私でも使ってあげられるかしら?」

*「今度、うちのスタッフ全員で処分しにうかがうわ」

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お金がなくて困っている、という意味なら、

*「105歳の実家の父に頼んで、

  山でも売ってもらいましょうか」

*「お庭の柿の木を売ったりして、

  お金をかき集めてはいかが?」

*「待っていてね、今度ボーナスが出たら、

  宝くじを1枚買う予定なので、

  いっしょに祈っていてください」

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# by rocky-road | 2017-12-02 00:19  

喪中ではないので、年末年始のごあいさつと、句読点を続けさせていただきます。(マル)

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「喪中につき、

年末年始のご挨拶をご遠慮を申しあげます」

というハガキが届き始めた。

その中に、句読点を使ってあるのが1通だけあって、

何回も読み返した。

これは偶然か、意図があってのことなのか、と。

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日本語でも英語でも、

文章に句読点やカンマやピリオドを

使うのが正書法なのだから、

それが使ってあったといって、

反応する自分に苦笑せざるを得ない。

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パソコンのソフト設定者が、

年賀状や喪中ハガキ、

結婚や転居の案内文の文中の句読点を

省くように設定したために、

これらの定番の文章からは

句読点が完全に排除されてしまった。

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日本人は、明治維新まで

「国語」というものを持たず(地域語はあった)、

「わたし」や「あなた」、

「お父さん」や「お母さん」

というコトバさえなかった。

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これでは、国民が共通言語によって

コミュニケーションをとることができないと、

外国の例などからも学んで、

明治政府が「新生日本語」を創設した。

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「です」や「ます」「である」も、

明治になってつくられた文章のまとめ方である。

ちなみに、それ以前は「男ありけり」「たいしたものだ」

などと結んでいた。

そのころは句読点はなかった。

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明治政府は、

国語表現の大改革を行ない、

文節ごとに「、」を、

文末には「。」を打つという、

現在に至る正書法を確立した。

これらの文化大革命の成果を知らず、

だれいうとはなしに、

「あいさつ文からは句読点を省こう」ということになった。

印刷業者などが、にわか知識で、

「昔は(毛筆の時代は)句読点を打たなかった」などと

わかったような解釈をして、

現在のパソコン文例にある表記習慣を作った。

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そんなに昔がよかったのなら、

ちょんまげ(丁髷)でも結って生活をすればよい。

この状態を「パソコンに使われている状態」と

私は見ることにしている。

句読点を省く人間は、

国語のセンスが著しく低い者と私は見る。

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国語のセンスついでにいえば、

11月の定例国会に際して、

質問時間の与野党比率を

議員数に応じて見直すかどうかで議論になっていた。

が、それをいうなら、

国会での審議の進め方のほうこそ、

見直すべきときではないか。

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質問者が問いかけ、大臣や関係者が回答する、

その形はよいが、

質問者は、まるで犯罪者を追及するように高飛車に出る。

……なんて言ったら、警察関係者に注意を受けるかも。

警察は、あんなにひどい言い方はしません、と。

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国会審議がつまらないのは、

攻める側と攻められる側のカタチが

ワンパターンであるからだろう。

代案のない質問者の設問に

反論または逆質問のない議論など、

第三者が見ていておもしろいはずがない。

勝ち負けがないゲームのつまらなさと同じである。

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「もし、質問者がいうようにしたら、

政府がとるべき国民への責任を

どう果たせというのでしょうか。

ほかに代案があるなら伺いたい」という程度の

一般論化した逆質問さえ許されないのなら、

質問者はただただ過激に、

回答者は用意した文章を棒読みする、

こんなワンパターンを何十年も続けているのだから、

「思考力はだいじょうぶ?」と問いたい。

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これもまた、

明治時代の国会審議よりも

はるかに退行してしまっている。

明治の国会はもっと生き生きとしていたことは、

多くの記録が伝えている。

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11月の国会本会議での安倍首相の答弁は、

「謙虚でない」と突っ込まるのを避けるためか、

用意した文章の棒読みに終始した。

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日本人はいかに議論が嫌いな国民であるか、

改めて実感する。

議論をしないということは、

考えないということでもある。

幸か不幸か、

日本人は、あまりモノを考えないという点で、

押しも押されもしない発展途上国であることを

再認識する必要があるだろう。

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ちなみに、

このブログには、句読点を適度に打ってある。

タイトルにも。

タイトルに句点を打つ理由は、

いつか、また。

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# by rocky-road | 2017-11-22 23:20  

自然の真っただ中のわ・た・し。

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パルマローザが開催する

動物園での撮影会は

2006年6月に続いて2回目である。

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↑↑2006年6月11日に開催した、
「栄養士・健康支援者のための
 動物園の楽しみ方」
セミナーで撮影した集合写真
 
撮影 米澤 須美さん
http://palmarosa.exblog.jp/3228005/
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栄養士のネットワークが

なぜ動物の撮影会なのか。

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理由をあげればきりがないが、

ポイントを1つに絞れば、

自然に目を向けることは、

モノを認知する能力を高める、

ということになる。

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飼育されている動物を「自然」と見るのは

甘くないか、と思う人がいるだろうが、

どんなに人為が及んでも、

動物の存在や行動には

自然がぎっしり詰まっている。

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いや、人間の中にも自然は生きている。

そういう言い方は不適当で、

人間も動物も依然として自然そのものである。

宇宙ステーションにいようが、

満員の地下鉄の中でスマホに見入っていようが、

それが自然の一部としての人間である。

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昔から、学識の高い人の文章を読んでいて、

「人間は動物と違ってコトバを持っている」

「人間のような高等な動物は……」

「動物に心があるか」

などのフレーズに出会うと、

にわかにシラケてしまう。

その論者の学識というよりも

洞察力の貧弱さに失望するのである。

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動物と人間との間に線を引き過ぎる。

むしろ、生物と人間との連続性を認識するのが楽しい。

動物には心もあるし、コトバもある。

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地球上のあらゆる職業は人間を相手にしているが、

健康支援者ともなれば、

直接的に人間を相手にしている。

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そういう職業の人が、

動物を観察することは、

人間を知り、自然を知るよい機会。

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人を見る目を養う、

人の動きを推測するには、

動物を1日中でも見ていれば

超強化トレーニングとなる。

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今回は、横浜の小さな動物園が撮影地。

気を散らすことなく、

ゆっくり自然と対話ができた。

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しめくくりには、

はからずも

夜景の撮り方レッスンをすることにもなった。

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# by rocky-road | 2017-11-13 23:39  

栄養バランス、とれていますか。

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5回シリーズとして、

「『栄養バランス』をどう学び、どう伝えればよいか。

食の地図・四群点数法を中心に

というテーマのお話をさせていただくことになった。

1回目は「人はなぜ、食の基準を求めるのか」とした。

20171028日 終日。会場:横浜開港記念会館)

日本の戦後の健康教育、健康行政は、

世界水準からいって高いほうだろう。

なによりも、世界有数の長寿国、

という結果を出しているから強い。

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しかし、香港やシンガポールも

結果を出しているから、

平均寿命の要因は、

そう簡単には確定できない。

香港やシンガポールにも、

「健康日本21」のような

政府主導の健康指針があるのだろうか。

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日本は、医療や食に関して、

なんといっても「医食同源」の国から

多くの影響を受けてきた。

が、戦後の70年余りに限れば、

「食」に関しては、

欧米の影響を受けながら、

完全には「欧米化」はせずに、

一汁三菜の「日本型食事」を確立してきた。

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その背景には、

「栄養所要量」や「食事摂取基準」のような

政府主導の食事の指針が用意され、

それを学校や事業所、病院の給食に

適用してきた、という日本人のマジメさがある。

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問題は民間で、

あれやこれやの食事指針が

各省庁や個人によって継続的に示されている割には、

さらには、中学、高校でも教えているはずなのに、

なかなか身につかない。

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指針の中には、

130食品」や「マゴワヤサシイ」

そして近年では「食事バランスガイド」のように

調理や食生活の現状には合わない、

いわば机上のアイディアだけで提案されているものもあり、

実効性も実行状況も低い。

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その理由は、

こうした指針のプランナーとして

男性の参画率、発言率が高く、

または、調理経験の少ない女性や、

現場感覚、食感覚、

食の心理学などが希薄な人が集まって

プランニングしていることなどにありそうだ。

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そういうタイプの人たちは、

日本人の食生活の実態を見ていないか、

あるいは

既存の食事指針を評価する理解力が乏しいのか、

視野や洞察力に問題がありそう。

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たとえば、

すでに50年近く前に提案されている

「四群点数法」のような指針を知っていながら、

その利点が理解できず、

はるかにラフな指針を別に提案したりする。

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「食事バランスガイド」についていえば、

食事の栄養的バランスを

メニュー単位、皿単位で把握しようなどという発想は、

なんとも荒っぽい考え方である。

それはいわば、

英語を単語ではなく、フレーズで覚えよう、

といっているのに等しい。

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I have a pen

I have a pineapple」という表現の意味を

単語ではなく、フレーズで覚えてしまえ、

というわけである。

しかし、この方法だと、

I have Pen-Pineapple-Apple-Pen

というフレーズに出合ったときには

理解ができなくなる。

Pen-Pineapple-Apple-Pen

という単語(?)の意味が理解できなければ、

フレーズの意味は読み取れない。

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(ちなみに、「Pen-Pineapple-Apple-Pen」とは、

ピコ太郎氏によると、

ペンが刺さったパイナップルと

ペンが刺さったりんごとを

合体させたもの)

コトバに限らず、

国民性とか県民性とか、

社風とか校風とかと、

地域や集団の特徴を

われわれはじょうずに把握するものだが、

その前段階として、

日本人の言動、東京人の言動、

〇○会社社員の言動の特徴を把握し、

それを集団としてカテゴライズする、

それが人間の認知プロセスである。

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食品でいえば、

肉の栄養的な特徴がわかっていれば、

カレーライスが出てきても、

ギョーザが出てきても、

中身にちょっと目をやることで、

おおよその分量や特徴はわかる。

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これならば、

調理担当者にも、

外食利用者にも、

海外生活者にも活用は可能。

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どんな国へ行っても、

4つの栄養的カテゴリーに収められない食材はない。

昆虫もヘビも鶏のトサカも豚の足も、

2(良質たんぱく質群)と考えていいだろう。

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「四群点数法」は、

「魚1 豆1 野菜3」の段階(1928)から

90年近くかけて積みあげられてきた理論である。

スタートの時点から、

質と量のバランスが考えられている。

そんなに便利な食事の指針が

ほぼ固まって40年がたっても、

現状程度にしか普及しないのはなぜか。

この点は、何度でも考えてみる必要がある。

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いちばんの理由は、

人間は、食事の質と量をコントロールすることを

苦手とする、という点。

人類はずいぶんと文明・文化を発達させたが、

動物の部分を少なからず引きずっていて、

まだ栄養学の発展には、ついていけない。

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紅茶キノコがいい、納豆がいい、

玉ねぎ水がいい、糖質制限が必要、

といった各論に反応するのが精いっぱいで、

1日になにを、どれだけ食べるか」

という基本のところを学ぼうとしない。

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めんどくさいから、

「栄養のバランスに気をつけよう」と、

プロもアマチュアも

お念仏のように唱えていいことにしている。

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コミュニケーションの問題も大きい。

せっかく、よい指針が開発されているのに、

それをエンドユーザーに届ける人がいない。

栄養士が最適任者なのだが、

指針を理解し、実践する人があまりにも少ない。

養成校でのカリキュラムや指導法に問題があるのだろう。

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そんなこんなで、

文学部国語国文学科卒業の人間が、

食事指針の1つ、「四群点数法」について、

5回シリーズで講じることになった。

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25年間、女子栄養大学出版部に在籍して、

香川 綾先生が、

この食事法を完成させる現場に居合わせたので、

そのラッキーチャンスをムダにしないためにも、

そして、人類の財産ともいうべき、

この食事法の概要や、その意味するところ、

そして、それを人に伝えるときのポイントなどについて、

5回に分けて講じてみたい。

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2
2017年11月25日(土)
時間 10時30分~午後5時30分
場所 女子栄養大坂戸キャンパス香友会館
最寄り駅 東武東上線 若葉駅

  

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第3
2017年12月10日(日)
時間 10時30分~午後5時30分
場所 横浜体育館併設 平沼レストハウス3号室
最寄り駅 JR関内駅(南口改札)

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第4回
2018年1月21日(日)
時間 10時30分~午後5時30分
場所 かながわ労働プラザ
最寄り駅 JR石川町(北口改札)

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第5回
2018年2月12日(月/祝日)
時間 10時30分~午後5時30分
場所 横浜市内(近日発表

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# by rocky-road | 2017-11-01 21:19  

旅のテーマ。

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「動機」というもののおもしろさを実感した。

以前、講師を務めていたスクールの教え子から、

初めてメールをいただいた。

突然の近況として、

沖縄に行って、こんな写真を撮った、

と伝えてくれた。

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なぜ、そういう話になったのか。

それは、20年以上前に、

彼女たちと沖縄の座間味島へ行ったことがあるから。

今回は家族と、その古座間味(ふるざまみ)ビーチで

スノーケリングをした由。

そのあと、沖縄本島を旅して、

今帰仁(なきじん)にある乗馬ツアーに参加して

海に入る馬に乗ったとのこと。

写真は息子さんとのツーショットであった。

ツアーのスタッフが撮ってくれたとか。

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こちらとしては、

秋の海行きをどこにしようかと

決めかねている段階だった。

海に立つ馬の写真を見て、

これを半水面で撮ってみたいと思った。

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「半水面」という写真が撮られるようになったのは、

一眼レフを水中ケース(ハウジングという)に入れて

撮ることが普及した1980年後半あたりだろうか。

さらに、超ワイドのレンズを使って、

水面上と水中を同時に撮れるシステム、

「半水面写真」の機材と技術が開発された。

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年に1015回のペースで

スノーケリング中心の旅をしていたころには、

まだこのシステムは未発達だったので、

これを採用したのは、その時期よりもたいぶあとのこと。

タイミングとしてはかなり出遅れた。

この分野の先達は少なくないが、

それでもまだ、新しい映像を発見する余地はある。

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遅ればせながら、

半水面作品をフォトコンに応募してみると、

意外なほど短期間に受賞した。

いまもいろいろとアイでテアはある。

(写真は読売写真大賞 第一席「わんマンショー」

富士フイルム フォトコンテスト

ネイチャー部門優秀賞「フエダイ夏模様

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テレビでは、海を泳ぐゾウ、カモメ、

沼地のカバなどをキャッチした映像を見たことがある。

日本では、ウマが海に入るのは、

壇ノ浦の源平の合戦の絵などでもおなじみだが、

なぜか撮りたい欲求を刺激された。

これがキリンならばなおさら絵になるが。

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もう1つ、

久々の沖縄本島行きを考えた理由は、

やはり8月に沖縄を旅した塾生の1人から

「娘が魚に手をかまれた」という体験を

聞いたからである。

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すぐに思いついたのは餌づけの可能性である。

本島周辺の海は、

すでに人間から、かなりインパクトを受けていて、

魚などは少なくなっているのだが、

そこで手をかまれるということは、

餌づけが日常的になっていることを物語っている。

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直感したとおりで、

ガイドがソーセージを持って行って

与えていたという。

沖縄に限らず、餌づけは野生生物の生態を変えるので

エコツーリズムにおいては大禁止事項である。

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そうではあるが、

海の自然が失われた地域では

餌づけも観光資源の1つにはなる。

人間が自然環境の中に入っていく現状では、

共存する方法の1つとして、

餌を介して共存する方法もある。

教条的に餌づけを禁ずるのではなく、

好ましい餌づけの方法を指導し、

管理していくほうが、

禁止を唱える裏で、

こっそり不適切な餌づけをするよりは現実的ではないか。

見落としてはならないのは、

田畑も、動物たちにすれば餌場(えさば)なのである。

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ともあれ、

手をかまれるほど魚たちが近いということは、

被写体としての魅力もある。

海の中に立つ馬と、

至近距離の魚たち、

今年の沖縄のテーマはこれだと決めた。

動機が強すぎたのか、

写真の出来栄えは自己採点で60点前後。

「急いては事を仕損じる!!」

53年のキャリアが

そういうことを言っていていいのか。

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しかし、旅としては快適だった。

スノーケリングの初歩さえ講習していない人が、

ジンベイザメと向き合っている様子は、

涙なくしては見られない。

ダイビングビジネスの発達のおかげである。

アマチュアには、

ここまでのサポートはできない。

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ほとんどのツアーには年齢制限があり、

それが60歳までというのは気に入らないが、

キャリア50年という80歳のゲストは

そう多くないはずだから、

やむをえない。

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であるならば、

好みのビーチを見つけ、

1人ででも「地の果てから始まる旅」を続けたい。

それはスノーケリングを始めたころのスタイルである。

「旅をだれかに管理されたくない」

その原則があったから、

あえてスノーケリング中心の旅を続けてきたのである。

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多くの発見のある沖縄本島、

久々の旅であった。

なんだかんだいっても、

海は地球上で

もっとも自然と未知に出会えるエリアである。

なお、この旅行は、

201765日の

誕生日に

パルマローザのみなさんからの

プレゼントを充当したもの。

みなさまに深謝します。


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# by rocky-road | 2017-10-20 21:29  

編集力で健康寿命を延ばす。

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過日、上の写真をポストカードにして、

「ロンドンへ行ったとき、キャンペーン中の

CMサービスがあったので、

料金は高かったけれど、がんばって注文した」

と書いて出したら、受取人は本気にしてしまい、

申しわけないことをした。

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この写真は、

以前、パルマローザ(栄養士サークル)

のみなさんからいただいたカレンダーに

使ってあったもの。

年が終わったからといって

捨ててしまうのはもったいないので、

写真に撮って保存しておいた。

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このカレンダーは、

写真に、依頼者が希望するロゴを入れて

12か月分に配置してくれるサービスである。

この写真が12点あるので、

「近くに滑走路の長い空港があれば、

うちの自家用機で迎えにあがる」

「ベニスに行くことがあったら、

ウチのゴンドラを使ってください」

「ラスベガスで9,457円も、

すってしまった」などと、

「フェイク通信」を楽しんでいる。

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さて、わがロッコム文章・編集塾では、

9月から10月にかけて、各クラスとも、

「『編集力』を日々の生活にどう生かすか。」

というテーマで講義を続けている。

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パソコンの普及によって、

だれもが編集作業を行なうようになった。

ホームページ、ブログ、チラシ、

そして、日常的なEメールなどにも、

編集作業は欠かせない。

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相手に合わせた用字用語の選択、

レイアウト、添付する書類や写真、

それらはまさしく「情報体」そのもの。

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編集とは、

雑誌、新聞、書物、映像、パンフレット、CDなどのような、

ひとまとまりの「情報体」を作るために、

必要な材料を集め、それをまとめ、整える作業。

または、すでにある情報体の順序を変えたり、

短くしたり長くしたり、

構成し直したりする作業についてもいう。

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編集作業は、

実はいまさらのことではなく、

ハガキ、手紙の時代から、

そして平安の昔の和歌のやりとりにも活用された。

が、新聞や書物のような

複数の人に向けたメディアが一般化するまでは、

「編集」というコトバはなく、

したがって、

「編集作業」もない、と思われていた。

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しかし、『源氏物語』の場合でも、

紫式部の直筆原本はともかく、

書写本が作られる段階で、

あれやこれやの編集は行なわれているはずである。

誤字を直したり、読みにくい字を書き直したり、

1巻内のレイアウトを変えたり、

絵物語に再編集したり、

総ページ数を変えたり、

故意かミスかで、表現を変えたり……。

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しかし、編集はプロの仕事と思われているため、

ルールやスキルについて、

学ぶ機会はないし、チェックする人もいない。

そのため、雑然とした、

まるでゴミ捨て場のような情報体が

世界中にばらまかれている。

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メールやブログの1行の字数を短めにすること、

適度に段落で区切ること、

ハガキや手紙の宛名の位置を左右中央に書くこと、

切手を傾かないように貼ること、

できれば季節感のある切手を使うこと、

ウサギの2円切手を、しかるべき位置に貼ること、

年賀状の文章にも句読点を打つこと、

「喪中につき……」のハガキにも、

同様に句読点を打つこと、

などなどは、編集的判断による。

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つまり編集は、生活技術である。

ロッコム文章・編集塾は、

その名のとおり、編集の塾でもある。

ここで指導しないで、だれがする、

そういう切実感がある。

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話は変わるが、

先日、100円ショップで

3年連用のカレンダーを見つけて、

その編集感覚と企画力に感心した。

スケジュールが今年から来年にまたがるとき、

まだカレンダーが売り出されていない時期だったり、

買ってはあっても、

しまい込んでいたりすると、

すぐに予定が立てられなかったりするが、

連用なら、そういう戸惑いは少なくなる。

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日記は、長らく10年日記をつけてきたが、

カレンダーの3年連用の必要性には

思いが至らなかった。

一本取られた。

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かねがね、

「来週、来月、来年の予定のある人には未来がある」

とは言ってはきたが、

ダイソー関係のカレンダープランナーには脱帽。

おかげで、3年後が視界に入ってきた。

高齢者にこそ、

すすめたいカレンダーである。

これも健康グッズにカテゴライズするとよい。

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# by rocky-road | 2017-10-02 16:27